ソドンを含めソーラ・レイ破壊任務に当たった艦隊は満身創痍で、その後の反乱軍掃討は後続の艦隊に任せることになった。とはいえ、切り札のソーラ・レイを失った反乱軍の士気は目に見えて落ち、雪崩を打ったように敗走する烏合の衆は規律の取れた正規軍の敵ではなかった。首謀者は捕縛され、程なくして一年戦争後で最悪の反乱は鎮圧されたのだった。
ボロボロの機体をソドンに回収されてすぐにシャリアとエグザベは医務室送りになった。戦闘の疲労はありつつもそれ以外は特に問題がないエグザベと違って、シャリアの方は明らかに顔が青ざめている。サイコミュの負荷が異常だった証だ。
体のスキャンと簡単な脳波検査をされ、特に異常なしと診断されたエグザベはあとは自室で休息するようにと医務室から出されたのだが、シャリアの方はそうはいかなかったようだ。不思議そうに首を傾げている医官に「中佐、どうかしたんですか?」と聞けば、ただの部下に簡単に言えることではないのか「ああ、まあ……本国に戻ってから軍病院で精密検査だな」と返された。
気にはなったが、今できることはなにもない。エグザベは大人しく自室に戻ることにした。
ソドンがサイド3のズムシティに入港したのは翌日のこと。そこでクルーは一旦任務を解かれた。ソドンは旧式艦であり、今回の戦闘での損傷が激しかったことからおそらくこのまま退役になるだろうということだ。今建造中の新造艦にクルーはそのまま引っ越しということになり、再度辞令が下る予定だ。
特に何もすることがないエグザベは、仮住まいにあてがわれたシティホテルの一室でぼんやりとベッドに寝転んでいた。軍艦の硬いベッドとは比べ物にならない柔らかいベッドで惰眠を貪るのには2日で飽きた。
エグザベは制服を身につけると、シャリアが運び込まれた軍病院に向かった。軍医が「数日は入院」と言っていたので、まだここにいるはずだ。面会謝絶になどなっていないといいなと思いつつ、総合受付で軍のIDを出しシャリアへの面会を求める。受付のスタッフは数カ所に連絡を取ってからカードキーと共に病室の番号を教えてくれた。
面会が許可されたということは重症ではないのだろうとホッとしながらエレベーターに乗る。カードキーが必要なその階は、いわゆるVIP用の個室ばかりが並んでいる病棟だった。エレベーターホールの出口にカードキーをかざして自動ドアを開ける。教えられた病室の前まで行き、改めて病室の番号を確認してからカードキーをかざす。静かに開いたドアの前のカーテンを開けると、ベッドに身を起こしたシャリアがそこにいた。
「中佐、お加減はいかがですか?」
エグザベが聞くと、シャリアはエグザベの方を見て苦笑した。
「大丈夫ですよ。体調だけみれば入院なんて必要ないんですが……、この右手が、ね」
シャリアが足の上に乗せている自身の右手に触れる。
「お怪我を?」
「いえ。ただ、この右腕はもう動かないんですよ」
CTも撮って詳しく調べたが、右腕だけ肩から先の神経が壊死しているというのだ。
「軍医の見立てではこのまま放っておくといずれ腕自体が腐り落ちてしまうだろうということなので、いっそ切断してもらおうと思いまして」
エグザベの顔がさっと青ざめた。
「切断、って……」
「処置して腐らないようにすることもできると言われましたが、どのみち動かない腕をぶら下げていても邪魔なだけですし」
シャリアは事も無げに言った。
「どうして、そんなことに……、右腕だけ、しかも外傷がないのに?」
サイコミュの負荷が大きかったとはいえ、そんな症状は聞いたことがない。
「軍医も不思議がっていましたよ」
そう言ってからシャリアは手招きした。エグザベは近くにあった椅子を持ってきてベッドの脇に座る。
「君にだけは本当のことを言っておきましょうか」
シャリアは右手を静かに撫でながら話した。極彩色の輝く世界でシャアに会えたこと。彼は向こう側の世界に行くといい、共に行きたいと願ったシャリアの右腕だけを連れて行くと言ったこと。
「だから、私のこの右腕は大佐と一緒に向こうの世界に行ってしまったんです」
右腕が動かなくなったというのに、シャリアはどこか嬉しそうだった。
「そんな顔をしないでください。今は殆ど生身と変わらない義手だってあるじゃないですか。ああ、いっそ直接モビルスーツにコネクトできる特殊仕様のものでも作ってもらいましょうかね」
シャリアは左手を伸ばしてエグザベの頬に触れる。
「過去の感情に始末をつける代償に腕が一本必要だった。ただそれだけのことです」
エグザベはその手に自身の手を重ねて握り、そっと唇を寄せる。
過去の感情に始末をつけたと言うなら、この人はもうしがらみから自由になったはずだ。
「中佐、僕と一緒に暮らしませんか? なんなら退役してもらってもいいです。僕一人でもなんとか二人で暮らせるくらいの稼ぎは……」
シャリアの手がするりと離れていく。
「それは聞けないお願いですね」
「あの時、僕のことを好きだと言ってくれたのは嘘ですか?」
いつもと変わらない穏やかな色をたたえるシャリアの目を見られずに、エグザベは視線を下げた。
「……吊り橋効果、って知ってますか?」
人は緊張や恐怖のドキドキを恋と勘違いすることがあり、こういったっシチュエーションで相手に恋していると錯覚することがある。
「あれは錯覚だったと?」
「すみません、冗談です。私は確かに君に好意を持っています。恋愛的な意味でね。だからこそ、ですよ。
……君を好きになってしまったから、一緒にはいられません」
「仰っている意味が、わかりません」
エグザベは膝の上で拳を握りしめた。
「簡単なことです。君は私に生きろと言った。それは私を好いてくれていたからでしょう? 同じことですよ。私は愛する君に幸せになってほしい」
「それは……、あなたと一緒だと幸せになれないと?」
「君には人並みの幸せを手に入れる権利がある。素敵な女性と恋をして家庭をもつという幸せがね。私はそういうものは全て捨ててしまいましたから」
「……僕はそんなもの望んでません。僕が求めているのは、命がけで手に入れたあなたとの未来だけです」
ありったけの思いを込めて顔を上げたエグザベは、真っ直ぐにシャリアの目を見る。シャリアは驚いたように何度か瞬きしてから、ふっと目を伏せた。
「嬉しいことを言ってくれますね、エグザべ少尉。ですが…………すみません。君の思いには応えられない」
――一世一代の告白だったのにな。
しかし、こうもきっぱり断られてはこれ以上追いすがることはできない。追いすがったところでシャリアの答えは変わることなどないのだ。それはエグザベ自身がよく知っている。
「……わかりました。無理を言ってすみません」
なんとなく、もう会うことはないんだろうなとエグザべは思った。この人はもう僕達のところには戻ってこない。
立ち上がって椅子を片付けてからベッドの方を振り向く。
セットされていない下ろされた前髪が目元を隠している。
もう一度だけ、どうしても触れたかった。
エグザベは衝動的にベッドに歩み寄ると、俯いているシャリアの顎を右手ですくい上げて口付けた。
1度目のキスは思いが通じ合ったと思った時で、2度目のキスはさよならの時だなんて笑えない。
触れていたのはほんの数秒。
離れると同時にエグザベは踵を返して無言で病室を出た。
残りの休暇はホテルの部屋に引きこもって、ただぼんやりと過ごした。
「好きだったんですよ、本当に」
誰にも聞かれることのない呟きが既に過去形になっている事に気づいて、エグザベは泣きたくなった。