喫茶店は相談所ではありません　チリンとアンティークのドアベルが鳴ったので、皿を洗う手を一旦止めて顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
　雰囲気を壊さないように静かな声で。けれど聞きやすい音量で。
　マスターは謎のこだわりがあるのでこういうときの掛け声だとか、所作に厳しい。けれども妙なところでお茶目な一面を見せる。基本的にはぎっくり腰に怯えてる爺さんなのだけど。
　入ってきたお客様を一目見て、おぉ…と顔には出さずに驚く。赤髪に体格の良い体躯だが、幼さが抜け切らない少年と青年の狭間で揺らぐような男だ。
　昼間は喫茶店、夜はBARを営むこの店はマスターの趣味なのかシックな装いだ。見たところ高校生か大学生くらいの男が一人で入るには気後れするだろうに。そう考えたが、思えばマスターの知り合いだという高校生の子たちも入店しているのだから近寄り難いとかそういう雰囲気はないのかもしれない。
　「空いているお席へどうぞ」と促せば赤髪の男はカウンター席へ座った。すぐにグラスにレモン水を入れて冷やしたおしぼりを出す。会釈をした男に、意外と丁寧だなと失礼なことを思った。

　
　抽出した珈琲をカップに注ぐこの瞬間が好きだ。マスターは紅茶派らしいが私は珈琲も好き。それが原因なのか、いつのまにか珈琲担当になっていたけれど雇われ店員なので文句は言えない。好きだから良いけども。給料上げてくれたので構わないけども。
　赤髪の男一人だけの小さな店内はゆったりとしていて静かだ。居心地悪そうな様子はなくリラックスしている。今しがたサーブした珈琲に口をつけ、薄らと微笑んだことから及第点は頂けたらしいことを知る。
　常連客でもないのに話しかけるのも変だろう。常連客に対しても話しかけることはないけれど。そう思い、カップを磨く作業に集中する。マスターが買い揃えたカップは有名ブランドではないけれど、お高いやつらしい。「良い店には良い物を置かないとネ」とウインクしてきたマスターを思い出し、少しだけイラっとする。様になるのが余計に腹立つなあのアラフィフ野郎め。
　キュッキュッと拭く力が心なしか強くなったところで「なぁ」と声がした。
「どうかされましたか？」
　脊髄反射で声を出す。その後にゆっくりと微笑むことも忘れない。赤髪の男は決まり悪そうに頬を掻いておずおずと此方を見上げている。追加の注文だろうか。それにしては先程からヒシヒシと感じる嫌な予感が消えない。この感覚は知っている。マスターが悪巧みしているときと同じ感覚。素直に白状すると今すぐ帰りたい。給料いらないから早退させてくれ。でもできない。何故ならこの店の店員は私ただ一人。マスターはにこやかに買い出しという名の散策に出かけやがったので。
　頼むから追加注文であってくれと内心で祈りつつ表面上はポーカーフェイスを保つ。
　ドクドク跳ねる心音を誤魔化しながらにっこり微笑むと、意を決したのか赤髪の男は口を開いた。

「社会人が高校生と付き合うのは不味いのか？」
「…………場合に……よりますかね……」
「……アンタくらいの年齢の大人から見て、俺はガキに見えるか？」
「………人に……よりますね……。あの、何故その……私に？」
「ここのジジイがお前に相談しろって」
「はぁ……ジジイ……マスター……なるほど」

　あのクソマスター、腰ぎっくり逝けば良いのに。常連客の探偵にチクってやろうか。「お客様の話を聞くのも仕事ダヨ」とか言い出したマスターのことだ。私の知らない間に適当なことを言ったに違いない。
　しかし話の流れからこの高校生の少年は悩み果てているらしい。初対面の店員に話すくらいには。生憎と相談らしきことをされても聞くことしかできない。というか高校生なの？大人びてるな。

「どう考えても俺のこと好きなくせに年下だからと言って断ってくる。そのくせ俺が触ると安心してんだから、意味わかんねえ。何でだと思う？」

　知らねえよと言いたかった。