キュートアグレッション 出張帰りの真夜中。それこそ、草木も眠る丑三つ時。
真っ直ぐに自分のマンションに帰って、寝心地のいいはずのクイーンサイズのベッドにダイブして泥のように眠ってしまいたい。そんな気持ちは押し殺すまでもなく、勝手に死滅して、気がつけば学生寮の古い廊下をゆっくりと歩く自分がいる。どれほど注意深く歩いても、ギシリミシリと床鳴りするのは自分の学生時代と全く変わっていない。丁寧に開いてもキィと蝶番が音を奏でる古いドアも。
一応簡素な鍵はついているはずなのだが、いつ訪れても鍵がかかっていることはない。もしもかかっていたとしても自分には関係ないのだが、まあ、不用心だし、注意しよう。そのうち。
慣れた足取りで、ゆっくりと部屋の奥にあるベッドに向かう。小さく口を開けて、涎を垂らした平和な寝顔に強張っていた頬が自然と緩む。
掛け布団をそっとめくってその隣に滑り込んだ。熱いくらいの子ども体温が夏だというのに冷え切った体に心地よい。スピスピと鼻ちょうちんでも出ているんじゃないかと疑いたくなるような小さく間抜けな寝息をBGMにして、目を瞑るとそのまま意識は途切れた。
*
悠仁のベッドにそっと潜り込むようになったのはいつからだろうか。
腐ったみかんの相手をして、わざわざ特級呪術師が出向くまでもないような呪霊の相手をする。最強と言ったって、体はあくまで人間のものだから、休息は必要だというのに、ベッドに横たわっても頭が冴えすぎていて眠れる気がしない。実際、眠れない。
トクトクと力強く脈を打つ悠仁の心臓の音を聞きながらでないと。
優秀な可愛い生徒を嫌がらせのように壊されて、想像以上に面白くないだけだと思っていたけれど、それだけだと言うには重症な気がしないでもない。
可愛いからこそ、可愛がりたい。
可愛いからこそ、いじめたい。
可愛いからこそ、食べてしまいたい。
……なんて。
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草木も眠る丑三つ時。よりも少し遅い刻限。
人の気配に目を覚まして薄く目を開く。カーテンの隙間から入る月明かりに輝く白い髪、バサバサと音がしそうな睫毛。よくできた精巧な人形のように整った顔が目の前にあった。何度目でも心臓に悪い。初めての時は、心臓が口から飛び出るかと思うほどの衝撃を受けた。折角生き返ったのに、その心臓が再び飛び出すとか冗談にもならない。
最初は夢なのかと思った。心臓が飛び出すかと思いつつも、目を瞑って次に開いた時にはもういなかったし。それも二度、三度と続けば、何かの気まぐれか、それともまさかの夢遊病か!? などと悩みもしたが、何も言われないので、自分からも何も言わないことにした。
だって、あの最強の呪術師が、いつも緩く見せて何処か気を張っている先生が、全身全霊で緩んでいるのが分かる。
どうしてもその柔らかそうな髪に触れてみたくなって、そっと撫でてみる。
ふにゃり。
彫刻のような顔の口元が僅かに緩む。まるで、春の花が一斉に咲いたようだった。夏だけど。
ふにゃりが見たくて夜中に先生を見つけるたびにその頭をそっと撫でることが当たり前になった。いつもかっこいいのに可愛いこの人を独り占めしたい。ずっとこうやって、ふにゃふにゃさせてあげたい。それと同じくらい、食べてしまいたい。
……なんて。
覚えた衝動を誤魔化すために、その美しい白髪の先を一房、口に含んで目を閉じた。