とけて、残る 風の強い夜のことだった。おかげで髪がぼさぼさになるのが嫌。あちこちで猫がにゃーにゃー言っているのを聞きながら、制服のスカートがめくれ上がらない程度に加減して小走りになる。満月のおかげで夜道でも明るくて怖いことはなかったけど、なんとなくざわざわとした気持ちがあった。なにか不思議なことが起こりそうな、そんな予感。うちのマンションが見えて、ほっとしてエレベーターに乗り込んで、そして、
私は賢者として召喚され、異世界救済することになっていた。
勉強は嫌い。国語数学理科社会、英語。どうしてこんなこと勉強しなきゃいけないのって聞けば、大人たちは「いつか必要になるかもしれないでしょ」と言う。来るかも分からないいつかのために私の青春をすり減らさないで欲しい。そう思っていたのは昨日までだ。
「いつか、きちゃった…」
賢者の書がずらりと並ぶ図書室で項垂れる。賢者の書とは、異界からやってきた者たちの残した書、とのこと。つまり私の先輩たちだ。この世界の魔法使いや人間たちには読めないらしい。「おぬしには読めるじゃろうか?」と渡された先代の賢者の書は、アルファベットで書かれているようなので、たぶんおそらく英語、ということしか分からなかった。授業中、英語の先生のハゲを笑っている場合ではなかったのだ。私は深く反省した。
したけど、ずっとしてても仕方ないので、直近の書を片っ端から取り出しては開いていく。英語。中国語。英語。英語。うにょうにょした文字。英語…じゃなくて英語に似た何か。たぶん英語。知らんけど英語。もう日本語以外は全部英語よ。えい……
「日本語!!」
二度見した。一度閉じた賢者の書を再び開く。そこには我が愛しの母国語、日本語があった。思わずその賢者の書を高く掲げて拝んでいると、左右の脇から子供の声がした。
「お目が高いの」
「それは伝説の賢者のものじゃ」
ひょいと現れたかわいい双子、スノウとホワイトが言う。人の脇から登場しないで欲しいけど、きっと言っても無駄なのは短い付き合いながら分かっていた。
「伝説の賢者?」
「そう、わけあってこの前の代の大いなる厄災は強大でのう。魔法使いのうちの半数が石になった」
スノウが本棚から赤い賢者の書を取り出す。
「その次の年の厄災はさらに強大じゃった。けれど、伝説の賢者の元一致団結した我らが無事それを打倒したのじゃ」
ホワイトが私の掲げる紫の賢者の書を指し示す。
「その後、厄災は弱体化し、魔法使いと人間たちとの融和も進んだの。だから賢者ちゃんは安心してね」
「その後、賢者の魔法使いたちの代替わりもない。我らの奇妙な傷の影響も年々薄くなっていっておる。だから賢者ちゃんは気楽にしてね」
2人は同じ顔できゃっきゃと笑った。安心して気楽にしてと言われるのは、きりきり働けと言われるよりずっと宜しかった。頷いて、日本語の賢者の書をペラペラめくる。分厚い本の最初のページから最後のページまで、びっしりと文字が書かれていた。眩暈がしそうなくらいだ。これを書いた人は、たぶん絶対ふでまめ。
「すごい人だったんだね」
「たぶんのう」
「我ら前の賢者たちのことは忘れてしまうからの。1年前の賢者なら多少は記憶しているが、それより前のことはほとんど覚えていないのじゃ」
なんて返せばいいのか分からなかった。私のことも忘れちゃうのってすねるには、出会ったばかりすぎる。彼らを友達と呼ぶにはもう少し時間がかかりそうだった。
伝説の賢者の書と、その前の年の賢者の書も貸し出ししてきた。どちらも日本語で書かれていたのだ。多くの魔法使いが死んだ直後に召喚されたという伝説の賢者様の書は情報量が多かった。シンプルに読むのがしんどそう。とはいえ、私はこの世界の文字が読めないし、スマホもテレビもないし、きっとこれが生命線になり暇つぶしになるんだろう。ちょっとずつ読んでいけばいい。そうして、私と賢者の書の格闘が始まった。
並んだ文字を見ていると眠くなる体質を抱えた私には難しい仕事だったけど、なんとか読み進めていくうちにいくつかのことが分かった。魔法使いたちについて、この世界について、そして伝説の賢者様について。めちゃくちゃ真面目な人だった、んだと思う。魔法使い21人にインタビューをして、彼らの好きなことや苦手なことを書き記していた。しかも理由が「自分が突然元の世界に戻っても、次の賢者と皆が上手くいくように」ときた。真面目で優しくてさみしい人だと、文字を読んだだけで分かった気になった私は思った。出会ったばかりなのに別れの話をするなんて、ちょっと後ろ向きなやつでもあったかもしれない。私はそれは嫌だから、私の賢者の書は別の切り口で書くと思う。
なんて、どこにも行かない感想を持ったりもしつつ、読んで知ったことを実践したりしなかったりの日々である。今のところ一番有用だったのは、和食っぽい材料の調達方法と和食っぽい料理のレシピで、料理担当のネロへ持っていけば和食っぽいご飯を再現してくれた。ネロのご飯はなんだって美味しいけど、故郷の味は別格で別腹で、不覚にも泣きながらおかわりしてしまった。私の涙に動揺した東の魔法使いたちの不器用な優しさがキュンだった。
「それで、嬉しくってさらにおかわりしちゃったというわけ」
「だからっておなか痛くなるまで食べなくていいのに」
腹痛に苦しみ寝込む私のベッドの隣で、南の魔法使いの医者のフィガロが軽やかに笑った。そんなに笑うなと言いたいところだが、理由が理由なのであまり強気にはなれない。
「賢者様ご所望の胃薬だよ」
「苦くない?」
「苦くない苦くない」
薬を受け取って、水で流し込む。
「にがぁ」
予想通りのオチに不満げな声をあげるけど、やっぱりフィガロは笑うだけだった。ちくしょう。
「使っていいかな」
フィガロが私の部屋の椅子を引きながら問いかけてきた。
「いいけど、見てなくても大丈夫だよ」
「賢者様はこの世界の食べ物や薬に慣れてないから、一応ね。少しだけ様子を診させて」
許可を乞うように言いながら、フィガロはもう座ってる。お医者様の言うことは絶対というやつだ。拒否権がないようなので、拒否する理由もなかったけど、気持ち無抵抗に椅子を差し出した。とはいえ、無言で座られて見られてるのも落ち着かないので、何か話題をと探す。
「ねえねえ」
「なあに」
フィガロの左手の薬指にはまっている銀色のそれを指さした。
「結婚してるの?」
「うん」
結婚会見する芸能人みたいな構えで指輪を見せてくる。満面の笑みである。
「でもさ、魔法使いって約束するとまずいんじゃなかった?結婚って、約束にならないの?」
「なるよ。むしろ約束したいから結婚したんだ。そうしたらあの子は俺から逃げられないだろう?」
「ヒエッ」
平和な午後に似合わない発言に思わず悲鳴があがる。怯える私と対照的に、フィガロはニコニコしていた。ご機嫌だ。嬉しそうに結婚指輪をなでている。そんな顔されると、双子にチクるとか、しづらい。2人が幸せなら私が口出しすることじゃないんだけど、結婚相手はこのヤンデレを受け入れているのだろうか。マリアナ海峡みたいな懐でフィガロを受け止めてくれてたらいいな、と思った。
「相手はどんな人なの?」
「気になる?」
「なるなる」
「優しい子だよ。真面目で誠実で、かわいい生き物と美味しい食べ物が好き。あと俺のことも好き」
「ひゅー!ひゅー!」
盛大なお惚気を浴びて口笛を吹いてやりたかったけど、私は口笛ができなかったから代わりに口で言った。やめてよと言うフィガロは、どう見てももっと言ってほしい顔だった。野郎どもばかりの魔法舎にて久々の恋バナに私のテンションは上がり、よだれが出てきた。
「他には?他には?」
「謙虚で我儘を言わないんだけど、意外とさみしがり屋なんだ」
「やだあ~かわいい~」
「でしょ~」
フィガロの低音ボイスで女子高生風を表現できるのすごいなと感心する一方、一つ心配ごとが浮かぶ。
「フィガロはずっと魔法舎にいるけど、さみしがらない?」
賢者の魔法使いにはほとんど魔法舎にいる人とほとんど魔法舎にいない人がいる。伝説の賢者様の世代は全員で共同生活を送り、各国の先生役をたてて魔法の授業や訓練をしていたらしいけど、厄災が弱体化した今ではそこらへん自由だ。アーサーやカインは城と魔法舎を行き来してるし、ブラッドリーは牢屋に帰りたくないって魔法舎に居座っているし、ネロは食いしん坊の魔法使いと賢者(私)にしがみつかれている。西の国のラスティカとクロエという2人に至っては、実はまだ顔合わせすらしてない。クロエが送ってくれた手紙によると、迷子のラスティカを探してから行くから遅れます、とのこと。自由な人だから…と皆が苦笑している。どんなやべえやつがくるのか楽しみにしているので、早く顔を出してほしいものだ。
医者のフィガロは、魔法舎に常駐していることが多かった。任務や訓練や内ゲバ喧嘩で怪我することもあるので、そして今の私のように食べすぎて腹痛に見舞われることもあるので、患者としてはありがたいことだが、既婚者と聞いて罪悪感が沸いた。
「心配してくれたの。ありがとう。でも大丈夫だよ、あの子も魔法舎にいるから」
「魔法舎に!?」
驚愕の新事実に、思わず飛び起きた。ぱんぱんのおなかが圧迫されて苦しい通り越して痛いけど、構ってる場合じゃなかった。
「うそ!誰!?私の知ってる人?」
「今の魔法舎に知らない人っている?」
「いない!じゃあ知ってる人じゃん!」
「あはは」
私の悲鳴とフィガロの笑い声に、控えめなノックの音が被さった。
「入っても大丈夫ですか?」
「どうぞ」
私の部屋なのに何故かフィガロが回答して、入室してきたのはアキラさんだった。
アキラさんはカナリアさん同様、魔法舎の家事など生活を支えてくれている人間だ。無害の擬人化のような人だった。アキラさんにかかると喧嘩する北の魔法使いたちだって子猫ちゃんみたいになるし、恋バナ中の女子とおっさんも大人しくなる。私は、騒いでフィガロの結婚相手を問いただすのが恥ずかしくなってしまった。
「賢者様、夕食についてネロから伝言です。おじやも作れるけど、どうする?って」
「えっ、この世界にもおじやあるの?」
私の教えていない和食が登場した。恋バナからおじやへと興味がシフトしていく。フィガロも話題に入ってきた。
「魔法舎にしかないよ。確か何代か前の賢者様がネロに教えたんじゃなかったかな?ね、アキラ」
「はい。今日賢者様の故郷のご飯を作って、思い出したらしいです」
ちらっと違和感があった気がしたが、ネロおじやが気になってそれどころじゃなかった。元気に挙手する。
「はい!食べます!」
「どうしてお腹痛くなったのか忘れちゃったの」
「夕飯までに消化するから大丈夫!若いから!」
「言ってくれるなぁ」
自称32歳のフィガロが笑う。最近までその嘘を信じていた私は「うそ~20代にしか見えない~」と煽てて無駄に喜ばせてしまった苦い思い出がある。真実が明かされたあの時と同じようにアキラさんが、仕方ないなぁって顔で苦笑をしている。
「そんなに元気そうなら大丈夫だね」
フィガロが立ち上がった。
「また後で様子を見にくるから」
「はあい、フィガロ先生」
いい子にお返事すると、フィガロとアキラさんは部屋を出て行った。フィガロの結婚相手については聞きそびれてしまったけど、魔法舎にいるとのことなのでそのうち判明するだろう。その時はまた惚気話を聞いてやってもいい。
少しサボった時期もあったが、引き続き賢者の書を読んでいる。今日は新しい知見を試すため、南の魔法使いのフィガロを探していた。
「フィガロ~、フィガロ~、フィガのすけ~~」
夜だからあまり大きな声は出せないけど、名前を呼びながら魔法舎を歩き回る。彼の部屋にも中庭にも談話室にもシャイロックのバーにもいない。見かけた魔法使いたちに聞いてもみるけど、なかなか見つからなくてがっかりしてしまいそう。
食堂のキッチンを覗くと、アキラさんがケトルでお湯を沸かしていた。昼間の食堂と違って灯りを絞っているようだった。
「こんばんは、賢者様」
私に気が付いて夜の挨拶をしてくれる。寝る前だったのか、いつもより薄着で無防備そうな雰囲気だ。
「ばわっ」
「ばわ…?」
「こんばんはの略!」
「若い子はなんでも略しますね」
くすくすと笑うアキラさんは、そんなこと言う歳には見えない。すごい美人ではなくても、肌も髪も綺麗だし髭とか生えっぱなしにしないし、正直生えてるところ想像もできない。確かに落ち着いた人ではあるけど、それは大人っぽいというより大人しいってかんじだ。アキラさんの顔をじっと眺めた。
「アキラさんって、童顔?」
「うっ…」
笑うのを止めて痛いところをつかれた声をする。気にしていたのなら悪いことをした。
「悪い意味じゃないよ!こっちの世界の人の顔ってみんな堀深くて欧米人ってかんじだから、アキラさんの醤油みある顔見ると安心するし」
「お…べい?しょうゆ、は調味料じゃなかったですか?」
「そうだよ」
「そうなんだ…」
調味料…?と首を傾げ、自分の頬をもにもに揉んでいるのはちょっとかわいい。にやにや鑑賞しているうちに、ケトルがヒィーーと僅かに音を発し始めた。そろそろお湯が沸く気配を感じて、本来の用事を思い出す。
「ねえ、フィガのすけ見てない?」
「あ、フィガロなら……フィガのすけ?」
「賢者の書を読んでたら、フィガロのページに気になることが書いてあったの。ちょうどいい夜だったから実践したくて」
「気になることですか?というか、フィガのすけ?」
「うん、これ」
賢者の書を開いて、該当箇所を指さす。
『フィガロの仕事は、月が明るくて綺麗な夜に、賢者と部屋で暖かいお茶を飲むこと』
キッチンの窓から、月明りが差し込んでいた。暗い夜をそっと照らす光。いつもよりいっそう明るくて綺麗で、本当にそこにあるみたいで、呼吸すると肺までその光に満たされる錯覚に陥った。見てる分には美しいけど、吸い込むと少し冷たくてさみしい。こんな夜は誰かとお茶が飲みたい。
伝説の賢者様がどんな人だったのか、会ったことのない私には分からない。だけど、フィガロが賢者様を、賢者様がフィガロを、そのお茶の相手に選んだっていうのが、私は嬉しかった。フィガロに聞いてみたい。あの人はどんな人だったのって。きっと、覚えてはいないんだろうけど、それでも。
「…アキラさん?」
「えっと…」
だから、アキラさんにもフィガロの居場所を聞いたのだけど、こんな顔をされるとは思っていなかった。個性爆発の魔法使いたちに巻き込まれて困った顔とか、古すぎて逆に新しい価値観を浴びせられて戸惑った顔とか、そういうのは見たことがあって、少し似ていたけど明確に違った。見たことのないアキラさんの顔だ。たぶんこれは、嫌がってる顔。
「ごめん、嫌なこと言っちゃった?」
「そんなことないです。賢者様は悪くなくて、…」
言いよどんだところで、ピーーーー!と沸騰したお湯の激しい自己主張が始まった。アキラさんがケトルを火から降ろす。躊躇うようにケトルを持った手が彷徨った。
「お湯冷めちゃうともったいないから、やることあったら優先してね」
「ありがとうございます。賢者様」
アキラさんの表情が緩んだ。私を褒めるような優しい眼差しがくすぐったい。アキラさんの身体に隠れてよく見えていなかったけど、置いてあったティーセットに気が付いた。ポットは1つ。カップは2つ。それぞれにお湯をそそいですぐに捨てる。こうやって茶器を温めておく一手間があるとお茶が美味しくなるのだと、ルチルに教わったことを思い出す。
「あの、ごめんなさい、賢者様。今夜はフィガロは先約があって」
茶葉を量って、1杯、2杯、ポットにいれる。追いかけるようにお湯をそそぐ。今頃ポットの中では茶葉が舞い上がって踊っているのだろう。その光景を見ることは叶わず、アキラさんによって蓋されてティーコゼーで隠される。砂時計をひっくり返す。
「だから…」
「ねえねえねえ」
「えっ」
「これ何?」
身を乗り出して、ティーセットの一角を指差す。ミルクと砂糖の隣に、茶色っぽい液体の入った瓶があった。
「ブランデーです。紅茶に垂らすと美味しいらしくて」
「でもアキラさんは下戸だよね?」
「そう、ですね。だから、ミルクもあります。」
「じゃあブランデーはお酒好きな人用なんだ」
「…はい」
アキラさんの顔がじわじわ赤くなっていく。ごめん、楽しい。よだれがでてきた。
「ねえねえねえ、こっちは何?」
「こっち?」
いつもより無防備なアキラさんの首元を指さす。シャツの第二ボタンまで開いていて、金属のチェーンが覗いていることに、今さっき気が付いたのだ。アキラさんは指差された箇所に触れて、私がチェーンの先のことを尋ねているのだと気が付く。少し躊躇っていたようだけど、期待を前面に押し出す視線を送り続けていれば、やがて降参したようだった。するりとチェーンを引っ張ると、シャツの隙間から銀色の指輪が現れた。
「なんで指にはめないの?」
「皿洗い中になくしちゃったことがあったんです。その時は見つかったけど、もうなくしたくないので…」
「ひゅ~う」
私は口笛ができないから代わりに口で言った。練習してできるようになろうかな。今後も使う機会がありそうだ。アキラさんが恨めしそうに私を見てくるけど、顔が赤いので迫力はなかった。
「賢者様…」
「ごめんごめんて。さっき遮っちゃったけど、何か言いかけてたよね?」
「う……」
アキラさんの視線がウロウロと泳ぐ。もごもごと唇が動くけど、言葉はなかなか出てこない。砂時計の砂が落ち切ったので、それをタイムリミットということにして、ここで勘弁してやることにする。
「時間、もういいんじゃない?」
「あ、そうですね…」
「渋くなる前に持っていってあげて」
促すとアキラさんは頷いて、ティーセットの乗ったトレーを両手で持った。私はすぐに茶葉を捨てる派だけど、アキラさんは茶葉入れっぱなし派みたいだ。
「色々聞いちゃってごめんね。本当は言いたくないことは言わなくていいの」
「ありがとうございます。言いたくないってわけじゃないんですけど…少し照れ臭くて」
アキラさんの視線が手元のティーセットから私へ移る。恥じらうその姿は少年少女のようだ。頬はまだほのかに赤く染まっている。
「でも、聞いてくれますか?」
「アキラさんが嫌じゃないならいつでも聞きたいよ!」
いつかもっと友達みたいになれたら、アキラさんの口から指輪の相手の話を聞けるかもしれない。あるいは、明るい月の夜のお茶会の相手の話を。そんな期待を胸に笑って答えれば、アキラさんもにっこり笑ってくれた。
「フィガロは俺とお茶を飲むんです。だから、今夜は譲ってください」
私がびっくりしている隙に、アキラさんはおやすみなさいとだけ言い足してキッチンを出て行ってしまった。びっくりした。おやすみなさいと返す暇もなかった。いつか心の準備ができたら聞いてって話かと思ったのに。今言うんかい。
「譲っても何も、アキラさんのじゃん…」
アキラさんの嫌がる顔も、我儘じみた物言いも、初めて見聞きした。いつも穏やかな人が、人を愛すると変わってしまうというのが、なんともむずがゆい。それを引き出せるのはフィガロだけだと思うと、それはそれで嬉しい。良かったねって言いたい。フィガロが犬だったらいっぱい褒めておやつをあげて撫でまわしてたと思う。
伝説の賢者様には悪いけど、あのページには注釈を加えなければならない。今その仕事の相手を担っているのは、毎年入れ替わる賢者じゃないのだ。ちょっとだけ、悔しくってさみしいかも。ここに来る前にシャイロックのバーも覗いて来たので、そこに何人かの魔法使いがいるのを知っている。お酒は飲めないけどお邪魔して、拗ねて見せちゃおうかな。そろそろ私にも、それが許されると思うのだ。