TOAR/アルシオ 文字通りの天変地異が起ころうと、ヴィスキントの市街地はそれ以前と変わらず、むしろ人の出入りという点ではより活発になっていた。どこか心許なさげなレナ人は元々の住民ではなく、最近になってレネギスから降りてきたのだろうということが察せられた。この街の在り方は理解の範疇を超えている。そういう表情だ。初めてここを訪れたときは、きっと自分も同じ顔をしていたのだろうと、シオンはそれほど遠いことでもない過去をふと思い出す。自分にとって不可解なことは自覚の有無を問わずおそろしいのだ。未知のものが、自分にどのような影響を与えるか――率直に言えば益か害かわからない。だから新しいことやものに触れるのは、こわい。自分の場合は間違いなく相手に害しか与えないとわかっていたからなおのこと。
他者に手を伸ばす。ただそれだけのことが、シオンにとってはひどく難しくて、叶わない願いだった。
気を付けていなければ人とぶつかりそうな雑踏の中。以前だったら多分近づかなかった。けれど今は。
近くを歩いていたはずのアルフェンが、人を避けながらいつの間にか少し前に行ってしまっている。
「あ……」
おいていかないで、と声に出しそうになった。そんなわけは無いとわかっているのに。今ならば手も伸ばせるのに。染みついた躊躇いは、不意に思考を凍り付かせる。
私を、置いていかないで。
「シオン!」
その名前を呼ぶ声が硬直を解く。アルフェンが振り返ってシオンのところまで戻って来る。まるで、声にならない声が届いたかのように。
「悪い。はぐれてないよな」
「子どもじゃないんだから」
そんなに心配しなくても大丈夫、と言いかけたところで、何の前触れもなく、無造作にアルフェンはシオンの手を取る。
「アルフェン」
「ちょっと人口密度高いから、ここ抜けるまで」
一瞬固くなったのは長年の習性のようなもので、自分とは違う体温に、まだ慣れない感覚が胸に広がる。少しだけ苦しくて、けれどそれ以上の熱が告げる。
ただそれだけのことが、泣きたくなるくらいに嬉しいだなんて。
自分にさえ制御できない、浮遊感とも高揚感ともつかない感覚を持て余している。触れた指先から伝わってしまうのではないかと、あるはずもない想像でシオンの心拍はまた少しだけ早くなった。今度は隣にいる、同じ歩調のアルフェンの横顔を見上げる。その視線は前方を捉えていたが、
「……というのは口実で」
「?」
彼にしてはめずらしく、言葉を探すように躊躇いがちな口調。そこでシオンと視線を合わせて、わずかな気恥ずかしさを含んだように苦笑する。
「俺が、手を繋ぎたかっただけなんだ」
何も隠さずに、ただひたすらにまっすぐに向けられたそれに、シオンの方こそ継ぐべき言葉を見失った。
「……あなたって、本当……」
人たらし、と続けたら彼はどんな顔をするだろうか。いつの間にか人の心に入り込んで、揺るがない場所を占めてしまった。
「理由なんていらないわ」
シオンはそう言って繋いだ手に一瞬目を落として、次いでアルフェンを見つめた。
「私も、あなたと手を繋ぎたいから。ただ、それだけで十分」
一瞬虚を突かれたように、けれど次の瞬間にはひどく満ち足りた笑顔でアルフェンは応えた。同時に、絡まる指に込められる力が強くなる。
たとえ手を離しても、再び繋げられることをもう知っている。手を伸ばして、それに応えてくれるひとがいることも、自分のものではない体温も。
今はただ、ひとりではないのだと告げる指先が愛おしかった。