嗚呼、忌まわしき監督生 オンボロ寮の監督生のことが気に食わない。
我らが気高き寮長に目をかけていただくだけでは飽き足らず、副寮長にも贔屓にしていただこうと画策している様子が、とにかく鼻につく。いや、この言い方ではいささか生ぬるい。オンボロ寮のあの忌まわしき監督生は、寵愛を得ようと哀れなほど必死にリリア先輩にすがりついているのだ。それがどうしても、気に食わない。
「リリア先輩、いつになったら付き合ってくれますか?」
「またその質問か! まったく、チャーミングすぎるのも困ったものじゃの~」
「先輩、来年は実習で校外出ちゃうじゃないですか。会えなくなっちゃうんですもん」
「うーむ、わし的には、あんまり年下の子は対象外なんじゃけど……」
「ええー!! たった2歳差もダメですか!?」
「……そういうことにしておこう」
ああ、気に障る。甘ったるい猫なで声が耳につく。
「対象外とか言う割に、僕のお尻ずっと触ってるじゃないですか。本当は2つ下くらいイケるんでしょ」
「おおっと、手がすべってしもうたわい。……お主が『プリプリだから触っていいですよ』と言うたんじゃから良くないか? ダメか?」
「先輩の気を引きたくて言ってみただけです! 僕と付き合ってくれないんなら、その話は無かったことにしますよ」
ああ、いけ好かない。魔法の使えない半人前の生徒のくせに、どこの寮にも属せないくせに、我らが副寮長にくだらない愛嬌ばかりふりまいて、見ていてイライラする。
どうしても、オンボロ寮の監督生のことが気に食わない。
そうやって、実験中に思考を飛ばしていたのが悪かったのだと思う。
その忌々しい監督生と、錬金術の授業でたまたまペアになった。相も変わらずニコニコと愛想を振りまいてくるのにむしゃくしゃした僕は、実験に集中できず、薬品の投入順序を間違えてしまったのだ。ああ、やはり憎き監督生! 最近、こいつのことが頭に浮かぶと、どうにもこうにも上手くいかない。
目の前の窯で起こった小規模爆発の煙を直に浴びた監督生には、不出来な錬成物の影響で認識の齟齬が生じてしまった。どうやら、リリア先輩に恋していたはずの監督生は、今は僕のことを恋しい男だと勘違いしているようなのだ。
錬金術が今日の最後の授業だったのをこれ幸いと、終業の鐘と同時にディアソムニア寮に駆け込んだ──左腕に鬱陶しい引っ付き虫を携えながら。
クルーウェル先生曰く、明日の朝には元に戻るから問題はないらしいが、僕にとっては問題大ありだ。煙を食らってからというものの、監督生は僕に抱き着いて離れようとしないのだ。きっとリリア先輩への恋心が一時的に僕に向いている状態なのだろう、いつも見ていたように監督生は僕の肩に頭をのせたり、意味ありげに手を握ったり、とにかくいけ好かない行動ばかりする。どうして、よりによって僕なんだと、数十分前の自分を恨んだ。毎朝きちんと着込む制服の、肌が出ているところが触れ合うだけで、どうしてこんなにも心臓の底がこそばゆいのか。あの気に入らない笑顔が腕の中にあるだけで、なぜこんなにもむかむかしてしまうのか。
とにもかくにも、僕はこの腕にまとわりつくこいつをどうにかしたかった。リリア先輩に会えば、もしかするとこいつは正気を取り戻すかもしれない。僕だって、いつも通りの冷静な自分に戻れるかもしれない。一抹の望みにすがる思いだったのだ。
「それはどうした」
子どもの頃本で読んだような、腹を空かせた吸血鬼のような紅く鋭い瞳を向けられて──突如として襲いかかる攻撃的な雰囲気に、僕は生まれたてのバンビのごとく足を震わせる。
「実験の、失敗で……っ、認識に齟齬が、生まれ、て……!」
言葉を発せたのはここまでで、僕は立っていることができずにずるずると床に座り込んだ。腕に絡まっていた監督生も僕を追い、よりにもよって胡坐をかいた僕の足の上に座る。ああもう、こいつはどうして!
「……わしのこと好きなくせに」
子どものように拗ねた響きが聞こえて反射的に顔を上げると、先ほどとは打って変わって、いつものように愛らしい表情を浮かべたリリア先輩がそこに居らっしゃるだけだ。ああ良かった、先ほどの刃物のような目つきは勘違いだったかもしれない、と思い直しているうちに、いつのまにやらリリア先輩も僕たちと同じ目線までしゃがみこんでいた。
「あの、リリア先輩、こいつ、どうすれば……」
「そう慌てるでない、ちとじっとしておれ」
リリア先輩が黒い革手袋の指先を監督生の額に当てて何かを呟くと、僕を見つめてニコニコと笑っていた監督生から笑顔がするりと抜け落ちる。
「あれ、なんで僕、ええと……?」
笑顔が消えたと思いきや、途端に僕から目線を外して顔を赤らめる。恥知らずの監督生が見せる見慣れない表情に、僕は目を奪われた。顔を火照らせてはにかむ様子を、愛らしいと思ってしまった。
思考が芳しくない方向へ傾きそうになると、パン!と手の鳴る音に思考を呼び戻される。同時に、足の上に乗せていたぬくもりがすっかり消え失せ、代わりにリリア先輩の傍へ移っていた。監督生は手を合わせたままのリリア先輩の腕の中にすっぽり収まり、それに気づくと、僕に腕を絡めていたときよりも数倍愛らしく微笑んだ。
「ご苦労じゃったな、下がってよいぞ」
青春は若人の仕事じゃから部活にでも行ってこい、と風魔法で背中を押されて、いつの間にか鏡の前に到着してしまった。
これで、良かったのだろうか。いいや、考えるまでもない。僕は監督生から離れることができたし、彼にとっても認識の齟齬を正せたのは良かったことであるはず。
では、この胸のひりつくような痛みはなんだ?
きっと、自分のせいで失敗作の煙を被ってしまったのだと謝るチャンスを失ったからだろう。そうに違いない、明日から再びリリア先輩に甘える姿を見ることになると思うと、やはり僕は気に入らないのだから──あの忌まわしき監督生のことが。
ああ、胸が痛いほどに、オンボロ寮の監督生のことが気に食わない。