we used to be 6「その部屋」
別に、どうしても出かけたかったわけじゃない。
ただ、この家に来てからというもの、ほとんど家の外に出ていないから、少しばかりの窮屈さを感じてしまっただけだ。
運動がしたければ庭に出ればいいし、本が読みたければいくらでもある。
でも今日はそのどっちの気分でもなかった。
メイドも庭師もおじさんも、誰もいない家の中をあてもなく歩き回る。
さて、何をしようか。
いくらこの屋敷が広いと言っても、部屋の数は無限ではない。
すべての部屋は探検済みだ。
(…いや)
一部屋だけ、入ったことのない部屋があった。
おじさんは物置だというあの部屋。
入ろうとしたところで、いつも鍵がかかっていて入ることはできない、あの部屋。
この間、誰かの姿が見えた気がした、あの部屋。
あの時自分が見たものは、本当に小動物の影だったのだろうか?
どうせ鍵がかかっているだろうと思いながらも、二階の一番奥のその部屋を目指す。
いつもは固く扉を閉ざされているその部屋。
ダメ元でそっとドアノブに手をかけると、それはなんの抵抗もなく回り、拍子抜けするほどあっけなく開いた。
(…おじさん、鍵をかけ忘れたのかな)
中に誰もいないのを確認して、なんとなく忍び足で部屋に入る。
部屋の中には大きな机と、長テーブル、ソファ、本がぎっしりと並んだ本棚、広いベッド。
テーブルの上には高そうなティーセットとお茶菓子まで置いてある。
どう見ても物置なんかではない。誰かの居室であることは明らかだった。
この間僕が人影を見た窓には白いレースのカーテンがひかれており、そこから少し離れたところに白銀の鎧が飾られていた。
人影を見たと思ったのは、これだったのだろうか。
これがもっと窓辺近くに置いてあったのなら、人と見間違えることもあるかもしれない。
近くに寄ってよく見てみると、鎧には細かな傷が幾つもついていて、新品ではないようだ。
胸にはデルカダールの象徴たる双頭の鷲があしらわれている。
(どこかで見たことあると思ったら、本で見た、おじさんの鎧と色違いだ)
これを読めば旦那様がどれだけすごい方なのかが分かりますよ、とメイドが差し出してきた本を思い返す。
そうだ、そもそもあの鎧は白と黒の対で作られたと書いてあった。
その白い鎧が、きっとこれなのだろう。
思案を巡らせていると、不意に目の前の鎧に少し影が落ちた。
顔を上げると、いつの間にか窓の前に白い衣服に身を包んだ見たことのない男の人が立っていた。
いつから、そこにいたんだろう。
長い金の髪をひとつに束ね、肩から前に流しているその人は、静かにこちらを見ている。
勝手に部屋に入ったことを怒られるかも知れない、とは何故か思わなかった。
「誰、」
言いかけて、言葉を止めた。
僕は、この人を知っている
僕の顔を見て、その人は前髪を指で軽く払ってから微笑んだ。
そしてその唇が、何か言った。
なんて―――
コン、コン、と扉をノックする音で目を覚ました。
体を起こすと、そこは見慣れた自分の部屋のベッドの上だった。
返事もせずにぼんやりとしていると、扉が開かれ、おじさんが顔をのぞかせた。
「起きているのか?」
上半身を起こしたまま微動だにしないその様子を不審に思ったのか、おじさんはベッドの傍までやってきて、僕の顔を覗き込んだ。
「珍しく起きてこないからどうしたのかと思ったぞ。具合でも悪いのか?」
緑色の宝石のような眼が、心配そうに自分を覗き込んでいる。
僕はゆっくり首を横に振った。
「…変な、夢を見てた」
「夢?怖い夢か?」
「怖くはないんだけど、…変な、夢」
尚もぼんやりしている僕の頭をおじさんは撫でた。
「早く着替えて朝食を食べにこい。今日は焦がさずにできたぞ」
おじさんが笑う。
「お前の好きな紅茶も入れてあるぞ。冷める前においで」
「…うん」
その場を離れる大きな背中を見ながら僕はまだぼんやりとしていた。
僕の好きな紅茶…
僕の好きな紅茶?
紅茶なんて、この屋敷にきてから初めて飲んだ。
いつも当たり前のように供されるから飲んでいるが、僕はそれを好きだなんて言ったことがあっただろうか?
混乱する思考を落ち着かせるようにひとつ大きく息を吐く。
何故か、さっき見たばかりのあの人の微笑が浮かんだ。