ムスターシュ さりさりと、顎や口元をくすぐられる感覚に目がさめた。
視界に広がったのは、真っ白な光を後ろに背負った、私のおとこ。
穏やかな目つきでじっとこちらを見つめながら、指先でずっと髭をなぞっている。
「おはようございます。鯉登さん」
生まれたばかりの陽光が差し込み、耳を澄ませば鳥のさえずりでも聞こえてきそうな、部屋にはそんな清々しさが満ちていた。
「おはよう」
返事をして目を閉じると、へいたんな顔が近づいてきてはちゅうと口を吸われる。
鼻先をすりつけるそぶりをみせると、彼の頬がスリ……と合わされて、年甲斐もなく胸があつくなった。
「ふふ……」
唇を離したあとも何やら楽しそうに私の髭を弄る。どうした? と聞けば、今度は頬に手を当てて親指の腹で目元をこすった。
「昔のことを、思い出していました」
「むかし?」
「はい。あなた、朝髭が生えるのを見せたがらなくて、早く起きて身支度していたでしょう」
髭をお立てになられようとする時も、気にされていたようですし。と言われて、じわりと目元に熱がのぼった。
かわいい……と言われて、得意になっていた頃だった。それと同時に、いつかはそれを失って、その時この男の熱が冷めてしまわないだろうかと考えたりもしていた時分だったと思う。だからできるだけ幻滅されなければいいなと、気を使っていた。愚かなことと思いながらも。
そのうち歳をとって、そろそろ髭の一つでもとなる頃には流石にかわいいとも言われなくなったが、それでも長く自分にしみついた思考の癖はなかなか拭えないもので、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、髭を蓄えるようになっても愛しんでもらえるか、などと考えてしまうのを止められなかった。
「俺はそういうところ、かわいいなと思っていましたよ」
ご立派になられましたね──と微笑む男に、口をつぐむ。
黙っていると、次は髪が指に梳かれた。
「い……今……いや」
「なんです?」
言いかけてやめると、男は大きな手で私の頭を引き寄せる。
「今、なんです? 聞かせてください」
「……んにゃ、もう、今は……むぞうなかじゃろ」
──告げてしまってから、この歳になってもこんなにも言いにくい一言であることに少々驚いた。
男は、思ってもみなかったとでも言うように目を丸くして『馬鹿ですね』と鼻を鳴らす。
「かわいいですよ。どんなにご立派になられても、お年を召されても……あなたはずっと、かわいいです」
『俺の前では』と続ける声の深さに、思わず口元が震えた。
「鯉登さん……」
気がつけばすっかり、年齢を感じさせない屈強な腕の中に囚われていた。熱い、嬉しい。胸がはじけて、飛んでゆきそうだと思った。
自分からもぐっと身を寄せる。
「つきしまぁ」
今日はさっさと起きて、街に出るつもりだったのに。その前に、昨日さんざんしたのに。
月島の言葉は全てを溶かしてしまう。しだらがなくとろける餅のように。
「もっと、ゆて……」
窓から入り込む鮮烈さはいつの間にか和らいで、朝から堂々情事にふける自分たちの滑稽さを少しだけ慰めてくれているような、気がした。