DV彼氏×アディオ(スモアディ)夕暮れの空に染まる薄暗い光を見つめながら、アディオはそっとベランダへと足を踏み出した。いつもと変わらない、燃え上がるような夕焼けが遠くに伸びている。荷物を無造作にテーブルへ置いたその手には、痛みの名残がまだ残っていた。青紫に変色した痣は、昼間よりも鮮やかに浮き上がっているように見えた。

「どうしてこうなっちまったんだろうな…」

誰にともなく、吐き出すように呟いてみる。自分でも分かっていた。こんな日々、いつかは終わらせるべきだと。けれど、何かに縛られているように、彼はその場から動けないでいた。それがただの痛みや恐怖だけなら、もっと早く逃げ出せたかもしれない。だが、心に根を張り、アディオを捕らえているのはそれだけではなかった。"孤独"──それこそが、彼を繋ぎとめている重い鎖だった。

彼の頭の中には、最初にレイヴンと出会った時のことが色濃く焼き付いている。あの頃の彼は、紛れもなく自分にとって「救い」だったのだ。震災で家族を失い、一人で生きてきたアディオにとって、暗闇の中に差し込んだ唯一の光。いつも寄り添ってくれていた笑顔、温かく手を差し伸べてくれる──それは今でも忘れられないものだった。

だが、その優しかった愛情は、いつの間にか歪み始めていた。レイヴンが酒を飲むたびに、かつての温かな眼差しは徐々に冷たく、そして険しいものへと変わっていった。最初は、酔っているだけだと思っていた。ただの気の迷いだと。だが、それは繰り返し起こり、次第に怒りと暴力で彼を支配しようとするものへと変わっていった。レイヴンの機嫌を損ねることが、彼の中で常に恐怖としてまとわりつき、ついには怯えと自責の念が、アディオの心を完全に縛りつけた。
「どうして…じゃないか、おれが全部悪いんだ、色々と気をつけねェとな…」
レイヴンが不機嫌になる原因は全て、自分のせいだ──そう思うことが、彼をその関係に縛りつける唯一の言い訳になっていった。仕事で帰りが遅くなることも、些細なことで怒らせてしまうことも、すべて自分の不甲斐なさが原因なのだと、そう思うことでようやく心の安定を保てた。
殴られて当然、自分が悪いんだと心で言い聞かせること。それこそが、アディオが恐れる"孤独"へと戻らないための唯一の支えだった。

アディオはその夜、帰宅したレイヴンを笑顔で迎えた。
「おかえり、晩飯出来てるぜ。それとも風呂にするか？」
レイヴンが嬉しそうに「じゃあ飯にしようかな」と応えると、アディオは安堵し、テーブルに夕食を並べた。2人でテレビを見ながら食事を摂るこの時間は、アディオにとって大切なひとときだった。穏やかで、温かくて…孤独を埋めてくれる…、レイヴンと一緒にいることで感じられるこの「普通」の時間が、アディオには何より愛おしかった。

しかし、時間が経つにつれ、テーブルの上に酒の空き缶が増えていき、懸念したアディオはそっとレイヴンに声をかけた。
「レイヴン、飲み過ぎだぜ？　明日に響くぞ？」
だが、次の瞬間、彼の声に反応したのは冷え冷えとした怒鳴り声だった。
「うっせェ〜なァ〜」
アディオの背筋が凍りつく。レイヴンの目には、怒りと苛立ちが浮かんでいた。アディオはすぐに「悪かった」と謝り、怒りを鎮めようと努めた。できるだけ笑顔を浮かべ、明るい声を作りながら。
だが、その態度が逆効果だったらしい。レイヴンの眉間の皺が深くなり、さらに苛立った表情を浮かべる。
「それだよ、それ…ヘラヘラ笑って媚びへつらって、おれのご機嫌伺いか？気色悪いんだよ、おまえの笑顔」
レイヴンの冷たい言葉が、鋭い刃物のようにアディオの胸に突き刺さり、血の気が引き呼吸が苦しくなるのを感じる。
この笑顔が彼にとっては嘲笑か媚びに見えているのだろうか、いつから彼はこうなってしまったのだろうか？その口で「愛してる」と囁いてくれたのは、一体いつのことだっただろうか？
痛いほどに突き刺さる言葉の次に、レイヴンの拳が振り下ろされる。反射的に目を閉じるアディオの体が、またしても痛みに震えた。

アディオは床に倒れ込み、頬に響く痛みを堪えながら、ただ同じ言葉を繰り返す。
「悪かった、おれが悪かった、反省してる…！」
声が震えているのが自分でもわかった。涙が込み上げてくるのを必死に押し込めて、どうにかそれ以上怒らせないようにと頭を下げ続ける。反抗しないこと、それが唯一、レイヴンを落ち着かせる方法だと学んだからだ。

しばらく無言で耐えていると、やがて彼の暴力は止み、レイヴンは何も言わずに姿を消した。前は、わめき散らかし、怒りのあまりといった風に家を飛び出していたが、最近はそうすることすらなく、気づいたらいなくなっている。
アディオはそのまま床に転がり、ぼんやりと天井を見上げた。胸の奥は空っぽで、感情がすべて抜け落ちたように思えた。それでも、この関係を断ち切ることができない。心に絡みつく「依存」という見えない鎖が、彼の体をじわじわと締め付け続けていた。
「レイヴン、結構酔ってたな…大丈夫かな…」
自分でもおかしいと思う、こんな恋人をそれでも心配するなんて。しかし、求める愛情も、恐れている孤独も、その全てがレイヴンに結びついてしまっているのだ。もう零れ落ちてしまった愛情の欠片を必死に拾い集めて、いつか終わる日が来ると信じるしかなかった。優しかった彼に戻ってくれる日がまた訪れるのではないかと、それをただ願うことしかできなかった。


数日が経ち、アディオの顔に新たにできた傷跡がスモーカーの目に留まったのは、仕事で地域を巡回している最中のことだった。スモーカーは言葉もなくアディオの顔をじっと見つめ、その視線には抑えきれない怒りと、何か言いたいが言い出せない複雑な感情が浮かんでいた。
「…おい、アディオ、その傷…」
スモーカーの低い声が静かに響いた。アディオは一瞬目を伏せ、言い訳を絞り出すように笑ってみせる。
「ははは、この傷か？また階段から落ちてよ。ほんとに…最近ドジばっかやっちまって…」
誤魔化そうとするアディオだったが、スモーカーにその浅い演技が通じるはずもなかった。会うたびに増えていく痣や傷、無理に作ったような笑顔が、むしろその裏の真実を訴えているかのようだった。スモーカーは堪えきれず、強くアディオの肩を掴んだ。
「違うな、また奴にやられたんだろ…、いつまでそうしてるつもりだ…！おれはもう離れたほうが良いと何度も言ってきた筈だ！」
アディオは言葉を詰まらせた。いつも心配してくれるスモーカーの真剣な視線が、自分の心を静かにえぐる。
「でも…いつもは優しいんだぜ？悪いやつじゃないんだ。ただ少し、その…カッとなると手がつけられないだけで…」
スモーカーは黙って聞いていたが、その拳は白くなるほど力強く握り締められていた。アディオを痛めつけている男、そしてそんな男にすがり続けるアディオの姿に、怒りがこみ上げてくる。
「お前のそれはもう愛じゃねェ、ただの依存だ」
スモーカーの言葉は鋭く、アディオの胸に深く突き刺さった。何か反論したかったが、同時にその指摘が正しいことを自分でも理解していた。
アディオが何も言い返せず俯いていると、スモーカーが口を開いた。
「奴は今どこにいる？」
「ええと…確か今日は隣町の〇〇ってバーに…」
アディオはつい答えてしまったが、嫌な予感がした、このままではスモーカーを自分達の問題に巻き込んでしまう。しかし彼はレイヴンの居場所を聞き出すと、走り去ってしまった。


レイヴンが滞在するバーにスモーカーが現れた。スモーカーはこの地域でも名が知れ渡る警官だったせいで、アウトローな雰囲気のバーではざわめきが起こる。

バーテンダーと向き合ったカウンター席のそこに、アディオとニ人でよく姿を見かけるそいつを見つけた。スモーカーは静かにレイヴンに近づくと、彼を一瞥した。
「少し話がある」
レイヴンはスモーカーの鋭い視線に気圧されながらも、強がって笑った。
「ああ、お前確か…アディオのダチの…、はは、アイツになんか言われたか？」
アディオに暴力を振るっておいてヘラヘラとした、何も気にしていないようなふざけた態度に、スモーカーは頭にカッと血が昇るのを感じる。するとさらにレイヴンは続けた。
「つか…何他の男と会ってんだよあいつ…帰ったらまた躾てやらねぇとな…」
その瞬間、スモーカーの拳がレイヴンの顔面に振り下ろされた。吹き飛ばされたレイヴンが床に倒れ込むと、スモーカーは冷たい目で見下ろした。
「なぁ、もうアディオには二度と近寄らねェでくれよ」
その声には、冷徹さと同時に怒りが滲んでいた。レイヴンは怯えたようにうつ伏せのまま動けず、周囲も息を飲んで状況を見守っていた。スモーカーはその場に立ち尽くすアディオに視線を移すと、無言で彼の手を引いた。

アディオは一瞬、驚いた顔を見せたが、スモーカーの大きな手に握られ抵抗することなくそのまま一緒にバーを後にした。



夜の闇の中、スモーカーとアディオは肩を並べ、静かに歩き続けていた。吹き荒ぶ風のように巻き上がる感情を押し殺し、スモーカーは自身の自宅の扉の前で足を止める。
スモーカーはじっとアディオの顔を見つめ、低く、どこか深い安堵を込めた声で言った。
「アディオ…」
その一言に、アディオは思わず胸が温かくなるのを感じた。ついさっきまでの剣呑な様子が嘘のように、スモーカーの瞳は優しい。次に続く言葉を待っていると、スモーカーは苦しげに顔を歪め、まるで自分に言い聞かせるかのように小さく呟いた。
「勝手なことして悪かった」
反省したような顔でこちらを見てくるものだから、アディオは思わず笑ってしまった。確かに、彼のしたことはアディオにとって手放しに喜べるようなものではなかった。余りにも強引で乱暴な手段であり、それはもしかしたらスモーカー自身の身を危険にさらしたかもしれないこと。
それに、殴られたレイヴンの身の心配もあった。が、しかし同時にスッとした晴れやかな気持ちが胸の奥に広がっていた。アディオはバーでのレイヴンの発言が聞こえていたのだ、躾という言葉に胸が苦しくなると同時にスモーカーが彼を殴りつけて、それはまるでやり返せなかった自分の代わりに、スモーカーが怒りをぶつけてくれたようで、心のモヤが晴れたように感じた。

「気にするな、スカッとしたぜ！……だからさ…レイヴンとは、もうこれっきりにするよ。…世話かけてごめんな」

全く未練がないといえば嘘になる。だが今回この件で、自分を本当に大切に思っていてくれる存在に、どれほど心配をかけていたかを理解し、自分には恋人だけじゃないということも実感した。それは気持ちを吹っ切る出来事として十分だった。
申し訳なさそうに頭を下げるアディオに、スモーカーは穏やかに笑い返した。
「おれが勝手にやったことだから気にするな」

スモーカーはその後、アディオが自宅に戻らないように話し、しばらくの間は自分の家で一緒に過ごすことを提案した。彼氏との別れ話は電話でサクッと済ませ、不在の間に荷物を片付ける。引っ越しが必要なら手伝うとまで言ってくれる。心細く感じているアディオにとって、それはこれ以上無くありがたい申し出だった。
　

数ヶ月後、新たな場所で笑うアディオの姿がそこにあった。かつての暗い影は消え去り、彼の目は輝いている。体の傷も癒え、何より彼を変えたのは、死んだと思われていた彼の親戚である少女、リムとの新たな生活だった。

アディオは、リムという少女から無償の愛をもらい、日々が幸せに満ちている。何を買ってやろうか、どこに連れて行ってやろうかと、まるで父親のように微笑むアディオの姿は、以前とは別人のようだった。

スモーカーはそんな彼を見守りながら晴れやかな表情を浮かべる。二人が温かな笑顔で過ごせる日々を願いながら。