末っ子大好きトラッポラ家母親編
その日、クルーウェルは何度も鳴る電話と、今日から受け持ったクラスの名簿とを見比べながら大きく溜め息をついていた。教室で見掛けてからその瓜二つっぷりに二度見しかけたことは子犬どもにバレていないはずだ。恐らく、きっと。そしてそのソックリだった子犬と同じ名を持つ女性から今、ひっきりなしに着信が入っている。呼び出し音の限界を迎え音が途切れるも、またすぐに鳴り響くソレに渋々手を伸ばしボタンを押せば途端に『ディヴィス、遅いっ!』とのお叱りを受ける。
『もうっ、何度呼び鈴を鳴らしたと思っているの? レディのComeには2コールまでって教えなかったかしら?』
「……失礼、マダム。何せ俺も多忙な身でしてね。何処かのヤンチャな子犬の世話で手一杯なんですよ」
『そう! その事で連絡したのよディヴィス! アナタ、また私の可愛いプシーに続いて、可愛い可愛いキトゥンまで飼い主気取りをするつもりね!?』
その言葉に大きな溜め息をつくも、電話先の相手は気にする所か“可愛いキトゥン”とやらの可愛さについて語っている。通話先の相手──ルナディ・トラッポラ。この度、二度目となる彼女の息子の担任を指名されてクルーウェルはうんざりとする他無かった。
『──ディヴィス? 聞いているの?』
「えぇえぇ、聞こえていますともマダム。安心してください、貴女の可愛い子猫もいずれ俺の子犬になって返しますので」
『もうっ! そういう所、ぜんっぜん変わってないわねディヴィス。だから結婚出来ないんじゃないの?』
「一言余計ですよマダム」
己の一番触れてほしくない部分の上を、平気でタップダンスする無神経さは変わっていないらしい。どうかこの性格が末っ子にも引き継がれていませんようにと願うばかりではあるが、入学早々退学未遂を起こしている時点であまり平和な日々は送れなさそうに見える。
『まぁいいわ。私の子猫を少しの間だけ、預けてあげる。休暇中に毛並みがちょっとでもくすんでいたら許さないわよ』
「ご心配無く。兄の方でもキチンと整えて返したはずですが」
『お兄ちゃんはあの人に似て毛ずくろいが上手だもの。でもキトゥンは私やお兄ちゃんが整えてあげていたから、ディヴィス好みに染められるのは気に食わないわ』
「毛並みを整えろと言ったり、気に食わないと言ったり……相変わらず注文の多いお方だ」
『当たり前でしょう? 私の子猫よ?』
その自信に満ちた言葉と声は、ファッショニスタ時代に嫌という程聞いていた。この女性は、担任を受け持つ子の親という一面よりも、昔の職場の上司として接する機会の方が多かったからだ。未だに彼女の部下から定期的に送られてくるファッション雑誌から見ても、センスは衰える所か以前にも増して生き生きとしているように見受けられる。まぁ、己の好みかと言われると、少しベクトルは違ってくるが。
『あっ! そろそろあの人の帰る時間! またね、ディヴィス。あ、あと今度新作のコートを作りたいから、キトゥンの身長が伸びたら直ぐに教えること! 良いわね?』
「そこは自分の息子に聞いてくださいマダム。あともう掛けてこなくてい……チッ、切られたか」
ハリケーンのようにかき回し、そして自分の気まぐれで去っていく姿はまるで気分屋な猫のよう。最後にもう一つ溜め息を吐いて、これから起こるであろう出来事に思いを馳せる。なにせ、前回の兄が酷い有様だったので。どうか弟の方は今回の退学未遂だけで終わりますようにと願う。
まさかこれから先、オーバーブロットとか言う大事件が何度も起こったり、その件に巻き込まれたが故に兄の方からも鬼電がかかってきたり。謎のゴーストに占領された話を人伝に聞いていたら、自分がデザインしていないスーツ着ている息子を見たのだがどういう事だと、また鬼電される未来が待っているのだが。クルーウェルはまだ、知らない。
* * * *
父親編
トラッポラ家父の朝は、そんなに早い訳では無い。メニュー表の変わってしまったモーニング……もとい、ランチを嗜みながら今日のスケジュールを確認していく。夕方に輝石の国のショーホールにて公演が一つ。そして夜には熱砂の国にて特別公演が一つ控えていた。
「それにしても、人気者で引っ張りだこなトラッポラさんがこの話を受けてくれるとは正直思っていませんでしたよ」
そう笑っているのはショーを取り仕切るチーフマネージャー。“この話”と言うのは、十中八九熱砂の国での特別公演の事だろう。この公演は、何処かのシアターを貸し切るのではなく、とある富豪の屋敷にて行われる正真正銘一家族専用の特別なショーとなっていた。彼──ジェニー・トラッポラは、特別な時間と多くの笑顔を大切にする男であり、愛妻家としても有名である。そんな彼が、富豪とは言え一家族のみ許されたショーを開くのは珍しいことだと、チーフマネージャーは思っていた。
しかし、ジェニーは「そう難しい話でもないよ」と朗らかに微笑む。
「この家族はね、直接的には関わりが無いけれど、長男くんが僕の可愛い末っ子に良くしてくれているみたいだからね。ちょっとしたお礼くらいならお安い御用なのさ」
パチン、と。一見キザにも見えるウインクをする姿さえ様になるこの男は、愛妻家でもあり親馬鹿でもあった。なので、名前を聞いた時にすぐ、息子が『この前カリム先輩とジャミル先輩、あー、他寮の先輩なんだけどね。宴ってのに招待してくれて。もー、めっちゃ美味しかった! 流石富豪って感じ!』と電話の時に話していたのを思い出していたのだ。
「聞くところによると、熱砂の国でのアジーム家と言うのは大きな力を持つのだろう? じゃあ、ちょっとしたお礼と名乗りはしておかないとね」
「……そう言えば、何年か前も似た様なことを言って夕焼けの草原の王宮にてショーをしませんでした?」
「うん、あの時はお兄ちゃんがお世話してた子のご家族だったみたいだからね」
なんでもない様な顔をして、男は自らの技術を使い名を売り込むのを忘れない。ただ名乗るよりも、マジックショーであるが故により記憶に残ることを彼自身が一番深く理解しているから。
「そうだ。エースが、生き物を使ったマジックのコツを聞いてきたんだ。今回の公演で、フラミンゴを使ったイリュージョンでもしてあげれば喜ぶかな」
世界中でその公演を待ち望まれ、チケットは飛ぶように売れて即完売。そんな売れっ子有名マジシャンの気まぐれマジックショーは、溺愛する息子のリクエストに人知れず応え、愛する妻のデザインした衣装に身を包み行われる。それを知るものは彼と、彼を知る一部の者だけ。多くの人々を驚かせ楽しませる魔法の無いマジックは今日も、可愛い息子が将来不自由しないための布石として振る舞われていた。
「ようこそ皆々様、トラッポラのマジックショーへ! どうぞ、心行くまで楽しんで。最後まで、決して目を離しませんように」
* * * *
兄編
────あ、もしもーし。おれだよおれ、俺だってば。
あ、ウソウソ、切らないでよ〜。
俺だよ、シンク。シンク・トラッポラ。会わない間に声まで忘れちゃった?
な〜んてね、電話も久しぶりじゃん? 元気だった?
俺ェ? 俺はね〜、可愛いかんわいい弟が母校に行っちゃって悲しんでるとこ。
あの学校、あんなんだけど一応名門だからね。選ばれるのは当たり前だとして、暫く会えないってのは寂しくなるな〜って。
あ、そう言えばアンタんとこの下の子も今年入学じゃないっけ?
でしょ? 確か、祖父方の知り合いのお偉いさんに仕える!って息巻いてた子。合ってる?
アハハ! あれから変わってないんだ、ぽいなあ〜。
俺の弟も、相変わらず生意気だよ〜。ホント、誰に似たんだか。
えぇ〜? ハハ、うん。うーん、そうね。
今の職場も、なんとな〜くで選んだトコあったけど天職だったみたい。
今度チケット送るから、その弟くんと妹ちゃんもいるんだっけ? もう家族全員つれて遊びに来なよ。
俺は基本的に事務なんだけどね〜。来る日言ってくれれば出るからさ。
え〜? だぁいじょうぶだって!
俺が飛び込みでショー出たってトチるメンバーを組んでないし、そもそも俺がミスる訳ないし?
ハハッ、まぁね。俺は俺の腕を信じてますから。
まだ父さんには届かないけど、俺は俺のエンターテインメントを届けられればいいかなってさ。
ん〜、楽しみにしといて〜。
っ、と。もうそんな時間か。また朝早いんでしょお?
父親のお仕事の手伝いだっけ。ま、本業の方も頑張って〜。
んじゃあね、ジグボルトくん。
おやすみ〜。