告白にはお誂え向きな夜 仕事の合間や終わりに、彼と食事と取る回数が以前より増えたな、と思ったとき。
いつも冷えていた心が、じんわりと熱を持ったのに気づいた。
好物を口に運んで、わずかに緩んだ彼の表情を見たとき。
体中の血液が、一気に沸騰した。
僕は…彼が好きなのか、と気づいたとき。
殺伐としていたはずの僕の世界は、鮮やかな花弁に彩られた。
これが全部、たった今、ほんの一瞬の間に起きた出来事だ。
「どうした、さっきからぼーっとして」
レイシオが、食事中の手を止めて、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
ドッ、ドッ…と、心拍数が徐々に上がっているのを感じる。突然のことに、思考がまとまらないままどうにか返答をしようと口を開いた。
「あ…ああ、えっと…、あれを見てて、つい」
レイシオの背中越しに、真っ赤なバラの花びらが舞っている。
正しくは、男性の抱えている大きな花束から数枚の花弁が零れ落ちただけだ。舞っている、というのは比喩表現である。
けれど今、僕の心の中には間違いなく花びらが舞っているのだ。
「ああ…なるほど。たしかに、今夜はプロポーズにはお誂え向きだ」
レイシオは背後を一瞥して、再び料理に向き直った。
高層ビルの最上階、夜景が美しい高級レストランの窓際の席。そして、本日はお日柄もよく、窓の向こうの空は雲ひとつない満天の星空…、とくれば、たしかにこれ以上のシチュエーションはないだろう。
花束と指輪を無事に受け取ってもらった男性は、女性の手を引いて、周りの祝福を受けながら出て行った。
目が、自然にそれを追う。
「先ほどから食事が全く手についていないようだが」
テーブルの上に目を戻すと、メインのステーキが一口切り分けられたまま残っている。
「他人の公開プロポーズに、何か思うところでも?」
一方で、すでにメインを食べ終えたレイシオは口元をナプキンで拭っている。
「僕が思うところ、というか。どうなのかなって思って」
「何の話だ」
レイシオは、わけがわからないという顔をしている。当たり前だ、僕自身が今、わけがわからなくなっているのだから。
「君は…プロポーズってどう思う」
「だから何の話なんだ。そんなものは、したければするだろうし、シチュエーションの趣味趣向もそれぞれだろう」
「趣味趣向……」
「結婚をしたいと思う程に深い付き合いのある相手なんだ。相手に喜ばれる演出をしたいなら、相手の好みを把握した上で最適なシチュエーションをセッティングするのが道理ではないのか?」
「あ、なるほどね…。ちなみに君って、恋人はいるの? プロポーズしたいって思う人は?」
レイシオの眉間の皺が一層深くなる。
「どうして突然食い気味なんだ」
不信感を露わにするレイシオの指摘に、ぎくり、と身体が跳ねる。
「えっ!? あ、いや…君ってすごくモテそうだから、参考までに??」
若干、声が上ずる。我ながらあまりにも不自然すぎる返答に、冷や汗が止まらない。
「君の目は節穴なのか? どう見たら僕がモテるなど……」
ふと、レイシオの言葉が止まり、考え込むようなしぐさで僕をじっと見つめだした。
「参考……」
「れ、レイシオ?」
「もしかして、君……」
店内の静かなBGMとは正反対の爆音が、身体の中からドカドカと鼓膜を叩く。僕の心音だ。やかましくて堪ったものではない。
耳を塞ぎたい気持ちに耐えながら、レイシオの言葉を待つ。
「結婚を考えている相手がいるのか?」
「してくれるの!?」
「はあっ??」
間違えた。
そして、レイシオの目もすっかり点になっている。
「いや、ごめん、ちがくて…まだ付き合ってもいないんだけど」
「君の片思いと言う事か? それはいささか……」
レイシオは口を噤んだ。
言いたいことはわかる。他人事であったなら、恋人でもない相手にプロポーズの話だなんて、重すぎて目も当てられないと、それは僕自身も思うだろう。
そして、いい加減少し冷静さを取り戻してきた。
「ごめん、急にこんな話…」
ごほん。
レイシオは、気まずそうな咳をひとつして、再び口を開いた。
「いや、すまない。君がそんなに想っている相手がいるとは気づかなかった」
それはそうだ。僕だって今さっき気づいたばかりなのに。
「しかし、そういった相手ができたということは、君にとって非常に良い傾向だと言えるだろう。しかし、いきなりプロポーズというのはやはり非常識だな。まずは、交際を申し込んで相手の了承を得た上で、順当な手順を踏むべきだろう」
「それはそうだよね……。ちなみに君は、どういう感じで告白したんだい?」
「君は、何か勘違いしているようだが…?僕にはそう言った相手はいないから…」
「えっ!いないの、恋人!」
「だから、そう言っている。僕の意見は参考にならないから、アドバイスが欲しいなら別の人間を頼れ」
―恋人、いない―
心の中でメモをつける。
「まあ、君はギャンブル癖さえ出さなければ、そうそう交際を断られることもないだろうが」
「君からはそう見えるってこと?」
「そうだな…。君は一般的に見て綺麗な顔立ちをしていると言えるし、現状の立場と資産についても問題はない。過剰な貢ぎ癖はどうかと思うが、プレゼントを贈られて悪い気分になることもないだろう」
―顔、OK―
―地位と資産、問題なし―
―プレゼント、嫌ではない―
彼の言葉にひとつひとつチェックを入れながら、あれ?と思う。
これ……、もしかして、いけるのでは、と。
「ちなみに、交際を申し込むとして……花束とかってどう思う」
「だから、どうして僕に聞くんだ。まあ、悪くはないんじゃないか?」
―花束、悪くない―
そっとチェックを一つ増やした。
後々思い返して頭を抱えたのだけれど、その時は冷静だと思っていた思考は実際、ただのポンコツだった。
「……ねえ、花屋ってまだ開いてるかな?」
時計を見ると、夜としてはまだ早めの時間だ。
「開いているんじゃないか?」
レイシオは手元の荷物をまとめている。
「僕、告白しようと思う」
「そうか。検討を祈る」
それでは今夜はお開きだと、立ち上がるレイシオと一緒に僕も席を立って、彼の手を取った。
「君も一緒に来て」
「何故だ。君一人で行け。大体、君が好きな相手に送るんだから、僕が行く意味はないだろう」
「もちろん、プレゼントは僕が選ぶから! 君は外で待っててくれるだけでいいんだ」
渋るレイシオをどうにか言いくるめながら、その手を引いて店を出る。
高層ビルの最上階、夜景が美しい高級レストランの窓際の席で食事をして。本日はお日柄もよく、空は雲ひとつない満天の星空。さらに、外は寒くもなく暑くもなくてちょうどよい気温。
善は急げと、終始混乱したままのレイシオの手を引いて。
弾む足取りが、コツコツと軽快にスタッカートで床を鳴らす。
ああ、確かに。
今夜は、告白にはお誂え向きの最高の夜だった。