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    るみみずく

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    るみみずく

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    ココ誕ココマ。付き合ってる。モブがひどい目にあうぬるい残虐描写あり。小松くんの「人間“毒”があるほうが好まれますよ」ってセリフが好きすぎて永遠にこすり倒します。

    大失敗デート 黄や紅や、山並を色付ける落葉広葉樹を、首を痛めないで見ることのできる画角から切り取った窓が嵌まっている。白い絵の具をパレットナイフで考えなしに塗り拡げたように掠れた雲の浮かぶ青空も相まって、絵画のような景色である。
     キッスの背中に乗っていたときは乾いた冷たい空気が鼻にツンときたが、この家の中の空気はいつ来ても変わらず良い香りがする。それは他人との接触を拒む立地に住む家主がにこやかに出迎えてくれたときから小松の鼻を掠めるものだ。壁や家具なんかに染み付いた紅茶の香りをココさんもたっぷり吸っているのだな、と小松はひとり納得した。
    「10月もそろそろ終わりですね」
    「そうだね。イガ栗カボチャが美味しい時期だ。樹上で完熟したのは絶品さ」
     ココはふふと、楽しかった出来事を思い出したように微笑む。
    「何月だとか何日だとか、あまり気にしてなかったけど……小松くんが来てくれるようになってからは、季節を前より意識するようになったよ」
    「それって、ボクが来るたびに食材の話をするからですか?」
    「それもあるね。食材の旬とかおさえておくと小松くん喜ぶから。あとは服装とか、顔の色とか、指先が冷たいとか……キミが来ると季節の移り変わりを感じられて楽しいよ」
     自分よりも、窓から見える壮大な景色から感じられるものの方がずっと心を豊かにするだろうに。小松は顔の表皮の温度が上がるのを自覚する。照れかくしも兼ねて考えを改めさせる文句のひとつでも言いたいところだったが、形のよい目を細めて小さな幸せを噛みしめるココを前にしてそっと飲み込んだ。
     小松にはそれよりも優先して聞くべきことがあった。
    「ココさん。29日ですけど、今月の。ご予定とかあります?」
    「その日は……いや、特になにも無いけど。細かい日付を指定するなんて珍しいね」
     それなら、と食い気味に話を続けようとした小松だったが、予定はないと答えるまでに空いた不自然な間がどうにも引っかかる。
    「もしかして、なにかありましたか……?」
    「ああ、いや、本当に何も無いんだ。それより小松くん、出かけたいんだったらそんな中途半端な日より、31日の方が楽しいと思うけど」
    「いいえ。29日です。どうしてもその日がいいんです」
     10月29日でなければいけない。それより前でも後でも意味がないのだ。なぜそうまで固執するのか。訝しむ目つきに小松は身を固くする。
     大切な人の誕生日を祝いたいのに、何が欲しいのか分からない。むやみにプレゼントを贈って迷惑がられるかもしれないなら、一緒に出かけた先で探すべきだろう。そして、それをどうせなら当日まで秘密にしておきたい。浅はかでも悩みに悩んでたどり着いた最善策を今にも見抜かれてしまうのではと、小松は息が浅くなるほどの緊張にみまわれた。
     ココはといえば正反対に、優雅に紅茶を啜って「その日しか休みが取れなかったのかな」と小声で呟き、それで自己完結したらしく頷いた。
    「小松くんはどこに行きたい?」
    「ココさんが行きたいところがいいです」
    「ボクの話を聞いていたかい? まさか目的地も決めないで予定を聞き出したなんてことないだろうね」
    「ちゃんと決めてますよ。その日の目的地は、ココさんが行きたいと思うところです」
    「それじゃ決めていないのと同じでしょ小松くん」
     毒づく口ぶりや視線は肌が切れるように冷たい。それでも考えてはくれるようで、ココはティーカップを置いてしばらく黙った。
    「じゃあ、この時期にいつも行くところに連れていってあげようか」
    「えっ! 行きたいです! どんなとこですか?!」
     近いようで遠い場所にある気がしてならない心の、見えない壁の扉を少しだけ開けてくれたように思えて、言い終わる数秒も待てないで被せる。陸から海に戻った魚のように鼻息を荒くする小松に、ココはいくらか気圧されるところがあったのか少しだけ瞼を持ち上げた。それもつかの間、柔和に微笑んだ。
    「ここからだいぶ離れたところにある街なんだけどね、収穫祭の日はたくさんの出店が並んで賑わうんだ。そこで買った調味料がなかなか美味しくて……去年買いだめしておいたぶんが切れてしまったから、行こうと思ってたのさ」
    「調味料……! ココさんが美味しいと言うほどってどんなんだろう、それ使ってみたいです!」
    「ふふ、小松くんならそう言うと思ったよ」
     キミの喜びがボクの喜びであるとでも言わんばかりに唇を下向きの弧にしていたココだったが、思い出したように口を開く。
    「ああそうだ、これは忠告だと思って聞いてほしいんだけど……」
     ココの表情は恋人でも、占い師でもなく。ほんの些細な掛け違いで命を落とす危険区に降り立った美食屋の顔つきに変わる。これは真面目に聞かなければいけない話なのだと、小松も顔を引き締める。
    「ハイ、なんでしょう」
    「当日は仮装してきて」
    「仮装……コスプレ……ですか?」
    「そう。それも単なるカボチャとかじゃなくて、ゾンビや狼男といったいわゆる化け物のだ。本格的であればあるほどいい」
     肩透かしを食らった気分だった。
    「ハイ、いいですけど……ちょっと恥ずかしいですけど……なんでですか?」
    「うん、ちょっと変わった街でね」
     行き場を失った緊張感にふさわしい着地点を与えたくて小松は理由を聞くも、ココの方はそれ以上語るつもりがないらしい。「靴は履き慣れた動きやすいものを選んだ方がいいよ」とだけ付け足すと、言うべきことを全て話し終えたと判断した美食屋は恋人に戻った。

    🎃🎃🎃

     履き慣れた、歩きやすい、となれば靴は自動的にハント用のものに決まった。マントと牙をつけて吸血鬼と言い張ることも案のひとつとしてあったが、それではあまりにも手抜きが過ぎる。ゾンビのゴムマスクを被ればいいじゃないかと思いつき、動きやすさを求められる場所で視界を狭めるのは自らの首を絞めることに繋がりかねない。ココの意図が解らないまま、防寒と機動性と恥ずかしくなさの観点で最適解として小松が導き出したのは狼男だった。
     切れ込みやくすみといった、あえて汚した加工の施された衣服。ペラペラの三角ではなく、しっかりと厚みのある狼の付け耳。鋭い爪が埋め込まれた毛足の長い手袋。ダメ押しの尻尾。そこそこ痛い出費により出来上がった気合の入った仮装は小松が心配していたよりずっと人目を引いた。グルメフォーチュン行きの列車が出る駅までの道のり、乗り込んだ列車内。あとたった2日も待てなかったのか、いい大人が気の早いことだ、直接声をかけられずともそう思われていることが容易に想像がつく視線が頬をチクチク刺した。小松はそれらを肩に馴染んだリュックをきつく抱くことで無視を決め込んだ。
     辛抱した。圧が抜けて減速した車窓からでもよく目立つ巨大なカラスと、その傍らに立つ常人離れした長身の美丈夫を見つけるまでは。
    「やあ、小松くん。晴れてよかったね。仮装よく似合ってるよ」
     軸のしっかりした直立を屈め、緩く組んでいた腕を解いて広げたココの服装はいつもと変わらない。顔と両手以外に肌の露出がない黒装束にマント、ターバンを巻いた、一寸違わずいつも通りの彼だ。
     小松は意識的に足を踏み鳴らして近付き、さあおいでと招く腕にいつものように飛び込むことはせずに立ち止まった。
    「なんでココさんは仮装してないんですか。ソレで吸血鬼だとか言ったら怒りますよ」
    「フフ、そんなことしないよ。ボクには必要ないからこれで来たんだ」
    「どういうことですか。必要ないって」
     年甲斐もなくぎゃあぎゃあ騒ぎたくなるのを、罪のないキッスを驚かせたら可哀想だと小松は眉間にギュッと力んで耐える。
     それを見下ろすココは困ったように眉を下げた。
    「行けばわかるさ」
    「だったら早く行きましょう。これ以上、尊厳が傷付くような気持ちでいたくありません」
    「そんなに急がなくても目的地は逃げたりしないよ。キッスに乗ったら背中しか見えなくなるじゃない」
     やはり、ただコスプレ姿を見たかっただけなのでは?
     美食屋四天王ココの真剣な表情を信じて考えないようにしていた疑惑がふと頭をもたげる。小松は脳内が不信感でいっぱいになる前に、理由はどうあれ出発を急ぐ心情を察したのか伏せてくれたキッスの背に飛び乗った。

     気合の入った仮装と普段通りを乗せて、いくつもの街と森を飛んで過ぎていく。どこもかしこも2日後の祭りの準備で忙しそうである。
    「やっぱり、仮装してる人は少ないですね」
    「今日がいいって言ったのは小松くんだろ? あっちもまだ準備中。ボクが調味料を買う店はいつも早めに出るみたいだけど、いちばん賑わうのは2日後だ」
    「着いた先でも目立つの、ボクもうイヤですよ……」
    「ふふ、心配いらないさ。着いたら気にならなくなるから」
    「そうなったらいいですけど……ココさん、この先に本当に人の集まる街があるんですか?」
     街を通り過ぎた眼下に墓石が散在しはじめた。小松は不安になって振り返る。
    「大丈夫。ちゃんとあるから」
     ココは問題ないと笑ったものの、進むにつれて澄んだ空気に霧がかかり、ぽつぽつと目につくくらいだった墓石は密集度が増していく。艶やかな嘴で、活発な人の営みとまるでかけ離れた方向を指したまま、キッスは羽ばたく。
     このまま飛んでいった先に秋祭りで賑わう街などあるのか。赤子の泣く声ひとつもしない場所などに。より冬に近付く上空の風が厚着をすり抜けて胸を貫通するような寒さを覚えたが、後ろからしっかり抱いてくれる腕の硬さが小松を安心させた。
    「そろそろ着くよ」
     ココが言うのとほぼ同時に、キッスはゆるやかに降下を始め、やがて廃屋一軒すらない墓地のど真ん中に着地した。当然ながら街らしいものは見当たらない。霧のかかった墓地には動物の巣すらないらしく、キッス以外の鳥の鳴き声は聞こえない。
    「ここからは歩きだよ。靴はちゃんと履き慣れたのにしてきたね?」
    「ハイ。バッチリです」
    「それじゃあボクから離れないでついてきて。一応言っておくけど、ボクは何度も来てるけどここらで食材を見つけたことは無いから」
    「絶対離れません。こんなところをひとりっきりで歩き回れるほどボクの心臓は強くないです」
     頭よりずっと高いところから垂れ下がるマントをギュッと掴む。
    「今回の返事は信用に値するよ。そんなに遠くないし、ゆっくり行こうか」
     湿った土を踏んで歩き出したココにならって、小松も動きだす。一歩進むごとに霧はだんだんと濃くなっていくように思われた。空路は危険だと判断するのも頷ける、自分の足先の確認さえ危ういほどの濃霧が立ち込める。
    「階段を降りるよ。足元気をつけて」
     ココの目には霧などあって無いようなものだろうが、小松はそうもいかない。見えやしない段差を、同じく見えやしない爪先で探し当てて、一段ごとに両足をつけて降りていく。踏み外せば大惨事になりかねないが、見えないながら奥行きが広いらしいのが幸運だった。
    「あと一段」
     今や掴んだマントだけが存在を証明する美食屋の言う最後の一段を降りきったとき、突如として霧が晴れた。すると、先程までは聞こえなかったはずの喧騒が小松の耳をついた。
    「到着だ」
     いつの間にかこちらを向いていたらしい声に顔を上げる。
     壁に通常の経年劣化がみられる家に両脇を囲われた、レンガを敷き詰めて造られた道の上には出店が並ぶ。すでに商売を始めているところもあるものの、半分以上はまだ準備中のようでテントの骨組みが露出している。振り返ると、背後には階段も一寸先も見えない霧もなかった。
     街があった。
     同時に、ハロウィン当日でもないのに気合の入りすぎた仮装が恥ずかしくなくなる理由をココが「行けばわかる」とした意味も理解する。闊歩するのはみな、小松以上に気合の入った恰好をした者ばかり──というより、まともな人の形ですらない化け物だったのだ。
     思わず叫びだしそうになった小松の口を、軽く翳しただけで視界の全てを隠せる大柄な手が塞いだ。
    「大声を出してはいけないよ。仲間ではないと気付かれたら大変なことになる。……ほら、あそこに小松くんと同じ側の者がいるのがわかるかい?」
     左手は小松の唇に重ねたまま、人差し指だけまっすぐ伸ばしたもう片方の手で前方を示す。有名ホラー映画の殺人鬼の仮装をした男と、どんな技術を用いたのか検討もつかないほどリアルなゾンビメイクを施した女がいた。おそらくカップルであろう、開けた酒の缶片手に歩く二人組は何やら騒ぎ出し、内カメラに設定しているらしい携帯電話で自撮りに興じはじめる。これ絶対バズる、だとか甲高い声が離れた位置にも届いた。ぴたり、ぴたり、化け物たちがふいに歩みを止め、画面に夢中になっている彼らを取り囲んでいることは、外から見ていた小松だから気づけたことだ。
     人ひとりすり抜ける隙間もなく、ぎっしりと。化け物たちは中心に追い詰めた生き物を品定めするように見つめている。
     先に異変に気が付いたのは男の方だった。熱心に携帯電話を弄る女の肩を慌てて叩くと、うんざりした様子で女も顔を上げる。
     え、なに、なんでみんなこっち見てんの。
     最初は驚き困惑する。
     見んなって言ってんの! 警察呼ばれたいの!?
     次に怒り。
     えっ、ちょっと……なんか言ってよ。てか近付かないで、こっち来ないで。
     次第に声が震えだし、後ずさりした背中が化け物にぶち当たった瞬間パニックに突き落とされた。
     絹を裂くような悲鳴をホイッスル代わりに、殺人鬼はダンボール製マチェットを放り捨てて駆け出す。無かった一人分の隙間を腕で押し広げて作り出し、化け物の群れから飛び出さんとする。女もそれに続こうとするも、道はすぐさま閉ざされた。
     へたり込んでしまったようで見えなくなってしまった、女がいるものと思われる場所に槌のような腕が振り下ろされる。幾重にも連なる牙が齧り付く。異臭と蒸気を放つ液体が降り注ぐ。鈴のように澄んでいた叫びは陸にいながら溺れたようにくぐもった。
     包囲網を抜け出た男の全速力の走りも、死ぬまでの時間をほんの少しだけ延長するだけで命を助けることにはならなかったようだ。まるで昆虫かと思うほど長く細く、複数の節がついた手足をもつ化け物の、たった一跳びに捕まった。
     レンガ造りの道に倒れた後の彼らの状態を窺い知ることはできない。知りたくない。想像もしたくない。しかし、首と肺と足は動かない。
    「あんまり心配していると小松くんも怪しまれてしまう。さあ、店はあっちだよ」
     落ち着いた声に手を引かれ、小松の足はようやく地面から剥がれて惨劇に背を向けた。
    「ココさん、どうして人が襲われたんですか。この街はなんなんですか」
     先駆けて商う出店から漂ってくる何かしらの料理の香りが鼻に入ってきても、分析しようという気分にはとてもなれない。小松が内側に大量の汗をかいた毛むくじゃらの手に力をこめると、ココは少しだけ歩幅を緩めた。
    「驚かせてしまったね。ハロウィンっていうのはもともとお盆みたいなものなんだけど、ここにはいわゆる“あちら側”の住人たちが集まってくるみたいなんだ」
    「あちら側……つまりあの世ってことですか」
    「ここはまだそのもの、というわけではないみたいだけどね。この時期は小松くんの世界とあの世の境目が曖昧になっているみたいで、人間が迷い込んでくるのもそんなに珍しくないんだ。少なくともボクが知る限りでは毎年見かけるよ」
    「ええっ、じゃあボクたち今、神隠しに遭ってるってことですか……?」
    「それは違うかな。ボクには来る道も帰る道もわかっているから」
     ココは小松の手をしっかり握ったまま、前方から歩いてくる化け物と何度もぶつかりそうになっては体を横にしてすれ違う。
    「言ったろ? この時期にはいつも来てるって」
    「言ってましたけど……いくらココさんが強くたって危ないですよ。仮装もしないで、もしバレたら……」
     張り過ぎず、なおかつココに届くギリギリの声量でそこまで言うと小松は違和感に気付く。
    「なんで襲われないんだろう……ボクは仮装してるからバレてないとしても、ココさんはいつも通りの服装なのに……」
     前へ前へ、小松を引っ張る力の働きが停止する。
    「……さあね。定かではないけど、彼らから見たボクは、同じ化け物に見えてるのかもしれない」
     手を包む皮膚の感触が消える。小松は心臓が転がり落ちるような不安と焦りを覚えたが、ココは一人で先に行ってしまったわけではなく、顔を上げればこちらに振り向いて佇んでいた。
    「ここはね、すごく居心地が良い街なんだ。彼らが優しくしてくれたことは一度だってないけど、毒があるのを見せても大袈裟に避けたり、実験動物だと思っているような目はしないから。ボクの秘密のお気に入りの場所さ」
     目尻を下げて細まる目。緩く孤を描く唇。穏やかに話す顔の形は確かに笑っていた。それなのに、その笑顔をどうしても気に入ることができない。
     小松は手袋を抜き取り、自分のものでは到底包み込めないココの手に、両手で掴みかかった。
    「ココさん、今からでも別の場所に行きましょう! 秋祭りならどこにだってありますよ!」
    「小松くん……!? 危ないよ、はやく手袋を──」
    「大丈夫です、人間“毒”がある方が好まれますから。あなたはボクと同じ時を歩んで、同じ食卓を囲むことのできる人間です」
     手袋が落ちた地面へ見開いた目を向ける、人間にしか見えない化け物をこちら側へ引っ張った。小松程度の全力ではびくともしないはずの体幹は、まるでいきなりのことに驚いたように屈む。
    「やっぱり、ココさんは優しい人ですね。そして、ボクの大切な人です」
    「小松くん……」
     ココは重々しくため息を吐いた。
    「ボクの知る言葉じゃ言い表せないくらい嬉しいよ。でもね、危ないってそれもあるけど、そういうことじゃなくて……ああ、今だけは化け物だと思ってくれた方がよかったのに」
    「……えっ?」
     額に手をやったココにつられて周囲を確認した小松は、人ひとりすり抜ける隙間もない化け物の円陣に取り囲まれているのに気が付いた。ちょうど数分前にも同じものを見た。さっきと違うのは、円の外側だったか内側だったかということ。
    「どうやら自分たちの仲間ではないとバレてしまったらしい。キミが化けの皮を外し、ボクを人間だと言ったおかげでね」
     さあっと全身の血がレンガ造りの道に吸われていった。
    「こっ、こ、ココさんっ! 逃げましょう!」
    「そうだね、急いで帰るとしよう。小松くんは自分で走る? それとも背負っていこうか?」
     化け物たちを刺激しないためか、ココはゆっくりと片膝をつく。小松はなにか答えるより早く、ちょうどいい高さまで降りてきた背中に飛び乗った。
    「人の背中に信じてしがみつくならメガメガ得意です!」
    「それは頼もしい。死んでも離さないから、死んでも離れないでね小松くん!」
     急上昇した視界は、化け物も建物も置き去りにして駆けていった。

    🎃🎃🎃

     霧の墓地は、低い位置にある太陽光を浴びて飛ぶキッスの尾羽根のずうっと後ろに。墓石ひとつも見当たらず、準備作業も今日のところは切り上げになったらしく行きと比べてずいぶん静かになった。
     変わったところといえば、上空にもひとつ。付け耳も尻尾もあちらで落としてきたため、帰り道の狼男はただのみすぼらしいアラサー男性だ。
    「今日がいいと言ってなかったら危なかったね。今回生きて帰れたのは小松くんのおかげだよ」
     憑き物を落としてきたようにスッキリとしたココと比べ、小松の方は釈然としない。
    「調味料、買えませんでしたね……ボクのせいで……来年! 来年こそは大人しくしてますから……!」
    「うん……来年は無いかな」
     小松はがっしりとした腕の中で飛び上がり、弾かれたように振り向く。
    「えっ、それってお、お別れってこと……です、よね……」
    「小松くんの言ってることがわからないな。まさか五体満足でボクと別れられるとでも思っているのかい?」
     太陽の下に出ると深い影のできる顔が艶然と笑む。異性なら(でなくても)息を呑んで見入ってしまうほど美しい。しかし、目から普段のあたたかみがごっそり抜け落ちており、底知れぬ暗闇を覗き、またそれに覗き込まれている気分にさせられる。小松の背中はじっとり湿って産毛が逆立つ。黙って首を横に振ると、いつもの温度が戻ってきた。
    「人間だとバレてしまったからには、もう二度とあそこへは行けないさ。問答無用で襲われるだろうからね」
    「二度と、ですか」
    「うん。二度と」
    「うぎゃーっ! めちゃくちゃにしちゃって本当にごめんなさい! せっかくの誕生日だったのにー!」
    「いいんだよ、そんなに悪い気分でもないし……ん? 誕生日? えっと……誰の?」
    「ココさんのに決まってるじゃないですか!!」
     瞠目し30秒ほど黙って、ココは口を開く。
    「小松くんは、ボクの誕生日を祝おうとしてくれていたの?」
    「そうですよ! でも欲しい物とか普段の会話からわからなくて……だから、ココさんの行きたいところへ行って、探そうと思って……」
    「予定を聞き出したときからずっとボクのことを考えていてくれたんだね」
     どんな甘味より甘ったるく、見る者の思考をとろかしてしまう笑み。今のところ間近で食らったのはおそらく自分だけなのだと思うと、もったいないやらちょっとした優越感やらで小松は胸が擽ったくなる。
    「ハイ。ですから、今からでも埋め合わせをさせていただきたいのでココさんの欲しい物、してほしいことでもいいです。教えてください。……できたら、ボクの経済力で可能な範囲内で……」
    「じゃあ、小松くんの料理が食べたいな」
     後付した条件の情けなさを小松が噛みしめる間もなく、ココは即答した。望みというより小松に出来ることを言ったようにも思われたが、それでもココが形だけでも望みを口にしてくれたことが小松には嬉しかった。
    「お安いご用です! 腕によりをかけて作りますよ! 途中で食材買わなきゃ……」
    「フルコースじゃなくて、小松くんが普段家で作って食べるようなものがいいんだ」
    「そんなんでいいんですか? もっとちゃんとしたの作りますよ」
    「おや、もっと欲張ってもいいのかい? それなら、寝る前のおやすみと明日のおはようも追加で貰えるかな。知っての通りベッドはひとつしかないけど、いいよね」
     かじかんだ手を下から掬いあげるようにして、太い指が差し込まれる。
     小松は静かに前を向いた。じわりと発熱した顔を終盤の秋風で冷ますためである。
    「……明日は、午後からの出勤です」
     大きすぎてしっかりと握りこめない、それでも小松はできる限りココの手を握り返す。
    「そこまで欲張ったらバイオリズムのぶり返しが怖いよ。……でも、他でもない小松くんが許してくれるなら、誰も文句のつけようなどないはずさ」
     崖の上に建つ家まであと少し。
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    るみみずく

    DOODLEいいえ私はで始まる某曲を聴いていたのだと思います。手を置いて誓うための聖書なんかうちには無いけどなってどうしても言ってもらいたかった。
    話しているときに小松くんの名前が出ると機嫌が悪くなるタイプのココさんがトリコとおしゃべりしてるだけ。
    ココさん小松くん付き合ってない。ココ→マ
    さそりの毒は後で効くらしい グルメフォーチュンで占いの店に目もくれず、ぽつんとそびえる陸の孤島に建つ家へ一直線に訪ねる者は数少ない。
     食材を持ち込み家主に調理させ、食うだけ食ったら帰る(帰される)。片手の指で数え切れるうちのひとり、トリコのいつもである。リーガル島から帰還して以降、それまで何年もぱったり途絶えていたのが嘘のように、交流が続いている。
     いつものようにハント終わりのその足で立ち寄ったトリコを、ココはいつものようにややウンザリした顔で迎え入れた。何時来て何を持ってくるかも占いで分かっているために、食材を調理する準備がすでにできているキッチンもいつも通り。
     持ち込んだ荷物は二つ。特別に大柄なはずのトリコが担いでも相対的に小さくなることのない大袋と、小脇に抱えられるほどの袋。トリコは「メシ作ってくれ」と大きい方をココに突きつけると、小さい袋を机に、自分の尻は椅子にどっかり置いた。
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