苦くて美味しいとは思えなかった 0回目その日はいつもと変わらない日だった。
太陽の光が差し込むポカポカと暖かいリビング。
窓辺では本橋依央利がせっせと洗濯物を干していて、ソファの上では寝転がった猿川慧があくびを噛み殺していた噛み殺していた。
カッコーカッコーと時計が時を告げる。
その声に釣られて顔を上げた猿川慧は頭をかしげる。
暇な土曜日、することもないぼんやりと天井を眺めていた。
「なぁ、いお。あそこの時計あんな形してたか?」
「え?あぁ、それね。前の時計、動かなくなっちゃったからさっき変えたんだ。その時計自体は倉庫で見つけたやつ。」
「どうりで。しかし、鳩時計とは随分とメルヘンチックな時計だな。」
「鳴き声もカッコウだしね」
顔を見合わせ、くすくすと2人は笑う。
程よく暖かいリビング、たわいもない会話、これが平和っていうやつか。
洗濯物を干し終えた依央利は昼ごはんを作るためにとキッチンに立つ。
その様子を眺めていた慧は、またこみ上げてくるあくびを殺し、昼寝を続行することを決める。
もぞもぞと体勢を変え、かかっていた毛布を肩まで引き上げてくるまる。
ゆるりと意識がまどろみ、眠りに落ちる。
次に目を覚ました時、空の食卓の席には少し顔色の悪い草薙理解がいた。
珍しいこともあるもんだ、慧は心の中で呟く。
夜の9:00に布団に入り、朝の5:30に起きる超のつく真面目健康児の理解。
ただの体調不良では確実にないだろう。
とはいえ素直に大丈夫か?と声をかけるのも性に合わない。
どうしたものかと考えているうちに、依央利がすでにココア片手に理解の隣に座っていた。
「理解くん、顔色悪いけど何かあった?」
「依央利さん…ご心配ありがとうございます。体調は大丈夫なのですが…ちょっと精神的に疲れてまして…」
あの理解が精神的に疲れる?!
ありえないワードに盗み聞きしていた慧は笑いを止められない。
「っぷ。あははははは」
「猿ちゃん」「猿…」
「いや、ごめん、っでも、ありえなくて…っふふ」
「ったく、猿ちゃんは… 理解くん今日の昼ごはんカツ丼だけど理解くん食べれる?うどんに変えようか?」
顔を手のひらで覆っていた理解に依央利が優しく話しかける。
理解は一つため息を吐くと吹っ切れたように顔を上げる。
「依央利さん、大丈夫です!身体は元気ですから。」
そう言っていつもどおりの表情を理解は見せる。
「ところで猿。お前は朝から一体何をしているんだ?」
「あぁ?昼寝だけど?」
その後はいつもと何も変わらない。
朝からずっと寝ているなんてだらしない!そう言って怒る理解の声に釣られて腹をすかせた他の奴らも集まってくる。
集まったメンバーで昼寝は許されるか、許されないかについて言い合っているうちに、昼ごはんが出来上がり、席に着く。
いつもと変わらない日々、ヒートアップする結論の出ない話。
美味しい食事に、仲間たちとたわいのない会話。
いつもと変わらない日だった、はずだっだ。
夕飯までには帰ります、そう言って外出した草薙理解の死体が発見されたと連絡が届くまでは。
死体安置所の無機質なベッドに横たわる理解は顔に布がかけられていなければ、首にドス黒い手の跡が残っていなければ、寝ていると錯覚してしまいそうなほど穏やかな顔だった。
そういえばこいつは随分と整った顔立ちだったことを思い出した。
警察官の言葉が右から左へと通り過ぎていく。
「父親に絞殺」「抵抗の跡がほとんどない」「心中の可能性」
『みなさんはルームシェアをされているそうですね。彼は死を仄めかすような発言や行動をしていませんでしたか?』
その言葉にブチ切れたのは湊大瀬だった。
警察官に掴みかかり、今までに聞いたことのない大きさの声で叫ぶ。
「ふざけんな!!あの人は自殺なんて、心中なんてする人じゃない!!」
「大瀬さん!落ち着いて!」
後ろから天彦に押さえ込まれ、大瀬は部屋から引き摺り出される。
「あの人は!あの人は!あの人は…」
「わかってます、ちゃんとみんなわかってます。だから一回落ち着きましょ、ね?大瀬さん。」
天彦が大瀬を置き落ち着かせようとしている声が背後から聞こえてくる。
大瀬は今に起きそうな顔をしている理解を見て、なぜ死んだと受け入れたのだろう。
ぼんやりとした頭の中、少し揺らすと起きるのではないかなんて考えが浮かんでくる。
けれど手の甲を理解の頬に当てても温もりは伝わってこない。
あぁ、草薙理解は死んだのだ。
カッコーカッコー
どこかで鳩時計が鳴いている