「ノット・イコール」…………
「ヒナイチ君、例のぬいぐるみは元気かい?」
古き血をもつ吸血鬼は日課の家事の合間、そんなことをふと少女に聞いてきた。
「例の……? ああ、変身失敗のやつか」
うなずきながら、ヒナイチは淹れてもらったばかりのミルクティーを口にする。
掃除機片手に忙しく家掃除をしているドラルクが言っているのは、今現在ベッドで抱き枕にさせてもらっているアレの事であろう。
地下に住み始めた頃にプレゼントされた、手作りの一点物だ。
出来は、すごく良い。
フカフカで抱き心地が良く、ジッとみればヘンテコだけれど愛らしくもあり、今ではすっかりヒナイチのお気に入りとなっている物だ。
モデルとなった当人には、とてもそんな恥ずかしいことは言えないがな。
「そう、アレ。色々とヘタりだす頃あいではないかと思ってね……糸やワタなど飛び出すようなら、すぐ私の所に持ってきてくれたまえね。直してあげるから」
「……うん。わかったぞ」
素直にうなずく少女を満足げに見やり、吸血鬼は胸を張った。
「ほかに欲しいものはあるかい? なにか……猫でも犬でもゴリラでも、なんでもちょちょいと私が作ってあげるよ。ハイパー天才針職人たる吸血鬼ドラルクにまかせておきまえ!」
「あ……い、いや、そのだな」
「……?」
少女は、伝える言葉に迷う。
ドラルクの気持ちはとてもありがたいのだが、ヒナイチはいくら幼く見えようとも社会人。れっきとした大人だ。
個人の趣味で他者が楽しむぶんなら全くかまわないが……自分にはぬいぐるみと戯れるメルヘンさはないし、実際にキャッキャウフフ遊びたいとも思っていない。
そう何度も、ああいった物を渡されては困るわけだ。ロナルドの奴もドン引いていたし。
(本当に、なぜあんなものを嬉々として贈ってくるのだろうか……コイツは)
「ドラルクは、その、裁縫が好きなのか?」
たずねると、
「ん。まあ……好きだよ? トップオブトップたる料理には遠く及ばないけどねえ。たしなみとして若い頃に覚えたものなんだけど、激しく才能があったみたいで腕がメキメキと上がってね。まさにウルトラ天才。新時代の麒麟児。ドラドラちゃんてば何につけても完璧すぎぃ! というわけさ。思う様ほめてくれちゃって良いんだよヒナイチ君?」
「うん」
「え、リアクションうっす……急にガチっと冷めないでよ。ねえねえ、ちょっとヒドない? こっち、ちゃんと見て?」
「…………」
「ウエーン!」
まとわりついてくる厄介な吸血鬼を巧みによけ、少女はひとり考える。
(確かに料理を作ったり運んだりしているのはよく見るが、居間で縫い物をしている姿はあまり見ないな……しかし)
たしなみ程度の教えであれだけできるようになったというなら、大したものではないか。
やはりドラルクの才は口先だけではない。本当にスゴイ奴なのだ。
深くうなずき感心していると、
「あのね……私は別に、吸対である君の機嫌を取りたくて無理にぬいぐるみを作っているわけではないのだよヒナイチ君。けして変な誤解はしないでくれたまえね」
「え」
隣で騒いでいた男はいつのまにか静まり、何やら探るような瞳でこちらを見ている。
その表情にドキリとして、少女は両の手をあわてて振った。
「ち、ちがう。別に、私はそういう事を言いたかったわけではなくてっ……ただ何でなのかわからなくて、不思議で」
「……ふしぎ?」
「私はその、もう子供ではないのだし、何といったら良いか」
首をかしげている吸血鬼に向かって少女は懸命に話す。常人と感覚のちがう男に、果たして意思が通じるものだろうか。
「ああいう可愛らしいものは、もっとこう、小さい女の子や男の子にあげるものだろう? 私にはもうあまり必要がないというか、もとよりその要素はないというか、その」
「…………イヤだったのかい?」
男の細い眉が哀しげに下がるのを見て、ブンブンと、今度は必死に首を振る。
「そ、そんなことはない! お前に悪意がないのは無論わかっている。う、うれしかったぞドラルク!」
言葉に詰まりながらそう伝えると、吸血鬼はホッとしたように微笑んだ。
「良かった、喜んでもらえて……私も嬉しいよ」
「…………う、うん」
美味しいクッキーを口にたくさん詰め込みながら、子リスのような少女は首をひねる。
ドラルクが嬉しいなら、自分だって悪い気はしない。それは本当だ。本当のことなのだが、しかし……どうしてこんなにも胸がモヤモヤするのだろうか。
よくわからなかった。
…………………………
後日、恒例のシンヨコ女子会がバーで開かれた折、ヒナイチはそのことを皆に相談してみることにした。
「その……これは、私の遠い親戚の友人の同僚のまたいとこの話なのだが」
「だれだよ、そいつ。地球上にはギリ住んでんのか? ナシつけに行ける距離の話で頼むぜ」
「マリア、少しだまるよろしある。大事な話する、邪魔ね」
うんうんと無音で頷きながら、バーテン姿のコユキがソフトドリンクをそっと差し出してくれる。
飲み物が皆にいきわたったのを確認してからコホンと咳払いし、少女は事のあらましを改めて話し始めた。
「……と、いうわけなんだが」
「ふうん。ま、大体わかったけどよ。それってただ単に相手からガキ扱いされてるってだけの事なんじゃねえの? 色々ちんまいしなあ、お前。おっぱいとか特に……って、いってえ!」
容赦ないひじ鉄をクリティカルに脇腹へ突っ込んだのはシーニャだ。
泡立つグラス片手、ヒナイチの正面へと優雅に陣取る。
「あーら、美女のわがままボディが暴走しちゃってごめんなさあい。まあそれはそれとしてえ……アタシは声デカなお隣さんとは、ちょおっと見解が違うのよねえ。ためしに聞いてみる?」
「う、うかがおう!」
ぐいぐいっと身をのりだした少女は、耳をダンボにして全力待機している。健気なその姿に、シーニャの鋭い瞳がいっそう細まった。
「ふふふ……ま、そんなたいしたことでもないんだけどね。子供扱いされてるってのはたぶん当たってるんでしょうけど、それだけじゃないかもよっていうお話」
「ほう、新説あるか? 早くきかせろある」
興味津々、カウンター内にいるコユキもいっそう激しくうなずいて続きをうながす。マリアも頬杖をつきながら黙って耳を傾けているし、一同、聞く気満々のようだ。
視線を一身に集めたシーニャは、
「……あらら。何だか、みんな眼がキラキラしちゃってまあ。おねえさん、緊張するわあ」
妖艶に微笑み、冷えたドリンクを一口飲んでから女史は続ける。
「そのド……じゃなかった、お相手の子ね。贈り物をした女の子をからかって面白がってるってわけじゃなかったんでしょう?」
「う、うむ。そうだな」
反応を見てイヒヒと楽しむような、そんなふざけた素振りはなかった。と思う。
「なんと言っても手作りですものねえ。手間もすごくかかってる。思いつきのイタズラじゃあなさそうよ。それじゃ、次ね」
「ああ」
「すごく年上なんでしょう、彼? もしかしてだけど……吸血鬼だったりするのかしら?」
「そ、そうだ。と聞いたような気がたぶんするぞ!」
「じゃあ、きっと長生きよねえ。ヒトの子供を一度も見たことがないわけじゃないでしょうし、多分ぬいぐるみを受け取った女の子がオトナなのも充分わかってると思うのよ」
「……う、うん」
自分が話しているわけでもないのに何だか無性にのどが渇いてきて、ヒナイチはオレンジジュースをゴクリと飲みこんだ。
「ふふ、だからね。きっと、彼は……」
………………………
「おやヒナイチ君。今日はずいぶん遅かったねえ」
おつかれさまと言って、吸血鬼は優しく微笑む。
そして仕事帰りであろうヒナイチに向け、フカフカのソファをそっと指し示してくれた。いつ見ても上品でそつのない動きだ。
少女は、どこかふわふわとした気持ちで着席する。
後ろ手に回った吸血鬼の高い鼻が、ヒクヒクと動いた。
「ん、なんだかいい匂いがするね……どこかに寄ってきたのかい?」
「あ、ああ。ちょっとギルドにな、少しだけ」
「…………ふうん、そう」
チラリとこちらを見るや、すぐにお菓子の皿を男は山盛りで持ってきてくれた。
「クッキーはこっちで……ほらほら、この前言っていたナッツとドライフルーツの入ったケーキを焼いてみたんだよ。すごく美味しそうでしょ」
「う、うん」
確かにそれは高級菓子店のそれかと見まごう程のゴージャスな出来で、燦然と皿の上で輝いている。キラキラのツヤツヤだ。
「いただいてもいいのか?」
「モチロンだとも。外に出てる若造とジョンの分はすでに確保済みだから、全部まるごと君一人で食べちゃっていいんだよ」
「よ、よし、わかった!」
早速もぐりと一口食べれば、ナッツの香ばしさと程よい果実の甘さが口の中に広がって実に最高なデキだ。
「とてもおいしいぞ、ドラルク! 会心のできだ!」
「まあ、当然だよねえ」
ムフムフと鼻高々ピノキオ最高潮になりながら、吸血鬼は
「おおっと、飲み物を忘れていた。私としたことが失敬……ちょっと待っていてくれたまえね」
「あ」
奥に引っ込みそうになるドラルクを、少女は慌ててグイと引き止めた。
「ん……なんだい、ヒナイチ君」
「いや、その」
「……?」
キョトンとした表情でお盆をもったまま静止している男に対し、少女は
「そ、その」
「……うん。なあに」
「…………」
いつもよりも優しい声音が「急がなくてもいいんだよ」と言ってくれている。
こういうひどく大人びた一面がこのスチャラカ吸血鬼には確かにあって……それがもっとずっとヒナイチの心を困らせてしまうのだということに、果たして本人は気付いているのだろうか。
わからない。
「ド、ドラルク」
「うん」
ギュッと口を引き結んだヒナイチは思い切って、胸元からなにかを取り出した。
「……これは?」
紫色に輝く石が小さく中央にあしらわれた、ブローチだろうか
とても美しい品物だ
「そ、そ、その、この間、というか、いつもいつも私はお前に物をもらってばかりだから、お守りがわりにというか。さほど高いものでもないのだが」
「そんな、気にしなくても良いのに……こんな」
「あとこれをっ」
有無を言わさずグイと押し付けられたものが、もうひとつ。それは、
「……ぬいぐるみ?」
少女の腕に収まるサイズの小さな鳥だ。つぶらな瞳で、なんとも可愛らしい顔をしている。
「昔、『色がお前の髪に似ているな』と言われて兄にもらったものなんだ。あまりに可愛らしすぎて似合わない気がして、寝室にずっとしまってあったのを思い出してな。これをこうして」
男の手からブローチを受け取り、鳥の胸元にとめてやる。
「ほら……黒くはないが、マントを羽織ったお前にも似ているだろう。どうだ?」
ふふっと得意げに笑った少女を見て、吸血鬼は目を細めた。
彼女の不器用な優しさが伝播するかのように、体中がゆっくり満たされていく。血潮でなく、あたたかな気持ちで内側がいっぱいになる。そんな心持ちがして。
「……ありがとう、ヒナイチ君」
「べ、べ、別に、その、あれだ。ただのお返しというかだな」
「とても嬉しいよ」
「あ、ああ」
常にない妙な空気を感知して少女は激しく動揺する。
しどろもどろになりながら、ちゃっかりケーキをすべて平らげてしまうと
「わ、私は重大かつ危急な用件があるので帰る! それでは日々精進、これ恒久に達者でなドラルク!」
「いやそんなお侍さんみたいな挨拶されても……おやおや、もういってしまったよ」
少女の消えた穴ぼこをそっと閉めてやり、残された吸血鬼は微笑む。
そして黙ったまま、その閉ざされた入り口を愛おし気になぜた。
街角を歩きながら、ヒナイチはシーニャとの会話を思い出す。
『だからね。きっと、彼は……その子を守ってあげてるつもりなのよ』
『……?』
『ほら。ぬいぐるみって、何かのカタチを必ずしているでしょう? 古くからヒトガタ……自分の姿をモチーフにしたものっていうのは、まじない的に特別な物なのよ。同じ吸血鬼相手なら、ちょっとした牽制にもなるんじゃないかしら。まあそうじゃなくても手作りなんだから、贈る愛情の形として彼なりの最大ってことなんでしょうけどねえ、たぶん」
『そ、そう、なのか?』
『ふふ……あなたがモヤモヤするのは多分、それに見合うものを返せていないと自分で思ってるからよ』
『…………』
そうなのだろうか。あまりピンとは来ないが、違うとも言い切れない気もする。
『もし気になるのなら、なにかお返しでもしてあげたら? そうね、たとえば、自分の持ち物をあげてみるとか』
『自分の物を? 新品でもないものをか?……それは失礼にあたるんじゃないのか』
『互いの気配がするものを贈り合うのが良いんじゃないの。ああ、でもそういう色っぽいのはヒナちゃんにはまだ少し早すぎるかしらね……あらやだ、アタシったら失言失言』
『そ、そんなことはないぞ! と多分、遠い親戚の同僚の友人のまたいとこの弟子の孫娘も言っている気がしてならないぞ! 大丈夫だ!』
『そう。じゃあ、よかった。とりあえず、そういうお店に行くときはアタシにまず言ってちょうだいな。ちゃあんとアドバイスしてあげるから。まかせて……ていうかこれ美味しーい。もう一杯ちょうだあい、コユキちゃん!』
結局……あれで良かったのだろうか?
自信はチリほどもなかったが、一応、喜んではくれたようでホッとした。皆に相談して良かったな。
口の中に残る甘酸っぱい感触を噛みしめながら、男の笑顔を思い出しヒナイチは微笑んだ。
少しは上手く伝わったろうか?
『守られてばかりではない。私が、お前の幸せそうな姿をいつも守ってやりたいんだ!』と。
(やはりお前が笑ってくれると、私はすごく嬉しいみたいだぞ。ドラルク……それだけで、なんだかいろんなことが頑張れる気がするんだ)
明日のおやつも実に楽しみだ。
少女は、美しい星を仰ぎながらウキウキと帰路を急ぐ。
…………………
吸血鬼は地下の部屋に入り込み、息をついた。
変身失敗ぬいぐるみの存在を目の端で確認し、もらった鳥をその隣に並べてみる。ぞんがい似合いで可愛らしい様子だ。
むつまじい姿に目を細め、小さなベッドにそっと腰かけた。
ちょこんと座るぬいぐるみの頭を順番にヨシヨシとなぜてやりながら、ひとりつぶやく。
「さあて……これは誰の入れ知恵なのかねえ、まったく」
苦笑しながら高い鼻を小鳥に近づけると、少女の匂いをほのかに感じた。爽やかで甘く、体の芯がしびれていくような魅力的な鼓動の香りだ。素晴らしい。
キラリと光る宝石をぬいぐるみからはずし、吸血鬼はそっとそれに口づけた。
古来よりの守護石、アメシストがもつ言葉は確か
「真実の愛、か」
つぶやいてから
「……私には、よくわからないねえ」
どこかさみしそうに、しかし確かに幸福そうに微笑んで、吸血鬼は瞳を閉じる。
少し泣いてしまいそうだったからかもしれない。わからない。
しばらく時がたつと、男はパアっと明るい顔でベッドから立ち上がった。
「さあて、料理の仕込みでも始めようかな! ヒナイチ君ってば、他で食べてくるなんてとんだ浮気者なのだから! 明日こそはギャフンと胃袋的な意味で言わせてあげなければねえ」
ブンブンと折れそうな細腕をふり、気合を入れる。
階上にたどり着き、
「…………」
首を少しかしげてから、吸血鬼は自分の胸元にそっとブローチをあてがってみた。指輪などの余計な装飾品はあまり好きではないのだが、尻に気合いを入れて鏡に映したその姿は
「ぞんがい……似合いだね」
ふっと笑い、大切そうにそれをふところにしまいこむ。これを胸につけるには、おそらくまだ早いのだろうと。
まだ自分達は同じところにいない。そんな気がして。
「……ごめんね、ヒナイチ君」
なぜ少女に謝ったのか、自分でもしかとはわからないまま吸血鬼は台所へとスッと消えていった。
階下では二つのぬいぐるみが肩を寄せ合い、ただ天井を見上げている。
同じ星の下にいる二人の距離を指し示しているかのように。
互いの間合いはノット・イコール。
しかし、愛に似た心はちかく。星座のようにキラリとまたたいている。
そっと、今夜も優しくよりそって。