※作中に出てくる「エミヤ」は、全部「アサシンのエミヤ」のことです。
「やあ、休憩かい? 言峰神父。」
食堂一角で。お盆を片手に、座る場所を探していた言峰は、とある暗殺者にそう声を掛けられた。
「衛宮……」
カルデア内では滅多にとらないフードを下ろして、食堂の椅子の上で寛ぐ褐色の肌をした男。彼の手前にはさっきまで食していたのであろう、透明なガラスの器がお盆の上に載っていた。
「場所がないなら、良ければどうぞ。そこ、空いてるよ」
そう言って、彼は目の前の席を指差してくる。
「…………」
実際、どこもかしこも珍しく埋まっていた食堂であったので、その提案は一件、有難いものであった筈なのだが。
思わず眉間に皺がよるのも構わず、言峰はその視線を鋭くする。
「ああ、もしかしてお邪魔だったかな? 僕はもう行くから、遠慮せず座ると良いさ」
のらりくらりと、いつぞやの飄々とした“彼”を思い出す、そんな言葉でそう言われて。──違う。この男は断じて違う。
そう心の中で強く否定して。
言峰は動作が荒くなることも構わずに、お盆を彼の目の前の席に置く。ガッチャンと、食器の擦れる音が盛大にしたが、構うものかと、更に椅子も騒々しく音を立てながら引いて、その席に着く。
「いや、構わん。私もそう時間がなくてな。すぐに食べて出ていくさ」
そう言って、少し皿から溢れている──先程乱雑に置いた関係で──麻婆豆腐をレンゲいっぱいに掬って食べ始める。カツカツと食器の当たる音を立てながら、黙々と食べ進めていく。
「へえ。忙しいんだね、神父さん」
正面から聞こえてくる呟きにも無視を決め込み。言峰はただひたすらに自身の前にある一皿に集中する。
──全く。先程までの気分が台無しだ。折角あの赤い弓兵の嫌そうな顔を拝むためにわざわざ足を運んだというのに──。何足る不運。そう心の中で思わず溜め息を付いた。
そこそこ大きめの深皿に大量に──それこそ溢れんばかりこんもりと──載っていた麻婆豆腐は、みるみる言峰の口の中に消えていく。言峰専用にかなりの激辛具合に調整されたそれは、見るだけで、舌が痛くなりそうな真っ赤な色をしており。平然と食べ続ける言峰にも、よく見ればうっすらと米神から汗が流れ出していた。
半分程食べ尽くした辺りで、言峰はコップを手に取り、水を飲む。飲み物は各自セルフサービスの為、食事を受け取った後、ウォーターサーバーから言峰自身が注ぎ持ってきたものだった。いくら望んだ辛さであっても、これだけの量を食べれば、かなり喉にダメージが行く。だからと、コップの縁まで並々と注いだ水を、これまた半分程飲み、一息つく。
──何故、この男がここに居る。サーヴァントは食事を摂らなくてもさして問題はない。カルデアに居るサーヴァント達はその現界の為に、しばし食事や睡眠をとるものも居ると聞いたが──。
──だが、この男はカルデアに居る間は必要以上の現界をせず、霊体化して彷徨っていると人伝に聞いた。カルデアから賄われる電力は無尽蔵ではない。だから、食事や睡眠を好まないサーヴァントは霊体化して過ごすことも多く。この目の前の男はそちら側であった筈だ。私と違い定期的に食事や睡眠をとって維持している訳ではなかったと認識していたのだが──
「あ、でもあんたが来てるなら、僕も頼めば良かったな。それ」
頬杖を付きながら、こちらを見やっていたエミヤが、そんなことをぼそりと呟く。その顔にも声にも特に感情の色なぞ付いていない。さっきからずっと、彼は淡々と話している。無感情に。ただ思い付いたことを口に出している。──そう、分かっているのに。
「この間食べた時、少し気に入ってね。また食べたいなと思って食事係のサーヴァントに問えば、あれはあの夏限定だと教えられてね」
そこで切ったエミヤは、こちらも自身で持ってきたであろう湯飲みに入った緑茶を啜って。ほうと、息を吐いてから、また話し始める。──何処にもそんな気配なぞないのに。何故かこの時、言峰は煙の匂いを鼻に感じて。
「ガッカリしていたら、君が来る時なら出してくれるそうじゃないか。そう聞いてから君が来るのを楽しみにしていたんだ」
そう、この真っ赤に染まった激辛麻婆豆腐は、言峰専用の食事であった。元異星の使徒である言峰神父を、カルデアの戦力として歓迎するために──というよりも、現所長であるゴルドルフの一存で、あまりカルデアには身を寄せない──だからといって何処にいるのか誰も知らない──言峰を、キチンともてなすようお達しがされていて。いくら使徒であっても、聖堂教会で折り紙付きの人格者である彼にはそれ相応のもてなしがあるだろう?──とは、そのゴルドルフの言葉である。それを聞いた赤い弓兵は少しばかり、頭痛が痛いだな──とか宣って、頭を抱えたとかなんとか。
兎にも角にも。かくして赤い色の激辛麻婆豆腐は、言峰専用の料理と相成りて。言峰が来ない限りは出されることのないメニューとなった。
まあ、だから。それを食べたいと思うならば、言峰が食堂を訪れるタイミングしかない訳で。
「君、次は何時来るんだい?」
そう、エミヤが尋ねてきても不思議ではなかった。
不思議ではなくても、納得のいかない言峰は、少しばかり鼻白みながら、エミヤに返答をする。今まさに頭痛が痛い、なんて顔をして。
「何故、答えねばならん」
答える義務なんて、全くないと、そう突っぱねる。──突っぱねられれば良かったのだが。
「まあ、それはそうなんだけど。──親切な神父さんなら教えてくれるかな、とも思ってさ」
ピシリと、何かに亀裂が入ったような音がする。それは言峰が握り締めるコップであったり、或いは、彼の米神に浮かぶ血管だったり。ピシリ、ピシリと、亀裂は入り続けて。
「一度で構わないさ。どうかな」
そんな言峰の様子を知ってか知らずか。エミヤは淡々と提案をしてくる。余程この間の激辛料理がお気に召したらしい。それもその筈。エミヤにとっての新境地であった為、暫くは興味として引かれるのは致し方ないことだったのだが。そんな事まで頭の回る余裕のない言峰は、目の前の無表情のその顔に、にっこりとした笑みの幻覚まで見ていて。喰えない笑みを湛える、スーツ姿の男を夢想して──
「……決めていない。だが、決まったら知らせる。──それで良いだろう」
そう口に出すので精一杯だった。
「ああ、構わないさ。よろしく頼む」
そう言って、今度こそエミヤは本当に、うっすらと微笑みを浮かべたのだったが。
自分が断りきれずに受け入れてしまっていたことに動揺していた言峰は、全く気付かなかった。兎も角、ここから離れなくては。それだけが頭を支配していて。
急いで残りの麻婆豆腐を、自身の口へと駆け込む。そのスピードはこの間の早食いをも凌ぐ程のものであり。あっという間に完食した言峰はコップを掴み、これまた一気に残りの水を飲み干してく。ともすれば、口の中にあるものを無理矢理流し込んでるような形であったが。綺麗さっぱり平らげ、葱一つ残さず空になった皿の横に、こちらも空になったコップを叩き付けるように置き。
言峰は、ガタンという音と共に立ち上がり、お盆を持ち上げる。
「もう行くのかい?」
あっという間に食べきったそれを、少しだけ見開いた目で見ていたエミヤは、目前の大男を見上げてそう聞く。
その顔には、やはり表情はなく。引き留める訳でも、引き離す訳でもない。ただ、目の前の人物が立ち上がったからと、事実を平坦に捉えてる瞳がこちらを向いていて。
──そうだ、この男は。
「ああ、もう行く」
──この男は、衛宮切嗣ではない。私の知る衛宮切嗣ではないのだ──。
「そうか。気を付けて」
そう言ったエミヤの呟きに一瞥だけくれて。言峰は踵を返して、返却口と、それから食堂の出口へと向かう。
気付けば、食堂内は、サーヴァント達の数も疎らとなり、所々空いていた。その中を、些か早足で──どんどん風を切って──横切っていく。時速60㎞でも平然としている男は、自身の速さが人の歩くそれでないことにも気付かず、瞬く間に食堂の入り口に立っていて。
──衛宮切嗣は、ここには居ない。
それは分かり切ってた答えだった。あの日、あそこで会ったのは確かに偶然であったが。あの男がこちらに気付くような位置に座ったのはわざとであった。──いや、違う。あの男に昔の男の影を見付けてしまったばっかりに、気付けば、声を掛けられるようなそんな距離に座っていたのだ。言峰自身、無意識に。
惹き付けられている。違うと知っているのに。自身でも制御が効かない。
カルデアに喚ばれてから、粗方アーカイブを漁り、ここに喚ばれているサーヴァントについては調べ上げた。アサシンのエミヤ。そう呼ばれるサーヴァントに、その容姿に、一瞬、動きを止めたが。書かれている記録に、出会った特異点の詳細に、知らない人間だと見切りを付けて。もし、ここで相対したとしても、所詮は他人の空似。無視できるとそう判断したのに。
──あれはもう、過去だ。過ぎ去った苛立ちだ。当の昔に置いてきた感情だ。
あの男に、もうなにも感じないと、そう思っていたのに──。
無意識に十字架を触りながら、言峰は食堂から出た先にあるカルデアの通路を歩く。今日、カルデアに居るのは、マスターからある微小特異点の後片付け要員として呼ばれたからだった。その前に腹ごしらえしようと食堂に寄ったまで。それなのに。
カツカツと革靴を鳴らしながら、つるりとした真っ白い床の上を歩いていく。知らず十字架を握り締める手に力を込めながら。ぎゅっと硬く握り、祈るように持ち上げる。
それは在りし日の妄執
──ここに衛宮切嗣は居ない──。
そう、再度胸に刻み。言峰はミーティングルームへのドアを潜った。