忘失「俺は忘れて欲しいけどなぁ」
「は?」
忘れて欲しいという言葉が出たのは、ヴォックスと2人並んで映画を見ている時だった。内容はよくある悲恋物語。異種族に恋した娘が彼を置いて死んでいくことを悲しんで、
“私を忘れないで”
と懇願して彼に一生解けない呪いをかけて死んでいくシーン。俺だったら何て言うかなってふと思ったんだ。ヴォックスは鬼だから、きっと俺より長く生きる。俺がヴォックスを置いていくことはあれど、ヴォックスが俺をおいていくことはない。なら俺は映画の中の彼女と同じ。なら俺はどんな呪いをかけて死のうか考えた時、出た結論は映画とは真逆の“忘れて欲しい”という言葉だった。
「待て、ミスタ。その言葉は恐らく映画を受けての事だと思うが、お前は俺に忘れてもらいたいのか?」
「うん、まぁ、そうかも」
だってそうだろう。一生俺の事を忘れず、俺に捕らわれたままでいてくれなんて。そんな強欲な願いを、俺がしていいわけない。ヴォックスは魅力的だ。料理もできるし、思いやりもある。なにより愛情深い。きっと俺が死んだら悲しんでくれるだろう。でもずっとそのままでいて欲しくない。今は俺なんかに捕まってるけど、本来だったらもっといい人と付き合うべきなんだ。例えばおっぱいも尻もデカくて、配信にも理解があって、でもきちんとヴォックスと甘えたり甘えられたり出来るような綺麗な女の人。なのに俺が、俺を忘れないでなんて呪いをかけられるわけないじゃないか。
「お前が何を考えているかは分からんが、俺はお前が死んでも忘れないぞ。忘れられるわけがないだろう」
「は?」
なんかとんでもないことを言い出したんだけど、こいつ。俺が言葉の意味を理解できていないことに気づいたのか、ヴォックスは深いため息をついた。
「お前は自覚が足りないな。400年生きた鬼を、ここまで人たらしめたのだ。お前を好いている気持ちも、死んだときに後を追いたくなるような寂寥感も全てがお前が俺に植え付けたものだ。それなのに、簡単に忘れるなどというなよ。鬼の執着を舐めるな。天国だろうが、地獄だろうが、地の底まで追いかけて捕まえてやる。来世も俺に捕まえられる覚悟をしておけよ」
“来世まで”
俺が今世ですら不相応だと思っているに、こいつは俺の来世まで捕まえる気だったらしい。なんだが拍子抜けして、フッと笑いが込み上げてくる。
「もし俺が逃げたらどうするの?嫌がったら?」
「そうなれば、お前が“YES”というまで教え込むだけだな」
しれっと恐ろしいことを言い放つ。どうやってYESと言わせるのかなんて、藪蛇をつつきそうで恐ろしくて言えない。クッションを抱え込み、ヴォックスから顔を隠すように丸くなる。そこまで愛されていたなんて思っても見なかったし、なんだか頬が緩んでいくような気がする。
「なぜ顔を隠す。俺の真剣な言葉に対する返事はないのか?」
クッションごとを俺を抱き上げ、膝の上に乗せるヴォックス。ちらと目線を上げれば、からかうような目をしていながら、その奥はお母さんから返事を待つ子供のようだった。すっかり人間らしくなった恋人の姿に、クッションを放り投げ首元に抱きつく。
「俺が生まれ変わる間に浮気なんてしやがったら許さないからな。片時も俺の事忘れるなよ」
“忘れて欲しい”なんて言ったことは、撤回しよう。俺の事を一生愛して、いない間も愛して、生まれ変わっても愛してくれなきゃだめだ。さっきと全く違うことを言い出した俺に、満面の笑みを浮かべたヴォックスは俺に囁いた。
「もちろん。俺が死ぬまで片時も忘れず、お前を愛してやるさ」