兄達よ和解せよ⑤〜これから編〜「……好きだ、戴天」
宗雲がそう言ってから、2人の間に会話は無かった。ひたすら無言で歩いて辿り着いた先は、宗雲が部屋を押さえたホテルの入り口だった。
ホテルの入り口から漏れる灯りが2人を照らす頃には、自然と繋いでいた手はどちらからともなく解かれた。さすがに人目につくのは良くないとお互いの立場と理性が告げていた。
ホテルのロビーにあるソファーに戴天を座らせ、宗雲はひとりでフロントへと向かった。名前を告げると、すでに支配人から話が通っていたのか、特に何も聞かれることなくスタッフからカードキーを渡される。
宗雲が戴天の元へ戻ると、戴天が熱心にスマホを見つめていた。
「どうかしたか?」
「いえ、雨竜くんに連絡を」
「……」
「……」
2人に沈黙が訪れた。雨竜は戴天が宗雲と会うことを知っている。そしてそんな戴天が今日は帰らないと連絡したら、果たして。
「……何と言った?」
「何と言えばいいか分からず困っています」
「……そうか」
そして再び沈黙。さすがにあれだけ距離を置いていた2人が突然夜を共にするなどと言ったら雨竜はどう思うだろう、と2人して頭を抱えそうになる。
「とりあえず部屋まで行くぞ」
「……はい」
このままこの場で悩んでいれば、ロビーで夜が明けてしまうかも知れない。戴天は相変わらず眠そうに瞬きをしている。宗雲もさすがに夜も遅く、休みたいと思っていた。
部屋まで辿り着き、宗雲は戴天を先に休ませるためにバスルームに連れていくと、眠そうにしながらも戴天は大人しく従った。
出てきた戴天と入れ違いで宗雲もバスルームへと向かい、ドライヤーを戴天に持たせる。
「寝てしまう前に、髪だけは乾かせ」
「分かっています」
水を浴びたことで少し眠気も覚めたのか、ここに来る時よりもはっきりとした口調で戴天が答える。ドライヤーの音が響いたと同時に、宗雲は浴室へと足を踏み入れた。
バスタオルで髪の水気を拭き取りながらバスルームを出る頃には、ドライヤーの音は消えていた。戴天は寝てしまっているのだろうかと部屋に戻ると、戴天はベッドの上に座り込んでいるようだった。しかし、その頭はがくりと落ちて微動だにしない。座ったまま寝てしまっているようだ。首が痛くなりそうな角度で、髪が垂れ下がり表情を伺うことはできない。右手に持っていたであろうスマホが、投げ出された手からこぼれ落ちている。
光ったままの画面を消してやろうと戴天のスマホに手を伸ばしたとき、チラリとスマホの画面が目に入る。雨竜とのトーク画面だ。
(そういえば雨竜に何と言ったんだ……?)
一度気になってしまえば真実を知るまで落ち着かない。宗雲は悪いと思いつつ画面を覗き見ると、お酒に酔ってしまったから一晩ホテルに泊まると言っているようだった。雨竜も特に何か言うでもなく、分かりましたとだけ返事がきている。
きっと戴天はこの返事を見て気が抜けたのだろう。しかし宗雲が戻るまでは起きていようと頑張っていたが力尽きた、というところだ。
寝てしまった幼児を抱き上げるように、首と膝の後ろに腕を回す。幸いベッドの上に居てくれているので、運ぶ必要はない。膝を伸ばして体を倒すだけで良かった。起こさないようにゆっくりと戴天を動かす。
あの状態でも深い眠りについたのか、戴天が起きる様子は無かった。乱れてしまった長い髪を整え、寝顔を見つめる。
(一歩近づくことが出来ればそれで良かったのに。まさかこんなことになるとは)
まるで階段を一段降りようと足を踏み出したら、底なし沼に落ちたかのようだった。嬉しい誤算だ。
少し悩んだのち、宗雲は同じベッドへと潜り込む。気を利かせたホテルの支配人がクイーンツインの部屋を提供してくれている。大して酔ってもいないのにお酒のせいにして、宗雲は目を閉じた。
戴天がゆっくりと目を開いて、何度か瞬きをする。視界に入る全てが自分の部屋とは違うことにしばらくして気がつく。
「ここは……」
そう言いながら、昨日のことを思い出した。髪を乾かしたあと、雨竜への説明をどうしようかと考えた結果、酔ってしまったことにしてメッセージを送信した。雨竜からは特に何か言われることもなくあっさりと返事が来たものだから、安心してそのまま眠ってしまった。今は何時なのだろう、とスマホの時計を見ようとして隣に寝ている人の存在に気がつく。
「なっ……」
宗雲がこちらを向いて目を閉じている。
(どうしてこの人が隣で寝ている……?)
奥には使われていない広いベッドがあるというのに、宗雲はわざわざ隣に来たのか。思わずベッドから出ようとした戴天の動きで、宗雲が目を覚ます。
「……起きたか、おはよう」
「おはよう、ございます」
寝起きの掠れた声にドキリとする。戴天の混乱をよそに、宗雲はのんびりと上半身を起こし、伸びをしている。
「あの!」
「なんだ?」
「どうしてあなたが隣に……」
「あぁ……酔ってたから間違えたんだろう」
しれっと言う宗雲に思わずそんなに酔っていなかったでしょうと言いかけて口を噤む。昨日は自分もそれを理由に弟にちょっとした嘘を吐いた。
お酒を理由にして都合の良い状況を作り上げるなんて、悪い大人になってしまった。しかし、ふぁっと隣であくびをしている自分より1つ歳上の男を見ていると、それも悪いことでも無いのかも知れないと思えた。
「そうですね、昨日は酔っていましたから」
「あぁ。2人して酔っ払いだ」
カーテンの隙間から朝日が差し込む広い部屋の中で、1つのベッドに身を寄せ合っている。いつもの戴天なら耐えられないであろう状況も、朝特有のふわふわとした思考の中では幸せにも似た感情を覚えた。
そして唐突に昨日宗雲がポツリと漏らした言葉を思い出す。
(好き、だなんて……きっと私も、)
「戴天、」
考えごとをしている戴天の思考を引き戻すかのように宗雲が名前を呼ぶ。視線を向けると、宗雲の背後から差し込む光が眩しくて、それでいて綺麗で思わず見惚れてしまう。
「……好きだ」
そのまま見つめていると、正面から好きだと告げられて戴天は何も言うことができずに俯く。
(この感情はきっと私には許されない)
冗談みたく私もですとでも返せばこの場は乗り切れるというのに、どうしてもそうしようという気にはなれなかった。宗雲にとっては雰囲気に呑まれて転がり出た言葉だったとしても、戴天はそれを軽く扱うことは出来なかった。恐らくそれは戴天も宗雲が好きだからだ。でも己の感情と責務を天秤に掛けたときに重いのは圧倒的に責務で、高塔の人間として生きる以上、それは絶対だ。だから例え冗談や軽口だとしても宗雲を好きだと口にすることは出来ない。
「そんなに思い詰めるな。別に返事が欲しいわけじゃない」
そう言いながら優しく髪を撫でられて、不覚にも泣きそうになる。ふぅ、と細く息を吐いて乱れそうになった心と呼吸を整えた。
「……私からは何も言うことはできません」
「分かっている」
宗雲は本当に全て分かっているような顔をして、いや、実際戴天が葛藤していることも全て分かっているのだろう。昔から戴天が高塔のために生きていることを誰よりも近くで見ている人なのだ。
「そろそろ帰る準備を始めるぞ」
空気を変えるかのように宗雲がベッドから降りる。そのまま洗面所へ行き、身支度を整える様子を見ていた。動き出さない戴天を見かねて、宗雲が戴天の腕を引く。
「まだ寝ぼけているのか?」
「寝ぼけてなどいません」
ベッドから抜け出してしまえば、体は勝手に動いた。いつもと勝手は違うが、顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、着替える。何も考えなくても外に出られる準備だけは整った。
戴天の準備が整うのを見守っていた宗雲が、ソファーから声を掛けてくる。
「また誘ってもいいか?」
「いちいち確認を取るなんて。私が嫌だと言えば控えてくれるんですか?」
「……善処する」
「そこは冗談でも君が嫌がることはしない、と言えないんですか」
「言えないな。思ってもいないことをお前にだけは言いたくない」
おおよそ好きだと告げた相手に投げかけるような言葉ではない返答が宗雲からは返ってくる。でもそれが宗雲らしかった。
「……ふふ、分かりました。ならばまた良い店でも教えてくれるんでしょうね」
「あぁ。俺はきっとお前にとって利益になるだろう」
「傲岸不遜。……でも、楽しみにしていますよ」
2人揃って部屋を出る。その距離は、確実に昨日より近づいていた。
これから編
完