GG/カイデズ どこか地に足がつかない感覚で、それでも自分は立っていた。
瓦礫の上に。物言わぬ屍となった同胞を背に。対するのは赤い眼を向ける生体兵器の群れ。その一番高い場所に――天空から睥睨する赤。人の形をした、なにか。
「まだ生き残りがいたのね」
おそろしく冷たさを孕んだ鈴振る声。その背には大きな翼、踝にも届く長い尾。豊かな髪を結ぶ大きなリボンだけが彼女を少女めいて見せていたが、人にあり得ざる姿は、仇敵であるギア以外の何者でもなかった。
彼女の名を知っている――? それどころか、とても近くにいて――愛した。――本当にそうだっただろうか。脳裏に揺らぐ知らない記憶の中で、確かに手を取り合っていたのは。
自分が生きる場所は、どこだっただろうか。
「ひとりぼっちで残されるのは寂しいでしょう?」
「……っ」
余計なことを考えている暇はなかった。わずかでも集中が途切れば間違いなく敗北、つまり待つのは死だ。一瞬の躊躇が絶望的な差を生む。
「一緒に送ってあげる」
ギアの翼を中心にして高エネルギーが凝縮するのがわかる。あれはもう不可避のものだ。あのギアにとっては呼吸に等しく容易いことで、もはや仲間と呼べる存在は人の形すら留めず、あるいはその存在そのものをこの世から一瞬にして消してしまった。凄まじい攻撃範囲と威力を有するあの死の翼から逃れることはもうできない。ならばせめて一矢報いるだけでも。それが最後に残された矜持であり、意地であった。
右手に握る神器に光がのたうつ。同時に地を蹴り、肉薄する。手を伸ばせば触れられる距離にまで。
そこでギアは目を見開いた。想定外だと言わんばかりの、ちっぽけなひとりの人間の最後の悪あがきに驚きの色を乗せて。けれど、それまでだった。
「……あなた、とてもきれいな眼をしている」
酷薄に、彼女は嗤う。
「違う時に、違う場所で出会っていたら、恋をしたかしら」
その答えは知っている。けれど、応えることはもうできなかった。
あまりにも残酷な問いかけだった。
覚醒と同時に眼を開き、上体を起こす。
「……っ……」
呼吸は荒く、喉はひどく渇いていた。首を伝うものが冷や汗だったのだと気付いたのは、深く呼吸を繰り返し、早鐘のように打つ心臓を落ち着かせてからだった。
「……なんて夢を……」
そう、あれは夢だ。恐ろしい、悪夢。そうであることはわかりきっているのに。あるいはあり得たかもしれない可能性だったのだろうか。『彼女』の言葉通り、ほんの少し時と場所が違っていたら。
そうだとしても、命を奪い合う――もっともそれを望まない人と――などというこれ以上ない悪夢はひどすぎた。まだ少し早い朝の時間。美しい一日の始まりに、まったく相応しくないひどい目覚め。まだ静かな窓の向こうで鳥の鳴き声だけが響く。静謐の朝に、そっと落とされたのは隣で眠るひとの名だった。その呼吸音を確かめて、ようやく息が吐ける気がした。
ここに、いる。夢ではなく、現実に。
ただそれだけのことが、たまらなく尊いことのように思えた。
規則正しく呼吸を続けていたはずの体が、わずかに身じろぎ、そして、震える瞼が静かに開かれた。
「……カイ、さん?」
まだどこか遠くを見ているような、ぼんやりとした寝起きの目と声。それでもそれは自分に向けられていた。
「少しだけ早起きになってしまいましたね。……おはよう、ディズィー」
彼女の頬に手を伸ばす。確かな体温に、やはりこれが現実なのだと安堵した。けれど、それを伝うものが温かな雫――涙だと気付く。どうかしたのか、と問う前に両手が伸ばされて、抱き寄せられる。
「ごめんなさい……、少しだけこうさせて」
たとえば、今朝のように早く目覚めた朝。もう少しだけ、と互いに甘やかすように抱き合ってベッドの中で微睡む、というのとは違う。まるで縋り付くようなそれ。おそるおそるディズィーの背に伸ばした両手。何も言わず抱き合ったまま、ただ互いの呼吸だけを感じていた。
「夢を、見て」
ぽつりと、そんな言葉がディズィーの唇からこぼれ落ちる。カイは彼女と顔を見合わせた。
「……とても怖かった。私が、人と戦っていて。――あなたが、そこにいた。私とあなたが」
思わずきつく抱きしめた身体は、わずかに震えていた。髪を梳くように頭を撫ぜて、もう何も言わなくて良い、と返すことしかできなかった。
ただの悪い夢だと慰めるには、あまりにも偶然が過ぎていた。自分こそその悪夢に苛まれていたのだから。
「きっと同じ夢を私も見ていた。……あり得ないことだとどこかでわかっていながら、奇妙な現実感があって」
聖戦時に何度も味わったギアと対峙する感覚。彼女の似姿はまさにそれを思い起こさせるものだった。人より強大な力を持ち、決して相容れることのない存在の。ギアの本能に忠実であったのならば、あるいはあれが彼女の本来の姿だったのかもしれない。そうであれば自分たちは心を通わせることもなく、出会った瞬間に互いの命を奪い合うだけだった。あれこそ自分たちがたどり着くはずの結末だったのではないか、と思ったところで思考を中断させる。
仮定に意味は無い。どれほどおそろしい可能性を思い描こうと、この瞬間に触れるものには敵わなかった。
「目覚めて、あなたが隣にいて、どれほど安心したか」
そこでようやく笑えた。ディズィーは一瞬驚いたような表情で、次いでそれがやわらかなものへと変わる。
「私も同じ。いつものようにカイさんが、おはようって言ってくれたから……良かったって思ったんです」
特別ではない、ありふれた一日の始まり。それを迎えられることこそ、夢のような奇跡だったのかもしれない。けれど、互いの鼓動を確かめるような抱擁が、確かに存在することを教えてくれる。
もう少しだけぎゅっとしていて、と耳元で告げられた、甘えるような言葉に、カイは微笑う。
何も怖れなくていい。両腕の中の体温、夢ではない証をこの手に抱いているから。