Never more 「肌寒くなってきたねえ、ヒナイチ君」
「そうだな」
熱く息苦しいほどだった世界は姿を変え、すっかり枯葉舞う秋へと変身していくようだ。あっという間のその変貌ぶりに、毎年あわてながらも人間はついて行くしかない。
では吸血鬼はどうかというと、
「私も朝寒すぎて、ついつい死んじゃってさあ。あわててエアコンのスイッチいれようとしたら、棺の角に小指ぶつけて、また死んでしまったよ。そんでスイッチが冷房になってて、また死んで。連続即死コンボ完成なり。いやあ、まいったまいった」
「……そんな軽いノリで話す内容では断じてないと思うが」
「ヌー……」
か弱い主人の側にひかえる使い魔の目じりには、うっすらと涙が浮かんでいる。きっとその惨状を一部始終見せつけられていたのだろう。「大変だなお前も……」と、ねぎらうように頭をヨシヨシしてやる。
「そうだな。湯たんぽかカイロか何かを投入すれば、少しは暖かくなるんじゃないか?」
「ウーーン。人間はそれでいいのだろうけど、私たちの体温は元よりヒックヒクだからねえ。その場しのぎにしかならないんじゃないかな」
「そうか……」
「という訳で、エアコンの暖房を四六時中つけっぱカーニバルに……しようとしたら若造に『これ以上電気代ブチあげたらコロス。エベレストにブチ登ってお前を山頂にギュッと沈めて静かに下山する』と言われてね。ははは。冗談きっついよね」
「いや、疑いなく本心の決意だと思うが」
「……ヌー」
請求書をながめる蒼白のロナルドを何回か見ているだけに信憑性は高い。あれはそれくらいやりかねない鬼気迫る表情だった。
「私も地下に居座っていたりするから無関係ではないしな……ううむ」
さすがに床下へ住居を構えるのは、オータム書店の厚意とは言えやりすぎだったかもしれない。
反省し、少し考えてからヒナイチは
「私が冬の間、地下で過ごすことをやめれば少しは電気代も楽になるだろうか……? そうだな。お菓子も他で買ってくればドラルクの調理にかかる費用も減って、というか、ここに私用で来ること自体をやめれば……」
「ヒナイチ君」
「?」
不意に呼ばれて顔をあげると、真顔の吸血鬼は真剣な瞳でジッとこちらを見つめていた。
「君は、そんなことを考えなくて良いのだよ」
「いやしかし」
「私が寒くて死ぬことなんて、なんてことはないよ。ごくありふれた日常さ」
カップに注がれたホットミルクを飲みながら、吸血鬼は本当に何でもない事のように笑う。
「気にすることはない。どうせすぐにケロッと生き返るんだもの。平気平気」
「だが」
ロナルドから、死ぬ時の痛みや何かはちゃんと感じているらしいと伝え聞いたことがある。だとしたら、
「日常だとしても、それがどうでも良い事にはならないだろうに……」
なんやかやと笑ってごまかされ(ついでに美味しいケーキに目がくらみもして)ヒナイチは何も言えぬまま、事務所を後にした。
「……なんとかしてやりたいな」
つぶやくが、特になにも思いつかない。元の命の構造自体が違うのだ。こればかりは、どうしようもないことだろう。
(それこそ、ドラルクが人間にでもならなければ……)
人が吸血鬼に変化することは出来る。その仕組みも不確定とは言え、一応は解明済みだ。しかし、その逆は
「……アイツは、何も感じないのだろうか」
気にするなと言っていた。平気だとも。
あの言葉に嘘はないと思う。
しかし、
「ん……ハクションッ」
ズッと鼻水をすすり上げ、ヒナイチは肩を抱えた。考え事に夢中で気付かなかったが、少し寒気がするようだ。
「これは、まずいな」
風邪の前兆に似ている気がして、顔をしかめた。
いくら五体健康が自慢、体力おばけのヒナイチとて無敵でもましてや不死でもない。普通にヒトの身体であるから、病気にもなる。はやく寮に帰らなければならない。
急ぎ足になりながら、ヒナイチは空を見上げた。
「…………」
あの男には、このような不安もないのだろうか。
だとしたらそれは幸福に分類されることなのだろうか。それとも…
そんなことを少し、思った。
………………………
「ねえ、ヒナイチ君はどうしてるのかな」
「いや……しらねえんだよマジで」
うんざりしながら、執筆中のパソコンより家主は目線をあげる。スルーし続けようかとも思ったが、あまりに吸血鬼の声音が頼りなく細くなってきて、少し心配になったのだ。お人好しな自覚はあるが、性分なのでどうしようもない。
「お前さあ、その質問なん回目だと思ってんの? 耳バグってんの?」
「六回目かな」
「あってるし数えグセきめえ」
ジト目になりながら、ロナルドは律儀に答えを返してやる。
「だから、ヒナイチはカゼ。カゼひいてんの! ちょっと熱が出て寝込んでるけど心配するなって、メールお前の所にも来てんだろうが」
「……うん」
どこか遠い目をして、吸血鬼はうなずく。心ここにあらずを絵にかいたような姿だ。
用もないのに台所をウロウロしたかと思えば、ソファに座ったり立ち上がったり……見ているこちらが落ちつかなくなってくる。
締め切り前の地獄にいる作家にとっては、目の毒、いや目の敵以外の何物でもない。
「大丈夫だよ。カゼなんて薬飲んであったかくして眠っときゃ大体治るんだから。こじらせたからって死にゃあしねえって」
「うん」
「ま、お前にいってもなあ……」
生まれた時から不死身の吸血鬼に「死にはしないから大丈夫だ」が果たして通じているのだろうか。よくわからない。
こり固まった首を回しながら、ふうと息をつく。
「カゼうつしたくねえらしいから、あと二、三日はぜったい来ねえからな? おーい、きこえてんのか?」
「うん」
「……わかったら黙って座るか、ハワイの幻覚が見えはじめた俺のために飯を作れよ。オムライスな」
「うるさい、黙れ。メシの好み三歳児め」
「きこえてんじゃねえかコロス」
スナになり、そこから復帰しながら吸血鬼は側で泣いている使い魔につぶやいた。
「ねえ、ジョン。ヒナイチ君は大丈夫かな」
「……ヌーー?」
「いま何を食べているのかな。いったい何を考えてると思う? ねえ」
ぼうっとした表情の主人を見て、使い魔は困ったように目を細めた。フルフルと首を振る。
「……そうか。わからないか。そうだよね」
ふふっと笑って吸血鬼は立ち上がった。
「おかしいな。なんだか妙な気持ちなんだ。前はこんな風じゃなかったのに……」
愛用のエプロンを身につけながら、吸血鬼は首をひねる。
「まあ、私たちは執着の生き物であるしね。獲物の無事は気になるところだ。私は『なにも間違ってはいない』……そうだろう、ジョン?」
己に言い聞かせるようにつぶやいて、ドラルクはキッチンへと歩を進めた。
……………………
頭がまだ痛いが、熱は少し下がってきたようだ。
のどもなにも呑み込めない程ではなくなった。ゆるゆると小さじで、おかゆを口の中に流し込む。
「……味気ないな」
どうもあの料理上手な吸血鬼のせいで、すっかり舌がこえきってしまったようだ。何気ない日常の食事でも、あの味を求めてしまっている自分がいる。
これはこれとして割り切れる様にならないと、後々不味い気がするぞ。たぶん。
「自炊を、少し増やしてみるか」
全くしていないわけではなかったが、ついつい甘えきってしまっているのも実情だ。願えば何でも作ってくれる魔法使いのようなシェフがそばにいるのがいけない。私が気をつけねばな。
「和食なら、私だってなかなかなんだぞ、ドラルク」
うんうんと一人うなずいて、身を横たえる。
お腹は満ちたし、あとは眠るのみだ。
コチコチと時計の音が室内に響く。
「今頃……みな、どうしてるかな」
私がいない間の菓子はキッチリとっとくからなとロナルドは言っていた。良い奴だ。良い奴すぎてマジロにまでホイホイ食べ物を与えすぎるのは頂けないが。
ジョンは可愛いけど食いしん坊だからなあ……まあ最近は少しやせたらしいし、太らない範囲なら平気だろう。現行犯のつまみ食いはキチンとやめさせねばだがな。
「…………」
ドラルクにも事の次第を書いたものは送っておいた。「わかったよ。お大事にね」という意外に簡素な答えが返ってきて、拍子抜けしたのを思い出す。
「そんなものかな」
まあ、それはそうだ。
元来、魔物というものはひどく気まぐれなものなのだ。その上、吸血鬼ドラルクは不死であり、あまりにもヒトとはかけ離れたライン上で生きている。病気に対する感じ方も違うのだろう。きっと。
「…………」
寝返りを打って、瞳を閉じた。
おかしな奴だ。
寒いから死んで、指を打ち付けて死んで……なのに、いつも一生懸命、楽しそうに生きている。
ふふふと微笑んで目を開く。
ふと携帯を見ると着信がひとつ入っていた。
「……ドラルク?」
枕のそばにある目覚まし時計を見た。
いつの間にか真夜中になっていたらしい。
「なんだろう」
こちら側からの連絡は多いが、あちらからの始まりは少ない気がするが。
「ええと……こ、こうか」
新しくしたばかりの携帯を慌てて通話モードにした。
「……もしもし?」
なぜか小声になってしまって、コホンとせき払いをする。
なにを臆する必要があるか。自分はドラルクの監視責任者なのだ。警察寮から電話したって、何もおかしなことはない。聞かれたとしても堂々としていればいい。うん。
「なんだ、ドラルク。こんな夜更けに」
『……こんばんは。ご存じかとは思うけど、夜は吸血鬼の時間なんだよヒナイチ君。人間にとってのウキウキ真昼間なのさ』
いつものおどけた調子に何故だかほっとして、少女は微笑んだ。
「そんなことくらい知っている。用件はなんだ?」
『……そうだね。きみが大丈夫かどうかの確認かな』
「は?」
風邪をひいたぐらいで? と言いそうになって口をつぐむ。
ドラルクは吸血鬼だから、程度がわからずに要らぬ心配をしているのかもしれない。そう考えたからだ。
「あ、ああ、大丈夫だぞ。ピンピンとまではいかないが、回復はしてきている。平気だ」
『そう、よかったね』
「……うん」
自分から聞いてきたくせに何だか簡単な返しだな。よくわからない。おちた沈黙が気になって、少女は言葉を継いだ。
「ロナルドとジョンはどうだ? 元気か?」
『ん。特に変わりはないよ。大丈夫……』
「そ、そうか」
『うん』
なんだろう。
何が目的か良くわからなくて、少女はこの会話に困惑していた。
病状はさっき伝えたし、そちら側の状況も聞いた。あとは何があるだろうか。
「なにか、他にあるのか? ドラルク」
『ん?』
「いや、その、何か他に……用が、あるのではと」
『…………』
わからなくなって率直に聞いてしまったが、良かったのだろうか。自分は顔と態度に出やすいので何かを察するだとかいう腹芸は出来ないのだ。
社会人として情けないが、しょうがない。
「な、ないのなら良いんだ。じゃあ」
ありがとうと礼を言って切ろうとすると
『待って、ヒナイチ君』
声が本当に耳元でするくらい近くに聞こえて、少女は思わず電話を少し離した。
「な、な、なんだ」
『……今日は、とても晴れていたようだね。月がとても美しい』
「あ、ああ」
視線を窓の方に移す。
少し閉め切れていなかったカーテンのすき間から、静かに明かりが漏れ出ていた。電灯を消していたから、光の筋がはっきりと見える。
『君の所からは見えるかい?』
「うん、ちょっと待っていてくれ」
よろつきながら立ち上がり窓のそばまで歩いて行く。
「見えたぞ。大きな満月だな」
『うん』
「きれいだ」
本当にそうとしか言えないくらいの見事な輝きに、ヒナイチは微笑みを浮かべた。
「まるでパンケーキみたいだな」
思わずそう呟いたら、電話の先からブッとと息が漏れる音がした。
「わ、わらうな!」
『ごめん。でも良かった。食欲は順調にもどってきているようだね』
今度来たら天までそびえ立つようなものを食べさせてあげるよ、と吸血鬼は甘くささやく。それを聞いた少女は目を輝かせ、歓喜の声をあげた。
「ほ、ほんとうか?」
『もちろん』
「とっても嬉しいぞドラルクッ」
『ふふふ』
ああ、あちらも嬉しそうに笑っている。実に楽しげだ。
そうなるとこちらの気分も上がろうというものだ。
『……苦しくはないかい?』
「大丈夫だ。特大パンケーキが食べれると決まったら、元気も出てきたぞ!」
『現金だねえ、ヒナイチ君はまったく……』
クスクスと笑って、吸血鬼は
『じゃあ長くなってもいけないから。これで』
「ああ。ありがとう、ドラルク」
『……いやいや』
つぶやいて、少し間が開いたのち男は少女に問いかけた。
『ヒナイチ君』
「ん、なんだ?」
『夏目漱石は知っているかい?』
「ああ、もちろんだ……あ、あれだろう。有名な『月が綺麗ですね』とかいうやつだな?」
確か以前、顔に似合わずロマンチストなモエギがパトロールの時に教えてくれた、赤面してしまうようなフレーズだろう。いわく、あまりに有名になり過ぎて、いま使うと逆に恥ずかしいものらしい。そんなものかと流して聴いていたが
「良く知っているな。日本の小説家の事なのに……お前は、本当に物知りだドラルク!」
ヒナイチの感心したぞというつぶやきにクスクスという笑いで応え、吸血鬼はもう一度、違う問いを少女に発した。
『ではヒナイチ君。エドガー・アラン・ポーという小説家は知っているかい?』
「……? 外国のひとか?」
こちらからの質問には答えず、吸血鬼は別れの挨拶をはじめた。
『では……またね。ヒナイチ君』
「あ、ああ」
急な展開にとまどっていると、
『話ができて、同じものが共有できてうれしかったよ。きみが同じ気持ちであれば良いのだが』
「ドラルク」
何か言わなければいけない気がして、少女は、
「わ、私も、嬉しかった。お前の声がきけて、ホッとした……ぞ」
もっと上手い言い回しはないモノかと思ったが、何も浮かばなかった。しょうがない。
浮かれた言動に似合わず博識な男に、笑われてはいないだろうか。というか監視対象の吸血鬼となんという会話をしているのか、私は。これではまるで……
(こ、恋人同士のようではないか)
恥ずかしくなって受話器を持つ手が汗ばんできた。
「き、切るぞ、ドラルク」
『うん、おやすみ』
「ああ」
『……いい夢を』
それと、と言いかけて止まり、男は一言だけ付け加えて電話を切った。
『カラスの呼びかけに答えてはいけないよ』
もう二度と。
またとなく。
君にとっての大ガラスが私だとするならば、その窓を開けてほしいのか。欲しくはないのか…
寮の一室の明かりが消えたのをキチンと確認してから、吸血鬼は夜の街を滑るように歩き出した。
間違ってはいない。
獲物は息をしている。
よかった。
それだけの短い思考を拾い集めて、長い時を生きてきた吸血鬼は闇の中でひっそりと微笑んだ。
うれしい。
あたたかい。
君と私の心は、きっと違うかもしれないけれど。
この想いだけは、またとなく。
もう二度と。
同じ形に出逢いはしないのだろう、と。