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    みゃこおじ

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    【たいみつ】マロニエ並木でキスをして

    朝からシトシトと降り続いていた雨は、昼を過ぎた時分から本降りになってきた。来年オープンする予定のフレンチレストランのシェフ、日本で言うところの料理長として招聘する予定の男との契約が上手くまとまり、彼の手料理を食べて外に出た頃には夕方となっていたが、それでもまだ大粒の雨が降り注いでいた。
    ギリギリコートを着なくてもよい心地よい気候であるが、こうして雨が降っていると少々肌寒い。この時間はオープンテラスのカフェでコーヒーや紅茶を片手に談笑する人々をよく見かけるが、生憎の天気にその賑わいもなく、華やかなパリの街並みもひっそりと静まり返っていた。
    遠い昔、パリのシャンゼリゼ通りのことを歌った歌を何度もきいたことがある。シャンゼリゼ通りにはなんでも揃い、とても賑わっているというような歌詞の歌だ。その歌詞の通り、色づき始めたマロニエ並木が美しいシャンゼリゼ通りにはブティックや食品店、その他オシャレな生活用品店などが数多く軒を連ねていた。
    テレビや写真でしか見たことのないような歴史ある街並みをこうして歩いているととても感慨深くなる。フランスには何度か足を運んだことはあるが、それは全てブルゴーニュやボルドー、ロワールやロックフォールといったワインやチーズの産地ばかりだ。
    ワインやチーズの農場や工房は都市から離れた郊外の静かな土地にあることがほとんどで、日本での仕事の合間を縫って買い付けを行なっていると、寄り道をしている時間はほとんどない。空港、農場、ホテル、工房、そのまま日本へとんぼ返りという結構なハードスケジュールだ。
    仕事をしていると何も考えなくてすむのでありがたいのだが、フランスを訪れる度、ここ5年、全く連絡をとっていない恋人のことを思い出す。そして、彼は大寿がこうして初めて訪れたこのパリの地のどこかにいるはずだ。
    忘れもしないあの日。そう、あの日もこんなふうに雨が降っていたなと大寿はどんよりと曇った空を見上げた。
    恋人ーー三ツ谷との出会いはまだ大寿が高校生だった頃まで遡る。紆余曲折あって恋人として付き合うようになってからは、つまらなかった世界にカラフルな色がついたような心地だった。何もかもが新鮮で、子供の頃から敬虔なクリスチャンとして、そして、柴家の長男として恥ずかしくないように生きてきた大寿にとって、三ツ谷との蜜月は刺激的で、何もかもが初体験のことばかりだった。
    人を愛することに臆病になっていた大寿の凍てついた心を溶かしたのは三ツ谷の太陽のような笑顔だった。しかし、かつて殴りあった相手、しかも、同性の三ツ谷に、妹や弟に対する愛情とはベクトルが異なる愛を抱いたことに、大寿は戸惑うばかりだった。
    主は隣人を愛せよと説いたが、同性を愛することは禁じている。聖書の解釈は時代の流れによって少しずつ変わってきているとはいえ、幼い頃より繰り返し説かれてきた主の教えに背くことに抵抗がなかったわけではない。人々にひらかれた教会で何度も懺悔し、それでも拭いきれない罪悪感に深い葛藤を抱えた。
    日本は宗教国家ではなく、八百万の神がいると言われている通り、人々の宗教観が凝り固まっているわけではない。それぞれの家にも宗派があるらしいが、それを認識していたり、大寿のようにキリスト教を信仰している人々の方が稀だった。もちろん、大寿の同級生にクリスチャンはいなかったし、自分の宗教観をペラペラと話すような環境でもなかった。政治と宗教と野球の話は人前でしてはいけないと笑い話で言われている通り、宗教に関する話は宗教観が曖昧な日本でもタブーな話だった。
    三ツ谷は大寿がクリスチャンであることを否定せず、大寿くんはそのままでいいんだよと受け入れてくれた。食事の前に大寿が祈っていると、それが終わるのを待って一緒に箸をつけてくれたし、どんなことをやっているのか気になるといって日曜礼拝にもよくついてきた。つまらないだろうからやめておいた方がいいと言ったが、三ツ谷は大寿の聖書を借りて一生懸命に神父の話をきき、見よう見真似で讃美歌を歌った。
    大寿くん、歌上手いんだねと笑ったその笑顔に、恥ずかしさを覚えたことはよく覚えている。学校の音楽の授業なんてまともに出なかったから、知り合いの前で歌ったことは初めての経験だった。幼い頃、それこそ変声期になるまでは大寿も聖歌隊に所属し、クリスマス礼拝では天使のような衣装をきて聖歌を歌っていたのだが、三ツ谷にはそのことは伝えていない。写真ないの!? としつこく聞いてくるに決まっている。
    母親はクリスチャンだったが、父親もきょうだいたちもクリスチャンではなく、そういえば、家族の前でも歌った記憶はない。母親の病室で色々な歌を教えてもらい、一緒に歌ったくらいだろうか。後にも先にも、大寿の歌声を知っているのは三ツ谷だけだ。そのことを伝えてやる気はさらさらなかった。
    高校を卒業し、大寿は大学に進学し、三ツ谷は一年遅れて専門学校に入学した。大寿は在学中に起業の準備をし、長期休暇中には父親や黒龍時代のツテでアメリカや中国、イギリスなど、様々な土地を周遊し、見識を深めた。比較的時間に余裕のある大寿に比べ、二年課程の三ツ谷は勉強、バイト、製作に追われて、とても忙しくも充実した毎日を過ごしていた。
    その甲斐あって、在学中にコンクールで何度も映えある賞を受賞し、様々な企業やデザイン事務所からラブコールがあったときいている。卒業後はそのうちのひとつに就職し、三ツ谷とはすれ違う生活が続いていた。それでも、時間がある時は逢瀬を重ね、ある時は一日中ベッドで過ごし、ある時は三ツ谷に付き合って色々なところに出かけた。そんな甘い蜜月はもしかしたらいつか終わりを告げるのかもしれない。そんな恐怖に目を瞑っていたある時、気怠い情事の余韻に浸りながら、三ツ谷は静かに告げた。
    『オレ、パリに修行に行ってくる。自分に納得できるまで、大寿くんと連絡はとらないし、日本にも帰らない。それでも、待っててくれる?』
    大寿の分厚い胸板に顔を埋め、逞しい体躯を抱きしめる細い腕は震えていた。ギュッと心臓が締めつけられ、大寿は咄嗟に返事ができなかった。素直に送り出せばもう二度と自分のもとに帰ってこないかもしれない。しかし、三ツ谷のこれから長い人生を考えれば、行ってこいと背中を押すのが自分の役目だということはわかっていた。
    ここで終わるのも、丁度いいのかもしれない。ピロートークにしては華はないが、大寿は三ツ谷の痩身をベッドに縫いつけながら行ってこいと、他の言葉は聞きたくないと言わんばかりに三ツ谷の口を塞いだ。遠雷が鳴り、窓を打ちつける雨音がうるさい。そんな雑音は三ツ谷の嬌声にかき消された。
    その日から一か月後、三ツ谷は身辺を整理してフランスに飛んだ。決意をきかされた日以来、三ツ谷からの連絡を全て無視していた大寿は、当然見送りに行かなかった。三ツ谷からの最後の連絡は、何月何日の何時発の飛行機にのるというものだった。それに大寿は返信をしなかったが、メールの文面は一言一句覚えている。三ツ谷がフランスに飛び立った日も雨が降っていた。
    その日から丁度5年。なんの因果か、大寿はパリの街を歩いている。この地のどこかに、もしかしたらパリから移動して他の都市で修行をしているのかもしれないが、三ツ谷がいる。人生は映画でのように都合よくいかないのに、大寿は自然と三ツ谷の姿を探していた。三ツ谷の決意は別れの言葉と思っているはずなのに、ふとした瞬間に三ツ谷のことを考えてしまう自分に嫌気がさした。
    幸いなことに事業は軌道にのり、三ツ谷のことを思い出す暇もない程忙しい毎日が続いている。感慨深くなるのは、雨だからだろうか。大寿ははぁと小さくため息をつき、未練がましい自分に舌打ちをする。
    早くホテルに帰ろうと傘を持ち直して顔をあげると、ドクンと心臓が大きく高鳴った。深いネイビーの傘をさした小柄な男と、すらりと背の高い金髪の長い髪をポニーテールに結んだ男が向こうから並んで歩いてくる。その手には食材を詰め込んだ紙袋を抱えていて仲睦まじく談笑していた。
    三ツ谷、と大寿は思わず傘を取り落としかけた。5年前は髪の毛を伸ばし、性別不明の中性的な雰囲気を纏っていたが、今では小ざっぱりと髪を短くし、あか抜けて年相応に男らしくなっている。容姿はすっかりと変わったが、間違いなく、あの笑顔は三ツ谷だ。
    ギリリと歯噛みしてしまっている自分に嫌悪を抱いた。三ツ谷とは別れたつもりでいるのに、なんと未練がましいことか。パリでこうして新しい人生を歩んでいるし、新しいパートナーと思しき男性は、自分とは比べ物にならないくらい優しそうだ。何を話しているのかわからないが、憂鬱な雨を吹き飛ばすような笑い声がこちらまで聞こえてくる。
    くるりと踵を返そうとして、三ツ谷と視線が交錯した。幽霊でも見たかのように大きく目が見開かれ、三ツ谷は隣にいた男性に紙袋を押しつけ、傘を放り投げた。
    『…大寿くん? 大寿なの!? 会いたかったよ、愛する人!』
    雨音が静かに響く通りに上ずった大声が響く。綺麗な発音で愛を捲し立てながら、ズボンの裾が濡れるのも気にせず三ツ谷がこちらに向かって走ってくる。ドスンと重みを感じて大寿はその場でたたらを踏んだ。ぴしゃりと水たまりに足をつっこんでスラックスが濡れる。三ツ谷、と名前を呼ぼうとしてグイとネクタイが引っ張らる。一気に間近に迫ってきた綺麗な唇に、口を塞がれた。
    だれかが歓声をあげたような気がしたが、三ツ谷に両手で頬をしっかりと挟まれて口づけを感受するしかない。それなりに人通りのあるシャンゼリゼ通りの真ん中で、東洋人の男ふたりが熱烈にキスしているなんて異様な光景だろう。しかし、人前であるということを忘れて大寿は三ツ谷と舌を絡ませあう。
    三ツ谷の体が濡れないように傘を傾けているからか、肩と背中が次第に冷たくなってくる。しかし、熱烈な口づけに体温が急上昇してそんなことも気にならない。引き寄せた体は少し痩せただろうか。記憶よりも少し細くなった腰に腕を回し、三ツ谷の体温を感じた。
    『あー、あのさ、感動の再会を邪魔するようで悪いんだけど、これ以上はふたりきりでやってくれないかな?』
    苦笑を滲ませた第三者の声にハッとして、大寿は急いで三ツ谷を引き離した。見下ろした三ツ谷は頬を上気させ、互いの唾液で濡れた真っ赤な唇は艶かしく指先で拭いている。その物欲しそうな視線に、大寿は下肢に熱が集まるのを感じた。
    『アンドレ、紹介するよ、オレの恋人のタイジュ、タイジュシバ。大寿くん、彼はオレの兄弟子のアンドレ』
    『ああ!君がタイジュか。タカシからよく話はきいているよ、よろしく』
    『…こちらこそ』
    気さくに差し出された右手で握手していると、三ツ谷が流れるように傘を奪い、左腕にしなだれかかってくる。猫のような気まぐれな仕草に懐かしさに胸が熱くなる。
    『オレはタカシとは同じ工房で働いていて、同じアパートの隣同士に住んでるんだ。ちなみに、オレにも男の恋人がいるし、タカシは毎日のように君のノロケ話をしてるし、変な虫はついてないから安心していいよ』
    『おい、アンドレ、それは言わない約束だろ!?』
    『別にいいだろ、本当のことなんだから』
    『ったく、もう、余計なことを…! てか、大寿くん、こっちにきてたんだね』
    『…ああ、ブルゴーニュとかロックフォールの方にはよく買い付けに行っているんだが、パリは初めてきた。明日には帰るが』
    そっか、と熱烈に再会を喜んでいた三ツ谷はどこへやら、しゅんと肩を落として滑るように体重のそばから離れていく。久しぶりに感じた熱が遠のいて、無性に抱きしめたくなった。大寿は別れたつもりでいた。もう二度と帰ってこないかもしれない恋人のことを待ち続けるなんて、自分にはできないと思っていたのに。
    こうして偶然でも顔をあわせてしまえば醜い欲望が湧き上がってくる。その手をとって、日本に一緒に帰ろうと言えたらどれだけよかったか。
    『…タカシ、積もる話もあるだろう? あ、そういえば、明日休みだったよな。じゃ、オレは先帰るわ』
    『え、ちょ、アンドレ! おい、待って!』
    アンドレは自分がさしていた傘を三ツ谷に渡し、三ツ谷が放り投げた傘をひょいと拾い上げると、どうぞごゆっくりとウインクして足速に去っていってしまった。その遠ざかる背中に手を伸ばした三ツ谷はおずおずと顔をあげる。今更自分がどんな小っ恥ずかしいことをしたのかをようやく自覚したのか、耳まで真っ赤になっていた。
    「…大寿くん、久しぶりだね。元気してた?」
    「ああ、どうにかな。お前は…少し痩せたな」
    「そう、かな…周りについていくのが精一杯で…でも、すごく充実していて、楽しい。師匠は厳しいけど、アンドレとか仕事先の仲間たちや優しいし、切磋琢磨できて刺激になる」
    そうか、と視線を逸らした三ツ谷の手を大寿はそっと握った。ビクッと大仰に体を震わせた三ツ谷の手は雨で冷え切っている。
    「…お前は、自分が納得ができるまで連絡はしないし日本にも帰らないって言ったな」
    「へ…あ、う、うん」
    「…でも、会わないとは、約束してないよな」
    「っ…!」
    甘い、誘惑だった。大寿も三ツ谷も約束は破っていない。大寿は三ツ谷とは別れたつもりだったが、しかし、アンドレ曰く、三ツ谷は大寿のことを惚気ているらしい。
    「飛行機は、13時発だ。オレの泊まってるホテルはすぐそこなんだが…」
    雨宿りでもしていくかと耳元で意地悪く問えば、三ツ谷は目を見開いて一瞬だけ逡巡しながらも、大寿の自惚れにキスをした。
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