門梶人生の危機が迫っていた。いや、もうこの世界にいると死ぬこと以外はかすり傷なんですけども…
「どしたカジ、へそくり?」
開け放っているベッドルームのドアからポテチ片手にマルコが顔を出す。
僕が使っているサブのベッドルームは今悲惨な状況で、貘さんが戻ってくるまでに片づけないといけないというタイムアタックも相まって僕は焦りに焦っていた。
「ちょっとね~服の事考えないといけなくて…」
「いつものじゃだめ?黒いシャツとズボン」
「う~ん…もっとおしゃれな感じの…」
うーん、とマルコも首をかしげてしまった。お互い、貘さんが面白がって買ってきた「I♥東京」Tシャツにデニムの恰好で膝を突き合わせて床に座り込んだ。
マルコが「これは?」とベッドから持ち上げたカバー付きのセットアップはパーティー用、こっちは?とスーツケースから出したのは賭場に行く用、さっき出た黒シャツ黒ズボンはプロトポロスからの僕のユニフォーム…
参った、と頭を抱えた。それが数着と下着がいくらかあれば事足りる生活しかしてこなかった。他にもあるにはあるが、パーカーやスウェットくらいなものだった。
服、服、と唸る僕にマルコは案外協力的で、マルコの記憶の中にあるらしい服装を組み合わせて出してくる。
こうしてみると本当に地味で代わり映えのない格好しかしてないな、とジャケットにハイネックの組み合わせを提出されながら思った。パーツが日によって違えど基本は同じだ。
入卍の報せを受けた時の服装が最も適任に思えたが今は季節が違う。どうしよう、とまた頭を抱えるとマルコが背を撫でてくれた。けどそっちってポテチ食べてた手じゃない?拭いてない?
「なーにしてんの?パーティーに行く服がない感じ?」
「のわァッ⁉」
マルコと僕の頭と頭の隙間にシュっとした小顔が割り込んできた。飛びのいた僕の襟を捕まえながら貘さんはざっと服をおしやって自分の座るスペースを作った。
「や~…まあ、そんなところで」
「デートだからってそんなに気を張らなくていいと思うけどね」
「バレてんすね…」
とっちらかした服を貘さんがひょいひょいと畳みながら僕の膝に乗せていく。
「気合い入れたいなら買い物行こうよ。衣替えの季節だしちょうどいいや」
「…行きます!」
「マルコも行くよ!」
「今日の主役は梶ちゃんだからマーくんのサイズのお店は後半戦で行こうね~」
「行くのよ~」
三人でせっせと散らばった服を畳み、「I♥東京」から黒シャツ黒ボトムに着替える。マルコは上からベストを羽織っただけだけど、ハンサム顔だしスタイルがいいからそれでもいけてしまうのが凄いと思った。
*
「お待たせ致しました。」
待ち合わせ時間の五分前に門倉さんはやってきた。僕の都合で待ち合わせというよりもピックアップだったけど、車の入れない場所に大きな蝙蝠傘を差して来てくれた。
「い、今きたところです!」
「恐れ入ります」
急に来たにわか雨から逃げるために軒先にいた僕は門倉さんが立てる傘の影にひょいと入る。
「…」
「ん?どうかしました?」
こちらを凝視して動かなくなってしまった門倉さんを見上げる。おーい、と顔の前で手を振ってみても動かない。
「どうしたんですか?行きましょうよ」
「…いえ、ああ、はい」
「どっか調子悪いですか?」
遮光性ばっちりの蝙蝠傘のせいで門倉さんの正確な顔色はわからない。遠くでゴロゴロと雷が鳴って、ここに落ちたらどうしようと思った。
「いえ…相合傘だなあと…」
空が、あたりが真っ白になるくらい光った。それから何秒かしてからピシャンと駅ビルに雷が落ちる。
「おっ…そ、そうすね…相合傘す…」
「…行きましょう」
僕は時々来る門倉さんからの謎発言をモロにくらい、おもわず右手と右足を同時に前に出した。
*
「今日は少し、いつもと装いが違いますね」
はぐ、と大きなローストビーフでなんかの葉っぱを巻いたものを頬張った所で門倉さんは僕にそう言った。
失礼、と話しかけたタイミングの悪さを詫びられ、僕も僕のペースで肉を噛んでから炭酸を呷って口を洗う。
「へへ…わかります?ちょっと頑張っちゃいました」
どうでしょう、と襟をわざとらしく指でつんつんと引っ張って整えるふりをする。ひょうきんな事をしてみたが、内心は大汗をかいている。
貘さんは似合うって言ってくれたけど、門倉さんはどうだろうか。この人の好みもわかっていなくて大変苦労したから、とにかくスタイルがよく見えて最近出たばかりだというラインで固めてもらった。
どうでしょう…と繰り返す声が小さくなっているのを自分でも感じる。襟をつまんでいた指はそのままゆっくりと下に降りて、なんとなく腿の上に着地した。
「…ご自身で見立てられたのですか?」
「…センス悪いとか、そういうのはないと思うんですけど、貘さんに選んでもらったので…」
カチ、と食器が皿に置かれる音がした。僕はもう俯いてしまっているのでその手元は見えない。
「えっとー…僕ほら、賭場とホテルと本部しか行かないし、他はパーカーとかTシャツばっかだったので、彼氏とデート用の服とかなかったというか、そういう、それです…」
「…」
「…」
え?なんでこんな空気重いの?
自分で選んだのかどうかを聞かれたということは似合っていないと言う事だろうか。浮かれていて恥ずかしいとでも思われただろうか。
料理がなかったらテーブルに突っ伏してめりこんでいってしまいたいくらいの気持ちになる。個室とはいえいいレストランで呻くわけにもいかない。
「…言ってくれればいいのに」
「・・・はい?」
門倉さんは赤ワインをボトルからグラスに足す。ちらりと顔色を窺ってみたが、別段表情が変わっている様子もない。
「保護者に助けを求めるよりも、彼氏に”デートに着ていく服がないの”とねだればいいのに、という話です」
「や、そんな。そこまでしてもらうのは」
「ダメなんですか?どうして?私たちは何の問題も無く恋人関係にあるというのに、おねだりのひとつもしてくれないなんて言うのは悲しいですよ」
「あう…」
恋人とか、おねだりとか、自分にはまだ到底馴染みそうにないワードに口ごもってしまう。そんな僕を置いて門倉さんは少しだけ足したワインをくっと飲み干した。
「ワシのこと、甲斐性なしにせんといて、梶」
感情の奔流に飲まれてテーブルに手をついて完全にフリーズしてしまった僕の手を取り、「次のデートはいつもの服で」と門倉さんは言った。
*
次のデートというのは来なかった。いや、門倉さんが死んだとかじゃなくて、普通に立ち会いが入った。僕はなによりも立ち会いを優先する門倉さんが好きだったからそれで良い。
けどデートが無くなって、マルコが起きたらレンタルビデオ屋にでも行こうかなと思っていた平穏は突然乱される事となった。
「ねえ梶ちゃん何か届いてるってフロントが言うんだけど通販とかした?」
「えー?なんにもしてないですよ。巨乳大作戦の新作はこないだ買ったじゃないですか」
「あ、そうだったね見たよねパイズリの逆襲…持って来てもらって探知機とか通したら部屋で開けよう」
特になにもない日、たまたま内線の近くにいたから受話器を取った貘さんが首を傾げながらフロントと話をしている。
黒服が荷物を金属探知機などに通し、僕に了承を取って僕宛てだというその荷物を夜行さんが開けた。
僕は応接セットからは離れてテレビを見ていたので二人の側に行ったのはその箱がちょうど閉じられた時で、微妙な表情を浮かべながら見上げてくる貘さんに僕もまた首を傾げた。
「…門倉立会人は昨日より二カ月間北海道です」
「なるほどね~」
なんで門倉さんの名前が?あと北海道にいるんだ、今。とキャンセルされた今日のデートの事を思う。
ほい、と渡された箱は平たくて大きいしいくつもある。その箱を見て、背中にぶわりと汗が出た。
なんとなく開けるのが怖くて貘さんに僕のベッドルームまでついてきてもらって、二人でベッドに乗り上げて爆弾処理みたいに恐る恐ると蓋を持ち上げた。
一つ目にはセットアップが入っていた。いまの季節にちょうどいい素材だ。
二つ目にはポロシャツとパーカーが入っていた。普段着にしても着れそうだし馴染みがある恰好だ。けど、絶対に僕が普段着にしていいようなものではない気がする。
三つ目の箱もそれなら服だろう、と無造作に開ける。そして後悔した。
「わーお、熱烈」
下着類が警察の押収品みたいにきれいに並んで入っていた。僕が普段履いている形と同じもので、もとより少ないながらも手持の下着の枚数を軽く超えるくらいの結構な枚数が入っている。
「か、門倉さぁん…」
律義に全部着てみるとすればデートの時の服装どころか、日常の服全部が門倉チョイスになってしまう。
普段着もそろそろぼろっちくなってきたから買い替えたいとか言ってたの、盗聴とかされていたのか?
自分の顔が真っ赤になるのがわかる。恋人から服を贈られただけだ。それだけなのだ。でもその事実に、本人不在である事に、心が乱される。
「着てあげたら?帰ってきたら俺の所に報告に来るし、顔も合わせるでしょ」
「うう、貘さあん…」
僕の部屋の長椅子で昼寝をしていたマルコのいびきだけが僕の心の平穏を保つのを手伝ってくれた。