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    ranilzale

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    動物の姿をしたモブと霊幻が、異世界から迷い込んでくる話。
    岡〇淳の桜〇葉〇学校シリーズのパロディ的ななにかです。

    もふもふサイコー100%展示 こまったなあ、と影山茂夫は小さくつぶやいた。
     背中を丸めて、学校からの帰り道をとぼとぼと歩く。今日おこなわれた実力テストの問題がうまく解けなかったのだ。理数系の科目はとくに苦手な分野で、後から教科書を見ればああそうだったと思い出せるのに、試験中はどれだけ頭をひねっても出てこない。受験本番も同じように思い出せなかったらどうしようと、今から不安になってしまう。
     キュウン。
     動物の鳴き声が、まるで茂夫を慰めるようなタイミングできこえた。茂夫はちらりと鳴き声のした方を振り返る。そこには大きくも小さくもないサイズの犬がいた。秋の田んぼのような黄金色の毛並みと、ぴんと立った三角の耳。ふさふさした尻尾が揺れている。
     困っていることはもうひとつある。
     久々に上司からの呼び出しを受けてバイト先へと向かう道中、何故かこの犬がついてくるのだ。出会った時につい給食の残りのパンをあげたのがまずかったかと後悔する。
    「もう食べ物は持っていないよ」
     そう声をかけても、犬はどこ吹く風だ。
    「君を探している人がどこかにいるんじゃないの?」
     茂夫は、犬の首元にピンク色のバンダナが毛並みに埋もれるようにして巻かれているのに気がついていた。
     犬は無言でついてくる。茂夫はため息をついて立ち止まると、後ろを向いて軽くしゃがみ、犬の頭を撫でた。毛流れに逆らう感触が気持ちいい。犬は目を細くして、耳を倒して撫でやすいようにしてくれた。白い毛に覆われた喉からまた、キュウと鳴き声が漏れる。まったく人を怖がらない。きっと飼い主にたくさん可愛がられていたんだろうに。
    「このまま連れて行くしかないのかなぁ」
     一度交番に連れて行こうとしたら、あっという間に姿をくらましてしまったのだ。そして茂夫が探すのをあきらめて歩き始めたらまた何処からともなく姿を現した。あまりにこちらの行動を理解している様子に、ひょっとしたら動物霊の一種かもしれないと疑ってよく見てみたが、この犬はいたって普通の生きている動物だ。
    (師匠に相談してみようか。あのひと犬が好きみたいだし)
     そう思って、相談所への道を歩き始めると、交差点の反対から、見知った人が走ってくるのが見えた。えんじ色のブレザーに同じ色のスカート、この春近くの女子校に進学した茂夫の先輩だ。
    「トメさん」
     茂夫は小さく手を振った。気づいた彼女が足を止める。
    「あらモブくん久しぶりじゃない! ってそれはどーでもいいのよ。大変なのよ!」
    「はぁ、そうですか」
     なんとなく雑に扱われたような言い方をされて、返事が適当になってしまう。トメは肩のあたりまで伸ばした髪を手で整えながら言う。
    「なんか霊幻さんが、商店街のあちこちで悪質なイタズラを繰り返してるっぽくて」
    「はい?」
     茂夫は気の抜けた声をあげた。足元で、三角の耳がぴくりと動いた。

     トメはいつものように、商店街の中にある本屋で、オカルト雑誌を立ち読みしていた。ひと月の資金には限りがある。いくつもの雑誌を見比べて、これと決めた本だけを選ぶのが楽しみでもあり、辛いところでもあった。それもこれもあのケチな雇用主が給料を上げてくれないのが悪いのよね、とため息をつきかけたその時、目の前をひとりの男が通り過ぎた。グレーのスーツに明るい色の髪。高い背丈と気だるげな表情。それはたった今思い浮かべたバイト先の所長にちがいなかった。
    「れ──」
     霊幻さん、と名前を呼ぼうとした時だった。その男はおもむろに長い脚を振り上げ、平積みにしてあった漫画の山を蹴っ飛ばした。山は雪崩を起こして、どさどさと床へ落ちていく。突然の出来事にトメがあぜんとしていると、男は出口へと駆け出した。
    「ちょっと!霊幻さん!?」 
     慌てて追いかけて、店の外へ走る。男は、くるりとトメを振り返って、にやっと笑った。
    (え?)
     トメはびっくりして立ち止まった。男はあっという間に遠くに行ってしまう。本屋のほうから、店員のおじさんが悲鳴をあげているのが聞こえた。私も手伝わなきゃ、とぼんやり思って、トメはふらふらと引き返した。店員と客が何人かで、床に広がった本を一冊ずつ拾い上げ積み上げなおしている。ひとりの店員がトメに話しかけてきた。
    「キミ、犯人の顔おぼえてる?」
    「いえ……」
     トメに呼ばれて振り向いたその顔は、確かにトメの上司だった。でも、そう正直に言ってしまったら自分まで怒られてしまう気がして話す気にはなれなかった。それに。
    (あれは気のせいだったのかしら…)
     トメの目には一瞬、霊幻に似た男の身体に、三角の耳と尻尾が生えているように見えたのだ。

    「と、いうわけよ」
     トメの話を黙って聞き終えた茂夫は、「うーん、」と首をひねった。
    「師匠がそんなことするかなぁ」
     茂夫の知る霊幻は、確かにいらいらすると言葉が乱暴になるし、やけになるとめちゃくちゃな行動をすることもある。しっかりした大人だけれど、子どものように気まぐれでいたずらっぽいところもある。でも誰かに迷惑をかけたり、わざと怒らせたりして楽しむような人ではなかったはずだ。
    「もしかして、また何か変なことに巻き込まれてるのかな。だから連絡してきたのかも」
     茂夫はスマートフォンを取り出し、昼頃に霊幻から送られてきたメールを確かめた。“今日、学校帰りに寄れるか?”という短いなメッセージだ。横からのぞき込んできたトメが、顔をしかめる。
    「事件の渦中にいるにしては、緊張感ないわね」
     トメの言う通りだった。
    「ともかく早く霊とか相談所に行って…ってあら?」
     そこで初めて気が付いたように、トメは茂夫の後ろに目線を落とした。
    「なによこの犬。モブくん飼い始めたの?」
    「違いますよ。なんかさっきから後をついてくるんです」
     犬はトメを見上げると、一回尻尾を振った。人間が手を上げて挨拶するみたいに。
    「ピンク色のバンダナなんて洒落てるわね」
     トメは感心したように犬の首元を指さした。
    「霊幻さんみたいだわ」
    「あ、確かに」
     そうだ、さっきから茂夫がこの犬に妙な親しみを感じてしまうのは、霊幻に似ているからなのだった。毛並みの色と首輪の色が、霊幻の髪の色やいつもの装いと共通している。でもそれだけではなくて、堂々とした佇まいだったり、逃げ足が速いところや、茂夫が与えたパンをなんの警戒心もなく食べてしまうところが、どことなく師匠っぽいなと感じていたのだった。
    「まあ霊幻さんのほうの見た目はだいぶ胡散臭いんだけど」
    「確かに」
    「人聞きが悪いぞ」
     一瞬、ここにいないはずの人の声がして、茂夫はぱっと顔を上げた。向かいで、トメの長いまつげがぱちぱちと瞬く。
    「今のって」
    「霊幻さんの声……よね」
     顔を見合わせる二人の足元を、霊幻とおなじ色をした犬が通り抜ける。数歩先を進むと、振り返って、行かないのか?とでも言うように鼻先をクンと上げた。茂夫は、それもなんだか霊幻っぽい仕草だと思った。

     相談所の入っているビルが見えたとき、茂夫はぎょっとして立ち止った。強張った喉で、ひとり言のように低くつぶやく。
    「相談所に、だれか、いる」
    「霊幻さんが待ってるって言ってたじゃない」
     何がおかしいのよ、とトメが眉をひそめた。
    「違います、師匠じゃない。芹沢さんでもエクボでもない。知らない、超能力者だ」
     やっぱりなにか厄介な事件に巻き込まれてるんじゃないか。茂夫は急いで走り出した。後ろから「ちょっと!」とトメの声。茂夫と並ぶように、犬も走りだした。ビルの階段を駆け上がって、ドアを勢いよく開ける。
    「師匠!」
    「おーモブ。来たか」
     明るい声が茂夫を迎えた。茂夫の師匠は、いつも通り所長机に座っていた。手に赤いプラスチックでできた細い枝のようなものを持って、ぷらぷらと振っている。先っぽにはふさがついていて、なんだか猫じゃらしみたいだ。するとそのふさに一匹の猫が跳びついた。みたい、じゃなく猫じゃらしそのものだったのだ。黒と白のブチ模様をしたその猫は、机の上で何度も飛び上がっては、ふさを捕まえられずに何度も狙いを外している。
     茂夫は一瞬走ってきた理由も忘れて、あ、いいな、などと思ってしまった。茂夫は犬も嫌いじゃないけれど、どちらかというと猫のほうが好きなのだ。
    「茂夫くん、いらっしゃい」
    「遅かったなシゲオ」
     芹沢とエクボが、部屋の奥から姿を見せる。皆普段通りで、どこにもおかしなところはない。茂夫ははっと視線を所長机へと向けた。茂夫がさっきから感じている強い力は、その猫から放たれている。
    「師匠、その子」
    「おう、気づいたか? 聞いて驚け、こいつはな」
     霊幻が得意そうに口を開く。でも答えを言うより先に、割って入る声があった。
    「ウチの弟子が世話になったみたいだな」
     あれ?
     霊幻は茂夫の目の前にいるはずなのに、茂夫の後ろから声が聞こえる。茂夫は振り向いた。そこにはビルの廊下があって、追いついてきたトメが息をきらして肩を上下させている。彼女の目が真ん丸に見開かれていた。
     茂夫の足元を、さっきの犬が通り過ぎて相談所の中に入ってくる。
     猫は机の上にひっくり返っていた身体を起こして、こちらを見た。そして口を開いた。
    「あ、師匠」
     若い男の子のような声で、その猫は喋った。茂夫は口をぽかんと開けた。
     今、喋った? それに師匠って。まさか。いや、でも。
     猫は机からぴょんと飛び降ると、犬のそばに立った。犬は首をぐるりと回して、部屋にいる皆を見る。そしてよく通る声で話し始めた。
    「どうも初めまして。俺はレイゲン・アラタカという。こいつは俺の弟子のカゲヤマ・シゲオ。俺たちは、とある悪霊を退治するために、この調味市とつながる別の世界からやってきた」

     一枚の画用紙の、表と裏にべつべつの絵を描いたものを想像してほしい、とレイゲン・アラタカは言った。表はこの調味市を描いたもの。裏はまったく別の世界を描いたもの。ふたつの世界は別々だが、互いに影響を及ぼしあっている。表の絵の世界に住む人間は、人間の姿にしかなれない。でも裏の絵の世界の人間は、人間の姿にしかなれないものもいれば、動物の姿になれるものもいる。身体は人間のまま、顔だけ動物になれるものもいる。
     レイゲン・アラタカとカゲヤマ・シゲオは裏の絵の世界、ひとが動物のすがたになれる、チョウミ島という世界からやってきたのだという。カゲヤマ・シゲオは猫になれる人。そしてレイゲン・アラタカは犬ではなく、狐になれる人だった。
    「じゃあ人間の姿にも戻れるってことよね? 変わる瞬間ってどうなるの? 見てみたいわ」
     目をきらきらさせながら二匹トメが歩み寄った。狐のレイゲンは口元を片方持ち上げて、
    「ここで全裸になってもいいならな。ちなみに人の姿になった俺は、そこに座ってるヤツとそっくりだ」
     と霊幻を鼻先で指し示した。トメはうっと言って一歩後ずさり、霊幻は「やめろ」と渋い顔をする。ハハハとレイゲンは笑った。大きく開けた口の中にとがった牙が並んでいるのが見える。
    「冗談だって。この世界はどうも、人間の姿でいるにはしんどいらしい」
    「すごく体力をつかうんです。僕も目が覚めたときは、既にこの姿になってました」
     猫のシゲオが、自らの小さな白い手と、小さな肉球に目を落としながら言った。
    「いったいどうやって、この世界に来たんですか」
     茂夫が尋ねると、狐のレイゲンは茂夫の方を向き、
    「画用紙には小さな穴があってな。落っこちてきちまったんだ」
     と答えた。
    「俺たちの住む世界…チョウミ島っていうんだが、そこで俺は幽霊やら呪いやら、ふつうの人間の目には見えない、正体のわからないものに悩まされている人たちの話を聞いて、その悩みを解決する仕事をしている」
     茂夫は、そこはこっちの師匠と一緒なんだな、と思った。人間が動物に変身できる世界でも、幽霊は見えないのが普通なんだ、とも。
    「今回除霊しようとした悪霊は逃げ足の速い奴でな。追いかけるうちに、悪霊ごとこの世界に迷い込んじまった。目が覚めたときには驚いたぜ。俺たちのいた世界とはまるっきり違う風景が目の前に広がっていたんだからな。ここが話に伝え聞く調味市なんだってすぐに分かった」
     なんの用意もせず穴に落ちてしまったうえに、二匹(二人?)ははぐれてしまった。悪霊もいったいどこにいるのか分からない。途方にくれていたところ、レイゲンは学校から帰る途中の茂夫を見つけ、シゲオは「霊とか相談所」の看板を見つけた。そして互いのよく知る人物にちかい存在をたどって、ここにたどり着いたのだった。
    「本来、ふたつの世界をつなぐ穴は、そんなたくさん開いているものじゃないんです。正式に扉をくぐれるのは限られた人しかいない」
     猫のシゲオがぽつりと呟く。
    「こないだ急に台風が来て、通り過ぎた後にいろんな所に穴が開いたんです。むこうの世界、最近おかしなことがよく起こってて。前は島の畑全部に突然ブロッコリーが生えたし」
     茂夫は、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
    「…こっちの世界とそっちの世界は影響し合っている、んだよね」
     茂夫がそう言うと、シゲオはこくんとうなずく。
    「それって…」
    「で、お前らが探している悪霊ってのはどんなヤツなんだ」
     茂夫の言葉を遮って、霊幻が話の続きを促した。「うむ、」とレイゲンがうなずく。
    「カタミという名前の人形だ。作動すると、そいつが最後に目にした人間とそっくりな姿になって、動き回るようになるらしい。昔は、親しい誰かを失ってしまった人のさびしさを慰めるために使われていたそうだが、いつの間にか、嫌いな人間の姿に変えて代わりに傷めつけたり、わざと変な行動をさせて評判を貶めたりするために使われるようになった。それで負の感情を溜め込んだカタミは、呪いの人形になってしまった」
    「そっくりな姿……って」
     トメは息をのむと、それを一気に吐き出すように大声で叫んだ。
    「商店街で暴れてる霊幻さんのことじゃないの!」
    「はあ!?」
     霊幻が驚いて声を上げる。
    「暴れてるって何!? しかもなんで俺!?」
    「本屋さんで平積みされてる本を崩したり、薬局で棚に並んでる商品の配置をめちゃくちゃに入れ替えたりして…」
    「あー……むこうの世界でカタミが最後に目にしたのは、俺の姿だろうな」
     あさっての方に視線を逸らして、レイゲンが言い添えた。
    「そういうことはもっと早く言え!クソッ!」
     霊幻が勢いよく立ち上がる。
    「今まで積み上げてきた地域の皆さんからの信頼を台無しにさせるわけにはいかん!俺たちも行くぞ!」

     相談所の面々は商店街へと繰り出して、手分けして聞き込みを行い、カタミの行方を捜した。霊幻は行く先々のお店でイタズラの実行犯がまたやってきたと思われて、誤解をとくのに必死になっている。その横で芹沢も一緒になっておろおろと頭を下げていた。トメとエクボは狐のレイゲンにくっついて、むこうの世界についてあれこれと質問攻めしている。
     茂夫は歩きながら、足元にちらりと目線を向ける。黒いしっぽをぴんと立てトトトトと歩く猫の白と黒の模様を、不思議な気持ちで見下ろした。別の世界の自分が目の前にいるなんて変な感じだ。それもこんな猫の姿だなんて。かわいいけど、でも。
    「どうせなら、もっと強そうな動物がよかったなって思った?」
    「えっ」
     猫のシゲオが、茂夫を見上げてきた。思っていたことを言い当てられて、茂夫はうろたえた。それも、きっと猫にとっては失礼なことを。
    「別にいいよ、僕もずっとそう思ってたから」
     ふふ、とシゲオは笑った。
    「トラとかライオンとか、熊とかがよかったなあってね。むこうの世界でもそういう動物は人気なんだ。とくに男子にとっては。オスの魅力っていうのかな」
    「そうなんだ」
    「猫なんか本当に普通なんだ。でも生まれつきで変えられるものじゃないし。せめて人間の姿のほうで、もっと男らしさを磨くつもりだよ。好きな女の子に振り向いてもらいたいんだ」
     シゲオの言葉に驚いて、茂夫は尋ねる。
    「そっちの世界にもツボミちゃんがいるの? ツボミちゃんも動物の姿になれる?」
     シゲオは少し歩幅を狭めると、うつむきながら照れくさそうにつぶやいた。
    「……うん。ツボミちゃんは鹿になれるひと。本当に可愛いんだ。すらっとしてて、眼がきれいで」
     白い毛に覆われた身体が、なんだか赤く染まって見える。茂夫は自分まで顔が熱くなるのを感じた。僕もツボミちゃんのことを話すとき、周りから見ればこんな感じなんだろうか。
    「……応援してるよ」
    「ありがとう。キミも頑張って」
    「うん」
     ぼそぼそと互いを励ましあっていると、離れたところから「てめえ待ちやがれ!!」と霊幻の怒鳴り声が響いた。
     文房具屋から歩道に向かって、ばっと霊幻が飛びだしてくる。ラッピング用だろうか、リボンがほどかれて何本も、色とりどりの線を描きながらころころと転がっていく。その後ろをもう一人の霊幻が追いかけて飛びだしてきた。ということは、前を走っているのは、人間のすがたをしたレイゲンのすがたをしたカタミだ。ややこしいな、と頭をひねって、茂夫も走って追いかける。
    「先に行ってるね」
     シゲオは茂夫にそう言うと、全身の筋肉をしなやかに動かし、サッカーボールが跳んでいくみたいにぴゅーっと駆けていった。茂夫が全速力で走るのよりずっと速いスピードだ。なんだよ猫だってじゅうぶんすごいじゃないかと、茂夫は心の中で恨めしげに呟いた。とたん、猫のシゲオはすてんと転んだ。

     茂夫が霊幻に追い付くと、そこは茂夫があの日ツボミちゃんに告白しようとした思い出の公園だった。カタミは周りを囲まれて、じりじりと追い詰められている。
    「観念するんだな」
     霊幻が懐から小さな手鏡を取り出した。『カタミをおとなしくさせるのは簡単だ。』さっき狐のレイゲンが言ったことを茂夫は頭でなぞる。
    『鏡を見せて、“この姿になれ”と唱えればいい』
     果たして霊幻が鏡を突き付けると、カタミはぎょっとした目で霊幻を見つめ、そしてあろうことか、足元の石を拾って、むちゃくちゃなフォームで投げつけてきた。
    「うおっ!?」
     パリンと鏡が割れて破片が飛び散った。茂夫はとっさに手をかざして霊幻の周りにバリアを張る。霊幻は腕で顔をかばいながら、「しくった!」と悪態をついた。
     石が命中してカタミは調子に乗ったようだった。次々と皆に向かって投げつけてくる。小石の一つがトメの額をかすめた。
    「いたっ」
     小さな悲鳴が聞こえた。そのとたん、茂夫は隣で、ぶわりと大きな力が膨れ上がるのを感じた。シゲオが全身の毛を逆立てている。
    「師匠の顔で、みんなを傷つけるな」
     鼻先に皺を寄せて真っ赤に光る眼でカタミを見すえ、ゆっくりと牙をむく。
     なんて力だ。茂夫は息を呑んだ。自分と同じくらい強い超能力者を、茂夫は生まれて初めて目にしていた。
    「待てモブ! 壊すな!」
     レイゲンが慌ててシゲオを止めようとする。
    「依頼されたのは除霊だ! 処分じゃない!」
    「そんなこと言ったってアンタ──」
     シゲオがひるんだのを見てカタミは再び走り去ろうとする。どうすればいい。茂夫は焦りを抑えながら考えた。ばらばらになった鏡を超能力でもう一度組み立てるか? いや、そんな時間はない。
     要するに鏡と同じ役割を果たせるものがあればいいんだ。鏡はものの形をうつす道具。ものが映るのは、光を反射するからだ。はっと閃いて茂夫は手を掲げる。思い浮かべたのは、今日うまく解けなかったテストの問題だ。
     突然、足を踏み出したカタミの行く手に、人影が現れた。カタミはぶつかりそうになって足を止める。その人影はカタミと同じ顔をして、同じように動き、同じように混乱した表情をしていた。
    「この姿になれ! カタミ!」
     茂夫が唱えると、ぽんと音をたてて、人間のすがたをしたレイゲンのすがたをしたカタミは、また姿を変えた。小さな子どもが遊びでこしらえたような、簡単な顔が描いてあるだけの土でできた人形。もとの形にもどったのだ。

    「お前にああいう器用な芸当ができたとはな」
     エクボが感心したように茂夫に話しかけてきた。
    「光の屈折をいじったんだろ」
     茂夫はうなずいた。
    「前に律に教えてもらったんだ。その時にはうまくイメージがつかめなかったんだけど」
     たまたま今日あった理科のテストで、光の入射角と反射角を求める問題があり、それを思い出してうまくいったのだと言うと、エクボは腕を組んで「努力ってのは本当に、どこで実を結ぶかわかんねえもんだな」としみじみ言った。
    「ちゃんと学んだことが身についてるってことだ。これなら受験本番も安心じゃねえか?」
    「そう?」
     茂夫は嬉しくなって頭をかいた。
    「本当にありがとう」
     猫のシゲオが近寄ってきて、小さな頭をぺこりと下げた。
    「それとごめん、たくさん迷惑かけちゃって」
     向こうで、トメが芹沢に絆創膏を貼ってもらいながら、大げさなんだからと文句を言っている。
     茂夫は首を横に振った。
    「あのね…黙ってたけど、キミ達がこの世界に落ちてきちゃったのは、きっと僕のせいでもあると思う」
    「どういうこと?」
     ヒゲをぴくんと動かせてシゲオが尋ねた。茂夫はほんの1か月前、自分が超能力を暴走させてしまったこと、調味市に大きな被害をもたらしてしまったこと、それがシゲオたちの住むチョウミ島にも悪い影響を与えてしまったのではないかという考えを話した。
    「だからごめん」
    「えっそんな」
     頭を下げると、シゲオは慌てた様子で、茂夫の前をうろうろと歩き回る。
    「気にしなくていい…ていうのは無理だよね。でも本当に気にしなくていいよ。この世界で起きた悪いことだって、本当は僕のせいかもしれないんだ。僕だってこないだ島の半分くらい壊滅させそうになったから」
    「それは…」
     なかなかすごいスケールの話だった。どう返せばいいのか分からない。
    「うちのモブの言う通りだぞ。キリがねえからやめとけ」
     狐のレイゲンが、歩み寄って話しかけてきた。
    「良い影響だって与え合うんだ。なるべく悪いことを起こさず、良いことが起きるように行動していれば、そのうち帳尻があうだろ」
    「さすがは俺だな、いいこと言う」
     霊幻もうなずきながらやってきて、レイゲンにカタミを手わたした。
    「ほら、これで依頼は完了なんだろ」
    「おう、ありがとな」
     レイゲンは口でそれを受け取る。
     そのとたん、カタミの身体がぼろりと砕けて粉々になった。皆、しばし固まる。
    「おいどうすんだよ! お前が強く握ってたせいだろ!」
     レイゲンが霊幻に怒鳴る。
    「ハア!?ちげーよお前の顎の力が強かったんだろ!」
     霊幻がそれに言い返す。
     落ち着け、とエクボが言い争うふたりをなだめた。一人と一匹はぐっと口をつぐむと、揃ってすうはあと深呼吸をする。
    「……まあ、帰ってから適当に粘土で似たようなのを作るか。呪いを解いたら力を失ったってことにすればいいだろ」
    「それなら最初から壊せばよかったんじゃ……」
    「僕が力を抑えた意味……」
     うるせーな他にどうしろってんだ、とレイゲンが吠えた。芹沢がはっと何かに気が付いたようにして、慌てて皆を見回す。 
    「あのう。カタミが壊れてしまったら、どうやって商店街の皆さんに、霊幻さんの無実を証明すればいいんでしょう?」
    「…………」
     一同はしばし考え込む。ややあって、レイゲンが口を開いた。
    「この近くに、俺が目を覚ました場所がある。俺が着ていた服も置きっぱなしにしてあるはずだ」
     霊幻がぴくりと片眉を上げた。

    「トメちゃんはダメ!!」
    「えーー!! ケチ!! いいじゃない!!」
    「ダメったらダメ!!」
     トメがしぶしぶ後ろを向いたのを確認すると、狐のレイゲンは「いくぞ」と目を閉じた。次の瞬間、身体がみるみる膨らんで、同時に毛は短くなってすべすべした肌が見えはじめ、足がまっすぐにたちあがった。
    「師匠、耳と尻尾残ってます」
    「あ、いけね」
     最後まで残っていた三角の耳が、しゅるしゅると小さくなって髪の毛に埋もれていく。するとそこにはもう、霊幻とまったく同じ姿をした、大人の男の人の姿があった。まるでテレビの中で見るような出来事に茂夫は見入ってしまった。それから、僕はさっき、この人の頭をなでたり小さな子を相手にするみたいに話しかけたりしたんだよな、と思って急に気恥ずかしくなった。霊幻が「はやく服着ろ!」とレイゲンの裸を隠そうとする。
    「お前らが見たいって言ったくせに…」
     レイゲンはぼやきながらシャツに腕を通し、ズボンに足を差し入れ、ジャケットを羽織った。そして「うぐ、」と顔をしかめ、急に何か重いものでも持たされたように肩を落とした。
    「やっぱキツいな…ちゃっちゃと済ませるぞ」

     霊幻とレイゲンは連れ添って、商店街のお店に頭を下げて回った。
     誰も呪いの人形だということを信じてくれなかったので、途中からは有名人の霊幻に嫉妬したそっくりさんの迷惑行為ということにした。半分くらいは演技なのかもしれなかったが、ぐったりとして力のない様子のレイゲンを見て、お店の人々は、犯人はどうやら深く反省していると納得したらしかった。幸運なことにカタミの悪戯はどれもお店に大きな損害が出るようなものではなく、お店の人と相談所の皆が力を合わせれば片付けが終わるようなものばかりだった。
    「今度こそ本当にありがとう」
     全部のお店を回り終えるころには、すっかり暗くなっていた。背中に服をくくりつけたシゲオが、ぺこりと頭を下げた。
    「いいからさっさと行け」
     霊幻が小声で言いながら、しっしっと手を動かす。茂夫たちは、むかし茂夫と律が通っていた小学校の前に来ていた。ここの中庭にある大きなイチョウの木は、ずっと前から存在している世界をつないでいる扉のひとつらしい。そんなこと小学生の頃の茂夫はまったく知らなかった。
    「今夜はこっちの世界で休んでいったほうが良かったんじゃない?」
     と心配した声でトメが引き留めようとする。「そしたらもっと向こうの世界の話も聞けるのに」、と続けて口を尖らせる。本当はそっちの方が目的なんだろう。
    「明日も仕事があるんでね」
     シゲオと同じように背中に服をくくりつけて、狐の姿に戻ったレイゲンが、疲れきった声で言った。
    「狐レイゲンさんふらふらじゃない。歩けるの?」
    「むこうに戻ったら、僕が抱えて帰れるので」
     あ、そうか。動物の状態の師匠だったら、超能力を使わなくても持ち上げられるんだな。茂夫はさっき、シゲオが「せめて人間の姿ではもっと男らしくなりたい」と言っていたことを思い出した。筋肉だけで霊幻を持ち上げるのは茂夫のひそかな目標だった。シゲオはそれをもう叶えてしまっているのだ。
    「かっこいいな」
     茂夫はつぶやいた。
    「そう? 僕、今回あんまりいいところなかったと思うんだけど」
     シゲオはてれくさそうに目を細めた。
    「茂夫くん、パンありがとうな。うまかったぜ」
    「じゃあね。また機会があれば、こっちの世界にも遊びに来てよ」
     二匹は背を向けて、校門の柵の隙間をすり抜けて走っていった。小さなふたつの影がイチョウの幹にすうっと吸い込まれていくのを見届けると、残された皆は立ち上がって、警備員が来ないうちにそそくさと小学校を後にした。

     それからしばらくの日々、茂夫はそわそわして過ごしていたが、二匹がふたたび姿を見せることはなかった。正式に扉をくぐれるのは限られた人だけだと言っていたから、きっとこちらの世界に来ることは難しいのだろうし、もしかしたらもう二度と会えることはないのかもしれない。
     でも茂夫は時々、街を一匹で歩いている犬や猫を見ては、ひょっとしたら向こうの世界からやってきたひとかな、などと思ったりもするのだ。
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