雨音ぽつぽつと降り出した雨に苛立った。自然現象に苛立つなんてどうかしてると思うけれど、イライラする気持ちを抑えきれなかった。こういう日はたまにある。自分の身の回りの全ての事に腹が立ってしょうがない日。低気圧のせいで頭痛もするし、今日は早く寝てしまおうと決めた。仕事をやる気にもなれなくて、乱雑に書類をまとめて引き出しにぶち込む。どうせ読むのは自分しかいないし。
ガチャンと音を立ててドア閉めて、事務所をあとにする。自分とすれ違う歩行者全員が幸せそうに見えて、自分1人不幸な気がしてむなしくなる。
「なんなんだよ。皆して幸せそうに笑いやがって」
ブツブツとこの世のすべてに対して呪詛を振りまいてやりたくなる。こんな日はベッドに籠るが勝ちだ。早足で自宅に向かって、ベッドに向かう。傘をさしていなかったから、髪も洋服も濡れているけれど、拭く気にも着替える気にもなれなかった。
“まあいいや。どうせ俺を気にする人なんて誰もいないんだし…”
そう思って俺は瞼を閉じた。
ふと意識が浮上した。窓からはザーザーと雨の降る音がする。帰ってきたときよりも、雨脚は強くなっているようだ。そして寝室の扉から光が漏れ出しており、リビングに誰かいるのが分かる。まあ勝手に自分の家に入れる人物なんて1人しかいないのだけれど。ヴォックスがこの家に来るのは珍しくない。自分の料理スキルを憐れんだ彼は、時々家にやってきてはたくさんの料理を作ってくれる。合間に掃除やら洗濯やらもしてくれているので、恋人というより母親のようだ。
ヴォックスが来ているなら2度寝するわけにもいかないので、よっこいせとベッドから起き上がる。ふと自分の服に目をやれば、着替えさせられてることに気づいた。気に入っている大きめのパーカーとスウェットという、お気に入りの部屋着の組み合わせ。着替えまでしてくれているなんてありがたいはずなのに、眠る前の謎の苛立ちのせいで素直に感謝できそうにない。
「俺の事なんて放っておいてくれていいのになぁ」
酷い顔をしている自覚があって、そんな顔をヴォックスに見せたくなくて、扉の前で膝を抱えて座り込んだ。
「むしろ放っておいて貰えると思っている方に、俺は驚いているけどな」
顔を上げればヴォックスが目の前に立っていた。逆光のせいで表情はよく分からないが、なんとなく怒ってるんだろうなって思った。
「だって…俺……」
「俺は一度手に入れたものを、みすみす手放すつもりはないぞ」
全くとため息をついたヴォックスは、寝室の電気をつけると俺を抱えてベッドに座った。チュッと額や頬にキスが贈られる。俺の腹の中の苛立ちはそれにもめらめらと燃え立った。
「もう、やめろよ!」
グイっと胸板を押してるのに、目の前の男はびくともしなかった。ドンドンと強めの力で叩いても、ヴォックスの表情を崩すことが出来なかった。
「ミスタ、ちゃんと話しなさい」
「話すって何をだよ!」
「何でもいいんだ。今日あったことでも、今の気持ちでも、整理できてなくていい」
ヴォックスの低音で紡がれた言葉は、いつも以上にひねくれていた今の俺にもストンと落ちた。
「今日の俺はダメなんだ…」
全ての事に腹が立ってしょうがないこと、そのせいでしょうもないミスをしてしまったこと、自分でもどうしたらいいのか分からないこと。思いのままに話しているから支離滅裂なはずなのに、ヴォックスはうんうんと頷いてくれた。下手な言葉よりも、その同意が嬉しかった。
話し終えた時には俺はもう泣いてしまっていた。
「そんな日はもう寝てしまおうなぁ」
「うん」
2人揃ってベッドに横になる。2人で寝るには狭いけど、今はそれがちょうど良かった。牛とヴォックスに抱きついて目を閉じれば、世界に俺たち2人だけになった気がした。
雨音と俺たちの呼吸の音だけが響くこの部屋は、仮初でも確かなぬくもりがあった。