ヴィル・シェーンハイトのいい男論「ヴィルはすごいな。俺は同じ部活なのもあってもう慣れた気でいたけど、未だに度肝を抜かれることも多いよ。なあルーク、頼むから部活中に劇を始めるのだけは勘弁してほしいんだ……」
「おいヴィル、いい加減この意味不明野郎をどうにかしやがれ! こいつに追っかけ回されたうちの1年坊たちがすっかりビビって、尻尾を足の間に仕舞っちまってんだよ」
「あっ、ベタちゃん先輩だぁ。ねーねー、こないだのランウェイで履いてたあの靴……ってゲエッ、ウミネコくんも一緒かよ……。じゃ、また今度でいーや」
* * *
「とか何とか、あの男たち、言いたい放題にも程があると思わない?」
「うーむ、確かに、本人が居る場で言う必要が無いと言えばそうじゃが……フロイドの以外は事実じゃろ?」
「あはは、リリアちゃんに賛成かも……」
冷えきった空気を温めるように、日差しが雲間に鋭く差し込む冬の日──すなわち絶好のカフェ日和に、午後の授業を終えた学生3人が、中庭のテラスでおしゃべりに興じていた。
「アタシだって、ルークが変人じゃないとは思ってないわよ。ルークが他所に迷惑を掛けた“おかげ”でアタシが他寮に出向いたことだって何度もあるし……」
湯気を立てるブラックコーヒーに口を付けながら、ヴィルは不服そうに返す。「でも、どう考えても、ルークにどうのこうの言ってくるあいつらより、ずっと! ルークの方がいい男に決まってるのに!」
ちびちびと飲んでいたはずのコーヒーを一気に煽り、大きくため息を吐く。ヴィルの発言に、そばでカフェオレを飲んでいたリリアとケイトは目を瞬かせた。
「……ヴィルくん、ちょっと!」
「ほうほう、これはこれは」
「ねえリリアちゃん! これって、『恋は盲目』ってやつなんじゃないの!?」
「そうじゃそうじゃ! そうに決まっとる! 天下のヴィル・シェーンハイトに『いい男』と言わせるとは……恋のパワーじゃ♡」
「恋人パワーだー!!」
きゃあきゃあと騒ぎ立てるやまかしい友人たちの会話を聞き、カフェインの大量摂取で冴えまくったヴィルはこめかみに青筋を立てた。
「ちょっと! アンタたちもあいつらに負けじと失礼よ!! どう考えても、少なくともこの学園じゃルークが一番いい男でしょ。……え、違うの?」
しかし、やかましかった2人が心底驚いた様子で目を丸くさせるので、立てた青筋はすぐさま引っ込んだ。
「違うの、と聞かれてしもうた」
「んー、誰がいい男かっていうのは、個人の好みで変わるもんじゃない?」
「もちろんそうだけど……。でも、“ここ”よ? NRCよ? 『いい男』の該当者なんてかなり絞られない?」
「そう言われるとそうじゃな」
「でも、なんというか、ルークくんって世間で言われるような『いい男』像とはまた違うような……」
ケイトは、ヴィルの言う「いい男」のルークのイメージを脳内で作り出そうとするも、弓矢を担いで学園内を駆け回る姿しか想像できない。悩む眉間のシワが、ささくれ一つない指でつんつんと伸ばされた。
「あらごめんなさい、アンタの『いい男』はもう決まってるんだものね? ケイトに同意を求めるべきではなかったわ」
「は? ヴィルくん何言って」
「ダーリンからメッセージじゃぞ、ケイト」
ケイトの目の前で、彼のスマホが揺れていた──「新着メッセージ:トレイ・クローバー」と表示された液晶画面が、黒い指先に揺らされていた。
「アタシたちは構わないから、今見てもいいのよ」
「はあ? いや違うって! 何言ってるの二人とも!」
「ほれほれ、ワシらにも見せるんじゃ~」
「もー、本当に違うのに毎回このやり取り……茶番にされてさぁ……」
身の潔白を証明するかのように、リリアたちにわざと画面を向けたままマジカメのアプリを立ち上げる。確認すると、トレイからは動画が一本送られていただけで、それ以外のメッセージは無かった。つまらなさそうな表情を作るリリアを無視して、ケイトは動画の再生ボタンを押す。
『ムシュー・タンポポ! 待っておくれ!』
『マジで来んな! クソ、人間のくせに足がはえー!』
『そのカゴ一杯の野草でいったい何を作るつもりなんだい!』
『あんたにゃ死んでも教えねー! あーもう、ヴィルさんに被害届出してやるからな、マジで!』
動画には、サイエンス部一同の視線を集めながら、実験室のそばの廊下でラギーを追いかけ回すルークの姿が収められていた。実験服を着たまま追いかけっこに興じているということは、部活を途中で抜け出したことの証左だ。
「ヴィルくんのダーリン、また本能に従っちゃってるみたいだけど」
ケイトがそろりと見遣ると、ヴィルは呆れたように手を額に当てていた。
「相変わらずヤンチャじゃのう、いいことよ」
「いや良くはないでしょ」
「ケイトの言う通りよ……ルークのこういうところは本当に……はあ」
大きくため息をつく美しい男に、愛らしい悪魔の囁きが訪れる。
「でも好きなんじゃろ? 誰より一番『いい男』なんじゃろ?」
「もちろん! 当たり前でしょ、ルークが一番よ」
「わあ、すごい、即答だ」
額に当てていた手はいつの間にやら腕を組むのに使われていた。ヴィルはいつの間にか、寮生のオイタに頭を痛める寮長から、恋人について誇らしげに語る18歳の男の子に早変わりしていた。ヴィルの変わり身の早さに舌を巻いていたケイトは、抱き続けていた素朴な疑問──あまりに今更すぎてずっと聞けていなかったのだ──をぶつけるタイミングが来たと確信した。
「ねえヴィルくん、ルークくんのどこが好きなの?」
ケイトの質問を最後まで聞いてから、完璧な角度で彼の方に顔を向け、長いまつげを大きく一つ揺らして──そうしてようやくヴィルは答えた。
「いい質問ね。全部答えていいの?」
「……えーと、日が沈むまでに終わるなら?」
「くふふ、青春じゃ~」
「まず第一に、誠実なところよ」
「おお、早速『いい男』っぽいポイントじゃのう」
「ルークくんが誠実、確かに分かるな……」
「でしょ? ルークは今まで約束を破ったことがない。自分の言ったことは絶対守る人なの、信頼できるでしょ」
エメラルドの垂れた瞳とラズベリーレッドの丸い瞳が興味深そうに輝くのに、ヴィルは気を良くして話を続けた。
「その次に、優しいところ!」
「ふむ、それも言えとるな」
「分かるよヴィルくん、ルークくんって皆に優しいよね。誰かに冷たくあたってるところなんて見たことないもん」
「そう! そうなのよ!」
ヴィルは今日一番の大声を張った。中庭のそばを通り掛かる生徒の中には、彼の大声に興味を持つ者も居たが、彼は気にせず話し続ける。「相手によって態度を変えない人なの。アタシにだけ特別じゃなくて、皆に平等。そこがいいの」
それを聞いたケイトは意外だと思うと同時に、なるほどと納得した。
ケイトの思い描く恋愛とは、相手が自分に何をしてくれるか、または何を言ってくれるかによって喜んだり悲しんだりするものだった。しかし、ヴィルは、芸能人という「特別」を既に持っているにもかかわらず、「特別じゃない」ことが嬉しいと言う。
ケイトなら、他人と変わらない態度を取られると脈なしと判断するところだが、なるほど、もっと大きな視点で見るとそれは人間としての美点になるのだと──
「アンタの『いい男』も、腹の中ではどうか分からないけれど、表向きは誰にでも優しくて親切よね。ねえ、ケイト?」
「のう、ケイト?」
「は~? それ誰の話? いいから次いこう、次!」
考えに耽っていたケイトは、顔を覗き込む二人を押し退けて話の続きを促す。
「これが最後かしら……最後はねえ、ふふふ、かわいいところよ!」
「……むう、かわいい?」
「かわいい? ルークくんが?」
「え、嘘、ルークはかわいいでしょ」
頭の上に疑問符を浮かべた2人を見て、ヴィルは心底驚いた声を出す。
「かわいい……うーむ」
「綺麗な顔だとは思うけど、かわいい系ではなくない?」
「嘘でしょ!? あの切り揃った毛先とか、グリーンのつり目とか、短い眉毛とか、太い首とか、そばかすとか……色々あるでしょ、かわいいところ!」
「ほう、ルークにそばかすがあったとは知らなんだ」
「綺麗にしてるなあとは思うけど、かわいい……?」
「それに! ルークって二人きりだともっと……あ、」
勢い余って話し過ぎてしまったことにすぐさま気付いたヴィルは、すんでのところで言葉を切ることができた。
「ん~? ヴィル~? 続きはどうしたんじゃ?」
「二人きりだともっと、何~??」
「あら、もう日が落ちてきた! じゃあ、二人とも聞いてくれてありがとう。お先に失礼」
「「えっ」」
言うや否や、ヴィルはスマートな動きであっという間に中庭を後にした。一方、残された2人はというと、彼を引き留めることすら間に合わず、冷たい風が吹き始めた中庭で呆然とするしかなかった。
「ちぇっ、ヴィルの奴め、気になるところで帰ってしもうた」
「ねー。さっきの続き、気になるー」
置いていかれていじけた2人は、カフェオレの残りをずぞずぞと啜る。
「のうケイト、わしの『いい男』は、かなーりかわいいんじゃが……」
「え、急に何、隠し球!? 誰なの? 俺の知ってる人!?」
「シルバーとセベクじゃ!」
「いや身内かーい! てか、それならマレウスくんも入れてあげて!?」
* * *
冷えきった空気を温めるように、日差しが雲間に鋭く差し込む冬の日──すなわち絶好の昼寝日和だ。担当教員の単調な声が、暖房の効いた室内にふわふわと漂うようだ。
本日の魔法薬学の授業は1・3年生合同で行われる。1年生は3年生から技術や知識を学び、3年生は1年生に教えることで基礎を見直す機会を得る。そのような目的で組まれた授業だが、実際にそういった姿勢で授業に臨む学生がどれだけいるかというと、お察しである。ここはナイトレイブンカレッジである──それが答えだ。
「そういった姿勢」で授業を受ける数少ない生徒の中に、ヴィル・シェーンハイトは居た。ビーンズデー以来彼を「兄貴」と呼び慕うサバナクロー寮生たちに囲まれ、魔法薬精製のコツを伝授しているところだ。
「兄貴! 俺も兄貴みてえにパパっと作れるようになりたいッス!」
「1年生には基礎から教えるに決まってるでしょ。まずは安定して製薬できるようになって。あと兄貴はやめなさい」
「オッス! 兄貴!」
「……あのねえ、」
「ヴィル! 危ない!」
ヴィルが1年生に苦言を呈しているところに、他の誰のものよりも彼好みの声が届いた──しかし、それはいつもより鋭く、危機迫った様相であった。
ヴィルが振り向いたときには、目の前まで炎が迫っていた。また誰かが製薬でやらかしたらしい──すぐさま状況を理解して、詠唱なしで出来る限りの広さで魔法障壁を張った。
「……っ!」
何とか間に合ったと思ったが、魔法障壁の端から一筋、炎がヴィルを追いかけた。その一筋はヴィルの頬を撫でると空気中に消え去ったが、炎が触れたであろう部分がヒリヒリと痛む。ヴィルは自分が火傷を負ったことに気付いたが、そのことは一旦思考の外に放り出し、周囲の状況を確認した。
危険を知らせる声を掛けたルークは、隣の机で実験中であったにもかかわらず、ヴィルのそばにいたサバナクロー寮生に覆い被さっていた。彼ら一年生を守るべく、魔法障壁を張りに来たらしい。
一方ヴィルも、上級生として下級生を守るために、出来る限りの広範囲、つまり下級生たちをカバーできるように魔法障壁を張っていた。ルークとヴィルに守られたおかげで下級生たちに怪我は無かったが、その代わりに、手薄だったヴィル側の魔法障壁がほんの少し破られたらしい。
「大丈夫? 怪我は無い?」
ヒリヒリと痛む頬をそのままに、すっかり腰が抜けたサバナクローの下級生たちに声を掛けた。すると彼らはヴィルの顔を見上げて、肉食獣の鋭い目をうるうると潤ませた。
「兄貴のキレーなツラに、傷付けちまったぁ! ウワーーーン!!」
おんおんと泣く彼らを泣き止ませるために、ヴィルは「すぐに治るから」と安心させ、ルークは順番に背中をさすってやったが、終業のベルが鳴り終わっても彼らの目は潤んだままだった。
* * *
自室でようやく頬を覆うガーゼを外して、自分の顔を確認したヴィルが思ったことは、「酷くはないけれど、軽くもないわね」だった。
商売道具の一つである顔に大きなガーゼを付けていたことで、廊下ですれ違う生徒たちが驚いているらしいことは肌で伝わった。少しでも弱音を漏らすとまたサバナクローの1年生たちを泣かせてしまうと思い、学園内では気丈に振る舞うようにした、が。
「んー、結構範囲が広かったのね……綺麗に治るかしら」
いざ鏡で視認すると、痛みの程度から想像していたよりもかなり広い範囲が爛れていた。心配して声を掛けに来たケイトとリリアには虚勢を張ったが、実際に火傷の跡を目にすると、病院で言われた「1ヶ月で治る」が本当なのか疑わしく思えてしまう。
『病院、ルークくんに着いてきてもらわなくていいの?』
『確かに下級生を守るのは立派な行いじゃが……、恋人のことももうちっと気を掛けるよう、わしからルークに伝えておこうか』
出来るだけ明るく、でも心配していることを隠さず、同学年のやかましい2人はヴィルを気遣った。
『もう、エレメンタリー生じゃないんだから病院くらい一人で行ける! それに、ルークにはサバナクローのあの子たちのメンタルケアを頼んでるの。ルークはアタシの言ったことは絶対やってくれるもの』
2人の言う通り、下級生を心配するのと同じくらい恋人の心配をするのが、一般的な恋人の形なのかもしれない──ヴィルは、今日のことをぼんやりと振り返る。
でも、ルークはヴィルの一番のいい男だ。
ヴィルに自分自身を守れる強さがあることを信じて、迷い無く下級生の守りに徹した。その後も、火傷を負ったヴィルよりも、突然のことに涙が止まらなくなった下級生のケアを優先した。
ああ、ルーク、アタシのルーク、アンタってなんて──
コンコン、コン。奇妙なリズムで寮長室のドアがノックされた。お互いの部屋を訪れるときはこのリズムでノックをしよう──付き合った日に決めた約束事の一つだ。
「はい、どうぞ」
ヴィルはなるべくいつも通りに返事をした、つもりだ。
「遅くにすまないね、ヴィル。どうしても今日のうちに君に会いたくて……ぐぇっ」
「ルーク! 会いたかった、アタシのかわいい人!!」
上擦る声を押さえつけることは出来ても、気持ちだけはどうしても駄目だった。ドアの隙間から静かに入室したルークを見た瞬間、ヴィルの体はベッドから飛び上がり、衝動のままルークの厚い胸板に飛び込んだ。
しばらくぎゅうぎゅうと抱き締めあって、ルークがようやくヴィルの顔を上げさせた。
「ガーゼはどうしたの?」
「……今付け直そうとしてたところ。なあに、今日はお説教しに来たの?」
腕の中で頬を膨らますヴィルが戯れで拗ねているのを理解しつつ、ルークはすぐさま彼のご機嫌取りに徹する。
「まさか! 君に会いたくてここまで来たのさ!」
「ふふ、知ってる」
いたずらっぽく微笑みあって、ルークはすぐさま短い眉をへにゃりと下げた。
「……痛い?」
「ちょっとだけ。すぐに治るわ」
「痛みだけでも早く治まるといいんだけれど……」
「あら、ルークは早く元の綺麗な顔に戻ってほしくないの?」
ヴィルは再び、わざと拗ねることでルークを困らせた。こんなことはエレメンタリーの男の子がやることだと思いながら、好きな子が自分のことで困っているのを見るのが楽しくて仕方なくて、なかなか止められない。
ヴィルの期待通り、ルークは困った顔でヴィルの髪を撫でた。
「もちろん、君が望む姿に戻れるよう祈ってるよ。けれど……」
「けれど、なあに?」
ヒソヒソ話をするように、ヴィルの耳元にルークの顔が寄せられた。
「今の君も魅力的で困ってる」
「……ふふ、ルークったら!」
ヴィルはもう一度、ルークを思いきり抱き締めた。あたたかな体温を確かに感じながら、ヴィルはどうしても伝えたかった言葉を舌に乗せる。「ねえ、ルーク」
「ん?」
「ルーク、アタシのルーク、かわいい人」
「どうしたの、今日はなんだか甘えただね」
「心の中ではいつもこうなの」
「おや、それはいいことを聞いた」
「……ねえ、ルーク」
「なに、ヴィル」
ルークの瞳のグリーンが愛しさに溶けているのを見てから、満足した顔でヴィルは言葉を紡ぐ。
「今日は下級生を守ってくれてありがとう。アンタならそうしてくれるって信じてた。自慢の副寮長で、自慢の恋人よ。大好き!」
満面の笑みをもって目の前の男に愛をぶつけると、ぶつけられた方の男はみるみるうちに顔を赤く染めてしまう──顔が赤らむと普段よりもそばかすが濃く浮き上がるので、ヴィルはそれが気に入っていた。
「ヴィル……、ええと、あ、ありがとう」
ヴィル以外は知り得ないことだが、ルークは存外、恋人からぶつけられる愛の言葉にはタジタジだ。愛の狩人の名が泣くが、ヴィル以外がこのこと知ることはきっとない。
「今日改めて確信したんだけど、」
「ん? なに?」
ルークの真似事をするように、ヴィルがルークの耳元に口を寄せた。
「やっぱり、アンタがこの世で一番いい男よ」
でも、アタシのだもん、誰にもあげない! そのまま頬にとびきりのキスを贈ると、顔をさらに真っ赤にしたルークはブリキ人形のように固まってしまった。それをひとしきり笑ってからようやく、ヴィルは彼の手を引いてベッドに飛び込んだのだった。