勝者の願い そこそこ人の多い、昼下がりの商店街。自分と同じく買い物に出ている人や外食に来ている人が多いのだろう。
彼と連れ立って歩くとちらちらとすれ違う人たちの視線を感じた。その視線は、俺では無く隣を歩く人へと一心に向けられている。それはそうだろう、俺の横にはこの国では見かけない珍しい色彩と、頭一つ飛びぬけた長身、それに整った顔立ちを持った麗人が居るのだから。
そっと斜め上を見遣ると、彼は珍しそうに立ち並ぶ建物たちを眺めているようだった。色とりどりの看板がひしめき合うように集まり、その身を光らせ主張している。建物の入り口には所々のぼりがあるのも見えた。
その一つ一つに書かれた文字を確認するように、時折フィガロの唇が開いては、音もなく動く。どうやら看板に書かれた文字を読み取っているようだ。
「げ…む…ああ、ゲームか」
その一つを読み取ることに成功したフィガロが、言葉を音にする。
その視線の先には、時折見かけるレトロゲームキャラクターのロゴイラストと、『GAME』の文字が見えた。
「ねえ、晶。あのイラストってさ」
そうして指差された先にあるのぼりには、あちらの世界でも何度か見かけた娯楽の一つが印刷されていた。
とても久しぶりに足を踏み入れたゲームセンターは一階は集客性に全振りしているようで、どこをみてもクレーンゲームだらけだった。流行りのアニメキャラクターや可愛らしいマスコットがきらきらと眩しい筐体に照らされている。
二人して眩しさに目をちかちかさせながら上階へと昇ると、フィガロが指差した目当てのものが現れた。電子ダーツの筐体だ。
「へえ、こちらの世界にもダーツがあるんだね」
「はい!こっちの世界で普及しているダーツだと針の部分は尖っていなくて……でも先端が的に当たるだけで機械が反応するので、点数を自動で計算してくれたり、高得点を出すと音が鳴ったりするんですよ」
あちらの世界のダーツも無くなってはいなくて、こちらではハードダーツって言われているみたいです。そう付足しながら、俺は天井近くまで伸びる大きなゲーム機のボタンをポンポンと操作してみせた。画面には英語交じりのゲーム説明や、パーティーゲームの広告映像が流れていく。どちらかというとこの国よりも海外のテイストを感じる映像は、初心者にもわかりやすく、そして楽しそうな雰囲気を伝えて来る。
「面白いね。西の魔法使いたちが好きそうな感じだ」
フィガロは近くのテーブルに備え付けられたダーツの矢を手に取ると、くるくると回してみたり、興味深そうに先端をつついたりしている。
長い指先がダーツを弄ぶ様は何だかちょっとセクシーで、とても様になっているなぁと感じられて。
彼の綺麗な指先が、その矢を投げる所を、見てみたいなと思った。
「よければやってみますか?」
思い切って聞いてみると、フィガロはにこりと笑ってあっさり頷いてくれた。
「そうだね、折角だしやってみようかな……勿論、君も一緒にさ」
「フィガロは背があるから狙いやすそうですよね…」
「ええ? 君だって低くはないでしょう。まぁでも、20のトリプルは狙いやすいかな、縦軸がブレなければブルも当てられるしね」
得意げに話すフィガロからは余裕が感じられる。これは手練れの気配がするな、と思って俺は頭上にある液晶を見つめた。
「んー……カウントアップだと負ける気しかしないのでパーティーゲームにしましょうか……」
「ルールを選べるんだ?」
「はい! ええっと…これじゃなくて…あ、あった! よし、これで指定された的を狙うゲームになりましたよ」
「へえ、最初は『3』のシングルを狙えってことなんだ。確かにこちらの方がフェアかもね。じゃあ」
フィガロがす、とその印象的な瞳を細めて見せた。長い睫毛が目元に影を落として、瞳の色が濃くなったようだった。
俺はもう知っている。これは、何か悪いことを考えている時の顔だ。
「何か賭けて勝負でもしようか」
はあ、と一つ息を吐いた。こういう時の彼は折れない。なんだかんだ上手いこと言いくるめられてしまうのが常なのだ。だったら俺に出来る返事は。
「うう、一つだけ。無理のない範囲で相手のお願い事を聞くとか、なら……無理のない範囲で、ですよ」
「あはは、りょーかい」
さっきよりも機嫌が良さそう声を上げた彼は、少し幼い少年みたいな顔をして笑った。
「…っと、よし! 当たった……!」
「お、上手いね。当たりだ。さて、俺は、と……11のトリプル? トリプルの指定って難しくない?」
「狙う範囲がめちゃくちゃ狭いですからね……ファイトです」
パチパチ、と軽く手を叩いて俺を称賛してから、フィガロは指先でダーツの矢を1本摘み上げた。
俺の応援に応えるように、フィガロは綺麗に片目を瞑ってウインクして見せると、ダーツ台の前に立つ。
す、と背筋が伸びて的を見据える瞳が真剣さを帯びる。その姿は、まるで彫像のように均整が取れていて美しかった。思わず、ふ、と息を飲む。
すらりとした脚を片方だけ前に出して、斜めに構えると、目の高さまで矢を持ち上げる。肘は90度。そこから少し腕を引いて、投げる前の姿勢へと入る。
その間も体幹はぶれず、変な力も入っていない。まるでお手本のような、完璧なフォームに見えた。
ダーツの細い矢は長い指の3本で支えられている。それがゆっくりと彼の目前へと迫り、そして振り子のように反対へと動いた。矢が指先を離れる動きが、まるでスローモーションのように映る。
ゆるく放物線を描いたそれは、11と書かれた狭い的の、更に狭い四角の中へと吸い込まれるようにたどり着いた。的に矢先が触れた瞬間、命中を知らせる電子音が鳴り響く。
そして1拍置いて。スピーカーから歓声とファンファーレが鳴り響いた。
「……あ」
思わず、声が漏れる。筐体のモニターには『PLAYER2 Congratulations!』の文字が躍り、クラッカーが弾けた。
それはつまり、フィガロの勝利と、俺の敗北が確定した瞬間だった。
「はぁ……完敗だ……悔しい」
「君も結構上手かったと思うけどね。相手が悪かっただけだよ。また行こう?」
「フィガロ、一回も失敗しなかったですよね……? 今度、コツとか教えてください……」
「勿論。俺で良かったら手取り足取り教えてあげる」
「いえあの、普通にお願いします……」
生活に必要な消耗品や、夕食の買い出しを終えての帰り道。俺は隣を歩く彼を恨めしく見上げた。
俺もそれなりに指定された的を狙うことは出来たと思うけれど、結果を見ればフィガロ側の完全勝利だった。3投の内にきっちりと目当ての的を当てていったのだから当然である。
「そうだ。お願い……聞くんですよね? 何が良いですか?」
潔く負けを認めて、彼に希望を聞いてみる。するとフィガロは忘れていた、という風に目を丸くして瞬いた。瞳の奥に光る緑の色が、街頭の光を吸ってきらりと光る。
ううん、と悩む素振りを見せて、彼がゆっくりと口を開いた。
「俺のお願いは…そうだなぁ…君の心にこれからも居場所が欲しい、かな」
「え…?」
もっと悪戯めいた要望を出されると思っていた俺は、少し拍子抜けする。
居場所、心に。なんだか抽象的な要望だった。ふ、と歩みを止めた彼に倣って、俺もその場に立ち止まる。
商店街からマンションに続く帰り道は人通りも少なく、今の俺たちを見つめるのは路上の街頭だけだ。奇異の目はもうどこにも無い。どこか遠くで野良猫の鳴く声が聞こえた。
「そう。いつも俺のことを考えていてよ。俺を君の心に住まわせて欲しいな」
買い物袋を持っていない方の手が、そっと伸ばされて俺の頬に触れる。
いつも少しひんやりとしている手は、秋の夜風に晒されてより冷たく感じた。
じい、と俺の瞳を覗き込む目には今日も薄曇りの冬空と、揺蕩う緑が居る。街灯を背にして逆光になった榛色は少し濁って暗く映った。
俺は、はく、と一度口を開きかけて、閉じる。それから、少し逡巡して。伝える言葉をゆっくり声に乗せた。
「……ちょっと難しいかもしれませんね」
拒絶するのではないと、伝えるように、少し微笑んで、そう答える。
「ええ……手厳しいなぁ」
フィガロはちょっと困ったように眉を下げて、けれど瞳を逸らされることは無かった。
上手く伝わりますように、そう思いを込めながら、冷えた彼の手を包むように、自分の掌を添える。そして、すり、と一度その手に懐いて見せた。先程ダーツを意のままに操っていた指先が今はどこか心細げに俺の頬に触れていることが、少し不思議で、けれど愛おしいと思った。
「だって。もうあなたはとっくに住み着いてしまっているので」
かさり、ともう片方の手に持ったドラッグストアの袋が音を立てて揺れる。気にせずに俺はその手を自分の心臓の上へと置いて見せた。
ここに、と左胸を押さえると、少しだけ早い鼓動を感じる。慣れないことをしているからだろう、少しだけ、頬に熱が昇っていくのが分かった。ついでに彼の冷えた指先を温めてやれたらいいのにな。
一瞬自分の胸元へと落とした視線を上に上げれば、そこには驚いた表情のフィガロが居た。
俺は丸くなる彼の瞳を見るのが好きだ。何千年も生きた魔法使いが、それでも知らないことがあって、ただの人間みたいに驚いて、少し幼く見えるから。こちらの世界に彼が来てから、その表情を見る機会が増えたことを、俺が密かに喜んでいることを、彼は知っているのだろうか。
ふるりと揺れた緑が、ゆっくりと解けるように優しくなる。薄い唇が笑みの形を作っていく。
俺が大好きな彼の表情のもう一つ。子供みたいな、少し幼い笑顔。
「そっか…もう叶ってたんだ」
そっか、ともう一度呟いて、彼は大きく息を吐いて。溶ける瞳を瞼で隠してから、そっと背を屈めて額を合わせて来た。
その様子はいつかの日を思い出させた。あの時と同じ白衣ではなく、鷹みたいな茶色をしたロングコートの裾が、その羽をたたむように優しく揺れる。
「……はい」
そう、伝えて。俺もそっと瞳を閉じた。
視覚を閉じると、風の音が良く聞こえて、それから額の温度がずっと近くに感じられた。彼の額から伝わる温度は、指先よりもずっと熱くて、お互いが今ここで生きていることをしっかりと実感させた。
「何か別のお願いはありますか?」
「うーん、そうだな…じゃあ無難に今夜の甘いお誘いにしておこうかな」
繋いだ手とは反対側の袋がまたかさり、と音を立てる。そこには生活に必要な消耗品が入っている。彼がその長い指先で選んだ、夜に使う小さな箱も。
「あ、甘い…ですか」
「そう、俺をとびきり甘やかしてよ。どろどろに溶けてしまうくらいに」
「う……」
じりじり、と指先が汗をかき始めるのが分かる。恥ずかしさで顔まで熱が上がってくるのを感じた。彼はしっかりと俺の手を握っていて、到底離してくれそうには無い。
勝者の願いは絶対だ。だってこれも彼と俺の約束だから。それが些細なものであっても、俺は少しでも約束に対して誠実でありたかった。
「晶は明日もお休みでしょう? なら今夜は楽しんで、明日はのんびりしていよう。大丈夫、もし動けなかったら俺が君を甘やかしてあげる」
「……はい……」
火照って赤くなっているであろう顔をぐいと上に向ける。少しでも夜風に冷やされて、この羞恥心を散らしてしまいたかった。
見上げる空には、満月まであと少し足りない月が見えた。彼が次にあちらの世界に帰るまでの日数を考える。箱の中身はもしかしたら保たないかも知れないな、とぼんやりと思った。
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ダーツがあちらの世界にあることを知って歓喜しました。(オエ誕イラスト参照)
背が高い人ってことごとくダーツが上手くて羨ましいです…
晶くんも大学のサークルとかである程度はやったことありそうだな~と思ってます。
フィガロは娯楽の一つとして嗜んでそうだし、普通に上手そうです…