ポロロッカ目線のあの嵐の夜。ポロロッカが一族を裏切りアディオを欺き続けてもう6年が経とうとしていた。あの日、海軍の追跡を振り切る為に仲間を安全な場所に避難させようと提案し、アディオを納得させた。それが政府の役人に仲間を渡し処刑させるための策略だとは誰も気づかなかった。
裏切りは苦痛だった。仲間に嘘をつく度、実行する度にポロロッカは自分が自分でなくなっていくような感覚に襲われた。後悔に苛まれる事もあった。しかし娘を救うためなら、生かすためなら何でもすると決めた。仲間を裏切る選択をしたのも、この現状も、全て自分自身が選んだことなのだ。後悔なんてしてはいけない、苦しんで泣く資格などない、おれは悪魔だと、そう言い聞かせながら、アディオを弱らせるための毒を調達する。
この船に残っているのはもうポロロッカとアディオのみだ。
ポロロッカは手際よく料理を作りながら、今までに別れた仲間たちに思いを馳せた。別れ際アディオはいつも、まるで今生の別れのように両目いっぱいに涙を浮かべ仲間の手をぎゅっと握って中々離さなかった、辛そうに別れを惜しみ、彼らが見えなくなっても手を振り続けていた。そんな痛々しい姿はもう見ることはないだろう、これで最後だから、最後はアディオ自身だからだ。
やっと解放される。胸中に、奇妙な安堵が広がる。これで娘は救われる。あとはアディオさえ引き渡せばすべてが終わるのだ。しかし考えていると頭が割れそうなほど痛んむ。なぜ今まで守ってきた家族を自ら死地へと送ろうとしているのだろうか?
料理を皿に盛り付けながら、過去の記憶を探り出す。アディオが生まれたばかりのときの記憶だ。ポロロッカが指でアディオの小さな手のひらをつつくと、ぎゅっと握ってくれた。歩けるようになった頃には、二人で手をつなぎ船の中を探検したこ ともあった。彼が成長し大人になった今でも、笑顔は変わらない。ニコッと笑う顔は、昔のまま可愛くて、かわいくて。
盛り付けが終わると、ふと今すぐにそこにある包丁で自分の胸を突き刺して楽になりたい、そんな衝動に駆られた。心の中の美しい思い出を無情に刺し殺し、苦しいだとか愛おしいだとか、そんな感情を今すぐ自分もろとも消したかった。
だが、きっとこの苦しみが罰なのだろう、エゴのために、自分の一番大切な存在のために仲間を裏切った罪への。
等々夕飯の時間になり、外で見張りをしていたアディオを呼んだ。彼は腹ペコだぜとニコニコしながら席に着く。
数年前までここは大勢の仲間と食事をするスペースだったが、今ではアディオとポロロッカの二人だけが座り、やたらと広いテーブルのせいで寂しさばかりが強調される場所になってしまった。
ふと、アディオが手を伸ばし、毒が仕込まれた料理を取ろうとした。
「あ、ま…待て…!」
ポロロッカは咄嗟に声を出してしまった、無意識だった。アディオは不意に動きを止め、驚いたようにポロロッカを見つめる。
「ええと…手、ちゃんと洗ったよな…?」苦しい言い訳だ、よく子供の頃にアディオに言っていた言葉だった。そうだ、娘にもよく言っていた。
「ははは、レニーじゃねェんだからよ、勿論だぜ?」アディオは手をひらひらと振り、得意げに笑った。
「そういやおれもガキの頃、お前によく注意されてたっけなな」当時を思い出したのか、アディオは優しく微笑む。
「…おれの教育の賜物ってことだな…」
ポロロッカはぎこちなく笑い返したが心の中では「駄目だ」と叫んでいた、しかし口に出すことはできない。今さらこの計画を白紙にするなんてこと、それこそ一番あってはならない事だ。
もうここまで来てしまった、いや、やっとここまで来た、絶対に計画は成功させる、アディオを犠牲にしてでも娘を守りたい、その気持ちがポロロッカの本心だからここまでやってこれた。
何方にせよ、ポロロッカの背後にもう道は残っていない。
アディオが毒入りの料理に手をつけるその瞬間を、ポロロッカはじっと見守った。
食事の後、政府の役人から連絡が入る。今日が計画の決行日であることを改めて実感させられた。連絡は最終確認のためだった。全てが順調に進んでいるか、予定通りに公開処刑の為の準備は整っているか、それを確認するための冷酷な通告だ。
毒で衰弱したアディオを介抱しながら、ポロロッカは平然を装い、アディオに航路の確認をすると伝えて甲板へと向かった。そこで政府の高官と連絡を取る。
「公開処刑がお望みなんだろう?毒で弱らせてあるが、殺しちゃいない」
わざわざ毒を使ってアディオを弱らせる手間をかけたのも、そのためだ。政府は、ただの処刑では満足しない。見せしめとして、アディオをさらしものにし、彼の死を観衆に見せつけるために、周到な計画を立てていたのだ。
下劣だ、政府が一族の人間をまるで道具のように扱い、命を軽んじるその態度には、これまで何度も耐え忍んできた。
ふと、人の気配を感じた、しまったと思うよりも早く、視界の端で人影がバシャン!と大きな水しぶきを立てて海へ落ちていくのが見えた。
「アディオ!!バカな…海に飛び込みやがった!!」
暗闇で姿をはっきりと捉えられなかったが、そんなものは確認しなくてもわかった、この船にはポロロッカとアディオの二人しかいないのだから。
この嵐の中、能力者であるアディオが海に落ちたらまず助からない、今までだって仲間やポロロッカがいたからアディオが海に落ちたって何とかなったのだ。ポロロッカは甲板から必死にアディオの姿を探した。だが、嵐の海は彼の目の前で荒れ狂い、波が容赦なく押し寄せる。
アディオの姿はもうそこにはなかった。
何故、どうしてこうなったのか。荒れ狂う海を見つめなが ら、ポロロッカは不思議と冷静な頭で考えていた。
アディオは何故海へ飛び込んだのだろうか、会話の内容を聞かれたから逃げようとした、それは間違いない。しかし、それだけではない気がした。それは罪の意識からか、何が理由があるのではないかと、思考が止まらない。
アディオは、明らかに衰弱していた。ポロロッカと共に過ごしている間は気丈に振る舞い、いつものように笑顔を見せていたが、仲間たちが一人、また一 人と船を降りるたびに、アディオの心がボロボロになっていくのが分かっていた。深い、目に見えない傷を負っていたのだ。最後の一人を見送ってからその精神はもう限界に達していた。そこへ、とどめの一撃を与えたのはきっと自分だ。
「おれが...殺したんだ...」
ポロロッカは震える声で呟いた。任務には失敗した、アディオを捕らえることは出来なかった。しかし、アディオは処刑台に送られる前に自ら命を断った。
そうさせたのはほかでもないポロロッカ自身だ。
海の轟音が耳を突き刺す。ポロロッカは膝をつき、 荒れた風に吹かれながら自らの罪の重さを感じた。
「すまない…」
どれだけ謝罪の言葉を述べた所で、謝罪する資格す ら、もう彼には残されていないのだ。
彼の言葉は、何一つとして誰の耳に届くことはな く、嵐の中に消え去った。
数日後、ポロロッカは処刑された。
それは「任務失敗」の名目だったが、彼自身は最初から知っていたのかもしれない。政府が一族全員を処刑すると決めた瞬間、彼も計画の一部として最初から処刑される運命にあったことを。
冷たい処刑台の上で、ポロロッカは静かに目を閉じた。謝罪の言葉も、後悔の念も、すでに誰の耳に届くことはない。ただ無情な運命だけが彼を飲み込み、歴史の中に彼の存在は音もなく消えていった。
そして、嵐のように過ぎ去った彼の生涯もまた、誰の記憶にも残らず、静かに終わりを告げた。