you,in sickness and in health目を閉じる前、ほんの一瞬前までは視界はぼやけ、色さえも曖昧な世界だったが、今はどうだ。
視界ははっきりしているし、周囲は子供の頃の記憶にある故郷のように色とりどりの花が咲き乱れている。
「遂に来たか」
背中から聞こえた懐かしい声に振り向けば、花畑の中に懐かしい友が立っていた。
記憶の中と同じように、白い衣装に身を包んだ彼は、口の端を少しだけ上げてこちらを見ている。
「貴様はなんだかんだでエルフ並に生きるのではないかと思っていたがな」
「ホメロス、」
「英雄も人の子だったということか。まあいい。行くぞ」
どこに、と言う暇もくれず彼はくるりと自分に背を向けて歩き出した。
慌てて後をついていこうとするが、何故か足がもつれてうまく歩けない。
もたもたしているうちにも友はどんどん先に進んでしまって、その背中が花に埋もれて遠ざかる。
「ホメロス、待ってくれ」
焦って駆け出そうとしたその瞬間、よく分からない植物に足を取られて転んでしまった。
(待って)
急いで立ちあがろうとすると、目の前に手が差し出された。
小さな、子供の手だ。
顔を上げると、そこには幼き日の友の姿があった。
初めて会った時のような、丸みを帯びた輪郭に、利発そうな金色の瞳。
「相変わらず鈍臭いな、お前は」
「だってホメロスが先に行っちゃうから」
発した自らの声も幼く、握り返した手は差し出された友のそれと同じように小さかった。
だがそれを、不思議と変だとは思わなかった。
同じ目線になって、手を繋いだまま花畑を歩き出すと、今度は足取りが軽かった。
「ホメロス、おれ、ホメロスに話したいことがたくさんある」
「話せばいいだろ。聞いててやるから」
そうだ、話したいことがたくさんあるんだ。旅先で見た珍しいものや美味しいもの。
お前が好きそうなもの、興味がありそうなもの。
積年の思いに後押しされて、そこから先はほぼ一方的に喋り続けた。
隣からはへぇ、とかそうか、と若干の興味なさそうな相槌しか返ってこなかったが、そっと盗み見た横顔はどこか嬉しそうだった。
そうして、どれくらい歩いたかも分からなくなった頃、小さな川に出た。
歩いて渡れそうなその川の前で、友は繋いでいた手を離してこちらを向いた。
気がつけばその姿は、最初に見た大人の彼の姿に戻っていた。
「さて。ここを渡れば英雄と言えどもう戻れんぞ。なにかやり残したことはないか」
やり残したこと、と言われてふむ、と顎に手を当てて考える。
「結婚」
思いついた言葉をそのまま口にすると、友が眉を顰めた。
「なんだと?」
「結婚、したかった」
もう一度繰り返した自分の言葉に、目の前の男は呆れた顔をした。
「すれば良かったろう。救世の英雄と結婚したい女など、それこそ星の数ほどいただろうに」
「いや、そうではなくてだな」
「どうする。今ならまだ戻れなくもないが、死にかけの耄碌ジジイと結婚してくれる金髪バニーちゃんがいるとは思えんぞ。いやまぁ金さえあればなんとかなるかも知れんがお前遺産はどれくらい」
「違う、そうではなくて!」
強めに言葉を遮ると、友は小首を傾げた。
「なんだと言うんだ。オレがいなくなってから『結婚』に新しい意味でもできたのか?」
「いや、お前が知ってる通りの意味で合ってる。
ただ、相手はバニーちゃんではなくて、だな…
…その、俺は、お前と、結婚したかった」
俺の言葉に、友は細い目を丸くして固まってしまった。
時間が止まったのかと思うくらい全く動かなかった友は、やがて忙しなく前髪を弄り始めた。
心なしか頬が赤い気がする。
「それはそれは酔狂なことで…
だが残念だったな。ここには教会もなければ神父もいない」
「そこなんだが…ここに来る前、もう随分前に読んだ本に書いてあったのだが、
どこか遠い国では、神父の前や教会で誓いを交わす代わりに、3回結婚を宣言するのだそうだ」
俺はその場に跪いて友のその手を取った。
「俺はホメロスと、結婚します、結婚します、結婚します」
恭しく手の甲に唇を落とし、友の顔を見上げると、再び驚きで細い目が丸くなっていた。
やがてその目が僅かに細まり、どこか勝ち誇ったように、嬉しそうに、唇が弧を描いた。
ああ、よく見た彼の顔だ。
「指輪は?」
「指輪はないが、これを」
立ち上がり、首にかけていたペンダントを一つはずして友の首にかけた。
随分と久しぶりに持ち主の元に戻ったそれは、自分の元にあった時よりどこか嬉しそうに見える。
「元々私のものではないか」
「それはそうなんだが…」
「しかし、受け取ってしまったからには私も宣言せねばならんな。
グレイグと、結婚します、結婚します、結婚します」
宣言を終えた友はそれはそれは楽しそうに笑って、お前は本当に馬鹿だな、と言った。