【さまささ】距離感バグモンスター 簓はマンションのエントランスにあるインターフォンを押そうとしていた指をぴたりと止めた。
ふぅ、と小さく息を吐き、カバンの中を漁る。カバンの内ポケットに仕舞っていたキーケースを取り出し、自分の家のモノとは違う鍵を鍵穴へと差し込む。手首をひねると、特につっかかることもなくくるりと回った。そして、固く閉じられていた自動扉は開錠する音を立て、静かに開いた。
「ほんまもんかい」
呆れを含んだつぶやきを漏らしながら、簓は導かれるままマンションの中へと入る。
ガキ扱いがどうとか、暴力がどうとかで仲直りをしたんだかしていないんだか分からないまま、距離について悩んでいたところに突如投げてよこされた鍵。左馬刻の意思を掴みかね、簓は「これ、なんや?」と尋ねた。
「俺の家の鍵」
当然の顔をして宣う相手に、お前の距離感はバグっとんか? と声に出しそうに……否、実際に口から出ていた。
「は? なんで合鍵?」
「ねぇと不便だろ」
「いや、別に。なんも不便なことあらへんよ」
そもそも合鍵貰うような仲とちゃうやんと言うのは、簓自身の胸へナイフを突き立てるようなものなので控える。ただ、恋人でも家族でもない人間にこんなにも簡単に鍵を渡してしまう左馬刻の危機管理能力に不安を覚えた。
「ロケとかでこっち来ることあんだろ?」
「それはそうやな」
「なら持っとけ」
左馬刻は一度言い出したら聞かないところがある。突っぱねて返しても「持っとけって言ってんだろ」と口の中にねじ込まれかねない。ねじ込まれないにしても、鍵に紐を通して首からさげさせられる可能性は十二分にある。
鍵っ子と化した己の姿を想像して、簓は頭をぶるぶると横へ何度も振り、その光景を脳裏から追い払った。
「あんまホイホイこういうの人に渡さん方がええと思うで」
「誰がウチの鍵をそこら中に撒くンだよ」
「え? 飴ちゃんみたいに配っとる本人が言うか?」
「あ? テメェ、俺様が考えなしにこれ渡したと思ってんのか?」
「深い深いお考えがある方は、鍵を最近よーやくまた話すようになった人間には渡さんからな? 鍵渡すっちゅうことは、俺がいつお前ん家行ってもええって言っとるようなもんやで」
「だー、うるせえ! いいから次来るときはそれ使って入ってこい!」
ついに左馬刻は体を翻し簓に背を向けると、のしのしとその場から離れて行ってしまった。その場に残されたのは重過ぎる鍵と、状況についていけない簓だけだった。