雨に濡れても待ち続けるオーエンを一言で表すのは難しい。毒舌家で、皮肉屋で、天邪鬼。人形のように作り物めいた美貌でありながらも、物語では圧倒的に悪役として描かれるだろう。
そんな彼だが、唯一親近感の湧く点が一つ。
「あ、オーエン!今ようやく三色団子が形になったんですよ。良かったらどうで」
「食べる。」
晶が言い終わらないうちに、手元の皿から団子が消えた。オーエンの形の良い唇に吸い込まれたかと思えば、もぐもぐとゆっくりと咀嚼している。その姿がまるでリスのようで、微笑ましい。
「もうないの?」
「あ、気に入りました?まだ試作品なので、そんなに作ってなくて。レシピはできたので、次はもっと持ってきますね。」
「そう。じゃあ、もうお前に用はないよ。」
「はい、それでは。」
オーエンのそっけない態度や言葉にも、晶は気を悪くする事なく、去っていく。
(…なんなの、あいつ。)
賢者に限らず、人間というのは弱い生き物だ。魔法に頼らずとも、ほんの少しだけ心を撫でれば、あっという間に震え上がる。こちらを見るのは、怯え、畏怖し、嫌悪の目。
悲鳴も嘆きも、懇願も聞き飽きている。
にも関わらず。
今代の賢者である真木晶は、今日もまた、期待と嬉しさを滲ませて、オーエンに会いに来る。
口の端に残った団子のカケラをぺろりと舐めとる。毒も薬も入っていない。無論、入っていた所で大抵の物には、オーエンは耐性をもっている。
ここのところ、ほぼ毎日、晶はオーエンに甘い物を持ってきていた。故郷の味を再現するんだと息巻いている姿を、多くの魔法使いは微笑ましく思っている。
そのおこぼれに預かるのは癪だが、彼の作る"和菓子"というジャンルは、オーエンが今まで味わったことの無いものが多い。奪い奪われるのが常であった彼は、下心なくもらったり献上されたりすると途端に興味をなくすが、甘いものは別だった。
舌に残る仄かな甘みが、また晶の存在を思い出させる。それを苦々しく思うと、オーエンはふわりと煙のように消えていった。
♢
「賢者さん、最近毎日作ってるけど、なんか予定でもあるのか?」
「あ、ネロ。すみません、毎日お邪魔ですよね。」
「いや、そんな事はねぇけど。菓子は専門外だから、賢者さんのつくる"和菓子"?を見てて、良い刺激になるっていうか。」
「ミチルやリケも甘い物好きですから、作り甲斐がありますよね。と言っても、俺も元の世界ではそんなに料理してないですし、和菓子もほとんど触れていなかったから、これが正しいのか分からないんですけど。」
晶が気合と勘で作った和菓子達は、ここ最近の魔法舎でブームになりつつある。特に西の国の魔法使い達には好評だった。もちろんこの世界には日本茶なんて存在しないため、共に頂くのは紅茶だ。礼儀やマナーからは外れるだろうが、それもまた一興。嬉しそうに食べる彼らの姿を見られれば、それに越した事はない。
「別に、そんなに堅苦しく考える必要はないだろ。レシピなんて、結局作る方と食べる方の気分次第で、ちょくちょく変わっていくもんだし。失敗しても、まぁウチにはミスラがいるし。」
「あ、あははは…。でもそうですね、お陰で失敗を恐れずに挑戦できます。」
食材のためを思うならば、消し炭にならないようにするのが最善だろうが、生憎この世界では独自の特性や特色があるのか、成功すると思った組み合わせでも予想外の結果になる事がある。試行錯誤しながらそれらを理解し、吟味していく過程は面白い。理由は他にもあるが、端的に言うと、晶は菓子作りにハマっていた。
「んで、今日も届けるのか?」
「はい、魔法舎にいると良いんですけど。」
味見役として、晶がオーエンに菓子を届けている事を、ネロは知っている。初めは心配する素振りを見せていたが、今ではやんわりと見守るようになった。
「いなくても、賢者さんが呼べば来ると思うぜ。」
「まさか、そんな事ないですよ。」
ホイップクリームの注入を終え、晶はふぅ、とようやく身体の力を抜く。今日は晶の記憶をもとに再現したあんぱんの、さらに改良を重ねていた。あんことホイップクリームは、相性が良い。元の世界でもそうした組み合わせは好まれ、数多くの商品が出されていた。
一息ついた晶に、お疲れ様、とネロが声をかける。
「あ、そうだ、賢者さん。菓子といえば、もうすぐ中央の国の栄光の街で、スイーツフェスティバルが開催されるんだってさ。知ってた?」
「いえ、初耳です!そんな催しがあるんですか?」
「いや、今年からだって。おおかた、厄災で暗く沈んだ気分を上げるため、とか何とかで上の連中が考えたんだと思うぜ。評判良ければ、街の目玉にして毎年開催されるかもな。」
「うわぁ、楽しみです!ネロは行くつもりでした?」
「うーん、行きたいっちゃ行きたいけど、ちょうど開催日に予定入れててさ。誰か代わりに行ってくれる人を探してた。」
「それが俺ですか?食レポなら任せてください!」
ネロの代わりとして行くならば、責任重大だ。魔法舎のスイーツの未来は今、晶にかかっている。甘い物ならば、ミチルとリケは当確だろう。あとは保護者役の魔法使いを何人か声かけて。そして、もちろん。
(オーエンも誘おう。)
脳裏に浮かぶ、白いコート。生クリームを頬張って笑みを浮かべる彼も、誘ってみたい。
そうと決まれば、善は急げ。スィーツフェスティバルの詳細をネロに聞き、あんぱんを乗せた皿を手に、晶は足速にキッチンを後にした。
♢
「オーエン、いますか?」
「………何。」
ギィ、と扉のわずかな隙間から、オーエンが顔を覗かせた。居留守を使われなかっただけ、マシな方だ。左右の異なる瞳が、晶の手元に視線を向ける。
「今日は前作ったあんぱんを、改良してみたんですが、如何ですか?中にはあんことクリームが入ってま」
「食べる。」
またもや晶が言い終わらないうちに、サッとあんぱん(改良版)が消えた。そのまま無言の時間が過ぎるが、どうやらお気に召したらしい。
「もうないの?」
「はい、また持ってきますね。それと、オーエンにお話があって。」
「聞くわけないだろ。」
「今度栄光の街で、スィーツフェスティバルが開催されるんだそうです。お菓子がたくさんあるので、オーエン、どうですか?」
「は?どうですかって、どういう意味で言ってるの?」
「俺と一緒に行きませんか?」
再び静寂が二人を包む。晶の誘いに、オーエンは大きく目を見開いていた。
「…お前は僕と行きたいの?」
「はい、オーエンさえ良ければ。」
「馬鹿馬鹿しい。他にも誘う奴はたくさんいるだろ。お前が声を掛ければ、喜んで行ってくれる。」
「それでも、俺はオーエンと行きたいです。」
柔和な笑みを浮かべながら、晶はオーエンに臆する事なく、フェスティバルの詳細を伝えた。
本人が嫌がる事はしたくない。けれど、多少強引な手を使っても、晶は機会を作りたかった。
オーエンと、友達になるために。
彼のことを何も知らない。知らないからこそ、知っていきたいと思う。
だから、これがその機会になればいい。
「………。」
「じゃあオーエン、栄光の街の入り口で待ってます。噴水があるところが、分かりやすいかな。」
「行くなんて、言ってないだろ。」
「はい、約束はしなくて良いです。俺が勝手に待ってます。」
それでは、と晶はオーエンに背を向ける。
来てくれたらいいな、と仄かな期待を胸に抱いて。
オーエンは黙って、扉を閉めた。
♢
開催当日、晶達は栄光の街にいた。
実際に開催されるのは、街のもっと中央寄りだ。しかしここでも既に周囲を見渡すと、多くの人が楽しそうに笑い、語り、お菓子を手に持っている。色とりどりの果実が乗ったクレープや、甘い砂糖が散りばめられたチュロスなど、すれ違うたびに、思わず目を奪われそうになる。
「本当はもう少し晴れたら良かったんですけど、こればかりは仕方ないですね。」
やや雲が多いが、雨にならない事を祈るしかない。空を見上げながら溢れた晶の呟きに、ミチルとリケが励ますように声を掛ける。
「大丈夫ですよ、賢者様。僕が昨夜祈りを捧げたので、今日はきっと良い日になるはずです。」
「ぼ、ボクも今日が素敵な日になるように願いました!楽しみましょう、賢者様。」
「ありがとうございます、二人とも。たくさん食べて、ネロにも伝えないと!」
はい、と息を揃えて答える二人に、思わず笑みがこぼれる。
「賢者様、ここで待ち合わせているんですか?」
レノックスが静かに問いかけた。今日の保護者役をお願いしており、このあとルチルも合流する予定だ。南の兄弟が行くと聞き、ミスラもくっ付いてきそうだったが、双子に連行されていった。あとで聞くところによると、また大量のお守りをルチルとミチルに押し付けたらしい。ポケットを見れば、不自然にこんもりと山になっている。
「待ち合わせている、と言うわけではないんですけど。俺が勝手に、そう言っただけなので。」
噴水には、あちらこちらに待ち合わせと思しき人たちが散在している。
しかし周囲に目を向けても、オーエンの姿はなかった。
「うーん、やっぱりいないですね。」
「もう少し待ちますか?」
「いや、三人とも、先に行っていてください。ルチルとは正午に、街の中央のオブジェで合流する予定ですし。」
「ですが、賢者様を一人にするわけには…。」
「栄光の街には何度も来ていますし、少し待って音沙汰なければ、俺もオブジェのところに行きますよ。それに、早く行かないと売り切れるところが出てくるかもしれませんし。」
なおも渋るレノックスに対して、晶はそう言い切った。今日を楽しみにしていたミチルとリケが悲しむような事は避けたい。
三人を見送り、晶は噴水の縁に腰掛けた。
「オーエン、来るかなぁ…。」
雲の厚みが増してきた。どんよりと覆い被さり、まるで晶の心情を写しているかのようだ。
来るだろうか。彼は行くとも言っていない。だからこれは、ただの独りよがりの願望だ。
そろそろ開催の式典が開かれるからか、周りの待ち人達は、どんどん減っていく。
「……あ。」
ポツリ、と頬に冷たい雫が空から降った。それはひとつ、ふたつと増えていき、霧雨から小雨へと変わっていく。
せっかくの祭りなのにという思いと、もう待たなくていいという相反する思いがせめぎ合った。
けれど、やっぱり、もう少しだけ。
この程度の雨ならば、決行してくれるかもしれない。もっと雨がひどくなったら、待つのは止めよう。
服が水を吸って、次第に重くなっていく。
フードを被ると、晶は空に目を向けた。
「……お前、馬鹿じゃないの。」
「あ。」
視線を向けた先には、箒に乗ったオーエンが浮かんでいた。魔法を使っているのか、濡れそぼった晶とは対照的に、彼の服は全くの被害はない。
「僕は来るなんて言ってないんだけど、来なかったらずっとここで濡れて待つ気?」
「まさか、そこまで自己犠牲的ではないですよ。」
「よく言うよ、献身的なふりしてさ。そういうのなんて言うか教えてあげようか?偽善者って言うんだよ、賢者様。」
「かもしれないですね。それでも良いですよ。」
「……は?」
フードを外し、晶は真っ直ぐにオーエンを見つめる。目を逸らす事なく、嘘も疑惑も取り払って、ただ伝える。
「俺はオーエンが来てくれて、嬉しいです。」
オーエンは表情を変えない。オッドアイが晶を捉え、晶の心を引き出そうとする。
やがて彼はゆっくりと空から降りてきた。
晶のそばに降り立つと、彼は苛立ちと不満と、他にも様々な感情を織り交ぜた不思議な表情をしていた。
「僕はお前と来たくて来たんじゃない。甘い物が、食べたかっただけ。」
「はい、知ってます。楽しみましょう、オーエン。」
「……ふん。」
「あ、でも雨降ってるから大丈夫かな…。雨天決行だったらいいんですけど。…あれ?」
ポツポツと降り始めていた小雨は、いつの間にかまた霧雨へ、そして。
「虹だ、オーエン、虹ですよ!」
「見れば分かるよ。」
分厚い雲の隙間から差し込むように、鮮やかな色彩の虹が架かっていた。
あわせて、パンパン、と火花が弾けるような音も響いてくる。
「良かった、フェスティバルは開催されるみたいです。行きましょう、オーエン。」
「良いけど全部お前の奢りだから。」
「はい、分かってます。」
オーエンを一言で表すのは、難しい。
だけど、今甘いものを目の前にして、きらきらと瞳を輝かせている彼は、きっと晶と変わらない、ただひとりの青年だ。