恋ではなくて、名誉「はあ?」
ミスラの怒った声に、賢者はびくついている。しかし前言撤回するつもりはないようで、申し訳なさそうな顔でもう一度主張した。
「ごめんなさい、ミスラ。もうミスラとは添い寝できないんです」
「あなたがいないと俺は眠れないんですけど」
「これからも手は貸します。でも、今までみたいに一緒にベッドに入ることはできないんです」
すぐにでも眠るつもりだったミスラはもう自分のベッドに寝転がっている。賢者は持参した椅子をベッドの隣に置いた。賢者でも持ち歩ける軽さの、簡素な椅子だ。背もたれも肘かけもない。
「一緒に寝るのは駄目ですけど、座って手をつなぎますから。ミスラが寝たら自分の部屋に戻りますね」
「それって意味あります?」
「おおいにあるんです」
大真面目に頷いた賢者を胡乱な目で見上げる。ミスラは眠れさえすればなんでもいいが、なんだか気に食わない。
「俺が眠れないのに賢者様が船をこいでいるの、見てると腹立つんですけど」
「ごめんなさい、我慢しますから」
「そんな椅子で寝落ちたら、あなたまた頭ガクンってなるじゃないですか。俺は眠れそうだったのにそれで邪魔されたんですよ」
「すみません、頑張りますから」
「そもそも寒い眠い辛いって騒いで俺のベッドに入ってきたのは賢者様じゃないですか」
「ごめんなさ…いやあのそれは本当に本当にすみませんでした」
賢者の目が右へ左へ忙しなく泳ぐ。悪いとは思っているらしい。ミスラがなかなか寝付けない夜、賢者が寒さに震えたり先に寝落ちたりしているうちに、双方の利益のため始まった添い寝だったはずだ。先日は賢者だって拒否していなかった。それどころかお泊りみたいで楽しいですね、と笑っていた。
「あの時はこんなことになると思わなくて」
「こんなとこって?」
賢者の頬がぽっと赤く染まる。それを見て、今朝の食堂の騒動を思い出した。賢者とその恋人の関係が暴露された一部始終だ。あの時も頬を赤く染めあげていた。
「だから、その、付き合えるなんて…思ってなかったので」
「あなたって趣味が悪いんですね」
「わ、悪くないです!」
「なんだってあんな男……あっ」
ぱちっとミスラの脳内で閃くものがあった。
「ああ、そうか」
「ミスラ?」
「それって俺がかっこいいからですよね?なら、仕方ないのかな。」
「かっ…こいいです、けど……?」
首を傾げる賢者の手を掴む。弱く小さな手だ。ミスラの手が大きいんですよ、というのが賢者の主張だったけれど。
「もう寝るんですか?」
「はい」
目を閉じる。眠れ眠れと念じてみたり、賢者やルチルが歌う眠りの歌を思い出してみたり、ミスラだって不眠解消のために色々と試している。それでも上手くいく気がしなくて、結局目を開ける。賢者はミスラの顔を覗き込んでいた。
「何か話してください」
「えっ」
「何か話してください」
「…えっと、誰かが言ったんですか?」
「何が?」
「ミスラがかっこいいからって」
数秒かけて、さっきの話を気にしているのだと気がつく。
「はあ、まあ、チレッタが」
豪快な女だった。酒を飲んでそのまま雑魚寝なんて珍しくもなかったが、ある日突然…正確に言うと彼女が南に移住した後から、もう雑魚寝はできないと言われた。何故かと問えば
「俺がかっこいいからだそうです」
「なるほど……なるほど」
賢者は深々と頷いた。ミスラはかっこいい。だからもういっしょに寝ることはできない。自分なりに真剣に考えた出した結論を、大魔女に後押しされたようで心強かった。
「同じ理由です」
「そうですか」
ミスラがあくびをする。昔のことを思いだしたら眠れそうになってきた気がする。その感覚を逃すまいと目をつぶる。
アルコールで上がった体温と匂いだとか、眠れない夜の黒髪の旋毛だとか、ミスラは嫌いではなかったけれど。これはかっこいい男にのみ与えられる名誉らしいので。仕方ないですね、と受け止めてやることにした。