第一話 "人間兵器"世界でも治安のいい国と呼ばれている日本にも、貼り付けた笑顔の裏にある本音のように、血で汚れた町がいくつもある。一九九一年のバブル崩壊による企業倒産や失業が増加し、経済状況の悪化によって犯罪に手を染める者たちが増え続けた時代が根源となり、以来取り返しのつかないところまで来てしまった''成れの果て''が、裏社会として息をしていた。
ここは東京都地覇那区(ちのはなく) 。マフィアやヤクザなどの、多種多様な犯罪組織が影に潜む、二十四 区で最も…いや、日本一犯罪係数が多いことで有名な、『暗黒街』とも呼ばれる町の一つだ。ニュースでよく見る殺人や強盗事件も、夜の街のトラブルも、その裏にはヤクザやマフィアなどの犯罪組織が関わっている。そんな犯罪が渦巻くこの街で、政府非公認でありながら、そのような種類の人間を排除する組織に所属する、一人の殺し屋の女がいた。
人気の少ない所に位置する廃ビル。そこにはガタイのいい男たちが立ったままテーブルを囲んで、白い粉が入った袋を出していた。彼らはこの廃ビルをアジトとする麻薬の密売者だ。今宵の商談も良い稼ぎが出来ると確信し、口角を上げている、その時だった。
ダァン
荒々しくドアが開けられた。男たちは反射的にドアの方を見ると。黒いブーツを履いた女性特有の一見柔らかそうな、ガンホルダーを太ももに巻き付けた色白の足が見えた。
「誰だ」
「殺し屋やで〜!」
その男の言葉を返すのは、袖を通さず羽織っただけの赤いジャケットをひらつかせて堂々とアジトに乗り込む関西弁の女の声だった。その両手には拳銃が二丁握られていた。彼女の名は百峰桃音。二十五歳。全く揺れないパッツン前髪に毛先だけを巻いたハーフアップの長い黒髪。袖をまくったグレーのワイシャツと黒いミニタイトスカートが彼女のスタイルの良さを引き立てており、首にはダイヤ型のゴールドが付いたチョーカーに不器用さが見える緩んだ黒ネクタイをしていた。
「ふっ…女一人で来られるなんざ舐められたもんだなぁ」
一人の男が桃音を睨んで言うと、密売者たちはいっせいに各々の武器を取り出し戦闘態勢に入った。
「弾良ーし、標的良ーし。百峰〜行きまーす!」
調子良く言う桃音は両手に持った銃をクルクルと回して駆け出した。
バンッ!バンッ!
鳴り響く銃声。脳天に風穴を開けられる男たちが次々と重力に身を任せて倒れる。ステップを踏むかの如く華麗に敵の攻撃を躱し、見向きすらしないまま敵の脳天を撃つ。
「クソッ…!なんて奴だ…!ノールックで的確に撃ってきやがる!?」
少し距離を置いた所で銃を握る男が声を震わせて言った。言うまでもない。彼の目に映るのは『無慈悲』と『圧倒的な実力の差』を具現化されたものだった。彼女を囲い、襲いかかるの密売者たちは、何が起きたのか分からないまま地獄へ叩きつけられてゆく。その間の時間は非常に早く、弾の数は個人差のある地獄へのカウントダウンに過ぎなかった。それも、『狙いを定めて撃つ』というものではなく、彼女の銃口が獲物の脳天を睨むかのように向けられ鉛玉を放つ。そんな光景だった。
「ハッ!アンタらみたいなやつ、ノールックで十分殺れるわ!」
男の声を耳にした桃音は、嘲笑うように言った。もう既に彼女から見て三六〇度、土足OKのコンクリートの床は半分近くの死体が転がっており、ドクドクと流れる血で赤く染まっていた。次はお前だと言わんばかりのピンク色の目が、ぎらりとこちらを見つめる。やられる。ここで終わってたまるか。男は衝動的に銃を桃音に向けた。
「し、死ね!"人間兵k……」
バンッ!
男の雑言を銃声で遮った…いや、その弾丸は彼女の感情任せに放たれたものだった。そして
「失っ礼やなぁ!誰が"人間兵器"やねん!」
桃音は顔を顰めた。
"人間兵器"……桃音がこの世界(裏社会)に知れ渡った異名だ。百峰桃音という女はこの異名に相応しいと言っても過言ではなかった。早撃ち及び、どの角度から襲われてもノールックで敵の脳天を撃ち抜く前代未聞の射的の天才だった。今にも見せたような美しいほどに完成された戦闘スタイル。愛用の銃は完璧に使いこなされており、狙った標的は死角にいようが絶対に外さない。とても人間業ではない、まさに"人間"の形をした"兵器"そのものだった。
「はぁ〜、全く誰やねん最初に"人間兵器"って言い始めた奴。そいつから始末したいわ」
「死n……」
バンッ!
ため息混じりに呟きながら、横から襲いかかる敵をまるで右腕だけが意思を持っているかのように、見向きもせず、あっさりと撃ち殺した桃音。そう。この"人間兵器"というネーミングセンスも可愛さも下回る異名は、当の本人はまったくもって気に入っていなかった。どうせならもう少しマシな呼び名が良かった。
(ま、おかげで本名バレへんからええか)
カチャッ
「動くな、殺し屋」
「あっ」
後頭部に硬いものが当たっている感触がした。油断した。桃音は気付いたら背後から銃を突きつけられていた。
「ありゃりゃ〜」
桃音は余裕こいた反応をするが、内心は焦っていた。陽気でお調子者の彼女だが、子供の頃から銃を扱っていたため、銃の恐ろしさは誰よりも分かっていた。銃をその場に捨て、両手を挙げた。残党たちは警戒しながら桃音の前に周り、いっせいに銃を向ける。
「意外とあっさり諦めるんだな、"人間兵器"」
取り囲む残党の一人が煽るように言った。
「んで あっさりと死ぬのがアンタらやろ」
また余裕そうに言った。武器を捨て、完全に諦めた者とは思えない態度だった。今度は裏表ない、正直な心情だったのは、この状況を乗り越える方法を直ぐに思いついたからだ。
「は?」
「ウチはそうあっさりとは死ねへんで」
いたずらっぽく言う桃音に、残党たちはますます理解出来なかった。すると桃音は手を挙げたまま、ゆっくりと後ろを向いた。残党たちは思わぬ行動に一瞬揺らいだが、気を引き締めなおした。桃音の後ろにいた男は彼女の額に銃口を突きつけた。だが、不思議なことに桃音は全く芯がぶれていなかった。
「証明したろか?誰があっさりと死ぬか」
気配が変わった。銃口の先のその目は虎視眈々していた。残党たちの警戒心が高まった。それと同時に、恐怖心が彼らの背筋を凍らさた。
「ほ、ほう……やれるものなら、やってみろよ」
ヤケになったその男は引き金に指を掛けた。が…
バンッ!
すると桃音は銃声より早く、男の銃を持つ手を捻らせ奪い取って向けた。
バンッ!
そのまま撃ち殺した。そして、流れるようにしゃがんでその場に落ちた手慣れた銃二丁に持ち替え残党たちに向けた。
「にぃ!しぃ!ろぉ!はぁ!」
銃声と共に、偶数で数えながら残党八人を葬った。
「ヒューッ!なんとかいけたな」
桃音は立ち上がって、誰もいない廃ビルで一人呟いた。銃口を突きつけられても、お得意の早撃ちでこちらのものだ。それに、この程度の相手なら無茶せずに余裕で片付けられる。桃音は血で赤く染まった床をぴちゃぴちゃとブーツで鳴らし、このショー<任務>のフィナーレに、銃口から出た白い煙をふうっと吹いた。
「さてと……」
桃音はスマホを取り出し、電話をかけた。
「あ、もしもし〜?こちら百峰、任務完了!処理お願いしまーす」
電話を切った。先程までの銃声や罵声で溢れかえった部屋から、殺人現場に早変わりした。桃音は顔や靴の裏に付いた血を拭き取ってから、この廃ビルを後にした。
今回の"標的"がいる廃ビルは、"本拠地"から近かったため、歩いて来られた。桃音は来た道を辿って進むと、人の来ない存在感が薄い場所にある5階建てのビルに着いた。桃音はその一階にある【風間書店】という古い書店に足を踏み入れた。本棚に収まりきらず、雑に積み重なった本の山を崩さないよう慎重に進むと、店の奥に会計のカウンターが見えた。そこには私服に無地のエプロンを着た"組員"が、退屈そうに、充電ケーブルを繋げたスマホをいじっていた。
「よお、ご苦労さま」
桃音の存在に気付いた"組員"は、彼女から見て死角になるカウンターの下で開いたパソコンを片手で操作した。防犯カメラの映像とパソコンに表示された"ここの組員"のデータが一致するかどうかを確認するためだ。いわゆる顔認証だ。
ピロン♪ ガチャッ
パソコンから顔認証クリアの音、カウンターのテーブルが折りたたむ出入口のロック解除の音がした。
「ご苦労さま」
確認が済んだ彼はそう一声かけて、カウンターに入れる折りたたみテーブルを上げた。
「おおきに」
桃音は礼を行って奥のドアを開けて中に入った。そこは上の階へ行く階段と地下への階段の間の踊り場だった。桃音は真っ直ぐ階段を上った。
このビルの正体は桃音が所属する暗殺組織"IBUKI"の本部だ。五年前に、とある出来事がきっかけで店長に拾われて加入した、桃音の今の職場だ。報告書を書き終えた桃音は五階にある"店長"のがいる五階へ足を運んだ。"店長"とはこの組織の頂点に立つ者で桃音の上司にあたる。また、命の恩人でもある。
ドアをノックし、中からどうぞと聞こえた桃音は報告書を片手に失礼しますとドアを開けた。
店長の部屋……少しぎこちないが店長室とでも呼ぼうか。中は社長室とほとんど同じだ。入って正面にはやたら広い高そうなデスクがあった。そこに座っているのは、短髪の赤髪に右目部分が欠けているスカル仮面。グレーのスーツの下にハイネックのインナーを着ており、黒い手袋と黒い靴を履いて、極端に露出が少ない。仮面から覗かす既に光が宿っていない黒い右目。デスクから体半分 見えてるだけでもわかる大柄な男こそ、"IBUKI"のボスだ。名前は年齢と共に不詳なため、組員は皆店長と呼んでいる。
「店長、報告書持ってきました」
「今回もよくやってくれました、百峰くん。これからも頼みますよ」
「はい!」
普段から敬語を使う店長は桃音から報告書を受け取って言った。桃音は笑顔で元気よく返事した。
「それにしても、百峰くんは単独行動ばかりなのですね」
ふと店長が口を開いた。"IBUKI"に入って5年、桃音は単独で任務を遂行していた。
「ウチ以外にも単独オンリーの人いません?」
「一人いますよ。ただ彼は特殊ですから。しかし、それでも単独で生き延びるのは貴方の実力があるからこそです。期待していますよ」
店長室を出た桃音は一つ上にある屋上へ向かった。ここの屋上は謎の休憩場になっている。都会のビルが遮るせいで見えない青空が広がる。
桃音はフェンスに手をかけ、さっきの店長の言葉を思い出す。単独で生き延びるは実力があるからこそ……。確かに桃音は元々普通の生活をしてある日を境に手を汚したというわけではない。桃音は殺し屋一族に生まれ、殺し屋として育てられた。幼少から射的や殺人術の訓練を施され、十二で殺し屋として活躍した。先程の任務での返り血が頬や服に着いたのも、辺りの鉄の匂いはもはや日常だった。「殺しに情けは無用」という子供の頃からの教訓は習慣となり、今現在も自分の手は骨の髄まで血で汚れきっている。目の前の相手如きを撃ったところで今更なんの感情も抱かない。せいぜいヘッドショット!や、クリティカルヒット!って思う程度だ。
桃音は別に今更普通じゃない人生にうんざりしている訳ではないが、屋上の風に当たるのと同時に、ふと はぁと、ため息をついた。
「呆れ返った顔だな」
すると突然、横から男の声がした。桃音はぱっと見るとそこには、宝石のような真っ青な目に紺色のスーツに暗めの薄紫のシャツを着た、オールバックで長髪を束ねた男がいた。
「大輝」
桃音が彼の名を口にした。彼の名は琉芭(りゅうば)大輝。二十六歳。天才と言っても過言では無いほどの有能な情報屋兼ハッカーだ。桃音が"IBUKI"に加入する5年前、ある事がきっかけで知り合った男だ。
「いつまで経っても浄化されねえこの街にため息ついてんだろ?」
大輝はフェンスにもたれかかってそう言った。図星だった。桃音がため息をついたのはまさにその通りだ。バブル崩壊からもう数十年経ったというのに、未だに状況が変わっていない。いや、聞くところこれでもマシになった方とかなんとか………
「よお分かったな」
「まあな」
桃音は大輝の横顔をじっと見て言った。さすが情報屋。自分と違って頭脳明晰で洞察力がすごい。
「ん?いやアンタなんでおるん?ここ"IBUKI"やで?」
「通りすがりだ。気にするな」
「じゃあアレはなんやねん」
困惑しつつ問う桃音は屋上の床にある通気口が開いているのに気付き、指をさした。
「俺の最適な通り道さ。」
「モグラかアンタは」
大輝はしれっと話を流そうとするが、そうは行かない。はたから見たら違和感がないと思うだろうが、大輝は桃音の知り合いではあるが、同僚ではない。つまり"IBUKI"に所属していないのだ。ただの不法侵入だ。しかも暗殺組織の本拠地に。
("IBUKI"のセキュリティどうなってんねん…)
桃音は心の中でツッコんだ。だが、実際は入口の書店と本部周辺のみに監視カメラが設置しているだけであって、室内は設置していなかった。理由は不明だが、一部では着替える女性への配慮か、予算の都合上ではないかと呟かれている。
「つまりアレ?また通気口使ってどっかの組織の情報抜き取って、ついでにここ来た ってこと?」
一応ウチの職場の本部なんだけど、と半目で少し呆れ混じりに言う桃音。ついでに部外者が入ったのがバレると殺されるで、と言う思いも込めて。
「ま、まあ……そんなところだ」
「ふーん…?」
少しハッキリしないような声色で答える大輝。彼はここで一つ本音を隠していた。それは恋心を抱いている桃音への感情だった。
(本当はお前に会いたくて忍び込んだ……だなんていえねぇよな)
桃音は目を逸らす大輝を不思議そうな表情をして見るが、それ以上追求する気は無かった。
(たぶん店長、気付いてるけど見て見ぬフリしてるんやろな……)
情報を盗むためなら盗賊やスパイのように侵入する、行動力の塊の大輝を横目に見ながらそう思った。だが…
(ん?やとしたら店長なんでほっといてるんや?)
ふと思った疑問に頭を悩ませたが、風が吹く屋上で二人の時間が過ぎていくうちに、桃音は考えるのをやめた。