未だ、蛹からんからんとドアベルが鳴る。
にこやかに出迎えた店員に眩が「二名で」と告げると、そのまま奥のボックス席へと通された。日差しの差し込む、静かな席だ。
本部へのおつかいで広島へやってきたノラがリクエストしたのが、このこじゃれたカフェだった。なんでも、猫をイメージしたドリンクやケーキで人気を集めているらしい。
「ぼくこれにしますね、三毛猫プリンアラモードと紅茶のセット。くらむせんぱいは?」
「ああ、俺はさっき昼食べたばかりだから、飲み物だけで」
「じゃあこれにしましょ、ねこちゃんラテアート」
さっさと決めると店員にオーダー。一足先に来たラテアートを写真に撮り、ひとしきり楽しむところを見守ってから、マグに口をつける。見た目だけではなく味も中々だと眩は舌鼓をうった。
「藻津君が広島へ来るの、久しぶりだね」
「そうですかあ?まあ、最近バタバタしてましたからねー。学校も新学期やらなんやらだったし」
「ああそうか、進級おめでとう」
「ありがとうございまーす」
にこ、と笑う。いつもと変わらぬ可愛らしい笑みだ。
「最近はどうだい?……その、毎日元気にやっているかな」
「元気でーす」
見ればわかるでしょ、と楽し気に言うので眩もつられて微笑んだ。
「くらむせんぱいは?」
「え?」
「元気ですか?」
お返しのように聞かれて、ああと少し戸惑いながら肯定する。
「毎日相変わらず忙しいけれどね」
「また本部の人に何かあったんですか」
「ああ。昨日も教授がヒョウモントカゲモドキを……」
言いかけて、ハッとする。
「ああ、いやえっと」
「めちゃめちゃ気になるところで止めないでくださいよ。何ですか、ヒョウモントカゲモドキって」
「ヒョウモントカゲモドキは名前の通り、ヒョウモントカゲによく似た爬虫類なんだけど、ああ、いや、そうじゃなくって」
「?」
可愛らしく小首を傾げるノラに、眩は少し言葉を迷ってから告げた。
「藻津君、その……うちの教授と喧嘩したって本当?」
「んえ?」
キョトンと目を丸くするノラが「誰に聞いたんですかそんなの」と聞き返す。
「春野君。……その、韓国で」
「あ~~~~~~~~」
合点がいった、とノラが頷いたところでプリンが運ばれてきた。ノラは大喜びですぐさまスマホを構えて写真を撮る。
「見てください、チョコで髭まで書いてありますよ。ちょっと曲がってますけど」
などと盛り上がった口調のまま
「別に喧嘩したわけじゃないですけどねー」
と続けた。カシャ、とシャッター音。
「え?」
「りきょうさんと」
満足いく写真が撮れたのか、スマホが仕舞われる。いただきます、という挨拶とともに三毛猫の耳が掬い取られた。
「ただあの時はー、ちょっと気に食わないことがあったんで、文句言っただけっていうか。言い争ったわけじゃないので、喧嘩じゃないですよ」
「文句」
「そう、もうブチギレ」
冗談めかして笑って、今度は添えられたクリームをぱくりと食べる。
「でもまあ不満はあの時全部言ったんで、それで終わりです。グダグダ引きずりたくないし。今はちゃんと仲良しですよ。こないだもボドゲ会で一緒にネット麻雀しました」
今度はスプーンが猫の左頬を削る。可愛いといいながらも食べるときは容赦がない。
「まありきょうさんあんなんだから、もう僕の言ったこと忘れてるかもしれないですけどねー。全然響いてなかったらさすがにちょっとショックかも」
「それは……ないんじゃないかな」
「そうですか?興味のないこと、からっきしじゃないですか。あのひと」
「それは否めないけど。……別に君に興味がないわけではない、と思うよ。友人を無碍にする人じゃあないさ」
眩の言葉に少し黙り込んでからそうですかーと呟いて、ノラは猫の残りの顔も崩す。
「……藻津君、」
「いや別に本当に嫌いじゃないですし、仲良しですよ?僕、嫌な人と卓囲みませんもん」
「……そっか」
「はい。だから別に変な気を使わないでくださいね」
口元に笑みを受かべて、最後の一口を頬張った。
眩はうなずくと、再びラテを啜る。綺麗に完食された皿が回収されると、セットの食後の紅茶が運ばれてきた。
一口飲み、ふうと息をつくと、ノラは
「……くらむせんぱいのほうじゃないですか?」
と言った。
「え……?」
「避けてるの」
マグを握る手がぴくりと震える。
「避けたでしょう、らいがくんの話」
「……」
眩は目を伏せた。
「……ごめんね」
「別に責めてるわけじゃないですよ。謝らないでください。ただ……そうだよなーって思っただけで」
あの、韓国の一件から、月日が経った。とはいえ、まだ二か月程度だ。
眩は、大切な義兄に椿の花を咲かせた少年のことを、整理できないでいる。
「もちろん、義兄さんはあれは事故だと言って、解決してるし。俺は直接は関わってない部外者だし。いい加減に、落ち着かなきゃって、わかっているんだけれどね」
「……当たり前ですよ。兄弟でしょう」
ノラは冷静なトーンで言った。
「ぼくだって、もし、それが大事な人だったら、分かんないですよ。本人が気にしていなくたって。それで普通ですよ」
「……ありがとう」
眩の言葉にノラは頷いた。それから、ことん、とティーカップをソーサーに置く。
「ただ、」
ノラは、少し迷ったように視線を落としてから、ゆっくりと告げた。
「もし、……くらむせんぱいが、最後まで、許せなかったとしても。――僕は、らいがくんの味方をしますよ」
ノラは顔を上げると、眩の顔を見てくしゃりと少し困ったように笑った。
「だって、――あれでもうちのヘッドなんです。自慢のヘッド様なんですよ」
ごめんなさい、くらむせんぱい。
心苦しそうな、しかし堂々とした言葉だった。眩は静かに首を振った。
「それこそ、普通だよ。だって、チームだもんね、君たちは」
眩がB.U.Hのメンバーをかけがえなく思っているように、あるいは先ほど眩が利狂を庇ったように。彼にとって夜鳴と和食雷我も特別な存在だろう。たとえ、恋人と相反しても、譲れまい。
眩の気持ちの整理にはまだすこし時間がかかるだろうけど、それを理由にノラを嫌ったりはしない。
眩の言葉に少し緊張が解けたようにノラの頬が緩む。
「――藻津君は、和食君のことが好きだものね」
悪戯っぽい笑みで言ってみせれば、ノラは案の定面食らった表情で目をまんまるくした。
「だって、格好いいんですよ」
照れくさそうに答える。それから、絶対言わないでくださいよと真剣な口調で念を押された。
それから数か月後。
眩は大学からの帰路にいた。
脳内で反芻するのはさきほどの雷我との会話だ。
ノラに電話をかけよう、と思った。
雷我ときちんと話せたことを、報告するために。
君のヘッドは格好いいね、と伝えれば、彼はちょっと誇らしげにはにかむだろう。