覚えていないミント味呪術高専の中庭。
棘と初めて出会った場所。
今日もそこで俺たちは、花壇の世話を終えたあと、特訓をしていた。
『鵺』
調伏したばかりの鵺を影から顕現する。
目の前で見ていた棘はパチパチパチ!!と拍手をしていた。
「しゃけ!!!」
たぶん、すごいね!って言ってるんだと思う。
「…ありがとう。玉犬2匹と俺で頑張って調伏させたんだ。…五条さんは鵺ごときでヒィヒィ言ってるようじゃこの先大変だ、なんて、呆れてたけど…」
「おかか!たかな、すじこ!!」
そんなことない!恵すごいよ!!
目をキラキラ輝かせた棘が俺の手を取って大袈裟にブンブンと腕を振る。
痛い痛い、肩外れる。
五条さんにここに連れてきてもらってから、何となく棘の言ってる事が分かるようになってきた。
長い会話だとちょっと躓くけど、今みたいな簡単な会話なら受け答えできるようになっていた。
「しゃ、しゃけ……??」
ソワソワと棘が触りたそうにうずうずしている。
「俺はいいけど、こいつ怖がりだからさ…鵺って電気を使って攻撃するから、静電気みたいなの出るかも。ちなみに五条さんは完全にビビられて静電気でバチバチしてた。」
ゴクリ、と棘の喉が上下した。
覚悟を決めた様子で、鵺へと手を伸ばす。
するとどうだろうか、鵺はパチリともせずに棘に擦り寄って大人しくしていた。
思わず目をぱちくりと瞬きをする。
「しゃ、しゃけぇ…!!」
「…なんか、棘ってほんとにすごいな。」
「いくら?」
そうかな?って言って棘の手がわしゃわしゃと鵺の頭を撫でる。
「こんぶ、めんたいこ!」
「?、えっ、と…」
ワシワシ、と撫でる所を見ると、毛並みが硬い、みたいなことを言ってるような気がした。
「…毛並み、硬いよな。」
「!!…しゃけ!」
当てずっぽうで話を進めると正解!と言ってるように親指と人差し指で輪っかが作られた。
きゅん、
まただ、なんだか胸が苦しい。
いつもこうなるのは棘と話をしている時だけだ。
なんだろう、胸が少し締め付けられるような、この気持ち。
前に、津美紀にこれがなんなのか聞いたことがある。
「恵、それはね、きっと恋だよ。」
「こい?……魚の鯉?」
「ううん…そうじゃなくて……うーん、恵にはまだ早いかな…」
「早いってなんだよ、」
「うん、まぁ、大丈夫!そのうち分かるよ!!」
「津美紀が教えてくれないなら五条さ、」
「五条さんには聞いちゃダメ!!いじめられるよ!」
「いじめ…え?」
「もっと恵が大人になって、それでも分からなかったら五条さんに聞いてもいいよ!…多分その方がいいと思うから…」
「え?最後なんて言っ」
「いいから!はい、指切りげんまん!!」
無理やり指切りげんまんをされたのは記憶に新しい。
まぁ結局、なんにも分からずじまいだった。
そんなことを考えていたらポツリ、と鼻の頭に冷たい水滴が落ちた。
「え?」
「すじこ?」
棘も気づいたようで、2人して空を見上げる。
いつの間にか空は雨雲で包まれていて、ポツリ、ポツリと雨が降り出した。
「うわ、雨だ、傘持って無いし、どうしよ、」
「お、おかかー、」
周りを見渡しても雨宿りになりそうなところはない。
このままでは2人ともずぶ濡れになってしまう。
どうしようかと困っていたら、バサリ、と大きな羽音が聞こえた。
そして、急に体が雨で濡れなくなった。
「しゃけ!」
鵺が、俺たちが雨から濡れないように雨避けになってくれていた。
「鵺、お前、」
鵺が一声鳴く。こうすれば濡れないでしょ、と言ってるような気がした。
「しゃけたかなこんぶめんたいこー!!!」
棘が全力で鵺のお腹周りを激しく撫でている。
きっと全身でありがとう、と伝えているのだろう。
「あっれー??面白いことになってんじゃん。」
「あ、五条さん」
パシャリ、と水溜まりを踏んだ音と同時に五条さんが現れた。
「いいないいなー!鵺の傘!僕も入れて?」
「ダメです、定員オーバーなので。」
つーか、あんたは無限あるから雨避けいらないでしょ、と心の中で思う。
「ケチ!まぁいいや。この後雨酷くなるみたいだから、校舎の中入んなよ。学長に許可貰ってきたから。」
こっちだよ、と五条さんは返事も聞かずに歩いていってしまう。
…行くとは言ってないけど、まぁこのままなのも鵺が可哀想なので、棘と一緒に大人しく着いて行くことになった。
鵺は校舎の中では狭苦しくなってしまうので、校舎の玄関に入ってから解こうとした。けれど棘が寂しそうに鵺を撫でる。
「おかか…?」
「棘、寂しい分かるけどここだと狭いからさ、代わりに玉犬にしな?」
「五条さん、まるで自分が顕現するような言い方しますけど、させるのは俺ですよ。」
「もー!素直じゃないね!聞かなくたって顕現させるつもりだったでしょ?もう手が玉犬呼び出す準備してるじゃん、何ジェラってんの?」
…ジェラってるの意味は分からないけど、なんかとても馬鹿にされてる気がする。
もういい、無視だ無視。
『玉犬』
ワォーン!と遠吠えと共に白と黒の2匹が現れた。
「しゃけ、こんぶ。」
解く寸前、ありがとう、またね。と先輩はギューッと鵺を抱きしめる。
そのままパシャリと鵺は姿を消した。
もや、
なんか、なんだろう。
今度は胸がちくちくする。
「恵ー?なにしてんの、置いてくよ。」
「…はい、行きます。」
よく分からない感情を抱えたまま、五条さんの後について行った。
「ここの畳の部屋使いな?座布団しかないけど。」
「…十分です、ありがとうございます。」
「しゃけ!」
棘がパタパタとその部屋に入って、玉犬と戯れ始めた。
きゅん、
だからなんだよさっきから!!!!!
自分の感情が分からなくて、さっきから主張が激しい胸をトン、と叩いた。
「ん?恵どうしたの?」
「…なんでもありません。」
「ふぅん…ま、いっか!じゃあここで、君たちに課題を出そうかな。」
五条さんがほら、座って、とふたつ並んだ座布団を指さしたので、棘と一緒にそこに座った。
「棘。君の呪言も大分成長したよね。今日はそれを特訓しようか。」
「…めんたいこ?」
「大丈夫!恵を傷つける訳じゃないよ。今回は玉犬に協力してもらう。」
「…玉犬に?」
「そう。…棘、玉犬を影に戻してみて?」
棘が1拍置いてコクリ、と頷いた。
マスクを外して、すぅ、と息を吸う声が響く。
『戻れ』
棘が言い放つとパシャリと玉犬2匹が影に消えた。
「…え?」
「ナイス棘!よくできたね!」
その調子だよー!!と五条さんがぐりぐりと棘の頭を撫でる
「ね、影に戻ったでしょ?」
「…すごいな、」
「そう!棘はすごいんだよぉ!」
「お、おかか…」
そんなことないよ…と棘は照れている。
「じゃあ今度は恵の番。棘の呪言に抗ってみて。」
「え、そんなこと、」
「できるよ。呪力を込め続けるんだ。呪力操作の修行だよ。そして棘、今度は玉犬2匹まとめてじゃなくて白か黒、どちらかに狙いを定めて呪言を使うんだ。」
棘も呪力操作の特訓ね。と言い終わると、どっこいしょ、と五条さんは立ち上がった。
「しばらく雨酷いみたいだし、少し治まったら帰ろうね。それまでここにいていいから。あ、呪力切れそうだったら休んでよ。死んじゃうから。」
「…その前にきっと疲れてて呪力練れそうにないです。」
それもそうか!とケラケラと五条さんは笑った。
「よーし、それじゃ、僕は会合に戻るねぇ。何も言わずに出てきちゃったからそろそろ戻らないと。」
「…五条さんは相変わらずですね…」
「しゃけしゃけ。」
「なんか言った?」
「なんでもないです。」
「たっかなー。」
「もー、2人して最近生意気だなぁ、じゃあまた迎えに来るから。いい子にしてるんだよ?」
そう言って五条さんは部屋から出ていった。
「……よし、修行するか、」
「しゃけ!」
ズルン、と先程影に戻された玉犬達を再度呼び出した。
「あーーー、もう練れねぇ…」
「じゃーーーーげーーー」
ゴロン、と2人して畳に寝転んだ。
もう起き上がれない。それくらい俺たちは疲弊していた。
「棘、喉大丈夫か?なんか枯れてない?」
「ーー、めんだいご…」
そう呟きながら棘は起き上がってガサゴソと持っていた荷物を漁る。
気になって、俺も起き上がって棘の様子を見た。
「じゃっげげー」
テッテレー、のリズムで俺に見せてきたのはノドナオール。喉スプレーだった。
「あ、薬持ってんのか。」
「じゃげ、」
喉にシュッとするんだな。と思っていたら、キュポ、と蓋を開けて一気に煽った。
「は?!?!ちょ、棘?」
「たかな?」
なに?と不思議そうに俺を見つめる。
棘の手中のノドナオールは既に空っぽだった。
「え、飲んだのか?」
「??…しゃけ。」
「確かに治ったみたいだけど、飲むもんじゃないぞ、それ…」
「あー、めんたいこ。」
確かに、美味しくないしね。と棘は言いながらべー、と舌を出す。
ドッ、と急に胸が高鳴った。
「…ぁ、舌の上にも、呪印あるんだな、」
「いくらぁ。」
「…近くで見ても、いい?」
「?、しゃけ。」
ドッ、ドッ、と何故か高鳴る胸を抑えながら棘の近くに寄る。
棘は、ぱか、と大きく口を開けて、べっ、と軽く舌を出している。
きっと、勉強熱心だなぁ、とか思いながら舌の上の呪印を俺に見せてるんだろう。
舌の呪印は見たことがないから興味がある。それはあるけれど、なんか、すごく、
…食べたい気持ちになった。
「ひゃへ?」
「…まだ。」
「おーはーはー、」
唾液がだんだん棘の口に溜まっていく。
それ、飲んでみたいな。
グッ、と棘の肩を強く掴んで引き寄せた。
美味しそうな舌を食べてしまうように、棘の舌を咥えた。
「???……ん?!」
棘は何が起こったのか分からなかったのか、一瞬固まっていた。
その隙に、自分の舌でも棘の舌を味わう。
ちゅ、と吸い上げると、ノドナオールの味が仄かにした。
「んー!!ん、ゎっ?!」
もっと味わいたくて、ぐい、と棘が俺に覆い被さるように体を引き寄せて、俺は畳の上に寝転んだ。
トン、と顔のすぐ横に棘の手が置かれたのを合図に、トロリ、と口の中に棘の唾液が流れ込む。
こく、こく、と飲み干した。
「た、たかなぁ?!?!」
何すんの?!って慌てる棘の顔は真っ赤で。
「…かわいい、」
そう一言呟くと、うつらうつらと瞼が重くなって、意識が遠のいていった。
え?なに?なにが起きた?!?!
頭は絶賛パニック中だった。
呪印見せて、って言われて、勉強の為か、それなら協力しなきゃ!って見せてただけなのに。
唾液が溜まってきても恵がまだ見たいって言うから我慢してたのに…なんかいつの間にかチューされてた。
それで体ごと引っ張られて、恵を押し倒す形になってしまった。
ベリッ、と恵から離れると、「…かわいい、」とかなんとか呟いて寝てしまった。
…寝て……うん?顔赤い…?
恵の額に手の平を当てると、その額は熱を持っていた。
え、熱…?さっきの雨で濡れて…いや、鵺が守ってくれたからほとんど濡れてないし…まさか呪力の使いすぎ?!
どうしよう、えっと…とにかく休ませなきゃ、
さっきまで使っていた座布団を恵の頭の下に敷く。
あとは、えっと、えっと…
「あれぇ?呪力が乱れてると思ったらどうしたの?」
「め、めんたいこぉ…」
五条さんが部屋の様子を見に来てくれた、良かった…!
「あー、これは大分お疲れだねぇ。硝子のとこ連れて行こうか。」
「しゃ、しゃけ、」
そうだ、確かに硝子さんのところに連れていけば良かったのに。全然頭が回らなかった。
………多分、唇が熱いせいだ。
「……ん…?」
意識が浮上していく。
重い瞼を持ち上げると、見慣れた天井が見えた。
(あれ……俺、高専に、いたはずなのに…)
「恵ちゃーん、起きた?」
「?…五条、さん…?」
「恵ぃ、ダメじゃん。呪力使いすぎだよー、倒れるまでやるなって言ったよね?棘も心配してたよ?」
「ぁ……そうだ、とげ…」
「棘はお家に送り届けたよ。めちゃくちゃ心配してたから、今度会ったら謝っときな?」
ポス、と額を撫でられた。
そこで、冷えピタの存在に気づく。
……熱、出てたのか…
「はい…そうします、ありがとうございます。」
「ん、素直でよろしい。」
五条さんがそう言うと、コンコン、とノック音がして津美紀がお粥を持って部屋に入ってきた。
「恵、大丈夫?お粥食べれそう?」
「ん…食う…。」
そこでふと、思い出す。
なんか、口というか、喉の辺りが少しスースーとした。
まるで歯磨き粉を飲み込んだような…なんか飲んだっけ、覚えてない…
そんなことを片隅に考えながら、津美紀お手製のお粥を食べた。
後日、棘に会い、「この間は迷惑かけました。」と一言謝ると、大丈夫だよ、と返事が返ってきた。
「こんぶ……めんたいこ、いくら?」
ちなみになんだけど…なんにも覚えてない?
そう問いかける棘の顔は少し赤くなっていて。
「え、俺なんかした…?!ごめん、なにも覚えてなくて…」
「しゃけしゃけ!たかなぁ。」
覚えてないなら大丈夫!分かったよ。
そう言って視線を逸らす棘はあからさまに何かを隠していて。
その隠し事が暴かれるのは、もう少し先の話。