Parallel Blue Chronicle【サンプル】 黒と白の靄が絡み合い、しかし混ざり合うことなくわだかまる空間に、ぼんやりと浮いている。右も左も、上も下もない。歩くか、あるいは泳いでいるのか、手足を動かすことはできるようだが、進んでいるという感覚は一切なかった。
何をすればいいのか、その疑問が頭に浮かんだ瞬間を見計らったかのように、白い靄が明滅した。ほどなく光は一つに収束し、曖昧な形を成す。人のようでもあったが、別の何かにも見えた。白い靄なのか、光なのか、輪郭は溶けてしまいそうに頼りない。
―旅人よ。
それは女性の声であったが、重苦しい厳格さに満ちていた。
―我が問いに答え、あるべき姿を選択せよ。
ひとつ、どのような力を求めるか。
ふたつ、どのような未来を望むか。
みっつ、そのために何を捧げるか。
最後に、選択肢が現れる。
守る力を求め、穏やかな未来を望み、たゆまぬ努力を捧げると誓って、ナツキは盾と鎧に手を伸ばした。
目覚めたのは、ごく浅い泉の中であった。起き上がると、すぐに水面から肩が出る。立ち上がれば、水は膝ほどの高さまでしかない。とは言え、寝ている間は全身が水に浸かっていたはずだが、髪も肌も、鉄鎧の中も全く乾いていて、岸辺の若草を湿らせる様子もなかった。
泉から上がると目の前に、等身大の鏡が直立している。映っているのは、輝くような銀髪と深い青の瞳、先の尖った耳を持つ、鎧姿の青年であった。線は細く、白い肌、しかし不思議と無骨な鉄の鎧が似合う。気付けば背中には、大きな盾を背負っている。
じっと、鏡を見つめて、ナツキは考える。
確かにアイドルを始めて以来、容姿を褒められる機会が格段に増えたが、いくら何でも盛り過ぎではないだろうか。
しばらく、記憶の中の自分と、鏡の中の自分を比べていたが、促されて鏡面に振れた。枠も何もない、無機質に四角い鏡を押し開くと、その奥には部屋がある。
乳白色の石柱に囲まれた丸い部屋には、見覚えのある四人が立っていた。四人ともが、無言でこちらを見つめている。その沈黙に驚愕の気配を感じ取り、ナツキは気まずさを覚えた。
「……ええと」
「ナツキ、騎士にしたんだ」
緑の髪と、縦に長い瞳孔を持つ少年が、口火を切る。簡素な皮鎧を身にまとい、腰の左右には二振りの短刀を提げている。頬や手の甲にはエキゾチックな赤い紋様が走り、五指の爪は鋭く尖っているが、確かにハヤトであるとわかる容姿であった。
「よかったじゃん、騎士ってたんく? 役なんだろ?」
オレンジ色の長い尾を揺らして、同じ色の尖った耳を持つ青年がハヤトに問いかける。白と緑を基調とした道着は軽快なデザインで、反して防具のようなものは見当たらない。かろうじて、ベルトが装飾的だろうか。トレードマークのヘアバンドも着けていないが、とにかくハルナであることはすぐにわかった。
「エルフのガチガチ重装備、意外とかっけぇっすね!」
こちらも眼鏡をかけていない、その代わりなのか、左目にモノクルをつけた少年が、耳になじんだ歓声を上げる。大きな羽飾りのついたハンティングキャップに、右側だけの胸当て、背中の短弓からして狩人か何かだろうか。シキが選ぶにしては意外な職業に思えたが、ファッションの点から見れば、確かにかなり華やかだ。
概ね歓迎されていることを感じ取り、胸を撫でおろしたのもの束の間。
じっとこちらを見上げてくる、黒い大きな瞳にたじろぐ。
ナツキの胸の高さにも届かない低い背丈と、ナツキほどではないにしろ尖った耳。濃紺のローブの袖からのぞく指先も、幼子のように小さい。腰のベルトに挿した白い杖も短く、とにかく全てが小振りな少年は、他の三人と異なり、まったく身じろぎしない。
「……ジュン?」
おそるおそる声をかけると、穴が開くかと思えるほど真っ直ぐに見つめてきていた双眸が、ナツキから外れた。長い裾を引きずりながら、体を部屋の中央に向け、ぎこちない動作でもう一度こちらを見上げる。
「すごいな、そっくりだよ」
相変わらず、視線は不自然に無機質だが、声音は遥かに優し気であった。
「……うん、ジュンも」
つやのある黒髪と、賢しげな眉、柔和な目元、頬の曲線はほぼほぼジュンで、ナツキは感心のため息をもらしたのだが、ジュンからは如何にも不満げなうめき声が返された。
「身長を削られた気がする」
気がするも何も。
「ジュンのそれはピクシーの種族特性だからなぁ」
「ハヤトは変わらないように見えるんですが」
「逆に何で変えてくれなかったんだよ~、リザードマンって高身長種族なんだから、もっと大きくしてくれてよかったのに!」
「オレもリザードマンがよかったっす~! ヒューマンってメガメガ普通じゃないっすか!」
「その代わりに髪型とかタトゥーで遊べるだろ。ヘアスタイルのバリエーション、ウェアウルフの倍以上じゃん!」
すっかり慣れたもので、部屋の中央に集まりギャンギャンとはしゃいでいる三人に、ナツキは声を漏らして笑った。三人の視線が、すぐにもナツキを振り向く。
「……みんな……、かっこいいと、思うよ……」
すると、誰ともなく、気の抜けた笑い声。
「うん……、すげえかっこいいアバター作ってもらっちゃって光栄っていうかぁ」
「ヒューマンでも全然かっけえし、大満足っす! サンキュー、女神様」
「ジュンは不満みたいだけどな」
むっつりと押し黙っているジュンに、ハルナは苦笑いで近付いた。横に並ぶと、ナツキとハルナの身長差は忠実なようだ。おそらくシキとハヤトも。とは言え確かに、ジュンの身長はピクシーの設定が反映されているのだろう。むしろもう少し小さいと思っていたため、種族値の最大に設定されている可能性すらある。
「身長は、わかってます。もういいんですが」
心から納得している様子でもないが、ジュンはナツキとハルナを見上げて、無表情のまま苦渋のため息を吐いた。
「……何でもないです」
「……ジュンは、何のジョブにしたの? ……黒魔術士?」
露骨な話題逸らしであったが、ナツキの言わんとすることは伝わっただろう。先とは違う一息を吐いてから、ジュンは青い刺繍の入ったベルトから、白い杖を抜き取った。
「楽士だよ。攻撃魔法と回復魔法の両方を覚える、って話だったから。正解だったみたいだ」
相変わらずどこを見ているのか、胡乱な目で宙を見上げる。ジュンの言葉に、ハルナと、部屋の中央ではしゃいでいたハヤトとシキは、決まり悪げな空笑いを響かせた。
「格闘士が一番操作性よくてさぁ」
「素直に質問に答えたら、アタッカーしか選べなくなっちゃって」
「狩人が初期装備一番派手だったんすもん」
三人の言い訳を聞き流しながら、ジュンはゆっくりと、ナツキに体の正面を向けた。ナツキも合わせて対面すると、ようやく、ジュンの表情に笑みらしき感情が刻まれる。
「ナツキは、よくそのジョブにしたな。大正解だよ」
「……きっと、ジュンは後衛にするって思って……、守れるジョブにしたいな、って……」
「そっか」
頬を染めるような機能は備わっていないが、声には確かに面映ゆさをにじませて、ジュンがつぶやいた。
「ナツキっち~、オレたちの方も見て~」
「ジュン以外も守ってくれ~」
「うん……がんばる……」
応えてシキとハルナに笑いかけると、何故かぐうの音が返される。
「ま、まあ、職業選択は結果オーライってことで。ナツキがタンクで、俺とハルナがアタッカー、シキがアタッカー兼アイテム、ジュンがサポーター兼ヒーラーって感じで回していこ」
とりあえず話をまとめたハヤトに、それぞれが声だけで応えた。遅れてシキだけが片手を挙げる。
「それじゃ、まずはチュートリアルだな。いくぜ、We are Joker!」
ハヤトばかりは元気よく気勢を吐いて、しかしキョロキョロと四人の顔を見回す。
「……あ、ああ! 天下無双か!」
「すみません、汲み取れませんでした」
「円陣、なかったから……、ごめんね、ハヤト……」
「いや、俺もごめん! ちょっとシチュエーション間違った!」
そういうわけで三々五々、世界へと繋がる扉へ歩を進める。
「しまらねぇっす……」
シキの独り言を拾って、ナツキも思わず苦笑した。
五人が肩を並べて立つと、待ち受けていたように、旅立ちの扉が世界へ向けて開け放たれる。
まばらに木漏れ日の落ちる深い森の風景からは、湿った土と積み重なった枯れ葉の匂いが立ち込めているようだ。踏みしめた小枝の折れる音が、耳元で聞こえた。一方、影の落ちる草むらは音もなく揺れている。
そこからヒョコリと、ピンク色の毛玉が飛び出す。尖った耳とふさふさの尻尾は白く、くりくりとした黒い目はしかし光がない。その虚ろな双眸が、ぎょろりとこちらを振り向いた。
「うわ」
「ザコ発見!」
呻いて後退ったジュンと、一歩踏み出し二対の短剣を抜き放ったハヤトは対象的だ。
「え~と、オレは近付かないと攻撃届かないのかな?」
グローブをはめた両手を固く握りしめてから、ハルナも続いた。
「オレはえっと、えっと、これどうするんすか、ハヤトっち!」
背中の弓に手を伸ばすもつかみ損ねて、シキは早くも剣を構えているハヤトに助けを求める。
「え、えっ、攻撃するんですか!?」
ジュンは、どちらかと言えば戸惑った声音だ。森林に埋もれることのない派手なピンクという色味はともかくとして、三角の耳や長く細い尾は猫を思わせる。ジュンが躊躇するのも無理からぬ見た目だろう。
ナツキも、多少のやりにくさは感じるが、ともあれ背負っていた大きな盾を体の前に立てた。
「……あ」
「ど、どうした?」
背後に守ったジュンが、恐る恐るといった調子で問いかけてくる。
「これ……、敵が小さいと見えないんだなぁ……って……」
「ああ、足元が見えなくなるのか」
のん気な会話を遮るように、チャリンと金属質な音が響く。
「スリーキル!」
「いえ~い」
「オレ、何もしてないっす!」
縦の横からのぞき込むと、ハヤトとハルナがハイタッチをし、シキはまだ弓矢そのものと格闘していた。
「ハヤトっち~!」
もはや泣き言のシキに、呼ばれたハヤトはハイハイと笑って近付く。
敵の落としていったコインを拾い上げて、ハルナは腰に提げている小さなバッグへ放り込む動作を見せた。
「シキの場合は、敵が視界に入るとポインタが出るから、顔の中心に来るようにして、真ん中に来たらエイム、で、弓を番えて、ショット。エイムからショットまでにタイムラグがあるから、それも計算に入れて」
「さっき出なかったっす」
「俺かハルナで隠れちゃったかな?」
「その辺、結構ちゃんとしてるんすね」
ハヤトの指導を受けながら、シキはぐるぐると辺りを見回す。やや顔を上向けた、その目前に、白いダイヤ型の光が出現する。
「あ」
「……あ! 敵! 敵っす!」
「木の上か?」
シキの目とポインタの延長線を辿れば、木の枝の上でピョコピョコと跳ねる紫色の小動物。短い手には、クルミか何か、固そうな木の実を抱えている。それを振りかぶったところで、ナツキはシキとハヤトの前に滑り出た。地面をこするようにして運んだ盾を、両手で持ち上げ斜めに掲げる。
ガコっと、クルミを投げつけられたにしては重い音とともに、掲げた盾が揺れた。
「シキ、ジュン、攻撃!」
「え、ぅ」
「えっと、えっと、コマンド、エイム!」
声とともに、シキの向けた鏃が、肩口できらめく。ナツキは盾を斜めに下ろし、その軌道から退いた。
「ショット!」
よく通る声が響いたのと、矢が放たれたのは同時だ。飛んで行った矢は見えなかったが、樹上の敵は二投目のクルミを取り落としている。当たったらしい。
「ジュン!」
「っ、ああ、もう!」
叫んでジュンは、左手を宙に、右手に握っていたタクトの先を樹上へ向ける。
左の五指が音のないメロディを奏でる。呼応するようにタクトが緑の光を帯び、瞬く間もなく先端へ収束、旋風となって吹き出した。敵を枝葉ごと吹き飛ばして、風は青空の向こうへ消えていく。
「お~、すげえ威力」
「やったな、ジュン!」
落ちて来たコインはハルナがつかみ、ハヤトがジュンへと駆け寄る。浮かない顔つきでそれを迎えながら、ジュンはタクシュトックを腰のベルトに挿んだ。
「何であんな……、ふわふわした見た目なんですか。やりづらいです」
ハヤトの動きがしばらく止まる。
「……何ですか?」
「いや、そういうこと考えたことなかったなぁ、と思って。すぐにかわいい感じじゃなくなるから、大丈夫だよ」
ジュンの表情は変わらなかったが、どこか不満げな沈黙であるとナツキは感じた。反比例して賑やかに、跳ね回って戦果を喜んでいたシキは、あ、とつぶやき地面に着地する。
「ジュンっちは魔法の名前言わないんすか?」
ぎこちないジェスチャーでシキを労っていたハルナも、ジュンを振り向きながら両手を打ち鳴らす。
「攻撃魔法ってそういうイメージだよな。ファイヤーボール、とか」
「そういうものなんですか?」
「超常学園!」
「あれは必殺技だったからじゃ……、いや、でもそう……、同じなのか」
「さっきは……、風魔法、だった?」
盾を背中に戻し、ナツキはジュンの隣へ移動した。杖は腰に挿したまま、ジュンは見えない鍵盤をなでるように左手を浮かせてから、しばらく黙り込む。
「……テンペスト、ベートーヴェンのピアノソナタ第十七番。意味は嵐だから、風魔法、なのかな?」
「あ、いいじゃん、それ」
ハヤトの言葉に、ジュンの顔がそちらを向く。
「魔法撃つときに、事前にそれ言うとかっこいいかもよ」
「呪文みたいっすね!」
シキのはしゃいだ声を受けて、押し黙ったジュンはどうやら葛藤しているらしい。
「……善処します」
精一杯の返答だろう。
「よし、それじゃあチュートリアル終了ってことで、はじまりの街に向かうぞ!、We are Joker!」
「天下無双!」
意気揚々、空に向かって拳を突き出すリーダーに、すぐに返したのはハルナとシキで、ナツキは遅れて反応、ジュンは更に間を置いて、何とか片手を挙げるコマンドを入力できたようだ。
鬱蒼とした森を抜けると、黄土の道にまばらな石畳が現れる。それは次第に密度をまして、街道と呼べるほどになるころには、はじまりの街の姿も見えるようになっていた。
三種類目の魔物である、見上げるほどに大きな歩くユリを殴り倒したところで、ハルナの足元から銀の光が沸き起こった。
「よっしゃ~、レベルアップ!」
ユリの花はヘナヘナと萎れ、ポンッと弾けて掻き消える。後に残った茶色の袋を、ハヤトがつまみ上げて回収。
「白い種」
「ユリの種じゃないんですか?」
怪訝な顔をするジュンに、まあまあと笑って返す。
「ハヤトっち~、回復ってどうやるんすか?」
ユリの花から種を叩きつけられ、ダメージを受けていたシキが、パタパタとハヤトに駆け寄る。
「アイテムボックスを開いて~」
甲斐甲斐しく説明するハヤトを横目に、ジュンの傍へ戻り、ナツキは眉をひそめて沈思した。どうしたと、ジュンの声は尋ねてくるが、視線がよこされない。
「やっぱり、……白魔導士にした方がよかったかな、って……」
「選択肢にあったのか」
「うん……」
「そんなことないって」
視線はシキの回復を見守る向きのまま、ハヤトがからからと笑った。
「ナツキがタンク選んでくれてよかったよ。俺、ついついかっこよさ重視で双剣士にしちゃったからさ」
間違いなく一日の長があり、リーダーという役回りから考えても、ハヤトは剣士を選ぶのが優等生の解答だった、そうだ。一応、最後の選択肢の中にも含まれていたらしい。ナツキは確認すらしなかったが、仮選択でモーションの試用ができて、画面映えも加味して双剣士に落ち着いたと言う。
「映えまで考えてなかったな~、オレは動きやすさで選んだから」
格闘士、軽業師、ガンナーの選択肢から、直感的に動かしやすいということで格闘士を選んだハルナは、とても武器には見えない黒いグローブをはめた両手を見下ろし、苦笑いをもらす。
「役割的には、ハヤトとかぶっちゃったな」
「近接アタッカーが五人中二人なら、そこまで気にしなくていいと思うけどな。双剣士の方が手数多いけど、格闘士はすぐに自前で回復できるようになる。運用的にはやっぱり違うよ」
「でもでも、やっぱナツキっちがバッチリアーマーで出て来たときは、ちょ~っとびっくりしたっすよね」
ハヤトと同じく画面映えを、しかし主眼はファッション性において、狩人を選んだシキは、モノクルの奥からナツキの顔を、そして初期装備の鉄鎧を眺める。
「……変かな?」
「メガメガイケてるっすよ! 銀髪イケメン騎士なんて、マジもんのおとぎ話みたいっす!」
自然なサムズアップからのウインク。トークアクションにはすっかり慣れたシキの称賛に、ナツキは深く感心する。
「役割もこなせてるし、騎士でよかったんじゃないか? 似合ってるよ、ナツキ」
まっすぐ前を見つめたままのジュンは、ナツキが視線を送ったことでようやく歩を止め、斜めにこちらを振り仰いだ。確かに低い位置から見上げてくる姿に、思わず頬を緩める。
「ジュンも、似合ってるね……、楽士」
「ありがとう。とりあえず、早く回復魔法を覚えたいな。すぐなんですよね?」
ナツキの顔を見上げながら、問いはハヤトに向けているようだ。双剣を構えながら、ハヤトは片手間に応えを返してきた。
「そのはず。まあ、最初の方はアイテム回復でも何とかなるよ。まずは堅実にレベルアップしていこう!」
ハルナが拳を握り、シキが弓を番える。先頃のレベルアップでデュエルモードを覚えたナツキは、大盾に付属していた片手槍を抜き放った。盾を左に、右手で槍を構えているため、何だか妙な感じだ。
「ジュンがあと少しでレベルアップだから、とどめ回すな。攻撃魔法の準備しといて」
「わかりました」
こちらに気付いたユリの魔物が、根っこの足をウネウネとうごめかせながら近づいてくる。種子鉄砲なる攻撃モーションに入ったことを見止めて、ナツキは駆け出し、ハヤトとハルナの前に割り込んだ。敵のターゲットが、ナツキ一人に集中する。
盾に種子が叩きつけられる音を聞きながら、左右に躍り出るハヤトとハルナの姿は視界の両端で確認。ハヤトの一太刀が、茎というには太すぎる緑の胴体を切りつけた。ハルナの一撃は空をかすめたが、ハヤトは二太刀目も確実に当てる。
「コマンド、エイム!」
三人から間を空けて、ナツキから見れば左奥に移動していたシキが叫んだ。白銀の鏃と白いポインタ、白百合の頭が一直線に並ぶ。
「ショット!」
ユリの体が大きく傾ぎ、輪郭が赤く明滅した。
「とどめ!」
「ドビュッシー前奏曲第二集第十二曲、花火」
ジュンの突き出したタクトから、まばゆい炎が放たれる。ナツキの顔の横、大盾の縁をかすめるように、炎はまっすぐ、ユリの形をしたモンスターを包み込んだ。
紺色のローブをまとったジュンの体が、ふわりと銀に輝く。
「……あ、覚えました。回復魔法」
「お、オッケ~。貸して」
その言葉と同時に、ハヤトとジュンが棒立ちになる。ハヤトの隣にはハルナ、ナツキもジュンの隣で盾を手に、周囲を見渡した。シキもキョロキョロと顔を動かしているが、とりあえず、ポインタが出現することはなさそうだ。
「できた。俺がさっきのレベルアップ分あるから、回復魔法かけてみてよ」
ハヤトの提案に、ジュンはさっそくタクトをハヤトへ向ける。左手が透明な鍵盤を叩き、白いタクトが淡く水色に輝いた。
「ラヴェル、水の戯れ」
簡素な皮鎧をまとったハヤトの体が、水色の光に包まれる。
「これ、万全状態からでも五回くらいしかできないんですけど」
「あ~、アイテムでマジックポイント上げたほうがいいかもな。街に入ったら、まずは武器屋と道具屋見てみよう」
各々がうなずいて、ハヤトを先頭に石畳の上を歩いていく。正規ルートを進んでいる間は、敵とのエンカウント率が下がるようで、門前に辿り着くまでユリの魔物に襲われることはなかった。
「……音楽で衝撃を受けるとか、癒されるって、比喩だと思うんだよな」
「ふふ……」
釈然としていない様子のジュンの口ぶりに、ナツキは笑いを抑えきれない。
「でも……、普段できないことができて、ちょっと楽しい……な……」
「のん気だな。クエストクリアしないと、帰れないんだぞ?」
そのクエストの内容も、今のところ把握できていない。
「……ジュンは、楽しくない……?」
「……楽しいよ。こんな風に魔法を使えるなんて、思わなかったし。景色も綺麗だし」
「うん……、本当に」
鎧兜の門番にハヤトが話しかけ、許可が出て、見上げるほどに大きな門が重苦しい音をたてて開いていく。
ヨーロッパの城下町を思わせる、石とレンガ造りの美しい街並み、古風であったり奇抜であったり、様々な出で立ちで行き交う人々と、見慣れぬ動物たち。青い空に白い雲と飛行船がたなびく始まりの街が、眼前に広がっていく。
門をくぐるとまず始めに、いかにも作り物じみて個性のない美貌の女性が頭を下げた。五人の旅人の到着を歓迎し、街の名前がラウンドポートであると告げてくる。
「ポート」
「地上の港、でしょうか。空港だったらエアポートですけど、飛行機という世界観じゃないですよね」
「移動は……、飛行船なのかな……」
ふと、五人の頭上に大きな影が差す。見上げると飛行船の腹があり、悠々、街を囲む壁を超えて、空の彼方へと旅だって行った。
「俺たちにはまだ早いんじゃないかなぁ。しばらくは徒歩圏内で冒険しよう」
「オレ、あれ乗ってみたいっす!」
ハヤトの肩をばんばんと叩いて、シキが指差す先にはクラシックなオープンカーが鎮座している。
「……自動車がある?」
「まだ買えないって! 免許取得クエストもやらなきゃいけないし」
「なぁ、ハヤト、こっちは?」
やや離れた場所で、ハルナが立っているのは馬小屋のような建物だ。中には白くてふわふわで長い耳と赤い目、ウサギに近い姿の動物が寝そべっているが、とにかくサイズが桁違いに大きい。
「ど……、う、いう……?」
「ラヴィーはクエストなしでも乗れるよ」
「うおぉ! メガプリティーっす、触りて~!」
困惑しているジュンを置き去りに、三人はラヴィーなる生き物の小屋に駆け寄り、大きなウサギの頭をなでている。
「ジュン……、俺たちも見にいこう……?」
「ウサギに、乗るのか? え? 馬の代わりってこと?」
動かないジュンの手を引いて、近付いた建物はやはり馬小屋のような形状であった。大きなウサギもといラヴィーは、長い耳の根本に筒状の耳飾り、ふわふわの首回りに埋もれるように首輪をつけていて、どうやらそこに捕まるらしい。椅子のような形状の鞍を乗せていて、ジュンの言うとおり、馬の役割をあてがわれているようだ。
「かわいい……ね……?」
「……うん」
おそるおそる、ジュンが右手を上げる。首回りに添えられた小さな右手が、ずむりと、白い毛の中に埋もれた。
そうして大きなウサギと戯れていると、自分たち同様、軽装の旅人たちが小屋に駆け寄ってくる。ポストのようなものの前で立ち止まり、コインをいくつか放り込むと、小屋と通路を仕切っていた木材が跳ね上がった。すっくと、茶色のラヴィーが立ち上がる。
「うおっ!」
声を上げたのはシキだけであったが、ナツキもジュンも、ハルナも面食らって、小屋から連れ出された大型ウサギをしげしげと眺めた。想定していた以上に、長く引き締まった四つ足である。
「思ってたのと違うっす」
「お前もあんな美脚なのか?」
シキがつぶやき、ハルナは自分たちの前にいる白いラヴィーへ問いかけた。プスーと、確かにウサギのような鳴き声をもらすが、果たして返事なのだろうか。
楽し気な笑いを漏らしてから、ハヤトはシキとハルナの背中を叩いた。
「まずはクエスト、の前に、装備とアイテム整えよう!」
「は~い」
促された二人が離れ、ナツキ、最後にジュンが小屋から離れた。
ハヤトの背中を追いかけるようにして、色とりどりの服装に身を包んだ人々の波をかいくぐり、美しく整備された街道を進んでいく。人々の声は聞こえないが、道の両脇を流れる小川のせせらぎ、姿の見えない小鳥の鳴き声、人の生活を示すような環境音は耳によく届いた。時折頭上を飛行船が過ぎり、その影が消えた直後、日が差した瞬間の街並みは目にも鮮やかで美しい。
「うぇえ」
そんな街並みに似つかわしくない、喉から絞り出すようなうめき声。
「迷子になりそうっす」
シキが嘆いたのは、看板を見るため三度、ハヤトが立ち止まったときだ。
「ちゃんと確認すれば大丈夫だって。ほら、ここが職人通り」
覗き込んだ通りは広く、大きなアーチに覆われている。両脇に店舗が並び、ここに来て始めて、客を呼び込む店員の声が聞こえた。
「まずは武器かなぁ」
交叉した二本の剣の看板が下がる店の前で、ハヤトが立ち止まった。自身の双剣とハルナのグローブを購入し、隣の店舗へ移動。シキの弓を新調する。続いて店先に盾が据えられている店舗に移り、ナツキの大盾と、ジュン以外の防具をあつらえた。そうして、大通りの向かい側、更に奥へと進み、入口の台に水晶玉を置いている店へ入る。
「え~っと、ジュンの武器はタクトだから」
「何か、すいません、僕だけ別のお店になってしまって」
「え、何で何で? そういうものなんだから、気にしなくていいよ。次はローブな」
すたすたと店を出て、宣言通りにローブを購入し、最後にアイテムショップへ。そこでようやく残金と相談して、ジュンのために魔力増幅のイヤリングを購入して終了となった。
「こういうのって、剣とか鎧の方が値段が高いものなんだ。その代わり、魔導士系はアイテムで補強するから、値段的にはトントンになるって感じかな。装備してみよう」
職人通りから離れて、街の中心である大噴水広場に至った。ここも多くの旅人が行き交っているが、職人通りほどの滞留はない。人だかりから離れて五人とも立ち止まり、ハヤトに言われるまま、購入した武器や防具を装備していく。
「おお! 見た目ちゃんと変わったっす!」
飾り紐の数が増えた胸当てを見下ろして、シキが歓声を上げる。ハヤトの皮鎧には装飾が刻まれ、ナツキには銀の籠手が追加された。ハルナの道着は白から黒へ、ジュンのローブには大きなフードが着いたため、変化としては後者の二人が大きい。
「色とかも変えられるんだけど、それはまだ先かなぁ」
「どうせなら、ハイパー派手で目立つ装備にしたいっすね」
「それは四季くんだけでどうぞ」
雫型のシルバーのイヤリングを揺らして、ジュンはシキを振り仰ぎ、続いてハヤトを見る。
「ありがとうございます」
「そういうものなんだってば!」
律儀に頭を下げるジュンに、ハヤトは慌てて両手を振った。
「それにしても……」
ほとんど聞き取れない声量でつぶやくジュンを、ナツキは見下ろし続きを促す。少しだけ躊躇の沈黙を経て、ジュンは小さな呻き声をもらした。
「魔導士用のアイテムって、アクセサリーみたいな形状が多いのかな」
「……似合ってるよ」
本人の言う通り、いつもより身長が削られている分、幼い印象の顔に手を伸ばす。整った黒髪と、暗い色味のフードに包まれた、少年と青年の間のような顔立ちに、銀細工のイヤリングは慎ましくも美しく映えていた。
「ちょっと……フーゴを思い出すね……」
「……かぶれるのかな?」
あいにく、フードはただの装飾で、いつかの魔法使い役のようにかぶることはできない様子。
新たにビスが追加されたグローブを打ち合わせてから、ハルナはハヤトを振り向いた。
「次は?」
「アイテムかな。ジュンが回復魔法覚えたから、傷薬よりは魔法薬優先で。あと、万能薬も買っといたほうがいいかも」
ハヤトの言うままにアイテムショップへ向かう道すがら、街の住人らしい、質素な服装の子どもたちが集まっている広場に出る。転がって来たボールがナツキの足に当たり、ハヤトが小さく声を漏らした。ボールの持ち主らしき少年が、飛び上がって駆け寄って来る。そうして、遊ぶ約束をしていた友人が来ないので、探してきてほしいと告げる。
「ミニクエスト、始まっちゃった」
「……そうなの……? ごめん……」
ハヤトが看板を確認している間、ぼんやりしていたせいだろうか。
「いや、強制イベントだと思う。まだ行ったことないエリアだし、覗いていこう」
看板が示す方向とは真逆、道を左に折れて、民家の間を駆け抜けていく。目的の家は、一人遊びに興じていた少女が玄関前にいたため、すぐにわかった。
「広場で友だちが待ってるっすよ」
シキが告げると、飛び上がった後に一礼し、お礼だと言ってアイテムを差し出してくる。傷薬であった。
駆けていく少女の背中を見送って、ジュンが一言。
「……自分で呼びにくればよかったのでは?」
「そういうものなんだって!」
改め進路を反転し、アイテムショップに向かって歩き出す。
少女にもらった傷薬はそのままシキが持ち、各々が傷薬と万能薬をひとつずつ、ジュンには魔法薬を三つ持たせて、アイテムの補充は完了した。
「よ~し、それじゃ酒場に行ってみよう」
「酒場?」
ジュンのオウム返しは如何にも不審げで、シキとハルナが顔を見合わせる。
「定番っすね」
「だよな、何でだろ?」
あいにく、酒の席とはまだ縁のないメンバーである、ハルナの疑問には誰も答えられない。
「この世界って……、お酒、何歳からなんだろうね……?」
「ヨーロッパベースみたいだから、十代でも飲んでいいのか」
「そういうことではないと思うけど。まぁ、お酒飲みに行くわけじゃないからさ」
酒場へ向かう途中で、ミニクエストをいくつかこなし、所持金とアイテムがわずかに増える。防御力の上がるバンダナを入手し、相談の結果、ハルナが装備することになった。ますます見慣れた姿に近付く。
酒場へ入ると、入口脇に佇んでいたリザードマンの男性が話しかけてきて、事細かに店内の設備を説明してくれた。壁際の掲示板にはクエスト依頼が貼ってあると伝えられて、ようやくジュンが納得したように頷く。
五人並んで、掲示板を覗き込んだ。黒い文字がつづられた依頼書は読めるが、薄墨で書かれた紙はそもそも文字の判読ができない。読める依頼書にも、無印のものと青い印、赤い印がついたものがあり、区別されている。入口脇にいた男性の説明によれば、青い印はまだ早い、赤い印からは逃げられない、とのことであった。
「え~っと、何だっけ?」
「女神っち何て言ってたっけ?」
「女神様というか、もっと上というか」
「……俺たちに、ぴったりのクエストがある……だっけ?」
「あ、これじゃないですか。下から三つ目の」
ジュンの言葉を受けて、一同の視線が一枚の依頼書に集中した。
「……音楽祭の助っ人募集」
ハヤトが依頼名を読み上げて、五人、その内容を改めていく。近日ラウンドポート音楽堂で開催される音楽祭の出演者が減ってしまった。代役を大至急募集中。楽器を持って音楽堂へ集合されたし。性別・種族不問。必須ジョブは白魔導士か楽士。必要レベルは十以上。
「って……、まだ受けられないじゃん!」
ハルナの指摘を補強するように、依頼書の左隅には青いマークが印されていた。
「でも、ジョブはクリアっすよ、ラッキーっす!」
「これは、必要レベルまで上がったら改めて依頼を受ける、という手順になるんですか?」
拳を握るシキの横で、ジュンがハヤトに尋ねる。ハヤトは手を伸ばして依頼書の端をつまみ、軽く引っ張って、掲示板から外した。その下には木目、ではなく、全く同じ内容の紙が新たに出現する。
「とりあえず受けちゃって大丈夫。ジョブとレベルが揃ったら、クエストに進めるよっていうお知らせが出る感じかな。街の周辺で戦うか、他のクエストでレベル上げするかしないとだなぁ」
他の依頼書も物色し始めるハヤトを、しばらく四人で見守っていたが、やがてジュンが声をかけた。
「ハヤト、ちょっといいですか?」
視線は向けずに促され、続ける。
「依頼内容で、気になる箇所があります。それも踏まえて、クエストシステムについて詳しく教えてもらえませんか?」
「うん、わかった。まず必須ジョブについてなんだけど」
二人の体が完全に停止して、相談の体勢になったことがわかる。道中とは違い、ここでなら魔物に襲われることもなかろうということで、シキとハルナと連れ立って、酒場の中をぐるりと巡ってみた。
カウンター内のピクシーの女性は店主のようで、話しかけると街の歴史について語り始める。うんうんと、頷きながら聞いていたのはナツキだけで、ハルナとシキは開始一秒で右から左となっていた。耳慣れない横文字が多かったため、ナツキも全てを理解できたわけではない。
続いて酒宴を囲んでいるグループに近付くと、これは話しかける間でもなく会話が聞こえてくる。街道の魔物が増えているだとか、荷運びのクエストも大変だとか。見たところ、彼等は旅人ではないようだが。
果敢にも、シキは装備の整っている旅人のパーティーに話しかけにいった。習得間もないトークアクションを駆使した一分程度のやり取りの後、早足に戻って、相手の連絡先を見せてくる。
「フレンドになったっす!」
「お見事」
「シキは……、すごいね……」
ハルナが拍手し、ナツキが褒めると、胸を張る仕草で称賛に応えた。
掲示板前を振り返るが、緑の髪のリザードマンと、黒髪のピクシーは、まだ微動だにせず相談の真っ最中らしい。
ハルナが見つけた階段を上り、壁沿いの廊下を進んでいくと、光差す窓辺に行きつく。
「あ、街の外見えるっすよ!」
シキの言う通り、窓の外には広い世界が広がっていた。
大きな窓は、自分たちが出立した旅立ちの広間、鬱蒼とした森とは別の方角を向いているらしい。打って変わって明るい草原が広がり、黄色に舗装された道が、細い川のように彼方へと延びている。白雲のたなびく青い空を、陽光を跳ね返しながら進む飛行船。遠く、わずかに海の青がきらめいていた。
「どこまで行けるかな?」
ハルナの疑問は、時間か、道程か。どちらを示しているのだろう。ナツキもシキも答えあぐねていると、お待たせと、ジュンの声が聞こえた。
階段を降りて、掲示板の前で待っているリーダーとサブリーダーに駆け寄る。
「プランが決まったので、共有しまぁす」
ハヤトに示されるまま確認すると、いつの間にか大量のクエストを受諾していた。
「さっきも言った通り、街の周辺でのバトルと、他クエストクリアでレベル上げつつコイン稼ぎをやってくって感じで」
「コイン稼ぎもするんだ?」
「依頼書の文面から見るに、楽器をどこかで調達していかなければいけないと思うんですよね。アイテムショップにギターとドラムがあったので、おそらくそれのことかと」
「……あったっすか?」
「あったあった。手持ちのコインじゃ足りないから、コイン稼ぎも真面目にやんなきゃだな。それと、このクエスト、楽士の熟練度も必要みたいなんだ。だからジュンには、街中クエストをこなして熟練値を稼いできてもらう。なので、バトル班とクエスト班に分けたいと思います!」
「……班分け……」
つぶやいて、ジュンの顔を見下ろす。これまでの説明から察するに、ジュンはクエスト班で固定なのだろう。ナツキは、バトルにおいてはタンク役で、アタッカーの多いHigh×Jokerの中では唯一の役割を持っている。となればすなわち、自分はバトル班として街の外に出ることになるのでは。
「ハルナとシキは俺とバトルで、ジュンとナツキがクエスト班ね」
「……あれ?」
肩透かしを食らった気分で、つぶやいたが声はハヤトに聞こえなかった模様。こちらを振り向いたハルナも、ナツキの疑問が届いたというよりは、同じ疑問を持ってナツキの顔を確認したらしい。すぐにハヤトへ視線を戻す。
「ハルナ、まだちょっとバトルモーションに慣れてないだろ」
「……ううん、バレてた」
「アハハ、経験者の目をごまかせると思うなよ~」
言われて思い返せば、遠距離アタッカーのシキよりもレベルアップが遅く、先の戦闘でも空振りしていた。運動神経のいいハルナにしては珍しい、やはり慣れていないのだろうか。
「シキはヒーラー代役で必要だしさ。通過済みの場所なら、敵もそんなに強くないから、スピード重視のアタッカー編成でいこうと思うんだ」
ハヤトの説明に納得半分、見出した役割がいきなり意味をなさなくなったように感じて、ナツキは複雑な心持ちとなる。
すると、ジュンの体がこちらへ向いた。話しかけてくるのだと、気付いてナツキが見下ろす先で、小さな口に笑みが浮かぶ。
「よろしくな、ナツキ」
この世界を訪れて初めて、ジュンの自然な笑顔を見たように思う。スキル面でジュン自身が慣れて来たということももちろんあるだろうが、世界観を受け入れ始めていることもあるのだろう。楽しいと感じているのなら、それはナツキと気持ちを同じくしているということだ。
何よりも、こうして笑顔を向けてくれたことが、単純にうれしい。
「うん……っ」
大きくうなずいて、片手を差し出したが、ジュンは笑顔を向けたままに固まっている。
「……ジュンっち、トークアクション二ページ目の上から三番目押すといいっすよ」
シキのアドバイスを受けてから、三拍を数えたところで、差し出した手の上に小さな右手が重ねられた。
「……いや、何ですかこれ」
「握手モーションっすね」
「そうですか」
手を取り片膝をつくというアクションもあったような。とりあえず、困惑するジュンとシェイクハンドを続けながら、ナツキはトークアクションの一覧を確認する。
「あ、そうだ。ジュンとナツキの持ってる傷薬、シキに渡してもらえる?」
「あぁ、はい」
ハヤトへの返事と同時に、ジュンの方のモーションが解除された。
「どうすれば?」
「フレンドの中からシキを選んで、プレゼントってして」
準備を整えてから宿へ移動した。寝れば傷も魔力も回復するという説明に、ジュンが疑問を呈してまたひと悶着。
客室のベッドは二台しかない、五人でどうやって寝たのだろうと、無粋なことを考えながら一夜を過ごす。
二班に別れての冒険開始は、三十分後である。