あれからひと月がたった。
きっぱりと断ったおかげか、あれ以来シャアからもエグザベからも個人的なアプローチはない。
告白してきたエグザベを「黙れ」と威圧して口を閉じされたというのに、彼は僅かな戸惑いをにじませつつもいい部下でいようとしてくれている。シャアは……あまり視線を合わせてくれなくなったような気がする。
それを、ほんのわずかでも寂しいと思ってしまった自分に気付いてシャリアは小さく舌打ちをした。
そばにいたいと思った。ただ、あの人の隣で同じものを見ていたかった。しかし、もうそれは許されないのだろう。
このひと月、少しずつ準備をしてきた。自分がいなくとも、シャアの執務に支障が出ないように。越権行為とは思ったが、人事にも少々口出しして優秀な人材を総帥府に集めた。もう少し時間はかかりそうだが、いずれは身を引いても問題ないくらいにはできそうだ。
転職先に心当たりはないが、木星船団公社に再就職でもいいかもしれない。あそこは常に人手不足だから、経験者は大歓迎だろう。とにかく、ここから離れられればどこでもよかった。
翌週、シャリアはシャアの出張に随行することになった。行き先はサイド6のフランチェスカ。南国を模した海洋リゾートコロニーだ。上流階級の人間はこういった場所での会見を好むものもいるので、それほど不自然なことではない。
総帥専用の総旗艦で移動している間、シャアは自室から一度も出てこなかったのでシャリアと顔を合わせる機会ももちろんなかった。警護は別の部署が担当するため、実際のところシャリアがするべきことは特にない。とりあえず会見相手の情報と、万が一の場合を考えて会見場の見取り図を頭に入れた。
会見相手はサイド6の政財界の有力者数名だった。おおむね友好的に会談は進み、その後の夕食会も問題なく終わる。
こういう場はどうも気疲れしてしまって食欲がなくなる。随行員は会見終了後に食事をとることになっていたが、シャリアはあてがわれたホテルのシングルルームに行くと、持参していたワインのハーフボトルを空けてそのままベッドに寝転んだ。
すっかり眠り込んでいたらしい。朝の人工光の眩しさにシャリアの意識がゆっくり覚醒する。ぼんやりした頭で違和感を覚えたシャリアは、身動ぎして体の自由が効かなくなっていることに気付いた。
手首は後ろ手に拘束され、足首も同じように一纏めにされている。部屋も、昨日眠ったシングルルームではなくヴィラのような開放的な広い部屋だ。
――拉致された? そんなまさか、あの状況で?
ホテルはフロア一つを貸し切りにしていて、二十四時間の警備がついていたはずだ。暗殺ならともかく、意識のない人一人を外に連れ出すことなどできるわけがない。それに、こんなことをされて目を覚まさなかったのも異常だ。
可能性があるとすれば、昨日飲んだワインに細工がされていたか。部屋に荷物を持ち込んだ時点で誰かが部屋に侵入しすり替えられたのか。
しかし、一体誰がそんなことを?
身動きが取れないままにシャリアが考えを巡らせていると、ドアが開く音がして見知った相手が部屋に入ってきた。
「たい、さ……?」
呆けた声が出てしまったのは仕方ない。こんな事をした相手の可能性を探り、目的はなにか、どうやって脱出できるかを必死に考えていたところで登場したのがシャアだったのだ。これは全くの予想外だった。
「大佐、どうして私が縛られているのか聞いてもよろしいですか?」
「そうやっておかないと君は逃げてしまいそうだからな」
なんでもないことのように答えるシャアの後ろからエグザベが入ってきて、シャリアはますます混乱した。
「エグザベ少尉? どうして君まで……」
「カンの良いあなたにも、この状況はわからないか」
シャアはシャリアが寝かされているキングサイズのベッドに腰掛けると、暗い笑みを浮かべた。
「私達三人は今日から一週間休暇ということになっている。あなたは知らなかっただろうがね。あなたは一週間、ここで私達に監禁されるんだ」
「かんきん、ですか?」
リゾート地のヴィラに監禁? 意味がわからない。すると、エグザベが言葉を継いだ。
「ここは沖の島に作られたヴィラです。周囲一キロは何も無い海ですので逃げられません。一週間分の食料は用意されているので飢えの心配はありません。その間、この島は僕達三人だけです」
本当に、意味がわからない。基本的にスペースノイドは泳ぎが苦手なものが多く、シャリアも泳げないというわけではないが一キロ泳ぎ切る自信は全く無い。
「それで、私を監禁する理由は何です?」
シャアは手を伸ばして乱れたシャリアの前髪を指先でかきあげた。
「あなたはどうやら私たちを甘く見ているようなので、分からせてやろうと思ってな。どれだけ、あなたのことを想っているか……」
そのまま、身をかがめたシャアが顔を近付けてくる。キスされると思ったシャリアは咄嗟に体を反してベッドの端に逃げた。
「諦めたんじゃ、ないんですか」
「諦めた? まさか。最近あまり目を合わせなかった事を言っているのなら、それはあなたから本心を隠すためだ。あなたはすぐに人の心を読んでしまうからな。だから、一緒にいることの多い少尉は何も知らない。協力はしてもらったがね」
昨夜、シャリアがもってきたワインのボトルを睡眠薬入りのものに入れ替えたのはエグザベだ。そして、すっかり眠ったシャリアを体調不良の急患という名目で部下二人を使って外に運び出した。あとは港で船にのせ、ここに来たというわけだ。
「こんな手荒な真似はしたくなかったが……」
シャアはそう言うと、ベッドとは反対側にあるテーブルに乗った書類を持ってきてベッドの上に無造作にばらまいた。
「どういうつもりだ、シャリア・ブル」
怒気のこもったシャアの声に答えることができず、シャリアは顔を逸らすことしかできなかった。散らばった書類の一枚をエグザベが手に取り目を通す。それは、近々行われる予定の組織再編関係のものだった。
幹部クラスの上級士官が並ぶ役職の中に、シャリアの名前がない。
「これって……」
「……退役の自由は、誰にでも等しくあるものと思っておりますが」
「私を、裏切る気か」
びりびりとしたシャアの怒気を浴びて、シャリアはわずかに眉間にシワを寄せる。
「裏切ってなどおりません」
「私が必要としているのに私の傍を離れることが裏切りでなくて何だというのだ!」
シャリアがシャアを裏切ることなど死んでもありえないとエグザベは小さく息をついた。敬愛するシャアのもとを離れる選択は想像以上に苦しかったに違いない。それでも、シャリアをそうせざるを得ない程に追い込んでしまったのはシャアとエグザベだ。
「あなたが嫌がるから、私も少尉もあれ以来一度もそういう態度を取らなかったはずだ。これ以上何を望む? 私と少尉が誰か特定の相手と結婚したら満足か?」
シャアは強引にシャリアと視線を合わせた、しかし、精神感応能力はシャリアのほうが上だ。心を閉ざされればシャアとはいえ思考を読むことはできない。
「強情なことだ。少尉、あれを」
シャアから指示されたエグザベが、困惑の表情を浮かべながらも小さなアタッシュケースを持ってくる。
「こんなもの……中佐、これは自白剤です。話してください。こんなもの、使わせないでください」
アタッシュケースを開けて薬剤の入った注射器を取り出すシャア。二人の間に入るようにしてエグザベはベッドに乗り上がってシャリアの顔を覗き込んだ。
「自白剤でもなんでも、好きなだけ使えばいいでしょう……」
シャリアは諦めたように目を閉じた。がっかりしたようなエグザベの大きなため息が聞こえ、ベッドがもう一人の体重を乗せられ沈み込んだ気配がある。そのあと、首筋にチクリと針を刺された。鋭い痛みとじんわりとそこから広がる奇妙な感覚。一分とたたずにシャリアの意識は深く沈んでいった。
シャリアはぼんやりと目を開いている。眠そうな、覇気のない目だ。自白剤はよく効いているようだ。エグザベはシャリアの呼吸と脈を取って異常がないことを確認している。
「では聞こう、なぜ私達から離れようとする?」
横になっているシャリアの隣に座ってシャアは聞いた。
「……大佐とも少尉ともお付き合いするわけにはいきませんので」
「それは知っている。退役までしようとした理由は何だ?」
「……私が、辛いので」
シャアとエグザベ顔を見合わせた。その答えは想定していなかった。
「中佐が辛いってどういう意味ですか?」
「……二人とも、好きなのに……それは、ダメなことで……」
二人とも好き? エグザベは恐る恐る質問を続ける。
「あの、中佐は、僕のことも……好き、なんですか?」
「好き、です。だから、離れないと」
「好きなのに、離れるんですか?」
「私といても、不幸にしかなれない。でも、近くにいると触れたくなってしまうから」
そこまで聞いて、シャアは疲れたようにベッドに寝転び、エグザベは天井を仰いだ。
「十歳以上も年上の同性である自分と恋仲になっても私達は不幸にしかなれないと思い込んでいるのは想像がついていたが……」
「まさか中佐自身が本当はそういう関係になりたいと思ってたなんて、考えてませんでした」
「以前から控えめで我慢強い男だと思っていたが、自己犠牲も大概にしてほしいものだ。少尉、作戦は予定取り決行だ」
エグザベははっとしてシャアを見やる。
「本気、なんですか? ここで一週間かけて中佐を……その……」
「私達がどれほどシャリアを愛しているかをその体で知ってもらおうじゃないか。一週間後に、どちらと付き合うか選ばせよう」
「一週間たっても中佐の意思が変わらなかったら?」
「……その時は……そうだな、私達のそばにいるのが辛いというなら、昇進させてア・バオア・クーの基地司令でも押し付けるか。どちらにしろ退役はさせんよ」
シャアは自白剤の効果でまだぼんやりしているシャリアの頬を撫でる。
「こんなものを使って悪かった。もう眠っていい」
「はい……」
シャリアの目が閉じられる。
「総帥、もう拘束は解いてあげてもいいですか?」
「そうだな。もう逃げても無駄なことは理解しているだろうから」
エグザベは電子キーで手首と足首の枷を外すとベッドの端によっていたシャリアの体を真ん中まで押しやってブランケットを掛けた。
「私と君が両側に寝ていたら、目覚めたシャリアはどんな顔をするだろうな?」
「とりあえず、蹴り飛ばされなければなんでもいいです」
エグザベはシャリアを真ん中にシャアとは反対側に寝そべる。
――これって普通に考えたら三角関係だよな……いいのか、これで?
僅かな疑問を残しつつ、エグザベは考えることを放棄した。