旅路家の間を、田畑の間を、山の間を電車は駆け抜けていく。コロコロと変わっていく景色を見て立香はふとため息をついた。何故改札もないような駅を通る電車に一人乗っているか、その答えは簡単である。立香の夏休みを大切な人と過ごす時間で潰すためだ。しかし、立香も華の女子高生。友達からの勧誘を全て断ってまで行くところなのかと聞かれたらそういうわけでもないかもしれない。だが、彼が人の目を避けて過ごしたいというのだから仕方ないのだ。彼とは夏休みの間しかゆっくり過ごすことが出来ない。
次々と降りていく乗客を横目に見つつ立香は彼に想いを馳せる。自分が小さな頃、孤独から救い出し、未だ家族の名も顔も知らぬ立香を見守り続けてくれている人。立香はそんな彼のことが好きだった、『だった』のだ。その気持ちが分からなくなったのはつい最近のこと。立香の好意が殆ど初恋に近かった頃、彼が見知らぬ美人の女性と楽しそうに歩いているのを友達と見つけてしまったのだ。普段、彼は仕事で忙しく、家で一緒に居る時間は年間を通して夏休みを除くとゼロに等しい立香。立香はそんな彼に対して強い憤りを感じた。もしかして、彼が自分に構ってくれないのは、一緒に居てくれないのはこうして遊んでいるからではないかと。その日は友達と遊ぶ日だった為、知らないふりをしてその場を去ったが、夜に立香は泣き崩れてしまった。どうせ、こんな普遍的な自分よりも美人の方が好きなんだ、そう決めつけて。
「まもなく〜」
目的地に着いたが、足が重い。正直、彼に会いたくないのが本音だ。今すぐにでも家出をしてやりたい。しかし、そんなことを恩人にすることはできない。彼が折角夏休みの間だけ忙しい中でも時間を空けてくれたのだ。普段甘えられない分、目一杯甘えるのが普通だろう。
「立香、こっちだよ」
駅を降りれば、毎年のように彼が手を振って出迎えてくれる。いつもなら立香は荷物を放り出してまで彼の元へ走っていくが、いつもと違ってのそのそと歩いてくる彼女に彼は小首を傾けた。何処か寂しそうな顔をしたままの立香。彼はそっと立香に歩み寄ると金の指輪で飾られた浅黒く逞しい大きな手を立香の頬に寄せ、目線を合わせた。
「立香、何かあったかい?」
「ううん、なんでもない」
目すら合わせてくれない立香を不思議に思ったのか彼女をそっと抱き寄せると頬に当てていた手を立香の頭の後ろに回して、何度も何度も時間をかけてゆっくりと撫でてやる。夕日を溶け込ませた髪にそっと口付けてやると立香は嫌がるようにぐいぐいと彼の胸元を押した。しかし、彼はビクともしない。
「久しぶり、立香。何かあったのだろう?言ってみなさい」
「絶っっ対にやだ!」
じたばたと暴れる立香を抱き上げるとこれ以上の抵抗は無意味と感じ取ったのか大人しくなる。彼はそれを見て少し得意気になったが、ふと彼女が涙を流していることに気づくとゆっくり降ろしてその涙を指で拭き取ってやった。
「なんでもないなら、なんで泣いているんだい?」
「だって、ソロモンが......」
「私?私が何かしてしまったかな?」
ポツリポツリと立香は女性と歩いているソロモンを見てしまったことを語り出す。ソロモンはそんな立香を見ながら何度もこくこくと頭を縦に振った。時にはごめんね、と彼女の頭を撫でながら。しかし、謝られるだけで納得のいくものでは無い立香は口調を荒々しくするとソロモンを問い詰め始める。
「なんであの人と歩いてたの」
「仕事の付き合いだよ」
「仕事してる風には見えなかった」
「嫉妬しているのかい?」
「当たり前でしょ!私にはソロモンしか家族がいないのに!」
珍しく声を荒らげる立香にため息をつくソロモン。どうすればこの子の嫉妬を和らげることができるのかソロモンには分からない。上辺だけの関係に慣れているソロモンには本心で愛おしく想っている子への接し方が分からないのだ。ただ、触れてあげることしか出来ないソロモンは必死に思考を巡らせる。こう、鉄壁を張られてしまってはどんな言葉を投げかけても届くはずがない。こうなればソロモンにできることはひとつしか無かった。本当に立香しか見えてない証拠を提示するのだ。
「立香、これを」
「え......?」
「嫌なら、この連絡先を全て消していいよ」
それはソロモンが仕事で使っている携帯電話だった。立香は面食らう。そこまで言ってないし、こんなことになるとは思ってもいなかったのだ。スライドしていけばチラチラと女性らしき名前も見える。ソロモンは立香の背後に回ると、ゆっくり彼女の手を取り、画面の操作を始めた。
「こ、ここまでしろなんて......!」
「だけど、このくらいしなければ君は許してくれないだろう?」
次々と消えていく連絡先。立香はその様子を見ていられず目を背けるが、背けばソロモンがすぐに「ちゃんと見ていて」と耳元で囁いてくる。