君が好きだと叫びたい その日、珍しくディナーの誘いに応じてくれた自称嫌われ者の友人は、これまでに見たことがないくらいに上機嫌だった。自身の進めているプロジェクトの経過が良いらしく、いつもより軽快な口調で研究成果を語っていた。
「この研究は、僕だけではおそらく結果に繋がらなかっただろう」
「へぇ?」
「これは、実はスクリューガムさんが…」
「うん…」
「僕はそうだと思うんだが、スクリューガムさんは…」
「………」
「今度、スクリューガムさんと一緒に…」
ドレスコードが必要なくらいには良い雰囲気のレストランを予約して、それなりに浮かれていた僕のテンションは徐々に下がっていく。
なにしろ、彼の口をついて出るのはプロジェクトの経過と進捗。そして二言目にはかの有名な螺子の王の名前。
最初のうちはニコニコと話す彼が物珍しくも可愛く見えて、内容の難しさはさて置きうんうんと相槌を打っていた僕だったけれど。終始変わらない様子に、さすがに耐えかねてしまった。
「…あのさ、レイシオ」
唐突な割り込みに、ぴたり、と話が止まる。
「なんだ?」
手元のグラスの中身を一気に煽る。
きっと彼も気に入るだろうと選んだ高級ワインの味は、もはや全くわからなかった。
「スクリューガムさんって、レイシオの…何?」
「は?」
勢いに任せて口にした言葉に、先程までの楽しそうな様子から一転。レイシオの眉間には訝しむように深いシワが寄る。
「どういう意味だ?」
不快、というよりは困惑の色が濃い表情が見てとれる。
やってしまった、とは思うけれど言ってしまったものは取り消せない。
「恋人なの?二人は付き合ってるの?」
気の利くソムリエは空のグラスに注ぎ足してそっと立ち去っていく。それをもう一度飲み切ると、再び勢いに任せて不満を口にした。
「今、君と顔を突き合わせているのは僕なのに!」
「はぁ…なんだそれは…。彼は共同でプロジェクトを進める協力者で…」
「それなら、僕とのディナーの時間に、スクリューガムさんの話はしないでよ」
「なぜ?君にそんな事を言われないといけない」
それはそうだ。僕たちはただの友人なのに、そんな事を言う権利なんて微塵もない。けれど、どうしても言わずにはいられなかった。
「僕が嫌だからだよ」
「実に興味深い研究だから、君にも知って欲しいと…」
「でも、今、君は!僕と食事をしているんだから、僕との会話を楽しんでよ!」
そうだ。
今は、お互い忙しくて、予定もなかなか合わないような僕たちが、せっかく二人だけでいられるわずかな時間なのに。
それなのに、レイシオときたら僕の事なんて見向きもしてくれない。僕は、こんなに君の事しか見ていないのに。
それが、あまりにも自己中心的な考えだとわかっているけれど、耐えられず言葉が次々と口をつく。
「どうしたんだ…急に。というか、君…ここしばらくの間は仕事が忙しかったと言ったな。少しアルコールのペースを抑えた方が良いんじゃないか?」
再びウェイターを呼ぼうと伸ばした手は、レイシオによって制止される。
「別に、これくらいじゃ僕は酔わないし! これなら君も好きだろうと思って選んだボトルなのに、君ときたらスクリューガムの事で頭がいっぱいであまり手を付けてもくれないし!だったら、僕だってお酒を飲むくらいしかすることもないし!」
もはや、ただのやけっぱちの言いがかりだった。レイシオとしてもこんなに理不尽な感情をぶつけられて明らかに困惑している。
「…すまない。僕の話はつまらなかったか?」
そうじゃない、と首を横に振る。
「僕との時間に他の人の話ばかりしないで、って言ってるんだ」
「何故…そんなことに拘る。それこそ、君は僕の恋人でもないのに」
それは、当たり前の事実でしかないのに。けれどその言葉に、頭が真っ白になった。
「そうだけど!そんなのわかってるけど!でも、僕は…!君とそうなりたいと思ってるから言ってるんだってば!!」
「!?」
勢いよく立ち上がると同時に、テーブルがガタンと音を立てて、おしゃれな夜を愉しむディナー客たちの視線が一気に集まった。
「僕は君の気を引きたくてこんなにせっせとアプローチしてるのに、君ってば全然気づいてくれもしない!それどころか、久しぶりに顔を合わせればスクリューガムスクリューガムって他人の話ばかりして僕の事なんて見向きもしない!」
レイシオは狼狽えた様子で僕を見上げている。
「お…おい、ギャンブラー、少し落ち着け…」
着席を促すように手を引かれたけれど、それすらも暴走した感情を刺激されて、頭で考える前に感情に任せて言葉が出てしまう。
「それも、やだ」
「それ?」
「僕の…」
「…?」
「僕の名前も呼んでよ!アベンチュリンって、呼んでよ!」
スクリューガムの名前はこんなに連呼しているくせに。こんなの不公平じゃないかと怒りすら感じる。
「たしかに僕は君からしたらどうしようもないギャンブラーかもしれないけど、でも僕には今はアベンチュリンって名前があって、それなのに君ときたらいつも〝ギャンブラー〟か〝君〟ってしか呼んでくれないんだ! 僕だって、君に名前をちゃんと呼んでほしいのに!」
「わかった…わかったから、アベンチュリン。まずは一度座ってくれ」
そう言われて、僕はようやく席に座り直した。
はあ、とレイシオのため息がイヤに大きく聞こえた気がして、体がほんの僅かに跳ねた。
「…君の話は支離滅裂だ。僕に不満があるのは理解したから、まずは気持ちを落ち着かせて、順序立てて話してくれ」
いつの間にかウェイターから水を受け取ったレイシオは、そのままグラスを僕に差し出した。
そのまま僕を見捨てて帰ってしまってもおかしくはないのに、どうやら僕との対話に付き合ってくれるつもりがあるらしい。
僕はグラスを受け取るけれど、口をつけずにグラスの中でゆらゆらと揺れる水を見つめる。年甲斐もなく駄々をこねた男の情けない顔が透けて映り込んでいた。
「レイシオ…」
「ああ」
名前を呼べば、短い返事が返ってきた。
「僕、君の事が好きなんだ」
「…そうか」
「どうしようもなく君が好きで…僕は君のことずっと見ていて、君にも僕を見てほしくて。僕が君を呼ぶように…君に僕の名前を呼んでほしくて。それで、僕は君に好かれたいよ…。どうしたら、僕のこと好きになってくれる? 僕…君の恋人になりたいんだ…」
ぽろり。
ついに涙まで溢れてきた。
本当は…こんなつもりではなかったのに。
レイシオにとって、僕はただのビジネスパートナーくらいにしか思っていないことは十分理解している。良くて友人…と思ってもらえているかどうかだ。
そもそも、今思えば出会い方から酷いものだったという自覚もあるので、少しでも彼の好感度を上げて、もっといい雰囲気を作って、それで良い返事が期待できるチャンスを見極めてから…と思っていたのに。
もしかしたら、そんなチャンスは一生来ない可能性もあったけれど。少なくともこんな幼稚でくだらない嫉妬にカッとなって、ヤケクソの勢いだけで言うべきことではなかった。
後悔ばかりが思考を覆っていて、もっと他に言うべきこともあるはずだと思うのに。頭の中はずっとグルグルしていて、まともな思考ができないでいる。
俯いて手元ばかりを見ている僕を、レイシオは黙って待ってくれている。
静けさを取り戻したレストランの店内には、優雅なBGMに混ざって、僕がぐすぐすと鼻をすする情けない音が響いていて。
それがさらに格好悪くて、もう一度涙が溢れた。
彼の前では、少しでも格好いい大人の男でありたかった。
「…君が言いたい事は、とりあえず理解した」
それ以上続く言葉が無いと判断したレイシオは、静かに告げる。
「ただ…君は今、悪酔いをしていて正常な判断は出来ていないとも思う」
「そんな…こと、ない……」
「酔っぱらいは、総じてそう主張する」
そして、徐ろにレイシオが立ち上がる。
「あ…待って、」
それを追いかけて立ち上がるも制止されて、僕の体は椅子の上に戻された。
「すぐに戻る。君はそれまでに、そのグラスを空にしておくといい」
それだけ言って立ち去るレイシオの後ろ姿を目で追って、勝手に寂しくなって。そうしてまた、ぽろりと涙が溢れた。すぐに戻ると言われたのに。
どうにも涙が止まらない。どうやら、涙腺が完全にバカになってしまったようだった。泣いたって、どうしようもないことなのに。
グラスの中身をちびちびと舐めて空にした頃、レイシオが戻ってきた。
「少しは落ち着いたか?」
その手には、クロークに預けていたはずの僕の上着がある。
「立てるか?」
こくんと頷いて、目の前に差し出された手を掴む。そのまま立ち上がると、ほんの一瞬だけ足元がふらついたけれど、歩けない程ではなかった。
「あ…お会計、」
「支払いは済ませてきた。ついでにタクシーも手配してきたから、それに乗って帰るといい」
そのまま手を引かれて歩き出す。
「ごめん、返すよ」
僕から誘って僕が予約をしたレストランなのだから、それなりの支払い金額になっているはずだ。
しかし、スマホを取り出して信用ポイントをポチポチと入力していると、間髪入れずに不要だと言われる。
「でも……」
「君に…不快な思いをさせてしまったお詫びだと思ってくれ」
レイシオの形の良い指が僕の手のひらに絡んでいる。少し強く握ると、同じように握り返された。彼のそういうところが、やっぱり好きだなぁと思った。
「あとは一人でも帰れるな」
すでに店の外に待機していたタクシーの後部座席に押し込まれる。
「…かえれない」
離されそうになった手を解かれないように強く握る。
「かえれないよ、レイシオ。僕、すごく酔ってるんだ」
「さっきは酔っていないと言っていたな」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだろ」
お客さん、どうしますか?と運転手が問いかけてくる。レイシオは大袈裟に見えるような溜息を吐いて、そのまま僕の隣へと乗り込んだ。
出してくれ、というレイシオの合図で、タクシーは緩やかに走り出す。
「レイシオ、やさしいね」
「はぁ……さっきから本当に支離滅裂だな。それに、君のためじゃない。一人で帰れもしない酔っぱらいを放り出して翌日〝身ぐるみ剥がされていた〟…なんて話を聞いたとしたら、さすがに目覚めが悪いと思っただけだ」
「あははっ、君らしい」
そのまま会話は止まってしまい、車内には車の走行音だけが響いている。
けれど、今はそれが少し心地良い。
緩く握ったままの手は最後まで振り解かれなかった。
***
「あべ~おきて~」
「朝ごはんだよ~」
ずっしりと体の上に同居人(同居猫?)たちの体重がのしかかる。
「うーん…あと5分だけ……」
今日は久しぶりの休日なのだ。お菓子ちゃんたちには申し訳ないけれど、あとちょっとだけ、この布団の中の心地よさに包まれていたかった。
それにしても、頭がガンガンする。
そういえば、昨日はどうやって帰ってきたんだっけ…。レイシオが手配したタクシーに乗ったところまでは覚えているけれど、その先が思い出せない。
服は昨日着ていたものだけれど、上着はすっかり脱いでいて、シャツのボタンも首元が緩められていた。
「れいしおー。あべ、まだ眠いって言ってる」
「そうか。では、僕は帰る。君たち、戸締りはできるか?」
リビングへ続く扉の向こうから、あり得ない声が聞こえて飛び起きる。勢いでシーツに足を引っ掛けてベッドから転がり落ちた。盛大な音を立てて床に打ち付けた膝の痛みに悲鳴を上げそうになったけれど、今はそんなことに構っている暇はない。
「れ…れれ、レイシオ!?」
ドタドタと慌ただしくリビングへ飛び出すと、昨日と同じシャツとパンツ姿のレイシオがいた。上着やネクタイは手元にまとめられている。
「おはよう。なんだ、起きたのか」
「おはよう…じゃなくて! どうして君が……」
寝起きと二日酔いで混乱する頭で、どうにか記憶を呼び起こそうとするけれど、散々駄々をこねてレイシオを困らせたことを思い出し、そのまま床に崩れ落ちた。なお、タクシーに乗った後の記憶は、やはり抜け落ちている。
「どうしても何も…」
こちらを見ているレイシオの表情は、なんとも形容しがたい感じだ。これは…可哀想なものを見る表情、という理解で良いのだろうか。
「君がタクシーの中で寝落ちして、一向に起きる様子がなかったため、僕が部屋まで運んだ」
そういうことである。
「するとどうだ。君の同居人たちが夕食がまだだと言い、家主に話を聞こうとも全く返事は無いので、僕が彼らの食事を用意した。それに時間がかかってしまい、帰宅するには終電も逃してしまったためそのまま泊まらせてもらった。ちなみに、そこのソファーと寝室にあったブランケット、シャワーと洗濯機を借りた。あとは、冷蔵庫の中の期限が近い食材は彼らの夕飯と朝食に使ったが、傷んでいたものと期限切れの食材はすべてごみ袋にまとめてあるから、忘れずに捨てるように」
「…ごめんなさい」
思っていた以上に情報量が多かったので、まずは床に座り込んだまま土下座の姿勢で謝罪した。
「謝罪は結構。それよりも、生き物と一緒に暮らすのであれば、彼らの衣食住についてもっと責任を持て」
「というか…、お菓子ちゃんたちのご飯は準備してあったはずなんだけど…」
チラリ、と僕の横に待機している一匹に目を向けると、明らかに目が泳いでいる。
抱き上げて立ち上がると、観念したようだった。
「君たち…食べたな?」
「あべのごはん、おいしかったよ」
つまり、夕食の前に作り置きしてあったごはんを食べた上で、レイシオにもう一度食べさせてもらったわけだ。
「…彼らの食事については、君たちで話し合ってくれ。君の分の朝食は野菜スープを用意している」
たしかに、キッチンからコンソメの良い香りが漂ってきている。
あまりにも至れり尽くせりが過ぎていやしないだろうか?
「僕の分まで…ありがとう」
「それと、彼らから聞いたが…しばらく休みを取っていないらしいな」
「あー…うん、そうだね……」
レイシオの話し方は淡々としているけれど、詳細を知られるのが気不味くて、少しだけ目を背ける。
思い返せば、両手の指を畳んで伸ばしてもう一度畳む程度は休み無く働いていた。
「疲労が蓄積した状態でのアルコール摂取は、それほど飲んでいなくても悪影響が出ることが多い。昨夜のような情緒不安定な行動を取ることもあるから、今後はアルコールを少し控え、適度な休暇を取れるよう働き方の見直しをするようお勧めする」
昨夜の情緒不安定な行動……。
「わっ…忘れてっ!」
朧げだった記憶が一気に掘り起こされて、羞恥のあまり体温が急上昇する。
「いいのか、忘れてしまっても」
「あっ…、いやそれは、忘れて欲しくは…いや、忘れてくれても…」
「僕は、君からずいぶんと熱烈な告白を受けたように思ったが?あれは酔っぱらいの戯言だったか」
どうやら、レイシオも告白されたという認識は持ってくれているらしい。けれど、そんなことはどこ吹く風と言うように、顔色一つ変えずにいつもの調子で話し続けている。
「あれは僕の素直な本音だけど、本当はあんな酔っ払って言うこと…じゃなくて…! どうしよう! 昨日の僕、すごくカッコ悪かった…!」
そして僕は対照的に、要領を得ない話し方しかできず、あぁ…とかうぅ…とかもだもだと呻き続けている。思い出したらどんどん恥ずかしくなって、いっそのこと、ベッドに駆け戻って頭から布団を被ってしまいたい気持ちだった。
「確かに君は昨夜、一般的に見て、大変迷惑な酔っぱらいであることは確かだったが。そもそも、僕は君を格好良い悪いという判断基準で見たことはないし、外見上の醜美でも判断するつもりはない」
それは…、僕の外見の評価の話なのだろうか。
それとも、格好良かろうが悪かろうが脈は無いと言う話なのだろうか。
「それにしたって僕、ずっと君に理不尽なこと言ってただろう」
「なんだ、自覚があるのか」
率直な言葉がぐさりと刺さる。
「…翌日、記憶が残るタイプなんだよ。君に言ったことも全部覚えてるくらいには」
「そうか。それについては確かにその通りだが、君の気持ちに配慮できなかった点においては僕にも非があるとして、そこは相殺だ」
「そうかな…僕は君に非があるとは思わないけど」
だってそうだろう。
酔って醜態を晒して責め立てた挙句、帰宅を妨害して、更には同居人共々、翌朝の面倒まで見てもらっている。
どう見ても、僕の非しかない。
「僕は、過度な貸し借りは好まない。そういうことにしておいてくれ」
それだけ言うと、レイシオはさっさと玄関へ向かって歩き出した。
「帰るのかい? それなら、送っていくか…車を呼ぶよ」
レイシオを追いかけて声をかける。
「ここから駅が近いことは分かっているから不要だ。そもそも今君がハンドルを握ることは酒気帯び運転となる可能性が高いし、送迎を待つくらいならその時間で必要な買物をしながら帰宅した方が効率がいい」
「でも…君に迷惑をかけた分、何かできることはないかな?」
「だから、そういったものは不要だと言っている。僕たちの間に貸し借りは無いし、君が今後こういった行動を取らないよう反省さえしてくれればそれでいい」
つまり、これ以上構うなと言われている。
けれど、何かしらアクションを起こして昨日の醜態はどうにかチャラにしたかった。たとえそれが、僕の自己満足でも。
それとも、レイシオとしては昨日のことは全て無かったことにしたいのだろうか。告白されたという認識はあるのに?そういえば、さっきも自分から話題に触れておいて、返事のようなものは何も返してくれなかった。
そう思うと、また一段と気持ちが沈んだ。
「はぁ……。頼むから、そういう顔をするのはやめてくれ」
そういう顔とはどういう顔だろうか。近くに鏡が無いのでわからない。
溜息を吐いた後、しばらく額を抑えて考え込んでいたレイシオが、ふいに顔を上げた。
「せっかくだ、アベンチュリン。君が勘違いしているようなので、訂正しておきたいことがある」
「うん…?」
返事はしたものの、何か訂正されるようなことはあっただろうかと首を傾げる。
「まず、スクリューガム氏については、共同のテーマで研究を共にする協力者であり、研究の主たる主導権については彼が持っている。僕は彼の一協力者でしかなく、少しの情報提供を行っているだけに過ぎない。それだけの関係だ」
「うん、わかってる」
それは勘違いというわけではなく、僕の嫉妬からきた、ただの言いがかりだ。
「なので、君が勘繰ったような関係では一切ないし、君と食事をするにあたって話題提供のひとつとして選んだに過ぎない」
「それもわかってるよ」
とは言っても、それはレイシオの自己評価の低さからそう認識しているだけであって、スクリューガムから見たレイシオの評価は彼が思っている以上に高いだろうし、ただの協力者と言うよりは共同研究者と同等以上の立場があるような気がしている。
話がややこしくなりそうだから黙っていることにするけれど。
「次に、僕は君をギャンブラーと呼ぶが」
「そうだね」
実際その通りなので、普段なら何とも思わないことだ。それにしても、冷静になってみるとなんてわけの分からないことで喚き散らしてしまったのかと改めて恥ずかしくなる。
「アベンチュリンは、君の十の石心としての役職の一つでありコードネームだ。君の〝名前〟ではないので、君を表す記号として〝アベンチュリン〟でも〝ギャンブラー〟でもあまり差はないものと認識していた。しかし、君が〝アベンチュリン〟を自身の名前として定義しているのだとしたら、僕は君に対して礼を欠いていたと思う」
「え、あっ…いや、ごめん…。あんなのはただの言いがかりだし、本当は君の好きに呼んでくれて構わないんだ…。そんなに深刻に考えないでくれ」
先程の恥ずかしさとはまた別の気恥ずかしさで、顔面の温度がポポポっ…と音を立てて上がっていくのを感じる。恥ずかしいにいくつも種類があるなんて知らなかった。
「それと…」
「あの…ちょっとごめん、レイシオ」
続けて話し出すレイシオに一旦ストップをかける。
「何か質問が?」
「いや…もしかして長めの話になるなら、玄関で立ちっぱなしもなんだし、中でゆっくり…どう? コーヒーでも淹れるし」
訂正が案外多かったので提案してみる。
あとは、僕が気持ちを落ち着けたかったこともある。なにしろ、顔が熱くてたまらない。それについては鏡がなくても、絶対真っ赤な顔をしてるだろうとわかる。
「いや、結構。話は次で最後だ」
「そう?」
けれど、僕の提案はきっぱりと断られた。
それならば、と僕もあまり無理強いはしないことにする。
「最後に…君のことは、ろくでもないギャンブラーだと思っているが、君自身を嫌悪しているわけではない」
「あ…ありが、とう?」
これは…どの話に対しての訂正だろうか。
「そもそも、僕は自分が好まない人物とは行動を共にしない」
「そうだね…?」
何しろ我が道を行く人物なので、その辺りは重々承知している。
「君の、その根拠のないギャンブル癖に関しては苦言を呈さざるを得ないと常々思っているが、君自身の思考能力と先見性の高さについて僕は一定の評価をしているし、何より君と会話を交わすことについては悪趣味なジョークを除けば概ね好意的に思えることも多く、また、食事なども僕の都合がつくようであれば応じてはいるつもりだったので、昨日の様に泣かれるような事があるのは非常に困る」
これは、僕がみっともなく泣き喚いたことに対しての苦言だろうか。
それとも、お前みたいなやつと今後食事をするのはごめんだ、と遠回しにフラレてしまったのだろうか。
話の主旨がイマイチ見えず、聞き取れた内容から一旦謝罪を優先する。
「えーっと…それは、本当に君に迷惑をかけてしまって申し訳ないと思ってるよ。今後は気をつけるから、君が嫌でなければ、また都合が合う時に一緒に食事をしてくれると嬉しいな」
しかし、レイシオは首を横に振り、何かを言い淀んでいるようだった。
「違う、そういう事ではなく。だから…その、つまり……」
「つまり?」
「僕は……っ」
すっ、と息を吸い込む音がした。
「以前から君に対して比較的好意を持って接してきたつもりであり君から伝えられた好意についても不快感は無く遺憾ながらも好ましいとさえ感じてしまったわけだがこういった感情の機微についてはその場の雰囲気に左右されてしまうこともあるため僕はこの件について改めて情報を整理する必要があり持ち帰った後しかるべき方法で内容の精査・検証を行い君に正しい結果を伝えなければならない!」
内容を理解する間もなく、怒涛の勢いで言葉が押し寄せてくる。
キッと、厳しい目つきで睨みつけられるが、その顔は幾分か赤った。
「話は以上だそれでは失礼する!」
「え、ちょっ…レイシオ!?」
バタンと扉がしまって、玄関にはぽかんと口を開けたままの僕だけが取り残された。
最後にあの文章量をどこで息継ぎをしているのかも分からないほどに早口で捲し立てて、寸分の隙も与えずあっという間に消えてしまった。
壁にもたれ掛かって、今の内容を反芻する。
要約すると、
『もともと僕に対して好意的なつもりだったし告白も嫌じゃなかったし、むしろ嬉しかったけど、その場の雰囲気に流されただけなら嫌だから、一度帰って気持ちが落ち着いたら返事する』
…という事で合ってるのだろうか。
それって…それって……!
「もう……僕のこと好きってことじゃん!?」
壁伝いにずるずると座り込み、そしてそのままひっくり返る。
仰向けになって白い天井を見つめながら、もう一度彼の言葉を思い出して。やっぱりそうとしか思えなかった。
「どうしよう…っ!嬉しすぎる!」
熱を持ったままの顔を両手で覆ったまま、足をバタつかせる。
正式に返事をされたわけではないけれど、あれはほとんどOKだという認識でいいと思う。
ごろごろバタバタと一通り悶えて、そして力尽きてぱたり、と脱力した。
「あべ~? 具合悪い?」
「寝ちゃう?」
扉の影から僕の様子を見ていたお菓子たちが、わらわらと集まってきた。
「具合は悪くないし、寝ないよ」
「あべ、起きないの?」
「もう少ししたらね」
寝たりはしないけれど、ごろりと体を転がして床にしがみつくように俯せになる。床に接している頬が、ほんの少しだけ冷やされた。
床が清潔でないことは分かっているけれど、まだ起き上がることはできない。どうせ、この後シャワーを浴びるので構わないとも思っている。
なにしろ、こうでもしていなければ今にでもピアポイントの敷地内でフルマラソンを始めてしまいそうだった。
君への愛を叫びながら。