神話前夜。 しん、と深く静かな、月さえも眠る夜。明かりもない真っ暗な部屋に、熱っぽく荒い呼吸がふたつ重なり合う。
もう何度果てたかわからない。それでも、生きていることを確かめるように。今、ここにある温度を分け合うように。お互いの存在を刻み込むように、悠仁と夏油は何度も何度も、身体を重ね合った。
愛している、だとか。好きだ、だとか。言葉ひとつで全てを伝えきれないことを、夏油はわかっている。
それでもその一欠片でも、伝えたくてしかたがなくて、安っぽい言葉で何度も紡ぐ。
夏油のなかにある、煮詰めたいちごジャムのような感情も。春の陽射しのように柔らかな感情も。身を裂かれるような激しい感情も。泣きたくて震えそうな感情も。
吹いたら飛んでいきそうなほど軽い言葉で、何度も、何度も紡ぐのだ。
言葉でも、身体でも。夏油の全てを使って虎杖悠仁、たったひとりへと愛を語る。
何度目かの絶頂。
悠仁の掠れた甘い声と、夏油の愛の言葉が重なり合う。
ゆらゆらと揺れる、月明かりの瞳が夏油と交じあって愛おしげに細められる。
「幸せ、だね」
清々しいほどの穏やかな顔で、どこまでも残酷な言葉を口をする悠仁に、夏油はぐっと言葉が詰まり、その代わりに目の奥が熱くなった。
「、…逃げよう、」
低く掠れた声で縋るように言えど、悠仁はふるふると優しく首を横に振るだけだった。
「逃げないよ」
意志の強い、はっきりとした声。
「俺を俺が、許せない」
ごめんね。と言って、手を夏油の頬へ滑らせた。
「泣かんでよ、」
「……泣いてないよ」
「でも、これから泣くんでしょ」
少しだけ、ようやく切なげに眉を顰めて笑う悠仁の唇に夏油が噛み付いた。そうして、酸素を奪うように舌を絡めて、お互いがひとつになるくらい、深く深くキスをした。
泣くんでしょ。の返事は有耶無耶にして。今はただ、この先ずっと忘れないように、ひとつだって薄れないように、温度を、鼓動を、存在を刻む。
――愛してる。
行かないで。忘れないで。逃げ出そう。いなくならないで。置いていかないで。ずっとそばにいて。連れってよ。
愛してる、あいしてる。
他の言葉の代わりに、そればかりを繰り返した。
もう限界だ、と果てた後に意識を手放し、腕の中ですぅすぅと寝息を立てる悠仁を、夏油は静かにみつめている。
カーテンも引いていない窓から覗く外は、真っ暗などこまでも続く夜は終わりを告げ、薄らと白みがかる。あどけない寝顔をほのかに照らし始めた。
もう、そこまで朝が迫っていた。
眠りたくなかった。
目を閉じて、眠りに落ちて、それから目を開けて醒めてしまえば、腕のなかのこの小さくて大きな幸せは、もうこの世界からなくなってしまうのだから。
眠らないからといって、明日がなくなるわけじゃないことを、夏油はわかっていたけれど。それでも、最後まで子供のように駄々を捏ねていたかった。
それくらい、許して欲しかった。
ぎゅう、と。夏油はきつく悠仁を抱きしめた。疲れ切っているのか、起きる気配はない。
触れ合う箇所から伝わる温度は、あたたかくて。心臓の鼓動は、とくんとくんと鼓膜を震わせる。
温度と、一定のリズムと、それから愛おしい匂い。
ずっと、このまま起きて悠仁をその瞳に焼きつけていたいのに、やって来る微睡みに逆らうことはできず、段々と瞼が重くなる。
君のいない世界に、価値はひとつだってない。
逃げないというならば、いっそ後を追いかけていきたい。
だけれども。それでも。
彼は、許してはくれないだろう。
だからせめて、君を思って泣くことだけは許されたい。
『傑さん』
いつの間にか目を閉じて、最後の夢へと落ちていった夏油の頬に、一筋の涙が伝っていき、ぽたりとシーツに染みをつくった。