特別何かがあったわけじゃない。
朝、寝坊した。出社に間に合わないとかではないけど。
書類の記載ミスを指摘された。大事ではないけど普段ならこんなミスしないのに。
突然の外回りが入った。柔軟剤かフレグランスか知らないが頭が痛くなるほどの香りを撒き散らす苦手な女性が居る。
兎に角。
小さなマイナスが積もった日だった。
「けんまけんまけんまけんまけんま」
呪文のように頭の中で繰り返しながらもはや走って家路を急ぐ。
スーツにスニーカーの高身長な男が走り去るのを幾人もの人が振り返る。
「けんまけんまけんまけんまけんま」
玄関の扉を引くとすんなり開いた。
普段なら施錠していない無用心を叱るところだが今日は手間が省けたと喜んだ。
中に入りしっかり施錠して帰宅の声を投げた。
同時にネクタイを緩めながら靴を脱ぎ捨て明かりの漏れる部屋へ小走りで向かう。
スッと扉を引くとヘッドフォンを外しながら何台もある画面達からくるりと椅子を回して振り向く愛しの人。
「おかえ・・・んぅ」
可愛い声を最後まで聞かずに唇を重ねる。
短く音をたてながら重なる熱は触れるだけを繰り返す。
「ん・・・ちゅ・・・なに・・・ん」
「けんま」
「ん・・・え・・・ちょっと?」
ぺろりと唇を舐めてから鼻、唇、頬、唇、瞼、唇と顔中に降り注ぐ熱にとりあえず好きにさせようと腕を首に回した。
首筋にちりりと微かな痛みを感じたところでやっと黒尾と目が合った。
「クロ?」
「けんまぁぁ」
情けない声を出しながらまたちゅうっと唇が重なった。
「ぅ・・・ん・・・んん〜」
黒尾に体重を預けると腰を抱き寄せられてそのままふたりで床に座り込む。
わずかな隙間から舌を滑り込ませるとすぐさま絡め取られて舌を擦り合わせ上顎を擽られ
る。
「ぁ・・・ふ・・・んぅ」
大きな掌に耳を塞がれて脳に響く水音に思考がぼんやりと浮かされ、さわさわと擽るような指先が気持ちいい。
研磨の表情を確かめようと黒尾が離れたせいで寂しくなった口を開けて紅い舌先を出す。
「けんま」
「クロ・・・んぅ!」
噛みつくように口を塞がれて誘われるままに出した舌を柔柔と噛まれる。
溢れる涎をもったいないとばかりに舐めあげられたときに僅かに見えた瞳にグラグラと煮立つような熱を見つけ研磨も口内に残っていた甘さをコクリと飲み込んだ。
「クロ。ごろーん」
軽く胸を押すと抵抗もなくそのまま倒れた黒尾の腰辺りに跨りニッコリ笑いながら顔を近づけ唇を啄んだ。
名前を呼んでは音をたてて啄むのを何度も繰り返す。
当然当たる腰も敢えて脚を大きく開きより密着させた。
黒尾の吐息が短くなり音が立つほど奥歯を食いしばり始めた頃研磨が愉しげに目を細め悪戯するように黒尾の唇をゆっくり舐め上げた。
「てつろう」
そう呼んでバカリと開けた口の中で真っ赤な舌を見せつけるようにひらひらと揺らす。
「っぁ・・・んぅ!んんっ!」
後頭部を抑えつけ腔内を貪られながら押し倒されると脚を絡みつけ再び腕を黒尾の首に回して引き寄せる。
先程までと一転して息つく間も無く求められながら研磨はうっとりと瞳を閉じた。