雪に願えば「青木」
高校からの帰り道、背後から呼ぶ声に「んっ?」振り返るとウールコートごしの腕に冷たい感触が弾けた。何が何だかわからずキョトンとしていると、にんまりと口角を上げている井田に雪玉を投げられたのだと気づく。
「おま、やったな?!」
今日は冷え込みが厳しくここ埼玉でも雪が降り、足元には数センチほどが積もっていた。すぐそばの公園に井田が駆け出したのを合図に、二人きりの雪合戦が始まった。
植木の葉がたっぷり抱えこんだ雪を手早くかき集め、広い背中へ投げつける。それが当たると「うわっ」と声をあげる割に井田は終始笑顔で、こういう時だけ見せる子どもっぽさになんだか嬉しくなる。
「待てよっ」
チラつく雪が非日常感をかきたて、薄く積もった上を転ばないよう気をつけながら俺たちは走り回る。
(豆太郎がいたら喜んだだろうな)
自宅で主人を待っているだろう彼に想いを馳せるも、当の主人は雪玉作りに熱中している。負けじと自分もありったけの雪を集めては投げ、集めては投げ。
「「おりゃー!」」
お互い同時に特大の雪玉をくらわせると、それは両者の腹と腰で脆く崩れ落ちた。そのあっけなさに二人してケラケラ笑う。
「はぁ、はぁ…、ちょ、流石に疲れてきたな」
「そうだな」
「最近勉強ばっかで、久しぶりに走ったから」
息が上がった俺が膝に手をついて休んでいると、視線の先に濡れたスニーカーのつま先が見えた。顔を上げると至近距離で目が合い、かと思えば唇にあたたかく柔らかいものが触れた。キンと冷えた空気に井田の整髪料が淡く香る。
「……」
井田はいつも急だ。
誰かに見られていないか心配になったが、一瞬で終わるのが名残惜しく自分から唇を押しつけてしまった。間近にある瞳が一度大きく見開き、甘く弧を描いていくのが嬉しくて、恥ずかしくて、ギュッと目を閉じる。井田はいつも急だ。さっきまで子どもみたいにはしゃいでいたのに、こうして急に大人びた顔をする。でもそれを見ると、自分ばかりが好きなのか、と不安な気持ちが一気に霧散していくのがわかる。唇を離す時に、ちゅっと気恥ずかしい音が鳴ってしまいお互い盛大に照れた。降り続ける雪はこのままやみそうになく、胸の鼓動も鳴りやみそうにない。
唇に触れたぬくもりはあっという間に冷え切ってしまったが、もっと深く知りたいと思っていることも、体の奥でくすぶる欲求の存在にもとっくに気が付いていた。でも今はこのもどかしさに耐えるくらいがちょうどいいのかもしれない。なにせ、俺たちの運命の受験本番まであと二週間を切っている。
「…そろそろ帰るか」
「そだな」
公園を出て見慣れた道を歩き始めると、周りの喧騒に一気に現実に引き戻されていく。明日でやっと金曜日だが、週末に家でやれる受験対策はまだまだたくさんある。ここで気を抜くわけにはいかない。来年の今頃には、一体お互いどこでどう過ごしているのだろう。……願わくば。
「……井田」
「?」
近づいて肩をすり寄せると井田は一瞬驚いた顔をして、でもまんざらでもなさそうに黙ったまま耳を赤く染めた。その反応に胸が詰まり、何度唱えたかわからない願いをもう一度だけ繰り返す。
一緒にいたい。
この雪がやんで、桜が咲いても。
20220108