とても明るい今日のはなし 「勝手にお風呂に入れてくれる機械があればいいのになあ」
「はあ?」
類の放った一言に、オレは顔を上げた。
よく晴れた昼休みのランチタイム。類はたまごサンドを片手に持って、半ば心ここにあらずという様子で続けた。
「僕をね、こう、まるっと全自動で洗ってくれるみたいな機械があれば……」
「いや、聞こえなかったわけではないんだが」
「?」
首を傾げるんじゃない。
「なんでそんなものが必要なんだ。自分で風呂くらい入れるだろう」
「そりゃあね。でも作業も思考も一旦ストップしなくちゃいけないから、非効率的だと思うんだよね」
……それって、つまり、面倒くさいということだろう。
「いやいやいや……」
つい、自分でもどうかと思うほどドン引きした声が出てしまう。
そして当の本人は食事も忘れてブツブツと呟き始めた。「ガレージの一角を改造して…」「全方向からシャワーを」「排水はポンプで…」とかなんとか、怪しげな言葉が次々と聞こえてくる。
「そうだ、温風なら早く乾くし体を冷やすことも」
「だーーーっ!!こら、類!風呂くらい自力で入らんか!!」
むう、と類が不満そうに顔を上げた。
「だって……」
「だっても何もない!そしてえむみたいに頬を膨らますんじゃない!」
ぷくーっと膨らんだ類の頬が、しゅーっと風船の空気を抜くみたいにしぼんでいく。
不服そうな顔すら少しだけかわいいなんて思ってしまったのは、いわゆる惚れた欲目、というものなのかもしれない。そんな感想は顔には出さないようにしているが。
「頼むから最低限の人間らしい生活は送ってくれないか、類……」
「君はときどき、うちの母さんみたいなことを言うよねえ」
自分の母親にこんな悲しいことを言わせるんじゃない……と、思わず顔も知らぬ類の母親に同情を覚えてしまう。
「あのなあ。人間、外見が全てではないが……おまえもせっかく整った顔立ちなのだから、もう少しそれに見合った、整った生活を送ってみてもいいんじゃないか?」
あまり他人の生活事情に口を出すべきでないことは分かっているが、この場合、少しくらいぼやいても罰は当たるまい。
「おや。"おまえも"ということは、君自身の外見の一般的な評価が高い自負はあるんだね?」
「フッ……当然だ。なんといってもオレは、スターになるべくして産まれた男!!
……まあ、例えそうでなくとも、スターの座を手にするべく、オレが日々様々な研鑽を積むことには変わりないがな!さすがオレ!!ハーッハッハッハッハ!!!」
いつの間にか類の眼差しが何やら懐かしいものを見るような、というか、妙に生温いものになっている気がするのだが、何故なのだろうか。
「って、それはともかく、話題をさりげなくずらすんじゃない!」
こうして自分に好ましくない話題はするりと逸してしまうのが、類の常套手段である。危なく流されてしまうところだった。
類は悪びれもせずに、ばれてしまったかと言った。
「別に入らないって言ってるわけじゃないじゃないか。僕もさすがにそれは嫌だし」
それを聞いて、心底安心してしまった。こいつの場合、自分にとって大事じゃないことにはとことん無頓着な節があるし、こうと決めたことは納得するまで意見を変えない意思の固さ(頑固さとも言う)を持ち合わせているからな。
「母さんたちにも言われるし、自分でも最低限の身だしなみには気を払っているつもりだよ。生活ぶりは、まあ……全自動シャワールームは時間と手間の節約という点において、正直魅力的だとは思うけれど、さすがに親が許してくれなさそうだし」
つくづく、類のご両親がしっかりした人たちでよかった。
「……ところで、僕の顔って、君から見てそんなに整ってる?」
「へ?」
ほらこの顔だよ、という風に、類がずいっと身を乗り出してきて、オレは思わず体を引いた。
「正直なところ、僕は人間の顔に必要以上に興味を持ったことがあまりなくてね。
もちろん、ネネロボを作ったときは寧々の顔の特徴に出来るだけ寄せるように気をつけたし、ゾンビロボを作った時には、どうしたら人間らしさと不気味さをショーの観客……特に幼い子供たちにも受け入れてもらえるか、かなり試行錯誤を重ねたけどね。
でも、人間らしい顔の特徴と、一般的な感覚で言うところの整った顔立ちって、全然別枠の話だろう?」
すらすら、ぺらぺらと喋り続けている類をよそに、オレは話の中身など、ほとんど聞いてはいなかった。
目の前に迫っている類のいつになく真剣な表情。太陽を背にしているせいで少し陰っている黄色の瞳に、たじろぐオレの顔が映っていた。少し熱のこもった眼差しは、きっとショーにまつわる話のせいだろう。
健全な柔軟剤の香りと類の匂いが混ざり、この上なく魅力的な香りとなってオレの胸を高鳴らせる。類の口の端についたサンドイッチの小さな欠片に目がいって、今のこの異常な距離の近さを、他人事のように認識した。にわかに体が汗ばみ始めたのは、もしかしなくても屋上に降り注ぐ日差しのせいだけではないだろう――。
……というところまでいって、オレはやっとここが学校であり、今が昼休みだということを思い出した。
「のわああああ!!!」
「?」
ずざざざっと勢いよく後ろに下がったオレを、類が不思議そうな目で見た。
「そ、そうだとも!!あっ、あくまでオレの主観だがな!」
「ふむ。具体的にどの辺りが、と聞きたいところだけど……司くん。なんで急に後ろに下がったんだい?」
「気にするな!!!」
「そう言われても、君の反応がいつにも増してオーバーなせいで、どうしても気になってしまうんだけどねえ」
ドッドッドッドッ、と心臓がとてもうるさい。割と本気で、さっきは心臓が破裂して死ぬんじゃないかと思ったくらいだ。
類は苦笑いしながら体勢を戻すと、思い出したようにたまごサンドを食べ始めた。
(いかん…!)
忘れてはいないが、類だってオレと同い年の男子高校生で、(悔しいことに)身長はオレよりも高いのだ。それなのに、もきゅもきゅと小刻みに動いている頬が可愛い。あばたもえくぼとはこの事か。いや、ちっともあばたではないのだが。
頭の中が大混乱しているうちに、とうとう類から「食べなくていいのかい」と声をかけられて、オレは元の場所に座り直して、出来るだけ平静を装って、食事を再開した。
なんとなく無言の時間が流れていた。校庭で遊んでいる生徒の歓声が、ぼんやりと耳に届いた。
「ねえ、司くん」
類がぽつりと言った。
「うん?」
「さっきは……もし不快な思いをさせてしまっていたなら、謝るよ」
「んっ?」
話が見えない。
「急に僕から距離を取ったから。驚きもあったかもしれないけれど、あまり近寄られたくなかったんじゃないかと思って、ね」
ごめんね、と眉を下げた類の笑顔が、無理やり作ったかのように強張っている。その時、小さな傷のついている、類の心が見えたような気がした。
「そんなことはないぞ!急なことだったから、驚きすぎただけだ。
おまえはオレにとって大切な友人だし、最高のショーを作るという、同じ夢を持った仲間だ。そんな仲間を、まかり間違っても不快だなんて、思うはずもない!!」
先程までの浮ついた気分は、類の不安そうな笑顔で、完全に消し飛んでいた。わざとでなかったとはいえ、あんな顔をさせるなんて、スターである以前に、オレ個人として紛れもなく失敗だった。
「先ほどのは、家族でもあれほどまでに近づいてくることはなかったから、本当に驚いただけだ。……繰り返しになるが、類のことが嫌だったわけではない。それは、信じてほしい」
「……ふふ、そうかい。君の言うことであれば、もちろん信じるとも。……ありがとう、司くん」
そう言って、類は嬉しそうにはにかんだ。
それを見て、オレ自身も心の底からほっとした。未来のスターとして万人を笑顔にするのはもちろんオレの信条だが、好いた相手にはいつだって笑っていてほしいものだ。
類の笑顔にもう大丈夫そうだな、と見てとって、オレは話を戻した。
「……というか、寧々とはそんな話はしなかったのか?」
「寧々?」
類にとっては、幼馴染の寧々は昔から親しく話せる存在だっただろう。
ところが類は、全く予想外だった、という風に目を丸くした。
「……いや、寧々に聞くことは思いつかなかったな。それにさっきも言ったように、僕は自分の顔にも他人の顔にも特別興味は持っていなかったしね」
「?じゃあ、なんでオレにわざわざ聞いたんだ……?」
「さあ、何故だろうね。自分でもその辺はよく分からないけれど。でも、君に整っている、と言われて嬉しかったし、その理由が気になったのは確かだよ」
類がなんの気なしに言った言葉に、オレは危うくお茶を吹き出しそうになって、慌ててむせた。
「大丈夫かい?いやあ、なんだか今日は一段と賑やかだねえ、司くん」
「ゲホッ、ゲホッ、いや、誰のせいだと思っているんだ!?」
「え?僕?」
類といえば、だいたいのことは「おやおや」なんて言って躱していたり、そもそもこいつの引き起こしたハプニングであることが多いので、こうした表情は珍しいものだ。かわいい。
「そうだ!!おまえが嬉しかったとか言うものだから、オレはこれだけ動揺しているんだが!?」
――あ。
うっかりした、と思った時には、場の空気は時間が止まったかのように固まっていた。自分の顔がじわじわと熱くなってきたのを自覚しながら類を見て、オレは驚いた。
墓穴を掘ったのは、どうやらお互い様だったらしい。
中途半端に口を開けたままの類の頬が、じわじわと赤らんでいくのを見ながら、つられたかのように自分の顔がさらに熱くなっていくのを、オレは感じていた。
いつもの飄々とした調子はどこへやら。顔をほのかに赤く染めて、困ったようにうろうろと視線をさまよわせる類というのは、先程の表情よりもよほど珍しい……というか、初めて見るものだ。率直に言わせてもらえば、たぶん今この瞬間、世界で一番可愛い。つい、息も忘れるほどじっと見つめてしまうのも無理もない。
話のついでとはいえ、ショーが絡まない自分自身のことをオレに褒められて嬉しかった、だけなら、まだオレの勘違いということで納得も出来た。だが、類のこの反応は……期待してしまっても、いいのだろうか。
まだこちらを見られないらしく、類がオレの少し横を見ながら口を開いた。
「つ、司くん。あの、動揺しているというのは、一体……」
そういえば墓穴を掘ったのはオレも同じだった。
「そ、それはだな……」
あれほど露骨に言ってしまったのだから、もう隠しても意味がないだろう。
それならば、とオレは腹をくくることにした。
それならば、この気持ちを、せめて真剣に類に伝えよう。視線は決して逸らさず。今は声量よりも、言葉や音に重さを。
今のオレの持ちうる全部を使い切って、この想いが、熱が、類に少しでも多く伝わるように。
「……類。他でもない、おまえが好きだからだ。仲間とか友人という意味でももちろんそうだが、オレは、恋愛対象として類のことが好きなんだ」
オレたちしかいない屋上は、静まり返っていた。階下や校庭からの喧騒は、壁を挟んだかのように遠くぼんやりとしていた。
今度こそ心臓が早鐘を打ちすぎて爆発するかと思ったし、格好悪いことに握った拳の中はじっとりと汗をかいていたが、それでも、自分の気持ちを素直に言葉にしてみると、それは思った以上にすとんと胸の中に落ちて、前よりも心の奥深くにぴったりとはまり込んで、自然に受け入れることができた。
オレが得意なのは、どちらかというと知識を活かした巧みな策よりも、真っ直ぐ相手に向き合うことだ。それを最大限活かして、自分の想いを伝えられた、と思っているのだが。
これは、伝わった、と思っていいのだろうか。類の顔が先ほどよりも赤さを増していく――……というか。待ってくれ、みるみるうちに、心配になるくらい赤くなってきた。
「る、類?尋常じゃなく赤い顔だが、大丈夫か!?」
そういえば真っ昼間の屋上だった。まだ熱中症の恐れがある季節ではないと思っていたが、本当に大丈夫だろうか。
「あ、いや……うん、大丈夫…だい……うん……」
類の声は震えているを通り越して今にも消えてしまいそうだし、とうとう両腕で顔を隠してしまった。
「いや、どう見ても大丈夫ではないだろう!どちらかというと死にそうに見えるが!?」
「……とりあえず死にはしないから安心してほしいかな……」
「わ、分かったが……本当に具合が悪くなったわけではないのか?」
「だいじょうぶ…」
類がいっぱいいっぱいという感じでそう言ったあと、予鈴が鳴った。先ほどまで聞こえていた他の生徒の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「はっ!類、急げ!早くしないと午後の授業が始まってしまうぞ!!」
慌ててランチセットを片付けながら類をちらりと見ると、サンドイッチは食べ終わったようだが、今度はゼリー飲料を握ったまま、まだ少しぼうっとしているようだし、ビニール袋は脇に放って置かれたままだ。
「僕、このままここで風に当たることにする……」
なるほど。大丈夫とは言うものの、尋常ではない様子を見るに、出来る事なら安静にしていたほうが――。
「……………………いや、サボるんじゃない!!!」
クラスが違うとはいえ、仮にも学級委員の目の前で何ということを口走るのか。あんまりさらりと呟くものだから、うっかり流してしまうところだった。
「ええい、さっさと準備せんか!オレまで間に合わなくなるだろう!」
あんまり類がのろのろしているので、代わりに購買のビニール袋を拾いつつ、無理やり類の手を引っ張って立たせると、類がまだ少し赤い顔で呟いた。
「本当、司くんって変だけど真面目だよね……」
「いや、おまえにだけは言われたくないんだが!!?」
自分が変人扱いされていることも未だ納得していないが、それよりも転入早々変人呼ばわりされている類にだけは変とか言われたくはなかったので、つい腹の底からの声が出てしまった。さすがに耳にきたのか、「うっ」と呻いたのを見て、少しだけ申し訳なく思う。
「あのなあ。オレが品行方正、清く正しく真面目に学校生活を謳歌しているのは確かにその通りだが!」
そこまでは言ってない、と類が小さく呟いた気がしたが、オレはあえて無視することにした。
「今はどちらかというとおまえの体調を心配している!どうなんだ、やはり教室より保健室か?保健室なのか?抱えて走るまでは難しいが、少し引きずってもいいならオレが連れて行ってやる!!」
「……保健室がいいかな……」
あと引きずるのはやめてくれ、と聞こえた気がしたが、若干動転していたオレは全く聞いておらずに「任せておけ!!!!!」と叫び、自分と類の荷物を持って、宣言通り類を引きずって(オレは未来のスターなので時に無茶もやってのけるが、それはそれとして土台無理なことは素直に無理だと言えるタイプのスターだと自負している)、規則違反にならない程度に走り始めた。
この時のオレは知る由もなかった。
連れて行った先の保健室で、改めて類から想いを告げられ、めでたく交際をスタートすることも。
授業に遅れる旨を報告するのに自分のクラスに寄ったことにより「とうとう変人ワンがツーに日頃の恨みを仕返しして見事に昏倒させたらしい」とかいう不名誉極まりない噂が流れることも。
放課後、それを聞いた寧々に「あんた類に何したの……」と怒りと怯えを混ぜた表情で詰問される羽目になることも。
全部、これから先の明るい未来の話だ。