指先とチョコレート 今日はお土産があるんだよ。嬉々として一二三が差し出したのは、輝くシルバーでロゴが刻まれた平たい長方形の箱だった。そういった類の知識の乏しい自分でも、一目で高級と分かる仕様にどうしたんだと問う。
「オーナーからもらったんだ。シンジュクのデパ地下に期間限定出展しているショコラトリーのアソートだって」
「へぇ。珍しい差入れだな」
「付き合いの長いご友人が経営に関わっていて、キャストの子たちへどうぞと頂いたそうだよ」
「なるほど。暗に宣伝効果も期待されてるのか」
カブキ町の有名クラブに所属するホストの世間への影響力(特に対女性)は絶大である。商売をする立場からすれば、是非ともあやかりたいところだろう。洒落たお菓子は流行に敏感で甘い物を好む女性たちの興味を集めるはずだ。納得の返事に一二三が頷く。
「なるべくSNSに写真をアップしてほしいと言われたよ。休日は行列ができているらしいし、スイーツ通の間では評判が良くて既に充分人気があるみたいだけど。こういうのはある程度継続させないとね」
そう口にしつつ箱の蓋を外す。八つ小さな仕切りのついた箱に愛らしい造形の彩り鮮やかなチョコが並んでいた。一か所空になっており自然と視線がそちらへ向く。
「ああ。そこは僕がもう食べてしまったんだ。お店でSNS用に写真を撮ったから、そのまま投稿もしておこうと思って」
茶目っ気の混じった声で説明される。言われてみれば未開封にしてはあっさりと蓋を持ち上げていた。律儀に実食してきちんと感想を添えたのだろう。彼の誠実な人となりを再認識する。
「とてもおいしかったから、独歩くんにも食べてほしいな」
チャーミングな微笑みが眩しくて思わず、しぱしぱ瞬きをする。
「……いいのか」
時計の短針はとっくにてっぺんを過ぎている。一二三は指輪を外し手を洗う以外、そのままで──つまり仕事着のままダイニングテーブルに腰掛けていた。素の一二三であれば、こんな時間にチョコレートぉ?……と眉を顰められそうな状況だ。
「たまには少しいけないことをしたっていいじゃないか。毎日頑張ってるご褒美さ」
「でも歯、みがいた後だし」
「もう一度みがいたらいいだろ。なんなら僕がみがいてあげてもいい」
悪事をためらう子どものように身を引くと、代わりに一二三がずい、とテーブルに身を乗り出す。こうして詰め寄られてまで断る理由もない。
「じゃあ一つだけ、もらおうかな」
控えめに申し出る。嬉しそうににっこり笑い、一二三が箱からハート型のチョコレートを摘み上げる。ほっそり長くて白い人差し指と親指の間、そうっと掴まれたそれはツヤツヤ光り、ライムグリーンとイエローのグラデーションで粧しこんでいる。
「はい。どうぞ」
「…………」
自然な動きで顔の前、正確には口元まで運ばれてきたチョコを拒絶して手で受け取ること自体は可能だった。ただ俺が悪戯じみたこの行為を必ず受け入れるはずという自信に満ちた表情に、伏せられた視線の美しさに。なにより、そういった一二三のすべてが自分にだけ向けられている事実に。酩酊のようなものを感じて大人しく唇を開く。疲れていたせいもある。まぁ俺の場合、疲れていない時の方が珍しいが。
ちょん。指先が唇に触れる。チョコレートのはじっこが舌に乗って甘さが溶け出す。口内にチョコを置いたら、離れていくと思った指が内部に侵入してきて戸惑う。熱を持った粘膜の上、可憐な一粒がじわじわ形を失くしてミルキーな液体へと変わっていく。一二三の意図をはかりかねて顔を窺えば愉しそうにこちらを凝視していた。背中がぞわりと疼いて向かい合った男の要求を理解する。
外側のミルクチョコレートの層が徐々に溶け、中心から酸味ととろみのある中身が出てくる。口端から溢れそうな唾液を阻止するため、ぎゅむと唇を引き締めた。結果、舌と上顎で一二三の指を挟んでしまい、思いがけず甘噛みしたみたいになる。甘噛みしてるのは俺なのに、覚えのいい身体に染みついたあらゆる記憶が過って切なくなった。チョコがなくなったのを見計らい指が外へ出ていく。名残惜しそうにざらついた舌の表面を撫でながら、甘い涎の糸を引いて。
「今のはパッションフルーツのソース入り。おいしかったでしょ?」
チョコよろしくすっかり溶けた俺にわざとらしく、そう聞く一二三の瞳は獲物が罠にかかるのを待つような鋭さだ。べとべとの自分の指を掲げて「あ、チョコがついてる」なんて見せびらかしてくる。
「……それも俺が食べる」
テーブルに乗っかり一二三のネクタイを引っ掴み、指先に口づけた。行儀が悪いと叱る彼は今、あいにく留守なもので。
「独歩くん、案外甘い物好きだよね」
指にしゃぶりつかれながら余裕ぶった声がそう曰う。じゃあ、あとで残りの六粒も食べてやろうかな。疲れると甘い物食べたくなるし。なんて考えながら、舌の先で滑らかな指の腹をなぞった。