飲み会中にテーブルの下でいちゃいちゃする話。「…………あれ、俺の隣は二宮なのか」
大学から歩いて十分くらいの距離に建つ、俺でも迷わずに辿り着ける馴染みの居酒屋。の、ボーダーのボーネン会とかシンネン会とかでも使ったことのある広い座敷。大学の同学年の男だけで集まった飲み会の最中に風間さんから電話がかかってきて。いったん店の外に出て明日の防衛任務のシフト変更の報告を受けたあと、電話を終えて座敷に戻ると俺の飲みかけのカシオレや箸や皿が机の端の方に移動していた。しかも右隣に座っているのも二宮に変わっている。たぶん俺みたいに飲み会の途中で外に出たりトイレに行ったり酔い潰れたやつが増えた結果、席の入れ替わりが起きて俺の席もすこしずつ端にズレていったんだろう。座敷の奥には酔って寝落ちしたやつらが集められているし。みんな酒が弱いのに酒が好きだな、と自分を棚に上げて思う。堤や来馬みたいに酒が強くて止める役がいない飲み会の後半は終電の電車の車内みたいにぐだぐだになるのだ。
「お、太刀川おかえり。電話長かったな」
「また座敷の場所がわからなくて迷ってるんじゃないかって永村と話してたんだよ」
「ボーダーからの電話だったんだよ。明日の予定が変更になったらしくてさ」
俺が戻ってきたのに気づいた永村と古田から手招かれる。でも二宮は俺の言葉を無視して向かいに座る男友達と話していた。さてどうしたもんかなと考えながら二宮の左隣に腰を下ろす。二宮はそっちの机の男友達と話しているからこっちの会話には混ざらないだろうが、声は届くから内容は二宮の耳に入るだろう。もしかしたら二宮にも話をふられるかもしれないし。
俺が電話をかけているあいだに話題が変わっていたらいいんだけどな──という希望的観測は、向かいの席に座る永村の期待に満ちた声であっさりかき消えた。
「太刀川も帰ってきたしさっきの話の続きに戻ろうぜ」
「そうそう。いいところで太刀川に電話がかかってきたもんな」
「……なんの話だっけか?」
とぼけて答えながらぬるくなったカシオレに右手を伸ばす。その拍子に右腕が二宮の左腕にぶつかるが、慌てて離れるのもわざとらしい気がしてそのままグラスを掴んだ。
「なにって太刀川の恋人の話だよ。つい最近付き合いはじめたんだろ」
「どんな子なんだ?誰かまでは言わなくていいからそれくらいは教えろよ」
触れ合った二宮の左腕がピタリと固まるのがわかった。向かいの席に座る永村と左隣の席に座る古田から熱のこもった目を向けられて、俺は恋人について話さないかぎりこの場から逃れられないのを悟る。そして右隣に座る二宮こと恋人本人に俺たちの会話が聞こえているのも。飲み会に戻って来た早々俺はいま自分が置かれている状況を察した。
なるほど。俺はキュウチってやつに立たされているらしい。
と、このまえ諏訪さんが東さんと冬島さんにハメられて麻雀で負けまくっていたときに口にしていた言葉を真似してみる。意味までは聞かなかったけど使い方は合っているだろう。たぶん。
「そうだなあ……」
俺は悩むように返しながらカシオレをひと口飲んだ。グラスを机に置いたあと、空いた右手を机の下におろしてつぎに取る行動に備える。
「……笑わないし表情も変わらないし冷たそうに見えるが、本当は素直でわかりやすいやつだな。あと俺のことがめちゃめちゃ好きだし意外とかわいいところもあるんだよ」
立ち上がろうとした二宮の左手を右手で掴む。押し留めるように強く。席を立とうとした二宮が不自然に座り直すのを見て、「どうした二宮」「酔ったか?」「顔色悪いんじゃないか」とさっきまで二宮と話していた友達が心配そうにたずねた。二宮は「いや」と短く答えてはぐらかす。右隣からいまにもフルアタックで撃ち落とされそうな殺気を向けられるが、俺は顔を背けたまましれっと無視をした。こいつは大学の友達に俺たちが付き合っているのを隠したがっているくせにすぐにバレそうな行動を取るのだ。だから付き合った翌日に加古に見破られたのになにも学んでいないらしい。まあその二宮のわかりやすさも俺の好きなところのひとつなんだけどな──と思いながらこの場を切り抜けるために先手を取る。
「あと俺から手を繋いだときはあっちから絶対に離さないんだよ。俺がそうされると寂しいってのがわかってるんだろうな」
俺から逃げようともがいていた二宮の左手が飼い主に抱きかかえられた猫みたいに大人しくなった。よし。これで二宮も俺の手を振りほどいて店から出ていかないだろう。二宮は俺に甘いからこんなことを言われたら目の前でイレギュラーゲートが開いてブラックトリガーに襲われようと絶対に俺の手を離さないはずだ。そう確信してひさしぶりに触れた二宮の指に俺の指を絡める。
大学の飲み会の最中。唐揚げやえびせんやたまご焼きや枝豆や酒のグラスがごちゃごちゃに並ぶ机の下。誰からも見られないように二宮と手を繋ぐ。ふたりきりでエロいことをしているときみたいに。まわりに男友達がたくさんいる状況とは不釣り合いだった。ただ手を繋いでいるだけなのにやらしいことをしている気分になって、イタズラ心が湧いて人さし指で二宮の手をなぞってみた。いつもキスをねだるときにする仕草で。二宮の左手がピクリと震えるのを感じながら好き勝手に指でくすぐる。俺の話を聞いたふたりから「太刀川がデレた」「太刀川がのろける日が来たのかー」と感動した様子で返されるなか、二宮が反撃するように俺の人さし指を自分の親指と人さし指で掴んだ。それから逃れたくて指を引き抜こうとしたら逆に二宮の方から隙間なく指を絡められる。おもわず右隣に目を向けるが二宮も俺に顔を背けて友達と話していた。
「太刀川と恋人のどっちから告白して付き合ったんだ?」
「それ気になるな。太刀川から告白するイメージはないし」
「あー……いつの間にか付き合っててさ。出会ったのは結構前で昔からよく話していたから、告白とか付き合ったきっかけとかはないんだよな」
「それだと本当に恋人なのか不安にならないか?俺だったらちゃんと言葉で伝えてほしいけど」
俺が恋人の手の中であがいていると古田から聞かれる。どう答えるか悩んだものの結局は正直に話すことにした。
「ならないな。不安になる暇がないくらい俺を甘やかしてくるし」
二宮が文句を言うように俺の右手に爪を立てた。でも痛くないどころかさんざん二宮の指でなぶられたぶん鋭い刺激が気持ちよくておもわず息がつまる。こういうのを煽るためじゃなくて天然でやってくるんだからすごいよな、と内心で呆れる。こいつはエロいことに興味ありませんみたいなそぶりをしておいて無自覚にエロいことをしてくるのだ。本人に悪気がないぶんタチが悪い。いまも俺が怯んだのを爪で傷つけたのかと誤解したのか、猫が傷跡を舌で舐めるように爪を立てた場所を指で丹念になぞってくるし。正直逆効果だ。
それぞれの机で会話が盛り上がっているあいだも机の下では俺と二宮の攻防戦は続いていて、二宮はみんなから隠れて俺とやらしいことなんてしてませんみたいないつもの顔で最近犬飼たちと観に行ったらしい映画の話をしていた。
「──だから今日も飲み会のあとに恋人ん家に泊まりに行くんだよ。つーわけで今夜は二次会には参加出来なくてさ。恋人にはまだ伝えてないから泊めさせてもらえるかはわからないが」
会話に区切りがついたところで二宮にも聞こえる声で永村と古田に伝える。二宮に絡めとられたままの人さし指をなんとか動かして二宮の手の甲をポンポンとつつく。俺の負けを認めるように。二宮はやっと俺を掴んでいた指をゆるめてくれた。そっと右手を離すのにあわせて二宮がみんなに告げる。
「そろそろ時間だろ」
言われてスマホを見ると頼んでいた飲み放題コース(三時間)が終わる時間だった。俺が席に戻ってから結構経っていたらしい。飲み会ってだらだら話しているだけであっという間に時間が過ぎるんだよな。まあ今日は隣に二宮がいたぶん余計に一瞬で終わったんだろうが。
「あ、もう十時か」「寝てるやつら起こすか」「つぎはカラオケにするか?」とみんなが話すのを聞きながら俺も帰る準備をする。寝落ちしている幹事の代わりに飲み会の会費を受け取った二宮が伝票を持って立ち上がった。スマホをポチポチいじって二次会のカラオケの予約をしていた永村が「二宮は二次会に来るか?」と二宮にたずねた。俺が壁のハンガーに吊るしていたコートを取って着込んでいると、ちょうど座敷のふすまを開けた二宮がこちらへ振り返る。
目が合う。さっき指を絡めていたより深く視線と視線が絡み合う。
二宮は俺を見つめたまま俺以外に向けて口にした。
「……いや、俺も帰る」
二宮が座敷から出て行く。それ以上はなにも告げずに。「二宮も帰るのか」「二宮も明日ボーダーの予定があるらしいぜ」「休みの日も大変だな」とみんなが話すのを聞きながら俺はふっと笑った。まだ二宮の手の温もりが残る右手をコートのポケットにつっこむ。
つぎに右手を出すときは二宮の部屋に入るときだろう、と確信しながら。