ソーラ・レイ。それは一年戦争で使用された史上最悪の兵器。サイド3のコロニー一つをそのまま巨大なレーザー砲にするという狂気の兵器は、一年戦争終結後もサイド3中域に封印という形で漂っていた。
――戦後処理に合わせて解体してしまえばよかったものを。
そうできなかったのは、ジオン公国がまだ地球連邦政府を脅威に感じていたからに他ならない。万が一また戦争になるようなことがあれば、再び使用することを前提にそこに留めおいたのだ。その脅威が自分たちに向けられる可能性に目をつぶったまま。
反乱軍にソーラ・レイが奪取されたという報は、すぐに本国の統帥本部経由でグラナダにも伝わっていた。
反乱軍は、ザビ家に不満を持つ一部の高官が、戦争が終わって職にあぶれた旧ジオン軍人を束ねたものだった。それを焚き付けて武器供与をしたのは連邦軍だ。ソーラ・レイでサイド3のジオン公国首都ズムシティを焼き払うと言ってのけた反乱軍相手に交渉の余地はなかった。
戦後で軍備を縮小している上に、宇宙艦隊は各地に散っている。ソーラ・レイの破壊任務に間に合う位置にいる艦は、ソドンを含め4隻だけだった。
「あの時と同じ、ですか……」
ブリーフィングルームでモニターを見上げながらシャリアはぽつりと呟いた。
いや、ソロモン破砕作戦の時より状況は悪い。ソーラ・レイの発射前に破壊するといっても、防衛に当たっている艦隊の数が反乱軍と言うには多すぎるのだ。正面突破は時間がかかりすぎる。
作戦など、初めからあって無いようなものだった。
4隻の艦とモビルスーツ部隊で正面突破を試みる。敵はそこの防衛を厚くするだろう。厚くせねば抜かれるだけの精鋭は揃っている。その間に、手薄になる左翼方面からシャリアが単騎でソーラレイに突っ込む。
シャリアが乗り込むモビルスーツはガンダムタイプだが、外見だけ見ればモビルアーマーだった。グラナダから受領したばかりのそれは、テスト段階ですら一度もフル装備で運用されたことはないという。大量のコンテナミサイルを積んだユニットに大口径のビームランチャー、実体弾のバズーカ、ビットは12機。しかもミサイルは全てサイコミュコントロールが可能という代物で、本来なら機体制御と火気管制で二人のニュータイプを必要とする機体だ。それをシャリアは一人で動かそうというのだ。
モビルスーツの数は少しでも多いほうがいい、というのがシャリアの意見だ。
神経系に来る負荷は相当なものだろうが、それでもやらなくてはならない…………首都を焼くなんてあってはならないことのだ。
係留用のケーブルを伝ってコックピットに乗り込む。サイコミュを起動させると、不思議と気持ちが落ち着いた。
「君はどうやら私に合っているようですね」
シャリアは部隊が戦闘状態に入ってから動くことになっているので、ケーブルを切ってソドンから離れ、慣性だけで近くの隕石に身を隠す。
ソドンがエンジン出力を上げる前にプライベート回線が着信があった。モニターを確認すれば、それは散々振り回してひどい目に合わせてしまった部下だった。回線を開くと、緊張した面持ちのエグザベ・オリベ少尉の顔が映る。
「中佐、あの……」
「エグザベ少尉、緊張してるんですか?」
「そうじゃなくて、僕だけでも中佐の直掩に付けませんか?」
「そうですねぇ……このハリネズミの近くにいると君まで怪我してしまいますから、止めておいたほうがいいでしょう」
シャリアはやんわりとエグザべを拒否した。この機体はそもそも単騎での運用を想定されている。
作戦開始1分前のコールが鳴る。
「君には散々迷惑をかけてしまいましたね」
「それ、今言うことですか?」
「ええ、こんな時だから」
作戦開始までの時間がカウントされる。作戦が始まれば高濃度のミノフスキー粒子が散布されて通信は不可能になる。会話できるのはあと10秒少々。
これ以上言うつもりなど無かったのだ。それでも伝えたいと思ったのは彼に対する未練だったのか。
「エグザベ君、きみは生きてください」
「え? 中佐? それ……」
それ以上の言葉はミノフスキー粒子による電波干渉の激しいノイズでかき消される。カウントがゼロになり、ソドンが最大加速で動き出す。
シャリアは静かに全天周モニターを眺めた。動き出すタイミングはシャリア自身が見極めなくてはならない。ほどなくして、戦端が切られた閃光が目の端に映る。
頭の隅をチリチリとした不快感が掠めていく。戦場の断末魔を拾ってしまうのはどうしようもない。
中央の苦戦を見てか、予測通り左翼の艦隊が転舵し移動を開始する。数は半分ほどになったが、当初の予定よりはまだだいぶ多い。
――これ以上待っても無駄か。
あまり時間をかけると本体が壊滅してしまいかねない。
シャリアは機体側面のスラスターを噴射して隕石から機体を離す。ここからは艦隊が戻ってくるまでの時間勝負。おそらく、10分もない。
機体後方のメインエンジンに点火して、シャリアは灼熱の戦場に身を躍らせた。
敵機に近付かれる前にミサイルを放出し、次々に撃墜していく。熱源を追ってくるホーミングミサイルはよくあるが、迎撃のビームをかわしてくるミサイルなど見たことがないだろう。全てシャリアがサイコミュ誘導しているので全弾確実に当たるのだ。
やはり相当数のサイコミュ誘導を同時に行うのは負担が大きい。シャリアは忌々しげにヘルメットを脱ぎ捨てた。サイコミュコントロール補助用のヘルメットなのであるが、脱いだほうが感覚が研ぎ澄まされる気がする。
敵機はまだ半分以上。全弾内尽くしたミサイルコンテナの内側に収納されていたビットを放出する。
「道を、開けなさい」
ビットに攻撃指示を出すのと同時にビームランチャーを構える。ソーラ・レイに穴を開けられたらと考えてのことだが、戦艦2隻を貫いて壁面に当たったかと思えたビームは、直前でかき消されるように四散してしまう。
「Iフィールド? いや、こんな広範囲に展開するのは不可能なはず……」
一旦機体を反転させて攻撃をかわしつつ様子を見れば、戦艦から複数の弾頭が発射され、ソーラ・レイの近くで爆発し何やらキラキラした粒子をバラまいているのが目に留まる。
「ビーム撹乱膜か……すっかり忘れていましたよ」
こんなに撒かれては、大口径のビームランチャーとはいえ表面を焦がす程度の効果しか得られなさそうだ。手元の実弾兵装は5発装填されたバズーカが1門のみ。これだけでソーラ・レイを破壊するのは不可能だ。
母艦に追加装備を補給しに行くことなど不可能。攻めあぐねている時間はない。シャリアは即座に決断した。ビームランチャーでビーム撹乱膜の範囲外にいる敵機を薙ぎ払う。
「……ついに、あなたには再会できませんでしたね、大佐」
操縦桿を握り、一気にソーラ・レイに突っ込む。前方は全てビットの攻撃で潰し、ビーム撹乱膜の効果範囲に入ってからはビット自体を実弾兵器としてぶつけてしまう。エネルギー切れのビームランチャーを鈍器のように戦艦の艦橋に叩きつける。戦艦からのミサイル攻撃を難なくかわし、ようやく艦隊を抜けたシャリアは、ソーラ・レイの壁面にバズーカを全弾打ち込んだ。破孔が見えたのを確認して、ミサイルのコンテナを直前でパージして中に入り込む。パージしたのと同時にビットを一つわざとコンテナにぶつけて爆発を起こし敵の目をくらませた。ほぼすべての兵器を使い果たし、手元には近接兵器のビームアックスのみが残されている。障害物があればこれで排除しながらと考えたのだが、目的地まではすんなりたどり着けた。
ソーラ・レイの中心部、集めた電力をレーザーに変換するジェネレーター。これを破壊すればいいだけだ。
シャリアはジェネレーターのそばに機体を寄せた。ビームアックス1本では破壊に時間がかかるうえに、損傷に気付いた反乱軍がエネルギーの充填が不十分な状態で発射することも考えられる。シャリアは一撃で完全に無力化させる方法を知っていた。この機体の動力である熱核反応炉を臨界状態にしたうえで自爆させればいいのだ。
「短い付き合いでしたが、きみのおかげで大勢の命が救われます」
シャリアはコンソールパネルを一撫でしてから自爆用のコードを打ち込んでいく。臨界まで持って行くには少し時間が掛かるが、ソーラ・レイの発射には十分間に合うはずだ。
己の生はここで終わる。大した感慨もなく、シャリアはシートに身を預けた。
「やはり私はあなたのように奇跡を起こすことなんてできない」
目を閉じた瞬間、不意に体が浮き上がったようなような感覚がした。遠くから聴こえてくる不思議な声。それにシャリアは聞き覚えがあった。あの日、ソロモンで……。
「大佐?」
目を開けると、極彩色の空間が広がっていた。
そして、ずっと探し求めていた人がそこにいた。
「ああ、来てしまったのか、大尉」
あの日と変わらない姿で、変わらない声で、シャア・アズナブルはそこにいた。
「…………シャア大佐……こんなところに、いらっしゃったのですね」
これは死に際に見る幻だろうか?
それでもよかった。探し求めた人にやっと会えたのだから。
シャリアが両手を伸ばすと、シャアは心得たようにその手を取ってシャリアを引き寄せる。しかし、唇が触れそうな距離でシャアは残酷な言葉を告げた。
「シャリア、君はこちらに来てはいけない」
「なぜです? 連れて行ってはくださらいのですか? 私はあなたが消えてから5年、ずっとあなたを探していたのに」
必死に言い募るシャリアを、シャアはなだめるように抱きしめた。
「私には向こうの世界でやることがあるのだ。君が必要とされているのはこちらの世界。連れて行くわけにはいかない」
「仮に世界が私を必要としていたとしても、私はそうではありません。あなたのいない世界でこれ以上何を為せと?」
「そう言うな、シャリア。君はもう一人ではないだろう?」
私がいなくとも……。
あなたがいなければ……。
『中佐! どこにいるんですか!』
非現実的な極彩色の世界に、唐突に飛び込んできた現実の声にシャリアは身を固くした。
「ほら、君を探している。行くんだ」
「大佐……」
まだ迷っているシャリアの胸を、シャアは軽く押した。二人の間に距離が開く。シャリアは咄嗟にシャアの手を握る。あの日、ワインを傾けながら話したとき、あの手を握ったときからシャリアの全てはシャアのものだった。
「シャリア、私もできることなら連れていきたいが、分かってくれ。そのかわり、この君の右手をもらおうか。この右手は生涯私とともにあるだろう」
握ったままで手がするりと離れる。見た目は変わらないのに、まるで腕が抜けたような感覚だった。
「お別れだ、シャリア・ブル大尉。君は君の刻を生きろ」
「シャア大佐……」
激しい衝撃音でシャリアは意識を引き戻された。
――あれは幻?
顔を上げると、モニターにはシャリアが通ってきた通路から飛び込んできたモビルスーツが目に入った。
「エグザベくん……君は本当に……」
エグザベの機体がシャリアの機体に触れ、接触回線で声が繋がる。
「やっと見つけた。こんなところで何してるんですか!」
「君は早く脱出してください。この機体を自爆させてジェネレーターを破壊します。巻き込まれたら死にますよ」
シャリアが言うと、エグザベの息を呑む声がした。
「だったら早くこっちに」
「君こそ早く行ってください。あと1分少々です」
シャアは君の刻を生きろと言ったが、正直もうたくさんだ。軍内のしがらみも、面倒な人間関係も、もう疲れた。
しかし、エグザベは引く気はないようだった。
「選んでください」
エグザベの声は完全にキレていた。
「僕と一緒にここから脱出するか、僕とここで心中するか、選んでください」
「何を……馬鹿なことを……」
「僕に5年前のあなたと同じ思いをさせる気ですか!」
――5年前の私と同じ? 耐え難いほどの喪失感と虚無感、それに無力感。君は……。
「君は青いですね。愚かで、思慮が浅くて、隠し事ができなくて……」
――だからこそ、こんなに愛おしい。
シャリアはコックピット内に投げおいていたヘルメットを被って気密を確認すると。コクピットのハッチを開け、軽くそこを蹴る。招き入れるように開いたエグザベの機体のコクピットに吸い込まれ、エグザベはすぐにハッチを閉じると同時に機体を反転させた。このタイミングだと、ソーラ・レイの爆発に巻き込まれるのは避けられない。あとは機体の頑丈さにかけるだけだ。
全速力で通路を突っ切り、エグザベが来た時に開けてきたであろう穴から外に出る。その数瞬あとで背後からまばゆい閃光と爆風が機体を襲った。
「い、ったた……。中佐、生きてます?」
「ええ……なんとかね」
咄嗟にエグザベがシャリアの体を抱き込んだのでコクピットの壁にしたたか打ち付けられるという悲劇は避けられたが、頭がガンガンする。
「センサー類は全滅ですね」
コンソールを確認したエグザベが大きくため息を付く。
「カメラもほとんど死んでますね」
コクピットの全天周モニターは、3面を残して残りはノイズを映すだけだ。
モニターで機体の様子を確認すると、頭と手足は関節部分から吹き飛ばされたようで、胴体部分だけが辛うじて残っている状態なのがわかる。
「エグザベ少尉、使えるスラスターはありますか?」
「あ、はい、えっと……2基、ありますね。でも、帰投するにはとても……」
「方向だけ合わせればいいですよ。あちらに」
これもニュータイプのカン、なのだろうか。シャリアにはソドンの位置がはっきり分かる。
エグザベはスラスターで姿勢制御すると、シャリアが指さした方向に向かうように軽く噴射する。
「あとは救難信号出しといてください。向こうから拾いに来てくれます」
逆方向にさえ流れていかなければそれでいい。
シャリアはヘルメットを取ると、無重力に身を任せるようにふわりと浮かんだ。
「疲れました?」
「ええ。それはもう……」
シャリアの手が引かれ、エグザベに抱き寄せられる。
「……生きてるんですね」
「……君が生かしてくれたんですよ、エグザベ少尉」
「ちゃんと責任取るつもりですから」
「……そんなに重く考えなくてもいいですから」
エグザベがヘルメットを取る。
「ずっと好きでした。フラナガンスクールに視察に来たあなたに会ったときから、ずっと……」
「私もどうやら君のことが好きになってしまったようですよ」
どちらからともなく唇が重なる。
『……しょ……い……エグザベ……ぶじ、か?』
ミノフスキー粒子が薄くなってきたのかソドンからの通信が微かに入るようになったが、それには答えずに二人はしばらくそのまま互いの温もりに酔っていた。