来訪者決死の覚悟だった…俺も竈門も…我妻も嘴平も……
そして確実に追い詰めた。その頸を斬れるとこまで……そして斬り落とした。竈門の渾身の一振りで。
そう思ったが、俺の瞳にはしっかり映っていた……
奴が妹の帯を使って自分の頸を斬り落としやがった光景が……
奴の頸を斬ったのは竈門の刀じゃねぇ…妹の帯だ。それはつまり…奴はまだ生きてる……
毒が回って言うことが聞かなくなってきた身体で、必死に頸の無い奴の身体を羽交い締めにする。せめてもの時間稼ぎのつもりだった。女房達と、あいつ等三人…いや、竈門禰豆子を入れて四人がこの吉原一帯から逃げ出す為の。だが、そんな俺の悪あがきは通じなかった。頸の無い奴の身体は俺の身体を蹴飛ばし、自由を得て頸の元へと駆けていく。
「待てぇぇぇッ!!!」
腹の底から声を張り上げるが、俺の身体はもう動けなかった。全身に毒が回る…意識が遠退く…クソッ…俺は、守るべきものも守れないままくたばっちまうのか…俺はやはり煉獄にはなれねぇ…誰も死なせなかったアイツのようにッ……
「天元様ぁぁぁぁ!!!」
俺を呼ぶ声が聞こえる…だがもうその姿を見る事ができねぇ…目の前が霞む…力が、抜け………
鬼殺隊本部に通達が入った。
『吉原にて、音柱・宇髄天元、並びに、竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助が上弦の陸と交戦。交戦の後、上弦の陸は逃亡。民間人にて死者多数、怪我人多数。尚、鬼殺隊隊士に死者はおらず。重体三名、重傷一名』
吉原での死闘後、宇髄は柱を引退した。引退はしたが、その身は鬼殺隊に置いたままであった。左眼左手を失った身では柱としての責務を全うできない…だが自分にはまだやり残した事がある…そう告げ、宇髄は今日も追い続ける…あの日逃した上弦の陸を……。
(今日も収穫無しか…)
与えられた任務を終え、その後吉原周辺を探索した宇髄だが、鬼の気配すら感じる事ができなかった。住処にしていたであろう地下ももぬけの殻。もうあの周辺には居ないのか?柄にも無く深い溜め息をつき、自身の屋敷へと帰って来た宇髄は足を止めた……
(この音はッ………)
聴覚の優れた宇髄の耳に、屋敷からある音が響く……その音が自身の屋敷から響くわけがない。だが、間違いなくこの音は……
(ちょっと待てよ!屋敷にはッ!)
血の気が引いていく…屋敷には愛する嫁三人が居る筈だ。目にも止まらぬ速さで宇髄はその音の元へと駆け付ける…そこは、宇髄の部屋であった。そして、その部屋の中心には、紺色の着流しに身を包み、背を丸くして胡座をかいている男の背中……
「遅かったなぁぁ…音柱ぁぁ」
特徴的な間延びした語尾…か細い高い声…
間違いない…奴だ……
宇髄の額に冷たい汗が伝う…
そんな宇髄とは裏腹に、男はフゥと自分の爪に息を吹き掛け、ニタリと不気味な笑みを浮かべる…
「…何してやがるテメェ」
「ん?あぁぁ。オメェの爪化粧借りてただけさぁぁ」
そう言って、男は左手をヒラヒラと宇髄へと見せてくる。その左手の爪には、宇髄と同じく赤と緑の爪化粧が綺麗に施されていた。そんな男を宇髄は鋭い視線で睨みつける。
「そんな事聞いてんじゃねぇ…いや俺の爪化粧勝手に使ったのは腹立つがッ。何でテメェが俺の屋敷にいんだ、妓夫太郎ッ」
男の名を口にすれば、男はまたニタリと笑い、宇髄へと振り向く…
「キヒヒッ!俺の名前覚えてたのかッ。嬉しいじゃねぇかぁぁ。なぁ?宇髄天元」
特徴的な黒い痣…血走った眼…眼球は白く人間に擬態しているが、狂気に満ちたその薄緑色の瞳は間違いなく、上弦の陸・妓夫太郎…宇髄が探し求めていた男。
「俺様の名前もきっちり覚えていやがったのか」
「まぁなぁぁ。あんだけヒヨコが「宇髄さん」呼ぶし、女房は「天元様」連呼すっし…あ、何なら俺も天元様って呼んでやろうかぁぁ?」
「冗談はよせよ…」
宇髄は笑みを浮かべる。だが、冷たい汗が伝うその表情に余裕はない。それに比べ妓夫太郎はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべていた。
どちらが優勢か…その表情を見ればハッキリと分かる。
左手と左眼を失った今、譜面が完成していない一対一の勝負では確実に宇髄は敗北してしまう。それにこの妓夫太郎は、妹と共に頸を斬らねば滅殺する事ができない。その妹の所在が今は分からない。
(クソッ…まさかコイツから乗り込んでくるなんてなッ)
完全に隙をつかれた。今から応援を頼もうにも、鴉は近くにいない。どうにかして知らせなければッ…妓夫太郎に焦りを悟られぬように宇髄はその表情に笑みを絶やさない。そんな宇髄を妓夫太郎は膝に肘をつき、頬杖をつきながら相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべ見つめてくる。
「いい男ってのはぁ、片目失ってもいい男なんだなぁぁ。本当妬ましいなぁぁ」
「ハッ。この傷のおかげで男が上がったぜ。良い色気漂わせてっだろ?」
「そうだなぁぁ。惚れ惚れするぐれぇに良い男具合だなぁぁ」
クククッと喉を鳴らしながら妓夫太郎は笑う。そんな妓夫太郎に宇髄は微かな違和感を覚えながらも、今最も重要な事を問いただす。
「…女房達はどこだ?」
「あ?知らねぇよぉ」
「何?」
「興味ねぇからなぁぁ。俺が興味あんのはオメェだけだ」
妓夫太郎のその返事は嘘をついているようには思えなかった。妓夫太郎の音に気を取られて、肝心の嫁三人の音の確認を怠っていた事に気付いた宇髄は耳をすませる…。すると、三人の楽しげな会話が聞こえてきた。無事だ。それに妓夫太郎がここにいる事に気付いていない。宇髄はホッと胸を撫で下ろす。
だが、そうなると妓夫太郎の意図が全く分からない。一体何をしにこの屋敷に来たのか…先程からの違和感…妓夫太郎から全く殺気を感じない事に関係があるのか?自分に興味があるとは言ったが、その真意は何だ?
宇髄がそう深く思慮していると、突然甲高い声が響いてきた……
「もう!!アンタ何でお兄ちゃんの目の前で他の女の話なんかするのよ!!お兄ちゃんはね!アンタの為にいっぱいいーーーーっぱい頑張ったんだから!!人間に擬態するのも不得意だったのに頑張ったし、引き篭もりなのにアタシを体内に隠せるように頑張ったし、アンタのこの屋敷だってやっとの思いで見つけたんだからね!!大体アンタ鈍過ぎない!?お兄ちゃんさっきからすっごく頑張って自分の気持ち告げてたわよ!!色男名乗るならそれぐらい察しなさいよね!!自分からあーんなにド派手にお兄ちゃんを抱き締めておいて!!お兄ちゃんの心奪ったんだからちゃんと責任取りなさいよ!!」
にょきっと妓夫太郎の背中から生えるように出てきた妓夫太郎の妹・堕姫。怒りの表情を浮かべ己に指を差してきた彼女に宇髄は咄嗟に刀を構え、それを瞬時に察した妓夫太郎は両手でむぎゅっと堕姫を背中に押し込んだ。
「……」
「……」
二人の表情からは笑みが消え、しばらく沈黙の時間が流れた……。
「あぁ…えぇっとだなぁぁ…」
「……おう」
気まずい雰囲気の中、妓夫太郎は顔を宇髄から背け、口を開く。
「……妹はなぁ、純粋で染まりやすい性格なんだよなぁぁ」
「……おう」
「だからなぁぁ…さっき言ってたのは、あれだ。衆道の恋愛本か何か読んでその影響で口走っちまったんだよきっと……」
「……」
「頭の足りねぇ可愛い妹のちょっとした妄想だぁぁ…だから忘れ」
「妄想じゃないもん!お兄ちゃん言ってたじゃない!!コイツの事が頭から離れないって!心臓がバクバク鳴るって!それってコイツの事が好き……!」
再びひょっこりと背中から姿を現した妹を妓夫太郎は再びむぎゅっと押し込む。
「妄言だから。妹の妄言だから。本当に忘れろ」
「……なぁ」
「……んだよ」
「…お前、耳真っ赤になってるぞ?」
「いやなってねぇし」
「いやなってるし」
「なってねぇわ」
「なってるっつうの」
「……顔があちぃ」
「だろうな」
意外と素直だな…と感心しながら、宇髄は妓夫太郎の言動を思い返してみた。
突然我が家に現れたかと思えば、自分の爪化粧を使っていたり、「天元様」と呼ぼうか?と言ってきたり、片目を失ってもいい男だと褒めてきたり、惚れ惚れすると言ってきたり、興味があるのはお前だけと言ってきたり……妹に暴露されてからは一切顔をこちらに向けず、しかもおそらく耳だけではなく顔を赤く染めている…
(は?まさかコイツ、本当に俺に惚れ…)
宇髄は脳が混乱していく。宿敵だぞ?殺し合ってたんだぞ?それなのに何故惚れる?そして何故自分は刀を構えない?何故普通に会話をしている??
そんな黙り込んでしまった宇髄に妓夫太郎は、
「な、何か言えやぁッ」
そう声を少し荒げ、ようやく宇髄へと顔を向けた。その顔は宇髄の予想通り…いやそれ以上に真っ赤に染まり、目も何やら潤んでしまっている。対峙した時とはかけ離れた妓夫太郎の表情に、宇髄は思わず、
「…は?可愛過ぎかよ」
「………は?」
「………は?」
宇髄のその言葉に、妓夫太郎のみならず、口にした宇髄本人までもが目を丸くして固まってしまった。
(ちょっと待て…待て待て待て待て待て待て)
今 俺 何 て 言 っ た ?
自分の発言があまりにも信じられず、宇髄は更に混乱していく……。
(かわ……いやいやいや。そんな筈ねぇ。そんな筈…ほらよく見ろ。目の前にいんのは、憎き鬼……)
「ッ……ぁ、ぅぁ、ぁ」
目の前にいるのは、宇髄の言葉で顔を真っ赤にし、瞳を潤ませてはあわあわと狼狽え、ふるふると小刻みに震えている一人の男……
「…あ?可愛過ぎんだろ。犯すぞコラ」
止まらない口…暴走する発言……
(何言ってんだこの口はぁぁぁぁッ!!!)
宇髄は己の口を縫いたくなってきた。
「ッーーーーーー!!!」
宇髄の犯すぞ発言に、妓夫太郎はボンッと音を立てるかの如く身体中の熱を上げ、言葉を失う。
そんな妓夫太郎に宇髄は、斬りかかってくれた方が気持ちの整理がついたのに、と残念がる一方、何やらムラムラと湧き上がってくる欲情を感じていた…
(いやダメだろ!!落ち着け!!落ち着け俺ぇぇッ!!)
宇髄が自分の欲情を抑えるのに必死になっていると、妓夫太郎はスクッとその場に立ち上がる。ふらりと揺らめくその足取りは、動きの読めない警戒すべきもの…宇髄は一瞬にして警戒態勢に入った。
(来るかッ!?)
刀を構え、呼吸を整えたその瞬間…妓夫太郎は宇髄の横を颯爽と通り過ぎ、身軽な動きで宇髄の屋敷から姿を消して行った……。
「………」
己の部屋で一人となり、宇髄はどっと疲れが出てその場に座り込む。
ヤバかった……色んな意味でヤバかった……鬼殺隊を…嫁達を裏切るところだった……
そもそも何故妓夫太郎を可愛いと言ってしまったのか…
(いや確かにウブで幼い顔に見えたような気はしたがッ…そんな性的な目で見るとかッ……)
妓夫太郎の顔を思い出す……敵意の無く、真っ赤になって瞳を潤ませて、あわあわと取り乱す、可愛らしい姿……
(だから可愛いとか思うんじゃねぇよ俺ぇぇッ!!!)
宇髄は決意した……しばらく、妓夫太郎を追うのは止めておこうと……この気持ちが落ち着くまでは……。
だが、その気持ちが落ち着く事はなかった。自身の右手の爪化粧を見る度に、ヒラヒラと見せられた自身とお揃いの爪化粧を施した妓夫太郎の左手が目の前にチラつく…そして思い返す、真っ赤になったあの顔を……
宇髄の心は取り立てられていく……宿敵によって……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねぇお兄ちゃん!」
「んああ?」
「何であそこで帰っちゃったの!?あのまま無理矢理押し倒したら良かったじゃない!!」
「いやお前、女がそんな事言うもんじゃねぇぞぉぉ」
宇髄の屋敷から逃げるように去った妓夫太郎は、新たな住処としている山奥の空き家に着き、妹・堕姫を体内から出しては顔を膝に埋め座り込んでいた。
「だってあれ絶対脈ありでしょ!犯すぞって言ってきたし!!あれで脈無かったら最低男でしょアイツ!!」
「いや…何か混乱してたんだよきっと…俺を犯そうとか思う筈ねぇだろぉぉ…あんな色男がよぉぉ」
「えええ!?絶対脈ありよ!!アタシの女の勘がそう言ってるもの!!」
「いやアイツ美人の女房が三人もいるし……」
「じゃあ取り立ててやればいいじゃない!!お兄ちゃんの心奪ったんだからちゃんと取り立てなくちゃ!!アタシ行ってくる!!」
「いやオメェだけだと頸斬られて終わっから行くな」
「ううぅぅぅッ!!アタシはお兄ちゃんの初恋を応援したいのぉぉ!!お兄ちゃんの初恋実らせてあげたいのぉぉぉッ!!!」
「初恋言うなぁぁぁ……」
気が動転していた宇髄は気付かなかった…堕姫の瞳から文字が消えていた事を…それは兄である妓夫太郎も同じ……
彼らは今、鬼舞辻無惨の呪いから解放され、行く宛もなく、ただひっそりと暮らしていた。そして、人間時代にはできなかった淡い恋話を語り合う日々を過ごしている(ほぼ妹から話し掛ける)
妓夫太郎の初恋、叶うと良いね。