春にして着ぐるみを纏い 単発バイトの良さといえば、仕事も人間関係もその日っきりなところだと思う。
普通のバイトだと、持続的に収入をゲットできるのがメリット。よっぽど何かやらかさない限り雇用と収入が約束されているのは、ありがたいことこの上ない。でもその代わりに、バイト先での人間関係というのが、まあなんとも。バイトとして集まる奴らには、大抵「金が欲しい」以外の共通点はない。本当なら関わり合いなんて持ちたくない奴らに、教えてもらったり、時には教えてやったり、働きにくくなったら面倒くさいからニコニコやり過ごしたり──むしろ仕事以外のところで精神を疲弊させがちだ。まあ、バイトってそんなもんだけど。
「おっ」
静かな機内で、思わず声が出る。窓から見える景色が変わった──岩肌ばっかり目立つ島が浮かんだ景色が続いたあと、自然に囲まれて何軒もの家が建つ島が見えた。
──まもなく、着陸態勢に入ります。
アナウンスが流れ始めて、機内の人たちが一斉にベルトを締め直したり、荷物を整理し始めたりする。ぽつぽつと立ち並ぶ家を数えていたオレもようやく窓から顔を離して、耳栓をはめた。
飛行機に乗るのは初めてだったけど、箒が浮き上がるような浮遊感をこの鉄の塊の中でも感じるなんて、不思議な気分だ。この機体は魔力を使わないタイプのエンジンを搭載してるらしいけど、使えるもんを使わないなんてもったいねえな、って感想しかない。そんなことより、上陸と離陸の気圧の変化で耳がどうにかならないようにすることに、開発者様方はロマンを見出してほしかった。航空券代が出るバイトが決まったのを何の気なしにレオナさんに話して、それならとこの耳栓を渡されたときは正直舐めてたけど。だって、箒で飛んでるときには耳が詰まった感じなんてしたことなかった。自分でコントロールできない乗り物で空を飛ぶとこうなるんだと離陸で既に思い知ったオレは、着陸の衝撃でケツが揺れてからようやく、恐る恐る耳栓を外した。
観光客らしい人達に続いてドアをくぐれば、春のぬるい風が耳をくすぐる。『ようこそ!』とドでかく書かれた看板は、特に撮りたいと思わなかったのでスルーする。
今日オレはこの小さな島で、この日っきりの仕事と収入(と人間関係)のため、バイトに精を出すのだ。
*
「マジカルワークから一日バイトで来ました、ブッチです。今日はよろしくお願いしまっす」
たったそれだけの挨拶の、何がそんなにおかしいんかなと思ってすぐ、自分の目よりも上を見つめる視線に気付く。目の前のこの人、オレの耳をじいっと見つめてる。
「ええ、ええ! 今日はよろしくお願いしますねえ」
不自然なほど間を空けて、目の前の人──本日の担当者はようやく返事をした。
「耳、珍しいッスか?」
自分の耳を指差して聞けば、今度は明らかにオレの耳から目を逸らす。撫でつけた白髪交じりの毛は、すでに汗をかいて湿ってそうな感じだ。
「ええ、そうですねえ、この島にはほとんどいないもんで」
「ほとんど? いるにはいるんスか」
「ええ、最近他所から越してきたのが1人」
「へえ」
どおりで、地元住民っぽい人たちがオレの頭見てヒソヒソ話してんなと思った。
歩きながらとりとめのない話をしていれば、すぐに更衣室へ到着した。
「今回、ブッチさんにはこちらを着用していただきますのでねえ」
「……おおー」
正直、事前資料の時点ですでに一度「なんじゃこりゃ」と思ってたから、もう驚かないと思ってた。でも今こうして、いざ“実物”を目の前にすると、やっぱり思ってしまった。なんじゃこりゃ。
「これがうちの島のマスコットキャラクターでねえ、『ぐーたん』と言います」
つるんとした頭に大きなコブシの花──春の訪れを告げる花で、この島のシンボルらしい──が、獣人属でいう耳が付いてるところに2つ。人間と同じように、うねうねして変な形の耳。不自然なくらい綺麗に曲がった眉毛の下に、白目がちな感情の読めない目。上向きの鼻、頭から食われそうなくらい大きく開いた口、なかなか見ないくらい鮮やかなピンクの頬っぺた。
猫、犬、ウサギ、時には戦隊モノ──ありとあらゆる着ぐるみをバイトで着てきたけど、ぐーたんは圧倒的ナンバーワンで異様だった。言葉を選ばなくていいんなら、マジで気持ちわりい。更衣室のベンチの上から生首状態でじっと見つめられると、尻尾が足の間に入りそうになる。
でも、これはバイトだから。今日一日だけこれ着てればいいだけだから。気を取り直して、ぐーたんの体の方を手に取る。
「あのー」
着ぐるみは1人では着れないので、担当者に着替えを手伝ってもらう。祭りは毎年行われているらしく、もう何年も経験したんだろう担当者は段取りを分かってる風だ。
「はい、どうかしましたかねえ」
半袖半ズボンのジャージを着たら、まず初めに、着ぐるみの足の部分に自分の足を通す。
「素朴な疑問なんスけど、なんで人間を着ぐるみにしようと思ったんスか……?」
その次に、腕の部分に自分の腕を通す。この時点で、わりと重い。
「この島では昔から害獣の被害が多くてですねえ。私たち島の人間は、動物はあまり好いておりませんで」
背中のチャックを上げてもらって、鏡越しに担当者と目が合う。全部言い切った後に、しまった、という顔をしたのが鏡に映った。
「へえ、そうなんスか」
ぐーたんのバカでかい靴は中がスリッパ状なので、スリッパに突っ掛ける要領で靴を履く。
「ああ、ええと、ブッチさんのことは」
「すんません、頭、取ってもらっていいッスか?」
獣人属が自分と動物と同一視する具合は、個人に寄りけりだと思う。だからオレはあえて触れないまま、ぐーたんのバカでかい頭を装着した。
だって、この担当者のじいさんと話すのなんて、今日っきりなのだ。
オレはたった今日だけ、聞いたこともない辺鄙な島の祭りで、マスコットキャラクターとして愛想を振りまけばいいだけだから。
ぐーたんの頭部の重みに潰された耳は、いつもより痛い気がした。
*
この島の春に春が来るのは、オレの故郷や賢者の島よりも遅いらしい。学園じゃあ今の時期、暑がりの奴ら──オレんとこだったりカリムくんとこの寮に多い気がする──は既に半袖を肩までまくって過ごしていて、クルーウェルにダサいだのセンスがないだの吐き捨てられてるのに。ぐーたんのバカ厚い生地を頭のてっぺんからつま先まで全身で着ても、汗をかく気がしない。気持ち良い春の気候だ。
「ブッチさん、そろそろ出番ですので。祭りの会場に行きましょうねえ」
担当者に声を掛けられ、両手を握られる。着ぐるみは大抵、目の部分がメッシュになっているか小さな穴が開いているかで、視界がその部分しかないので移動が難しい。ぐーたんの場合も、目の部分に開いている穴だけがオレの視界だから、担当者に手を引いてもらって一歩ずつ移動する。
『皆さん、お待たせしました! ぐーたんの登場です!』
司会らしき人がマイク越しに話す声が聞こえた。担当者に誘導されるままお客様の前に出れば、オレは事前資料のとおりの「ぐーたん」になるのだ。
オレ、もといぐーたんを取り囲む人々に一通り愛想をばらまいて、ふれあいタイムなるものが開始した。ぐーたんに触りたい奴は触り、写真を撮りたい奴は撮り──字面だけだと無法地帯だけど、よくある着ぐるみのお仕事だ。
取り囲む人々は代わる代わるに、ぐーたんの頭を撫でたり、手を握ったり、一緒に写真を撮ったりする。「可愛い」と言われれば、バンザイして喜んだり、頬っぺたに手を当てて照れてみたり。手を握られたら、優しく握り返す。写真を撮るなら、愉快なポーズを何種類だって披露する。素直な子どもに「気持ち悪い」と言われたら、心の中で同調しながら泣きまねをしてみたり。やんちゃ坊主に突進されたら、部活で鍛えた体幹で受け止めたりもする。こんなことのためにマジフトやってる訳じゃねえけど。普通に痛いし。
熱中症対策という名のありがたい休憩を挟みながら、観光客や地元のクソガキの相手を一通り終えて、ぐーたんの周りに人気がなくなった。出店を回って出店者にも愛想を振りまいたし、2回のステージ出演も終わった。担当者はしばらく離れたとこにいるけど、日給制だから早上がりになったらラッキーだな、と思考を遠くに飛ばしていたら、ぐいと引かれた手に意識を戻された。
「あの、誰ですか?」
かなり下の方から小さな声が聞こえて、その方向に向き直る。狭い視界から下の方を見ると、小さな子どもがぐーたんの手を握っていた──頭の上に白い毛並みの耳が付いた、たぶん猫の獣人属だ。
最近引っ越してきた、この島でたった1人の獣人属──担当者が言っていたのは、こんな小さな男の子のことだったんだ。
無意識に掴まれた手を握り返すと、子どもはおっかなびっくりしたみたいで、また小さな声で話し始める。
「この島の人じゃない、ですか?」
なるほど、最近越してきたばっかで、ぐーたんの存在を知らないのかも。このくらいの年代の子が、人型の着ぐるみを見てどう思うか──想像するのはちょっと難しい。
「初めて会ったから、きっとこの島の人じゃない、ですよね?」
ああ、これだけ小さな島だから、全員が顔見知りなのか。
「あのね、この島の人じゃないなら、僕のお話、聞いてくれる?」
オレがこの島に来てから、たかが半日程度。とは言っても、その短い時間であてられた視線と言葉で、この子が聞いてほしい“お話”の内容を想像するのは簡単だった。
「あのね、えっとね」
小さな声はぐーたんのバカでかい頭部をなかなか通ってくれなくて、オレはしゃがんでその子の方へ頭を傾けた。“ここ”に喋って、とオレのよく聞こえる“耳”──つまり、ぐーたんのコブシの花の部分を、握られていない方の手で指差した。
やべ、やらかした! すぐに気づいたものの時すでに遅く、聞こえる声がさっきよりも大きくて近い。
「あなたも、お耳が頭の上に付いてるの!?」
わー、子どもってスゲー気付く。ここからどう誤魔化せば──
「じゃあ、僕と一緒だ!」
──ああ、そういうこと。嬉しさでいっぱいになった声を聞いて、オレは握られた方の手をコブシまで持っていって触らせた。見づらい視界でも、その子が笑ったのが分かった。
聞けばその子は、親の離婚でこの島に越してきたらしい。獣人属の父親と人間の母親の間に生まれて、親の離婚をきっかけに母親の故郷に戻った──よくある話だな、と思う。獣人属と人間の結婚も、離婚も、親の故郷に出戻ることも、いたって普通のよくあることだ。だけど、この島にとって獣人属は“普通”じゃなかった。この島に来るまで受けたことがないような扱いをされて、この子にとっての自分っていう存在がグラグラしてるんだと思う。集団の“普通”からはみ出すことの痛みはよく分かる。オレも故郷じゃ首都の端っこで、“普通”からはみ出た奴らとぎゅうぎゅうに身を寄せ合って暮らしてたから。
でも、そんな話を聞いたところで、今のオレにできることって何もない。ぐーたんの頭を脱いで姿を現すのも、声を出して返事をしてあげるのもご法度だ。ただ、この島の人じゃない存在として、コブシの花を寄せながら、手を握ってやることしかできない。
ぽつりぽつりと、この島の人にはきっと言えない話を一通り聞いて、握っていた手がゆっくり離された。
「あ、そうだ」
もう一度話し始めても、もう耳を近づけなくたっていいくらい、その子の声ははっきりと届く。
「お花のお耳、とっても素敵だね」
ありがとう、と走り去るその子の背中を眺めながら、バイトが終わったらぐーたんのコブシの花をしっかり見ておこうと思った。
*
着ぐるみを脱いだ後の爽快感は、部活後に汗でビチョビチョの練習着を脱ぐのとも、暑い日に寮の水浴び場に飛び込むのとも違う。空気って気持ちいい、すげー!──例えるならこんな感じ?
着替え終わって更衣室から外に出た後も、春の空気が心地良い。今日一日世話になった担当者に上がりますと伝えて、この人とはもうこれっきり。
空港行きのバス乗り場まで歩く道のりで、オレはまた無遠慮な視線とヒソヒソ話をぶつけられる。
「ねえ見て、あの獣人……」
「本当だ、あれってナイトレイブンカレッジの制服だぞ」
「すごいね、名門なんでしょう」
ぐーたんという布一枚、名門魔法士育成校の制服という布一枚で、周りの態度はこんなにも変わる。そういえば、動物自体が嫌がられるこの島でわざわざ「ハイエナ」だとは一度も言われなくて、それはそれで珍しい。
別に、このままばあちゃん家に帰るから一応制服に着替えただけで、この制服を着てみせて鼻を明かしてやろうだなんてちっとも思ってない。ジャージのまま帰ってもよかったけど、なんとなく着てみただけ。ほんとにほんとに。
バス停のベンチで時間を潰していると、見覚えのある白い毛並みの耳が視界に入った。
「あっ」
なかなかデカめの声が出てしまって、口を押えてももう遅い。道路を挟んで向こう側で、母親に手を引かれて歩いていたその子が振り向いて、目をまん丸にした。口を押えたはずの手を、オレはあっさり外してしまう。
「その耳、めっちゃかっこいーね!」
考える前に、口から言葉が飛び出した。道路の向こう側に向かって、デカい声で叫んでた。
「お兄さんもね!」
ぐーたんを通さずに聞こえた声は、さっきよりもずっとはっきり、オレの耳に届いた。
きっとこの島に来るのは今日これっきりだ。明日から、担当のじいさんとも、獣人属の子どもとも、動物嫌いの島民とも関わりが無くなる。それでいい、バイトってそういうもんだから。
「ばあちゃんとチビたちに何買って帰ってやろうかなぁ」
春のぬるい風が、オレの耳をくすぐる。道路に沿って咲いたコブシの花も、風に吹かれてくすぐったそうに揺れてる。ポケットにしまったままのスマホを取り出して、とりあえず一枚撮っておいた。