クリスマスイブが嫌いなさとるのはなし「ごめーん傑!24日は都合が悪くてさ」
明るい調子で謝ってきた悟にモヤモヤとしたものを感じたのはこれが初めてではない。だって、クリスマスイブに予定を断られたのはこれで三年目だからだ。
友人になりたての、まだそこまで親密じゃなかった一年目は、まあ先約があるんだろうと特別気にも留めなかった。
ただの友人から親友へと昇格した二年目は、そう言えば去年同じように断られてなかったっけとデジャヴを覚えた初めての違和感だった。
そして今年、親友から晴れて恋人同士になった三年目。「都合が悪いから」と一昨年、去年と同じように謝る悟に、流石に偶然ではないだろうと訝しみを持った。
いつも傑、傑と私の名前を呼んで、まるで鳥の雛のように引っ付いてくる悟は、滅多なことがなければ私の誘いを断らない。それは私が想像している以上に、悟が私のことを好いてくれている証拠で、自惚れていなければとんでもなく喜ばしいことだと思う。
それなのに。何故か毎年クリスマスイブの日だけは、バッサリハッキリと誘いを断られ続けている。何か用事があるのかと聞くも、うん、まぁねと曖昧な返事が返されるだけ。いつもの悟なら実家での集まりがあるとか補講が入ったとか、誘いを断る時はちゃんと理由も述べてくれるのに、だ。
あんなに毎日私にベッタリなのだからあり得ないとは思うけど、まさか他にイブを過ごす相手がいるのでは…と少しだけ疑ったりもした。
でも悟にごめんな、と申し訳なさそうに謝られるとそれ以上何も言えなくて。でも折角恋人として初めて過ごすクリスマスが楽しみで、色々とプランを画策していたこちらとしては、不完全燃焼な気持ちのまま終わりたくはない。
という訳で、強行手段に出てみようと思う。
イブの当日。昼間は大学のサークル主宰のクリスマスパーティーに少しだけ顔を出して、一度家に帰り一息ついた所で悟にメッセージを送る。
『イヤホンと靴下とレポート用の資料、また私の家に置きっぱなしだよ。届けに行っていい?』
大学から電車で三駅分の距離がある悟のマンションに比べて、私の住むアパートは徒歩で行ける近場だ。移動が楽なこともあって、悟はよく私の家に泊まりに来る。まるで自分の家のように過ごしているので悟の私物がそのまま置き去りなんてのも日常茶飯事だ。
長い付き合いだしいっそのこと一緒に住まないかと言うつもりなんだけど、まあその話はまた別の時に。
衣類は良いとして、イヤホンはいつも悟が音楽を聴く時使ってるお気に入りのものだし、資料は確かレポートの提出期限が今月中だった筈なのですぐに必要なものだろう。だから、会う口実も兼ねてメッセージをしてみた。
コーヒーを淹れて一服しながら返信を待ってみるけど、いつまで経っても返信どころか既読もつかない。まあこれは想定内。返信があってもなくても、悟の家には行ってみるつもりだった。
陽が落ちる前に家を出て、途中コンビニへ寄る。早くもセール品となったクリスマスケーキを手土産に一つ買って、そのまま足早に駅へ行き、電車に乗り込んで三駅先にある悟のマンションへと向かう。
もしかすると出かけているかもしれないけれど、生憎こちらには合鍵があるので勝手に上がらせて貰う。一応メールで断りは入れたんだし大丈夫。それに悟は明日も課題の為朝から大学へ行く予定らしいから、確実に夜までには帰って来るだろうし。
今年こそは、彼の言う「都合が悪い」の意味を聞かせて貰わないと。そして、せめて短い時間だけでもいいからイブを一緒に過ごしたい。その一心が私を動かしていた。
小綺麗なマンションのエントランスでまずオートロックを解除する。相変わらず、高級感溢れる洒落たマンションだ。悟の実家は裕福なので、こんな如何にも家賃ン十万もしそうな高級マンションに住めるのだ。
開錠された扉を潜って、エレベーターで五階まで上がる。そこの角部屋が、悟の住む部屋だ。
玄関の鍵を開けて部屋の中に入ると、タタキに出しっぱなしにされた、悟がいつも履いている靴が目に入った。靴があると言うことは外出はしていないらしい。でも、室内はまるで人の気配を感じないかのように冷え切って、薄暗かった。
「…悟?いる?」
玄関から声をかけてみるが、返事はない。何でこんなに気味が悪い程に静まり返っているんだろう。ひょっとして、体調を崩して寝込んでいるんだろうか。いやな気配がして急ぐように靴を脱いだ。
「悟ー?いないの?」
もう一度名前を呼びながらリビングへ足を踏み入れる。電気は点いておらず薄暗かったけど、目当ての相手はすぐに見つかった。中央にある大きなカウチソファの上。毛布で覆われた大きな膨らみがあった。
悟は、ソファの上で毛布に包まって眠っていた。すうすうと規則正しい寝息を立てているが、どうしてベッドじゃなくてここで寝ているんだろう。疑問はあったけれどそれより、日が暮れて気温も下がってきている今、暖房も点けず毛布一枚の姿はあまりにも寒そうで、風邪を引かないかという心配の方が強かった。
私はすぐに明かりを点けて、それから暖房のスイッチを入れた。そして悟、と何度か名前を呼びかけながら毛布の塊を優しく揺り起こす。悟はんん、と唸って数回身動ぐとゆっくり目を開けた。
「…ん、すぐる…?」
「うん、私だよ。寝るのはいいけど、ちゃんとベッドで温かくして寝ないと風邪引くよ?」
寝起きでぼんやりとしている悟はまたすぐにでも瞼が落ちてしまいそうで、随分長い時間眠りこけていたんだろうと推測する。慌てて起こさないように、優しく声をかけながら包み込むように頭を撫でる。暫くはぼうっと眠そうに私を見つめていたけど、やがてゆっくり意識が覚醒してきたのか、目を擦りながら上体を起こした。
「……傑、なんでいんの?」
「君、また私の家に忘れ物していっただろ。だから渡しに来たんだ。一応スマホにも連絡はしたんだけど」
「あー……ごめん、寝てたから見てないわ」
済まなさそうに目尻を下げて「ごめん」と謝る悟は、真っ白で綺麗な肌が何だかいつも以上に血の気がないように感じられて、顔色が悪く見える。
そして、その所為で余計に際立っていたのは──まるで泣き腫らしたかのように紅潮した目元だった。
「…悟、泣いてたの?」
「っ、あ、えっと…」
指先でそっと目元を撫でると悟はハッとして、慌てて顔を背けた。そしてまた小さな声で「ごめん」と呟いた。
その様子はまるで叱られるのを怯えて待つ幼い子供のようで、萎縮している所為か長身の体はいつもより小さく見えた。
私が怒っているとでも思ってるのかな。これっぽっちもそんなことは無いのに。苦笑を浮かべながらもそれを伝えようとそっと悟の隣に腰掛けた。
「謝らなくていいんだよ。怒ってる訳じゃないから」
「…でも、スマホ、寝てて気付かなかったし…そもそも、傑に今日は都合悪いとか嘘ついておいて、ホントはずっと家にいたし……だから、ごめん」
「あはは、君から先にその話を切り出されるとはね。…いいんだよ、それにも理由があったんだろう?でも、一人で抱え込んでいるのは感心しないな」
「……傑?」
「ねぇ悟。君は今、なにが辛い?どこが苦しい?もし悟が嫌じゃなければ、私に教えて欲しい。君が泣くほどの辛い何かを抱えているのなら、放っておけないよ。その辛い気持ち、私にも分けてくれて大丈夫だから」
「…………」
そうだ、私は怒りたい訳じゃない。ただ君が心配で、知りたいだけなんだ。
私の誘いを断ってまでイブの日に一人、家の中で寝て過ごしていた理由を。一人きりで涙を流していたその訳を。ただ、知りたいんだ。
悟が一人で抱えている苦しいもの。それがどの程度のものなのか計り知れないから、完全に無くしてあげることは出来ないかもしれない。でも、一緒に背負って軽くしてあげることは出来る。
だから、何が辛いのか教えて欲しい。悟のことが何よりも大切だから。
悟の目を見つめて、手を優しく握り込んで、私の思いを真摯に伝える。悟は最初こそ戸惑って俯いてばかりだったけど、思いが伝わったのかやがて観念するかのようにぽつぽつと話し始めた。
「…僕、イブの日って嫌いなんだ」
「…嫌い?それは、初耳だね」
「うん。大事な親友が、死んじゃった日だから」
悲しげに笑う悟から告げられた言葉に、胸の詰まるような息苦しさに駆られる。
親しい人の死。それをよりによってクリスマスイブの日に経験した悟の心情は、一体どれ程の哀しみに包まれていると言うのだろう。軽率に踏み込んでしまったことに後悔を感じながらも、とにかく黙って悟の話を聞いていた。
「毎年この季節になると、嫌でも思い出しちゃうんだ。その度にしんどくて、息をするのさえも辛く思えて。でも当たり前だけど周りはクリスマスムード一色でさ。幸せいっぱいな笑顔の人達で溢れてて、何で僕だけ毎年こんなしんどい思いしてなきゃいけないんだろって、ムカついちゃって。そんな下らないことで周りに嫉妬する自分も嫌いで…」
「……悟…」
「だからイブの日は毎年、こうやって一人でじっとしてんの。何もしないでずーっと寝てれば、いつの間にか日が暮れて、暗くなって、そんで朝が来るから。そうしたらクリスマスもおしまいだから、やっと安心出来るんだ。起きて学校行って、傑の顔見て、ああやっといつもの日常だって、安心するの。…へへ、ダッセェでしょ」
そう言って、ばつが悪そうに笑ってみせる悟が、今にも壊れそうな脆さで見ていられなくて。反射的に、その体をぎゅっと抱き締めた。急に抱き締められたからか、悟はポカンと驚いたような顔をして、それでもそっと背中に腕を回して抱き締め返してくれた。
「…すまない。辛いことを思い出させてしまったね」
「んーん、いいよ。僕も、ちゃんと言ってなかったからゴメン。傑もやっぱおかしく思ったでしょ?毎年ずっとイブの予定断ってたしさ」
「そんな大事なこと、自分から進んで言うものでもないだろ。…でも事情が知れたのは良かった。悟はもうずっと、一人きりでイブを過ごしていたんだね」
「うん、…まあね」
「じゃあさ、来年からは私と一緒に過ごしてくれない?」
「うん……って、え?」
私の言ったことがよほど予想外だったのか、悟がキョトンと蒼い目を瞬かせた。私としては、何も可笑しいことを言ったつもりは無いのだけれど。
だって、イブの日にこんな冷え切った部屋で一人きりなんて──それこそ、寂しいじゃないか。
「来年のイブは、一日私と一緒にいよう。悟の好きなケーキ屋の大きなクリスマスケーキを買ってさ、それを二人でつつきながら、イブの特番見て、ゲームもして、それからプレゼント交換なんかもしたいな。ああ、でもどこかに出掛けるのも良いよね。ちょっと高めのお店でディナーとか、イルミネーション見に行ったりとか。遊園地ならクリスマスのパレードもやってるし、悟そういうの好きだろ?」
「え、いや、でも……なんで」
「言っただろ。君が辛そうにしているのは放っておけないって」
正直、悟に泣くほど想われている亡き「親友」の存在が、羨ましくないと言えば嘘になる。それでも、悟にとって大切な人だから。その想いも記憶も大切なものだから、それを思い出して悲しむな、なんてことは言わない。
だから、せめてその悲しみを和らげてやるのが私の役目だと思った。これからイブの日はずっと一緒にいて、美味しいものを食べて、楽しいことをして。生きているのも辛く思えるほどの悲しみを忘れるくらい、悟を幸せの笑顔でいっぱいにしてあげる。もう一人で悲しみを抱えさせたりしないと、強く誓うよ。
他人が聞けば恥ずかしくなるような想いをひたすらに真っ直ぐ伝えてみると、悟はまた驚いたように数回目を瞬かせた後、少しだけ泣きそうな顔でくしゃりと微笑んだのだった。
「…ははっ。傑ってたまに強引っていうか、結構勝手なトコあるよね。僕の意見も聞かずにさぁ」
「そうだよ、知らなかった?私はこれでも独占欲強い方だからね。折角イブの日なのに悟と過ごせないなんて、耐えられないからさ」
「よく言うよ、人誑しのクセに」
「心外だな、私はいつだって悟のことしか考えてないよ?…だからさ、もう一人で辛いのを背負おうとしないで。イブは私と一緒にいてよ、ね?」
「……ん。寂しんぼの傑がそこまで言うなら、しょうがないなぁ」
まだ表情には薄っすらと悲哀が滲んでいるように感じたけど、それでもやっと笑顔を浮かべていつもの生意気な調子に戻ってきたようで、ほっとした。
そして、思い出したかのように鞄の中に入りっぱなしだった手土産を取り出した。
「悟、折角だしケーキ一緒に食べない?君の為に買ってきたんだ」
「…んー、でもあんま食欲ないかも。寝てたし全然飯食ってなくて」
「えぇ?ちゃんと食べないとダメじゃないか。じゃあ先に軽く夕飯にしよう。あんまり胃の負担にならないものが良いよね…何なら食べられそう?」
「…じゃあ、前傑が作ってくれた肉じゃが。あれ食べたい」
「ふふ、じゃあすぐ作るから待ってて」
台所を借りようと立ち上がると、悟も真似をするように腰を上げて「僕も手伝う」と私の後を付いて来る。ああ、やっぱりこの雛鳥のような所が本当に可愛いなあ。頬が緩むのを抑えられないまま、私はそっと悟の手を引いた。
どうせなら今日はこのまま泊まって行こう。イブが終わるまではまだ時間があるのだから、今からでも二人きりの時間を楽しもう。
そうして少しずつでも、悟がイブの日を好きになってくれたら嬉しいな。