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    わむお

    作ったものとらくがき置き場

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    わむお

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    Pixiv投稿:2021/04/17

    とある事情からステージに立つことになったシル主のお話です。
    シル主と言ってもくっついてません。でもシル主と言い張ります!!!!!

    大切なフォロワーさんのお誕生日にお贈りしたものですが、喜んで頂けて私も幸せでございました( ◜ω◝ )

    ##シル主
    ##小説

    不夜に踊るは鍵の君「騎士の国」と名高いサマディー王国は、広大な砂漠地帯に位置している。
     砂漠と言えば昼は灼熱、夜は極寒という両極の地獄を生み出すものだが、サマディーは東西北の三方を囲う巨大なオアシスのおかげで気温の日較差がさほどなく、一日を通して快適に過ごすことができる。先人の築いた小さな集落が大国へと成長し、長きに渡り繁栄し続けてこられたのも、この恵まれた環境によるところが大きいと言えよう。
     サマディー城はオアシスのほとりに造られており、城と砂漠とに挟まれるようにして城下町が広がる。そのぐるりに巡らされた高い外壁は魔物の侵入を防ぐだけでなく、視覚的にも街と砂の世界を分断している。街には建物こそ土壁や石造りといった簡素なものが並ぶが、多くの商人が店を構え、軒先の色彩豊かな品物や雑多な装飾が景観に華を添えているため、決して地味だとか素朴だという印象を受けない。
     また、ロトゼタシア屈指の良馬の産出国としても知られ、サマディー産のウマは自国のみならず他国でも軍馬として重用されるという。街の中では訓練中のウマや巡回する騎兵の姿を間近で見ることができ、国にとってウマがいかに身近な存在であるかが窺える。ウマは軍用だけでなく娯楽にも活かされ、馬術自慢が腕を競い合うレースは世界中から観光客を集める人気だ。
     娯楽の点でもう一つ欠かせないのが、何と言ってもサーカスである。町の東に建てられた異彩を放つ大きなテント。ここで連日、国お抱えのサーカス団がショーを繰り広げ、見る人々を楽しませている。ウマレースとサーカス、この二つのエンターテインメントはサマディー最大の売りであり、財政を支える二本柱でもあった。
     一歩足を踏み入れれば、目の前の過酷な砂漠のことなど忘れてしまうほど活気に満ち溢れた国、それがサマディー王国なのだ。
     
     さて、勇者イレブン一行が彼の地を訪れたのは、ある日の夕暮れ時のこと。
     イレブンは空を染める茜に似た色の地に金の文様があしらわれた扉の前に立ち、その手にはヘッド部分が扉の文様と同じ形をした鍵を握っている。これは《まほうのカギ》と呼ばれる秘宝で、少女の姿で人々を惑わしては己の糧としていた魔物を討伐した際に手に入れたものだ。
     この鍵の入手後、ロウの記憶を頼りに足を運んだバンデルフォンの遺構で、イレブンは赤い扉の奥に眠るパープルオーブを発見したのだが、同時に貴重な素材やレシピも見つけていた。まほうのカギを持つ者しか入室を許されないこと、宝が揃って貴重なことを踏まえれば、そこが宝物庫であるのは容易に推測できた。しかし、不思議なことに赤い扉は各地に点在している。それは町の空き家であったり平原や離島に建てられた小屋にしつらえたものであったりと様々だが、ほとんどが所有者不明の古い建屋で、一体誰が、何の目的で設置したのかを知る手がかりが何もなかった。
     では、鍵を入手した経緯から考えてみるとどうだろう。魔物が鍵を持っていたということは、扉の奥には連中にとって失い難いもの──例えば、いつか現れる勇者に対抗する手段となり、逆を言えばそれを勇者側に渡してしまうと連中には不利益になるものが隠されている可能性が見えてきはしないだろうか。だとすれば、各所の扉を開けてみる意義は十分にある。
    「扉の向こうにあるのが、もし人々の脅威となるものならば排除して、我々の助けになるものならばありがたく頂戴しよう」
     仲間たちの意見は、このように合致した。厄介な人間や魔物を相手にしながら旅を続けていれば、多少の図太さは嫌でも身に付いてくるらしい。そんなわけで一行は、次なる目的地クレイモランへ向かうのを一旦中断し、これまでに訪れた地を改めて巡ることにしたのである。
     バンデルフォンを発つと、まずは陸路でユグノア地方を目指した。それからルーラでメダチャット地方、次いでデルカダール地方へと飛ぶ。さらにダーハルーネに飛んで船に乗り込み、内海の離島を回った。内海を回り終えたらソルティコから外海に出て、島々を探索しながらナギムナー村へ。そこから飛んだホムスビ山地を抜け、最後にやって来たのがここサマディーだった。
    「これが最後のはず……」
     イレブンがまほうのカギを鍵穴に差し込んで回すと、手応えに伴って「カチャリ」と音が鳴る。屈強な戦士が束になって押し開けようとしてもビクともしない堅牢な扉が、たった一本の鍵で簡単に開くのだから「まほう」と称されるのも納得である。こうして開け放たれた部屋に並んだ宝箱を、イレブンとカミュはひとつ、またひとつと用心しながら開けていった。

     ここまでの道程で見つけた赤い扉を全て確認し終えた達成感と、旅の助けになるものばかりを手に入れた満足感でイレブンは晴れやかだが、仲間たち──特に体の小さなベロニカと、高齢のロウには疲労が色濃く見える。ルーラがあるとは言え『見落としがないように』とある時は徒歩で、ある時は船で幾日もかけて各所をしらみつぶしに回り、しかもその間の寝泊まりはキャンプ続きだったので仕方のないことではあった。ベロニカもロウもそれを承知の上で旅をしているが、イレブンがそんな二人を放っておけるはずもない。
    「今までに見つけた扉は全部確認できたわけだし、明日と明後日をクレイモランへ向かう準備期間にしようと思うんだ。明々後日は、そうだな……白の入江から出発することにしよう。道具や食料の調達は僕がやるから、みんなはゆっくり過ごしてほしい。旅を再開したら、またたくさん助けてもらうつもりだからね」
     悪戯っぽく笑うイレブンの言い方が良かったのか、いつもなら準備を手分けしてやろうとする仲間たちも彼の提案をすんなりと受け入れる。幸い、宿も連泊の手配ができ、皆久しぶりに羽を伸ばせることを喜んだ。
     今もまだデルカダールに追われる身のイレブンだが、人混みに紛れてしまえば案外見つからないということはダーハルーネで学んでいる。年中観光客で賑わうサマディーは、その点非常に都合が良かった。
     宿のチェックインを済ませると、買い出しのリスト作成を兼ねて今晩の夕食は皆で取る約束をした。予定時間まではゆとりがあるため、女性陣は街の散策に出かけるらしい。その楽しそうな姿からは先程までの疲労感がまるで感じられず、イレブンは改めて休息の大事さに気付かされる。ロウも書店を見に行こうと用意をしている。カミュは部屋でしばし仮眠を取るそうだ。
    「イレブンちゃんはどうするの?」
     シルビアに尋ねられて考えてみるが、特にやりたいことがあるわけではない。かといって漫然と過ごすのも勿体なく、『それなら今の内に道具屋を覗いてこようか』などと閃いた。
    「だったら、ご一緒しても良くって? アタシも行く宛がなくてね」
     いつも新しいショーのアイディアを探している好奇心の塊のシルビアにしては珍しい言葉だと思ったが、イレブンは『そんな日もあるのだろう』と取り立てて追究することもなく快諾し、二人は並んで街へと繰り出していった。
    「久しぶりねえ、サマディーに来るの! イレブンちゃんと一緒に旅に出て以来かしら?」
    「それじゃあ結構前ぶりだね。色々と変わってる所もあるかも!」
     露店を見渡しながら、二人が声を弾ませる。
     サマディーはイレブンたちとシルビアが初めて出会った、特別な地でもある。イレブンたちの旅の目的が自分の夢の実現に繋がるものと知り強引に同行を決めたシルビアだったが、今では誰からも信頼され、パーティにとってかけがえのない存在となっている。
    「あの時シルビアさんのステージを見たこと、今でもよく覚えてるよ。ウマに乗るのも上手だし『世界にはこんなにすごい人がいるのか』って感動したんだ。まさか、その人と一緒に旅することになるだなんて思いもしなかったけどね」
     そう言って笑うイレブンは、ほんの数ヶ月前のことを懐かしんでいるようだった。
     シルビアは華麗なショーで人々を魅せるだけでなく、剣術や馬術に長け騎士道にも精通している。彼の底知れない魅力は、イレブンの目にどんなに眩しく映ったか。あまりに鮮烈な姿は少年の心に強く焼きつき、シルビアに対して憧れの念を抱くことにそう時間はかからなかった。そして、それは今も変わらず持ち続けている。
     シルビアは、イレブンが自分に憧れの眼差しを向けていることを知っていた。そのような視線を数え切れないほど浴びてきたのだから、気付かないわけがない。しかし、イレブンの目は自分を見つめてきたどんな目よりも綺麗で素直でまっすぐで、それが自分に向けられることがたまらなく嬉しかった。
     いつの間にかイレブンを憎からず思ってしまっていたことを、シルビアは自覚している。何にでも一生懸命で、自分も辛い立場ながら困っている人を見過ごせないほど優しいのに、妙なところで頑固な一面をのぞかせるイレブンから、いつしか目が離せなくなっていた。
     初めは歳の離れた弟のように思っていたのに、今は単純に彼のことが愛しい。
     だが、この気持ちを伝えるつもりは毛頭ない。伝えたところで、ただイレブンを困らせる結果になるのが分かりきっているからだ。それでも欲は捨て切れないもので、先程のように二人きりで過ごせる好機の片鱗が見えれば、つい掴み取ろうとしてしまう。
    (さっきのはちょっとあからさまだったかしら……)
     そんな風に思っても、イレブンは自身に向く好意にはどういうわけか鈍感で、シルビアの思惑にも全く気付いていない様子である。これが少し寂しくはあるけれど、想いが伝わることは本意ではない。シルビアは努めて平静を装いながらイレブンの隣を歩いた。

     露店の並びを抜けると、サーカスのテントが見えてくる。あれこそがイレブンとシルビアが初めて会った場所だ。テントの近くではサーカスに預けたシルビアの愛馬マーガレットが、その美しい出立ちで通行人の目を引いていた。
     数ヶ月ぶりに会うマーガレットを思いきり愛でた後、シルビアがイレブンに尋ねる。
    「約束の時間まで、まだ余裕はある? サーカスのみんなにも会っていきたいのだけれど」
    「まだ大丈夫だよ。せっかくだし、行ってくるといいよ」
    「じゃあイレブンちゃんも行きましょ! 今なら夜の部が始まる前だし、アナタのことをちゃんとみんなに紹介したいわ!」
     言うやシルビアはイレブンの手を引き、裏口に向かって歩き出した。シルビアはイレブンと出会う前から度々サマディーで興行していたため、サーカス団とは馴染みがある。だが旅への同行が本格的に決まってすぐにサマディーを発ったので、イレブンをきちんと紹介できていないことが気になっていた。
     裏口をくぐり、長い通路を進むと楽屋がある。この時間であれば、夜のステージに向けての練習や最終の打ち合わせで賑わう声が通路の中程まで聞こえてくるはずだが、今日は不気味なくらいに静まり返っている。シルビアは『何かあったのかしら?』と訝しみ、二人とも念の為、足音を立てないようにしながら通路を進んでいった。
     楽屋の入り口からそっと中を覗くと、団長をはじめとする団員たちが輪になっているのが見える。他に誰も見当たらないことから賊が押し入ったとかではないと悟り、シルビアはホッとして声をかけた。
    「みんな、お久しぶり! 元気だったかしら⁉︎」
     楽屋に男の声が響く。そこにいた者たちは驚いて飛び上がり、慌てて声の方へ振り向いた。それなのに誰一人として返事をしない。
    「あ、あら……?」
     場違いだったかと思わずシルビアが焦った瞬間、我に返った団長が『シルビアさん!』と叫んだ。それを皮切りに団員たちも口々に驚きの声を上げる。
    「本当にシルビアさん⁉︎」
    「なんというタイミング!」
    「天の助け!」
     騒ぎの中で全てを聞き取れはしなかったが、皆予想もしないシルビアの登場を尋常ではないくらいに喜んでいる。一体何事なのかとイレブンとシルビアが楽屋に足を踏み入れると、騒ぐ団員たちの中心で一人の女性が椅子に座っていた。
    「ハァイ、シルビア。久しぶりね」
     ひらひらと手を振る彼女は、艶やかな黄色のドレスを身に纏う踊り子。シルビアとは何かと気の合う友人関係にあるが、友人と呼ぶよりもむしろ『ステージという戦場をともに駆ける戦友』と言った方がしっくり来るかもしれない。イレブンもテント前で呼び込みをする彼女の姿を見かけたことがあった。
    「やだ! どうしちゃったのよ、その足! 怪我したの?」
     シルビアの視線が彼女の足元に向いているのでイレブンもそれを追うと、足首に巻かれた包帯の下が痛々しく腫れているのが分かる。
    「練習でジャンプを失敗しちゃってね。張り切って、力が入りすぎたみたい」
     困ったように笑う彼女の顔には、明らかに悔しさが滲んでいた。
     彼女によると、現在開催中のサーカスの夜の部は前半と後半に分かれており、前半はジャグリングやアクロバットなどのパフォーマンスをメインにしたもの、後半は綱渡りや空中ブランコといった大掛かりなもので構成されているらしい。そして前半が終わってから後半の準備ができるまでの間、観客の興奮が冷めないようにダンスとイリュージョンを融合させたショーで繋ぐのだとか。彼女はそのショーで主役を務めているが、『もっと観客を喜ばせたい』と考案した新たな振り付けの練習中に今回の事故が起きたのだという。
     踊り子の横では団長が頭を抱えている。
    「ありがたいことに、このショーがなかなか好評でしてね。彼女が盛り上げてくれるおかげで我々は準備に専念できるし、後のステージにも自信を持って臨めるのですよ。だからショーは外せないけれど、うちには彼女の代わりが務まるほどの踊り子もいなくて……」
     団長はプログラムの変更も考えたが、それではとても用意が間に合わず、今夜のステージは中止する方向で話を進めていたそうだ。
     ところが、そこにシルビアが現れた。
    「お願いします、シルビアさん! 忙しいのは重々承知してますが、どうか今夜のステージに立って頂けませんか? 貴方だったら一人でもお客様全員を満足させられる!」
    「シルビア、私からもお願いしたいわ。私のせいではあるけれど、サーカスを楽しみにしているお客様の笑顔を奪いたくないの」
     団長と踊り子が頭を下げると、他の団員たちも続く。イレブンがシルビアを見れば、彼は顎に手を当てて何やら考え込んでいたが、少年の心配そうな視線に気付くと、安心させるように優しく微笑みかけた。
    「確かにアタシがステージに立てば会場を沸かせるのは簡単よ。だけど、せっかくみんなが作り上げたプログラムを変更するだなんてもったいないじゃない! 要するに間を繋げばいいのよね、団長?」
     シルビアからの返答は意図したものと違ったが、それでもステージへの出演の承諾を意味することには変わりなく、団長と団員たちから歓喜の声が上がる。
    「ドーンと任せてちょうだい! アタシとイレブンちゃんのダンスショーで、うんと盛り上げてみせるから!」
    「……えっ?」
     何かの聞き間違いだろうか。『アタシとイレブンちゃん』と聞こえた気がして、少年は困惑しながらシルビアを見上げる。
    「頑張りましょう、イレブンちゃん! これも人助けだと思って、ね?」
     にっこりとしながらシルビアがイレブンの両手を握る。これで聞き間違いではなかったことが確定してしまい、イレブンは冷や汗をかいた。男の強引さは今に始まったことではないし、その勢いに助けられたこともある。イレブンだって『人助け』と言われれば、協力するのもやぶさかではない。だが、それとこれとは話が別だ。
    「ショーなんて僕には無理だよ! しかもダンスだなんて……シルビアさんも知ってるでしょ⁉︎ それに、そんな目立つようなこと……!」
     イレブンが珍しく声を荒立てる。彼がステージに立つのを固辞する理由の一つは、魔物につられて踊ってしまった時のものにあるらしい。シルビアも何度か見たことのある、素直で飾り気のない少年の人柄を表すような踊りのことだ。惚れた欲目なのかシルビアはそれすら『可愛い』と気に入っているが、なるほどショーとして人に見せるようなものではない。
     それにもう一つは、イレブンが追われる身であることを言っているのだろう。悪魔の子を捕らえようとするデルカダールの追手がどこまで迫っているか分からない今、自ら目立つ舞台に上がるなんて無謀以外の何物でもないのだ。
     しかしシルビアは、そんなイレブンの不安など見越していたかのような不敵な笑みを浮かべていた。
    「大丈夫、アタシに任せて! いい考えがあるの!」
     そう言ってバチン、と火花が飛び散りそうなウインクをして見せる。こうなっては誰が言っても止まらないのをイレブンは知っている。それ以上抗うこともせず、渋々シルビアに身を任せることにした。
     時は流れ、とっぷりと日が暮れて街中が灯りで彩られた頃。
     約束していた夕食の時間が近付いてきたため、イレブンとシルビアを除くパーティの面々は、宿のロビーに集まり始めていた。
    「もうすぐ集合の時間だってのに、イレブンとおっさんはまだ帰ってこねえのかよ……」
     ソファに腰掛けたベロニカとセーニャの前で、カミュが落ち着きなく右へ左へ歩き回っている。決して遅刻が不満というわけではなく、『また何かに巻き込まれているのでは』と心配でたまらないのだ。
    「外出中、街で騒ぎがあったなんて話は聞きませんでしたし、きっともうすぐ帰ってきますわ」
    「そうそう。イレブンだけだとちょっぴり心配だけど、シルビアさんも一緒でしょ。もし何かあっても、あの二人なら大抵のことは切り抜けられるわよ。だからアンタも、もう少し落ち着いたら?」
     姉妹に宥められて、カミュはようやく立ち止まりガリガリと頭を掻いた。行く先々でトラブルに巻き込まれがちな相棒に対して少々過保護気味になっていることに彼は気付いていないようで、姉妹は顔を見合わせてクスクスと笑いをこぼす。
     そうこうしている内、支度を終えたロウとマルティナもロビーに降りてきた。いよいよイレブンとシルビアの帰りを待つばかりとなった時、宿の玄関がおもむろに開く。仲間たちは反射的にそちらを向くが、入ってきたのは見ず知らずの若い男性だった。男性はフロントの方には目もくれず、仲間たちの方へやって来て恭しくお辞儀をした。
    「シルビアさんのお仲間の方々ですね。私はサーカスの者です。シルビアさんから、皆さんをテントにお連れするよう言われて参りました。……ああ、ご安心下さい。チケットはこちらにございますので」
     怪訝そうな表情のカミュに男性がチケットを差し出す。それにはシルビアのサインが書かれていて、本物であることはまず間違いないようだ。
    「ディナー付きの特別席をご用意しております。イレブンさんも、すでにテントにいらっしゃいますよ」
     それを聞いては『ついて行かない』という選択肢がなくなり、カミュたちは男性の後に続いてテントへと向かった。
     
     テント内は、ステージの開幕を待つ観客で満員となっていた。これから始まるショーへの期待で、人々の顔は生き生きとして見える。
     カミュたちが案内されたのは最後列のテーブル席。テント内は、円形の舞台を囲むように客席が造られている。客席は前から後ろに行くにつれて高くなる階段状で、最後列は舞台からは離れてしまうが場内をゆったりと見渡して楽しめるので、特別席として利用されていた。
     卓上には提携した料理店より運ばれた見た目からでも美味とわかる品々が所狭しと並んでいるけれど、席もグラスもカトラリーも五人分しか用意されていない。誰かが尋ねる前に男性は『二人には別の用意があるのでご心配なく』と皆に着席を促し、自身の出番の支度があるからと足早に立ち去ってしまった。
     カミュはこれまでの経験のせいか、とんとんと進む状況をどうしても不審がってしまうが、渡されたチケットの裏にシルビアからのメッセージを見つけるや苦笑いを浮かべる。
    『悪いけど、みんなで買い物のリストを書き出しておいてね♡』
     手回しがいいシルビアに呆れつつも『せっかくのご馳走が冷めてはもったいない』と安心して料理に手を伸ばした。
     食事を始めてしばらくした頃、不意に会場の明かりが小さくなる。それは間もなくステージが開幕される合図で、がやがやとしていた客席も静かになった。 
     舞台奥の袖からサーカスの団長が現れる。スポットライトに照らされた彼が開幕の口上を述べると暗い舞台に一斉に明かりが灯り、ついにサーカスショーが始まった。

     楽団の奏でる曲に合わせ、クラウンに扮した団員たちがジャグリングや玉乗り、アクロバットなどを次々と披露していく。絶え間ない技の数々に客席からは歓声と拍手が起こり、場内の熱は一気に高まる。
     しかし、カミュの反応は今一つ。
    「すげえけど……なんっつうか、物足りないんだよな」
     そう感じていたのはカミュだけではないようで、ベロニカもセーニャもロウも、サーカスは初めてだというマルティナでさえも、その言葉に深く頷いた。なにしろ世界一の旅芸人と日々の行動を共にし、戦闘中には得意の芸を生かした大技を間近で見ているのだから、そう思うのも当然である。
     すっかり目の肥えた彼らのテーブルは他の席と比べ物にならないほど落ち着いていたが、客を楽しませるため趣向を凝らしたステージを繰り広げる団員たちには惜しみない拍手を送った。
     やがてクラウンたちが一人ずつ舞台から退場していく。楽団の演奏も場を盛り上げる華やかなものからしっとりとしたスローテンポのものに変わり、どこか物寂しげな曲調がショー前半部の終わりを感じさせた。
     最後の一人が退場し再び明かりが落とされると、場内は称賛の拍手に包まれる。拍手がまばらになった頃、ずっと流れ続けていた演奏に乗って、今度は笛の音が聴こえてきた。

     袖から現れた楽士をスポットライトが照らす。長尺の縦笛を吹く男がゆっくりと舞台中央に向かって歩いてくる。身に着けたポンチョのフードを目深に被っているため容貌を捉えられはしないが、口元に髭を貯えていることだけは確認できた。
     それよりも、笛の腕前の見事なこと。年季の入った笛から、よほど熟練の奏者であると見受けられる。先程まで曲芸に熱狂していた観客たちもうっとりと聴き入り、ある者はため息を漏らし、ある者は指笛を吹き鳴らした。
     程なくして演奏を終えた楽士が片手を胸に当て深々とお辞儀をすると、またも拍手が沸き起こる。彼を照らす明かりが徐々に絞られて、男は最後、闇の中へと溶け込んだ。

     観客が余韻に浸る間も無く、場内にまた明かりが灯る。今度は前半のショーに比べて光量がだいぶ抑えられている。やや薄暗くも感じるが、会場全体を視認するには十分だ。舞台上には今しがた笛の音で観客を魅了した男の代わりに、いつの間にか踊り子が立っている。楽士はその後方に控え、彼女のためにまた笛を吹くようだ。
     今や会場中が踊り子に釘付けとなっている。目から下、顔の半分をベールで隠しているが側頭部の髪を編み上げハーフアップにした横顔だけを見ても、整った顔立ちをしていることが一目でわかる。まぶたに乗せた山吹色のシャドウがもとより大きな青い瞳をさらに際立たせており、目を見ただけで虜となる者もいた。手の甲までを覆うボレロとチューブトップにあしらわれた金銀糸の刺繍やスパンコールは光を受けてキラキラと輝き、髪飾りやアクセサリーと同様に彼女を一層美しく飾り立てている。引き締まった腹部を大胆に露出し、全体的に薄い体型をしているが、それがかえって中性的な色気を醸し出す。やや透けた素材のハーレムパンツには下肢のシルエットが浮き上がり、これがなんとも艶めかしい。衣装は濃淡のある紫色で統一され、市中で売られる《おどりこの服》のような華美さはないが、彼女の肌の色とよく調和している。妖艶な中にも気品が漂う姿は、異国の姫君のような雰囲気さえ感じさせた。これを見立てた人物は誰よりも彼女の魅力を知る者に違いない。
     特に、目を奪われるのがその手元。優美な佇まいには不釣り合いな幅広の剣を、左右それぞれに携えている。これには観客の期待も高まるばかりであった。
     深く息を吸った踊り子が両手の剣を頭上に掲げると、それを合図に楽団が演奏を始める。最初は穏やかだった曲が踊り子が剣を振り下ろした途端、一転して情熱的な激しい曲調に変わった。客席から大きな歓声が上がるが、それは曲の変化のせいではない。彼女の持つ両手の剣身が、一瞬にして炎に包まれたからだ。
     炎を宿した剣を振るいながら、踊り子は華麗に舞う。たおやかに動き、回り、軽やかに跳ぶ。薄暗い舞台は炎の軌道を強調し、彼女の踊りをより躍動的に見せた。しなやかな動きからは想像もできないほどの勇ましい剣捌きと、炎に照らされて美しさを増した彼女が時折投げつける挑発的な視線に、観客はことごとく心を奪われてしまう。
     舞もさることながら、楽団の演奏がまた素晴らしい。それぞれの楽器が迫力のある音を鳴らしているのに、どれもこれもが協調し合い主旋律を引き立てる伴奏に徹している。サーカスの盛り上げ役として一役買っている彼らは、自分たちが主役でないとわかっていても一瞬たりとも手を抜くことはない。むしろ観客を楽しませるためならば、脇役を貫くことに誇りすら感じていた。
     主旋律を奏でるのが笛の楽士だ。ハイテンポな旋律を奏でているのに、遅れや疲れなど微塵も感じさせない流れるような運指。ただの笛とは思えないほど、遠くまでよく響くパワフルな音色。これだけでも常人離れした技術を見せつけているのに、それ以上に驚くのが、序盤から苛烈な演奏を強いられているにも関わらず、リードを咥える口元が楽しげに笑っているということだ。
     笛の音だけを聴いてみればいかにも激しい旋律だが、決して踊り子の邪魔をしていない。それどころか彼女を包み込み、エスコートしているようにさえ感じられる。それは男が彼女を想い、彼女のためだけに笛を吹いているからだ。フードの奥に隠された男の目は、踊り子をずっと見つめている。炎の剣を振りかざし汗を滴らせながら舞う彼女に、誰よりも心惹かれているのだ。

     客席のカミュたちはこの情熱的なステージに圧倒されつつも、どうにも胸にひっかかるものを感じていた。踊り子の舞と楽士の笛の音が、自分たちの知るものとよく似ているからだ。それに、バニーガールや踊り子に目がないはずのロウが興奮を覚えていない。会場のどこかにいると思っていたイレブンとシルビアが、いつまで経っても姿を現さない。これらのことから胸のつかえの正体が導き出される。
    「あの二人、イレブンとおっさん……か?」
    「そうでしょうね。だいぶアレンジされているけれど、あれは《ゆうしゃのまい》だもの」
     マルティナが頷く。《ゆうしゃのまい》はイレブンとシルビアによる連携技で、仲間たちの攻撃力を上げる効果がある。戦いの中で幾度となく見てきたこの舞を、仲間たちが見違えるはずもなかった。
    「まったく、なんだってあんなことを? 気付いたのがオレたちだけならいいが……」
     カミュの心配をよそに、場内はさらに加熱していく。踊り子に扮したイレブンが、舞台上空に向けてイオを放ち、花火を生み出したのだ。おまけに、攻撃力を上げる《ゆうしゃのまい》がどうも観客の興奮を増長させているらしい。場内の盛り上がりは、最高潮に達しようとしていた。
     嵐のような歓声の中で踊り続けるイレブンの脳裏には、本番前の出来事が思い出される。

     シルビアに押し切られるかたちでステージへの出演が決まったものの、イレブンはどうしてもダンスと追手に見つかることへの不安を拭いきれずにいた。シルビアの言う『いい考え』とは、そんな不安を払拭するものであった。
    「慣れた踊りだったらアレンジを加えてもすぐ覚えられるだろうし、ステージに上がる時はイレブンちゃんだとバレないような変装をすればいいのよ!」
     開幕までの時間も代替案もないため、シルビアの考えは最善策だったが、《ゆうしゃのまい》はともかく、まさか踊り子の格好をする羽目になろうとは思いもしなかった。もちろん抵抗はあったけれども、張り切って練習を再開する団員たちを前にして今更断ることもできず、イレブンは腹を括った。
     ベホイミでいくらか回復した踊り子と、女形を演じたこともあるというシルビアの指導の元、限られた時間で女性らしくしなやかに踊る練習をした。元々身体能力が高く覚えも早いイレブンは「踊り方を知らない」だけで「踊れない」わけではない。見る見るうちに新しい振り付けを習得し、そこに《かえん斬り》を応用した炎の剣舞を完成させた。
     練習を踊り子に託し、シルビアは衣装部屋から適当なものを何着か見繕うと、驚くべき速さでイレブン用の衣装に作り替えていく。『裁縫が得意』という言葉は伊達ではなく、旅芸人として成り上がるまでに積んだ経験の深さが垣間見えた瞬間であった。衣装を身につけたイレブンは、その露出の大きさに驚いたが『老若男女全員を魅了するため、あえて体を誤魔化さず中性的な雰囲気に仕上げたい』というシルビアの言葉に無理矢理納得した。
     次にシルビアはイレブンに化粧を施した。綺麗な瞳を引き立てようと補色のアイシャドウを選び、唇に紅をさす。髪を結い上げて最後にベールを着けさせると、魅惑の踊り子が出来上がった。
     続いてはシルビアの番だ。特殊なメイクで口髭を生やし、自慢のシルビアンヘアーを手で乱雑に崩す。いつもと全く違う風貌に、イレブンは思わずドキリとしてしまう。その上に衣装部屋から引っ張り出したポンチョのフードを被れば、世界的スターのオーラはたちまち鳴りを潜めた。
     こうしてイレブンとシルビアは、踊り子と楽士へと姿を変えて舞台に立った。披露したのが《ゆうしゃのまい》でなければ、おそらく仲間たちにも気付かれることはなかっただろう。

     最初こそあんなに不安がっていたイレブンだが、今は不思議と穏やかな気持ちで踊っている。頭も妙に冷静で、観客一人ひとりの顔がしっかりと認識できた。『客席から見守っているわ』と言い残して楽屋を出て行った踊り子が、端の席に座っている。最後列には呆れ顔のカミュと、楽しそうに眺めている仲間たちが見えた。
    (そうだ! 終わったらセーニャかロウじいちゃんを呼んで、踊り子さんにベホイムをかけてもらおう。もう皆にはバレたんだろうなぁ。カミュ、怒ってるかな……)
     そんなことを考える余裕があるくらいイレブンが落ち着いていられるのも、笛の音がすぐ近くにいる男の存在を感じさせてくれるから。客席の大きな手拍子と歓声が響く中においても、シルビアの音はイレブンの耳によく届き、それがひたすらに心地良い。
     思えばこれまでにも、シルビアにはどれだけ救われてきただろうか。いつからか彼の存在に安心感を覚えるようになっているのに、イレブンはまだ気が付いていない。

     一段と激しさを増した演奏が、そろそろクライマックスが近いことを教えている。イレブンが視線を送ると、シルビアからウインクが返ってきた。これが最後の仕掛けに移る合図だ。
     イレブンは今なお燃え続ける剣身に魔力を込めて、さらに火力を強くする。それに合わせて楽団が演奏を止めると、場内はピタリと無音になった。
     ありったけの力で、イレブンが二本の剣を空中に放り投げる。観客の視線は当然のようにそちらに注がれ、舞台上を見る者は誰もいない。回転しながら宙を舞う剣に、イレブンは何発かメラミを撃ち込み巨大な炎の塊を作っていく。最後の一発を撃ち込むと塊は弾け飛び、大量の火の粉が客席に向かって放出されるが、その時シルビアがローズタイフーンを巻き起こした。降り注ぐ火の粉が、次々にバラの花びらへと変わっていく。吹き荒ぶ風に乗って、何千、何万もの花びらが場内を覆い尽くす。それらは全て幻であるが、観客の目には本物の花びらが舞っているように映っていた。
     観客が花吹雪に目を奪われている隙に、シルビアはイレブンを抱え上げて舞台袖に駆け込む。忽然と姿を消した二人は、まるで花吹雪に攫われてしまったように見えるのだろう。
     ショーの演出は全てシルビアが考えたもので、テーマは「砂漠の夜の幻」だそうだ。一晩限りのステージにはピッタリである。
     無事に終えた今になってみると、ショー自体も幻だったのではないかと思うほど。イレブンは燃え尽きたのか、ぼんやりとしている。けれどもこの瞬間、自分を抱える逞しい腕の熱さは決して幻ではない。それが何故だか嬉しくて、イレブンは楽屋まで僅かな距離しかないことを少し残念に思うのだった。
     楽屋に着くと背後から凄まじい歓声と拍手が聞こえてくる。花びらの幻が消え去り、観客が我に返ったのだ。知らぬ間に姿を消した踊り子と楽士に送られる喝采は、テントを揺るがすほどに鳴り響いた。後半の出番に向けて準備をしていた団員たちが、これを聞いて奮い立つ。
    「あんなにすごいショーを見せられたんじゃあ、こっちも負けられないぞ!」
     どうやら《ゆうしゃのまい》の効果は楽屋の方にも届いたようで、団員たちが気合十分の面持ちで舞台に向かうのを、イレブンとシルビアは激励の言葉ともに見送った。後半のステージは団員総出での出演であるため、楽屋にはイレブンとシルビアだけが取り残される。舞台の方からはまた歓声と拍手が飛び交うのが聞こえ、後半のステージも出だしから盛り上がっているらしい。
    「シルビアさん、そろそろ降ろして……」
     イレブンが恥ずかしそうに言う。そういえば抱えたままだったことを思い出し、シルビアは慌てて降ろしてやった。しかしすぐに少年を抱き寄せて、その肩に頭を置く。
    「ごめんなさい、アタシちょっと疲れたみたい。少しだけこのままでいさせて……」
    「う、うん……」
     突然で驚いたが、イレブンはシルビアの抱擁を大人しく受け入れた。
    『疲れた』だなんて真っ赤な嘘で、シルビアはイレブンを離しがたいだけなのだ。あんなに情熱的な舞を間近で見て、平静を保てる者がはたしているのだろうか。ましてやそれが恋い慕う相手なら尚更である。
    《シルビア》として生きることを決めた時、世界中を笑顔にする自分は誰か一人のものにならない代わりに、誰か一人だけを愛することもしないと誓った。そうやって世界を上手く渡り歩いてきたのに、今はどうしようもなく腕の中の少年が愛しい。観客を魅了するために自分でイレブンを美しく仕立てておきながら、どこかで『誰にも見せたくない』と矛盾した思いを抱いてしまっていた。イレブンを前にすると、自分とは無縁だったはずの独占欲なんて陳腐な感情が、簡単に顔を出すから困ってしまう。いっそすっぱり諦めて、無かったことにできれば良いのに、そうもいかないのはイレブンのせいかもしれない。
    (ねえ、イレブンちゃん。アナタは自分がどんな顔をしていたのか分かってて? あんな目で見つめられたら期待してしまうわ……)
     舞を披露している最中、イレブンは無意識にシルビアに眼差しを向けていた。それは舞台に立つ不安を消そうとするものではない。いつものシルビアに向ける憧れを含んだものよりも、もっと強い想いを秘めた熱っぽい眼差しだ。それが何を意味するのか男には分かってしまったけれど、当のイレブン本人にはおそらく自覚がないだろう。今だってシルビアに抱きしめられた体が熱いのも、目が回りそうなほど頭が茹だっているのも、心臓がばくばくとうるさいのもステージに立った余韻だと思っている。
     本当の原因をシルビアから教えることは容易いが、そんな無粋な真似をするほど落ちぶれてはいないし、少年を焦らせたくもなかった。
     イレブン自ら気付いてくれるのを待ちたい。イレブンが本当に自分を選んでくれるなら、自分の口からも想いを伝えたい。今の喜ばしい気持ちは、それまで取っておきたい。だからシルビアはいつかその時が訪れるのを願いながら、イレブンへの想いをしまいこんで鍵をかけた。
     けれども、どうしても怯えずにはいられない。いくら人を魅了することに長けたシルビアでも、心の移ろいまでは止められないからだ。
    (どうかイレブンちゃんの気持ちが、幻のように消えてしまいませんように──)
     そんな祈りを込めて、今はただイレブンを強く抱き締めることしかできなかった。
     宿への帰り道。
     わいわいと歩く仲間たちの後方で、イレブンとシルビアはカミュからのちょっとしたお説教を食らっていたが、セーニャがそれを庇ってくれる。
    「お二人とも、サーカスの皆さまを助けるためだったのですから。観客の方々もとても楽しそうでしたし、カミュさまだって楽しまれていましたわ」
     セーニャの柔らかな物言いは、場を収めるのがとても早い。カミュも本気で怒っているわけではなかったので、『次は何かあったら相談しろよ』と先に歩いていった。
     大盛況のまま幕を閉じた今夜のサーカスの噂は瞬く間に国中に広がり、夜にも関わらず街の中は賑わっている。興奮冷めやらない観客たちがそのまま街に繰り出し、酒場や道端でサーカスの話題で盛り上がっていた。今夜のサマディーは、昼の砂漠にも劣らない熱気に包まれている。

     無事ステージを終えたテントで、団員たちはイレブンとシルビアに感謝を述べ、明日からのサーカスを今日よりさらに良いものにすると意気込んだ。二人から事情を聞いたセーニャの献身的な、ロウの下心満載な手当てのおかげで件の踊り子の足もすっかり良くなり、彼女もまた『二人に負けないステージを演じてみせる』と笑って見せた。
     イレブンとシルビアのショーは多くの人の心に刻み込まれ、色々なかたちの熱意を生み出したのだ。

    「それにしても本当に素敵なショーでしたわ! イレブンさまとシルビアさまったら、息がピッタリ合っていらして……まるで恋人同士のようでしたもの」
    「まあ、セーニャちゃんってば! でも楽しんでもらえたみたいで良かったわ」
     セーニャがうっとりとため息をついて、シルビアが嬉しげな声を上げる。自分のステージを喜んでもらえたのだから、旅芸人冥利に尽きるというものだ。イレブンと恋人同士に見えたと言われたことも嬉しいのだけど、そこには何も触れなかった。
     その後、ベロニカに呼ばれてセーニャが駆けていったので、イレブンとシルビアは仲間たちから少し離れて歩くこととなった。
    「あの……シルビアさん」
     不意に呼び止められて振り向くと、イレブンは顔を真っ赤に染めていた。シルビアはあえて何も言わず、なあに、とだけ答える。
    「僕、今日のステージ楽しかったよ」
    「そう」
     シルビアの顔が綻ぶ。強引にステージへの出演を決めてしまったものだから、まさかそう言ってもらえるとは思っておらず安堵したのだ。
     柔らかく微笑むシルビアから目線を逸らして、イレブンは今度、ごくごく小さな声で呟く。
    「それと、さっきのセーニャの言葉……僕は嫌じゃなかったよ」
     シルビアに聞かせるつもりはなかったのだろう。それでも男が聞き逃すことはなかった。まだまだ不明瞭でも、イレブンはなんとなく自身の心の輪郭が見え始めているのかもしれない。
     シルビアは聞こえなかったふりをして、そっとイレブンの手を握る。 
    「今日は慣れないことをして疲れたでしょう? 宿まで引っ張ってってあげる!」
     我ながら白々しいと思った。けれども舞い上がらずにはいられなかった。気持ちをしまいこんだばかりだが、少しくらいは自分を甘やかしてやりたかった。
     するとイレブンからも強く手を握り返される。ドキリとして少年を盗み見れば、その顔は踊り子に仕立てた時よりも美しく、幸せそうに笑っていた。

     今夜、サマディーが二人にとってますます特別な場所になった。
     シルビアの想いを隠した扉の前に、鍵を握ったイレブンが立つ日も近い。
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