エイプリルフールマルコがなにやら頭を抱えてぶつぶつと呟きながら考え事をしている。
「どうしたのマルコ?具合悪い?」
「ああっカジ…マルコは嘘が吐けない…」
「なに、マルコにはギャンブルは早いって言われてたでしょ」
ああーっ!と悲痛な声を上げながらマルコがソファーに倒れこむ。
「エイプリルフールは嘘を吐く日だから…マルコもやってみよう!と思ったのよ…」
時刻は午前8時、朝の支度を終えても部屋から出てこないマルコを見に来てみたら、こうだった。
”嘘を吐く”という事を前置きとして知られているのではもう不成立のようなものだが、マルコにとってはそこはさしたる問題ではないのだろう。
「マルコ、こういうのって午前中だけだし、人が傷ついたり困ったりするようなことはダメなんだってさ」
「ぐう…難しい…人が困らない…、マルコはポテチを5袋食べたよ!」
「それはこの間やったから嘘じゃなくない?」
ぬああ、とまた唸り出したマルコにジャケットを着せ、今日の最初の予定をこなすために送迎の車に押し込んだ。
最近はマルコも大人しく座って会議を聞くようになったなあなどと感心している中、門倉さんと目が合った。
正面に座っているからまあ目も合うだろうと逸らして、またちらりと見る。また目が合った。なんで?僕って背後霊とか背負ってる?
つつがなく進み締められた会議から目を開けたまま寝ていたマルコを起こし出ていこうとすると、また門倉さんと目があった。
何だろうか。実は今夜予定無くなりましたのでホテルに集合とかそういうアイコンタクトだろうか。
何が何でも起きないマルコを黒服の人たちに任せて資料でパンパンの紙袋を携え一人で廊下を歩く。
「梶様」と呼ばれている割には特にこういうのを代わりにやってくれるとかいうの無く、えっさほいさと自力で借りた元へと運ぶ。
新品の紙に印刷されたばかりの紙はまだ皺もたわみもなく、入るだけ詰められた紙袋がとにかく重たい。片方が0.25マルコくらいある。この単位は適当だけど、それくらいあると思う。
指の血流が死ぬのが先か、肩が外れるのが先か、といった格好でエレベーターを待っていると、不意に両方の手から重さが消えた。
腕が取れたかな?と手元を見ると白い手袋がオレンジの持ち手を指先だけで支えて持ち上げる所が見えた。
「このようなこと、黒服にお任せいただければいいものを」
僕がひいひい言いながら抱えていた袋を指にひっかけて、横に並んだのは門倉さんだった。
「あ…ありがとうございます。でも片方は持つんで…」
「結構。私がお屋形様に叱られます」
そんなことないと思いま~す、持っていってねと言ったのはそのお屋形様なので…と言うのも躊躇い、僕の方が手をひっこめた。
「あ~あの、今日なんかやたらと目が合いましたね。背後霊とか居たりして…はは…」
「合わせてましたからね」
「えっ」
立会人なんだから僕より会議のほうに集中して欲しい。どっちに意識を振り分けても平気なのがこの人なのかもしれないけど。
「いえ…マルコ様が昨日より”エイプリルフールだから嘘つかなきゃ”と仰っていたので…梶様からもかわいらしい嘘を頂戴できると思っておりまして」
到着したエレベーターに促されるままに乗り込む。心のどこかで「こないで」と思っていたのに、賭郎のエレベーターは僕に優しくない。
「嘘ついて騙したりするのが仕事なんですからわざわざわそんな…」
「それは敵意や別の目的がが根源のものでしょう。そうでないものを、吹っ掛けられると期待していたんですがね」
動かないエレベーターの階指定ボタンを押そうにも、そこを背にして門倉さんが立っているから近づけない。
「あ、はは…イベントごとにはあんまりっていうか、何を言っても言われても、真に受けそうなんで…」
かわいらしい嘘なんて思いつかない。雨降ってましたよ、とか、休憩所から喫煙所が撤去されてましたよ、とか、そういうのだろうか。
けど僕は今日このビルに来る前に見た天気予報が晴れ100%なのと、現に快晴なのと、あと門倉さんからまだ新しいタバコの匂いがするのを知っている。
「…では私に一つ、私にだけわかる嘘でもついてみてください」
門倉さんが後ろ手にボタンを押した。目的回数がちゃんと光ったのを見て、逃げ切りチャンスか、もしくは終わりへのカウントダウンか?と逡巡する。
何を無茶な、と無茶だらけのこの世界においてまた新たに思う。けど、逃げられそうな空気でもない。
門倉さんが持つ紙袋を逃げる気のない人質のようにうらめしくにらんで、ようやく考え付いた一つを口に出した。
「…門倉さんの事、ほんとは大っきらい、です。」
門倉さんが階のボタンを二度押しした。と思ったら目的階として光っていたボタンが消えた。そしてもっと上のフロアのボタンが光る。
何その裏技?何日か前にやってた伊東家スペシャルとか見てたんですか?
エレベーターが移動する時間がわずかに延長され、密室にそれはそれはそれは重たい空気が流れる。門倉さんは微動だにしない。
…「な~んちゃって、ハハハ!あっ11時59分!滑り込みセーフ!僕こういうのあんまり得意じゃないかもしれないです!」
重たい空気を壊すのは、僕だ!とばかりにカラ元気を振り絞り、「もう着いちゃうな~」などと言いながら門倉さんの手から紙袋を取り返そうと奮闘する。
微動だにしていない門倉さんと全身をよじりながら袋を引っ張る僕との様は非常に滑稽で、紙袋の方が悲鳴をあげたのを聞いてやむを得ず手を離す。
「ダメ、ですかね。不発でした?」
はあ、とため息が聞こえる。今でこそビクつくようなことはなくなったが、できれば聞きたくない人の挙動だ。
ハズレだったか~と諦めの念を胸に目的階に着いた表示を見上げる。紙袋を返してもらえないので、門倉さんの袖を引っ張って降りてもらおうとした。
ぐん、と抵抗する感触に流石に参ってしまい、見下ろしていた僕がいたところを見たまま俯く格好になっている門倉さんを下から覗き込む。
「…梶様、こういう日は人が傷つくようなことを言うのはよろしくないかと」
ん?と覗き込んだまま首を傾げた。誰が傷ついたって?
「傷…つきました?」
「ええ。とても。胸に穴が開き血が止まりません。」
「それは…すみません…」
マルコにはああ言っておいて、自分がやらかしてしまった。
まさか門倉さんがそれくらいで「傷ついた」なんて言い出すとは思わなかったのだ。
「…ワシは、梶の事好きよ。毛の一本も残さず食ってしまいたいくらい。」
「へ?」
顔にかかった髪を頭を振って落として、門倉さんが悪い顔で笑う。
首を傾げたままの僕に合わせて門倉さんも首を傾げ、動けないままの僕の脇をすり抜けてエレベーターを降りた。
「なんて、ね。食べたら無くなってしまいますから。」
エレベーターの時計は、正午を一分過ぎていた。
16:03 2022/04/01