今日はもしかしたら厄日なのかもしれない。
確かに学校に居た時点で、ちょいちょいおかしいなと思うことは多かった。
それでもまあ、そんな日もあるよな、って流せるくらいには、まあ、そんな気になるような出来事ではなかったし。そこまで最悪だとは思わなかったんだけど。
とびっきり嫌な予感がしたのは、放課後になって、リョータ君について、とても楽しそうに語る花道を眺めていた時だった。
(何でも新しく現れたバスケ部員だそうで、花道は珍しくとても嬉しそうだった)
何となく見たことある(確か隣のクラスの同中の奴だ)男子が、校門の不良の話を教えてきて。
今の花道には関係ないことだし、これが火種で花道に迷惑かけるのが嫌だった俺は、そんなもの、無視しようと思っていたんだけど。
──ああ、リョータ君と楽しそうにバスケットをする花道を見ていたあの時間だけはそんなことなかったのに。
バイトの為に体育館を後にして、すぐに出会った彼らを目にしてしまったあの時から。
俺の厄日は決定してしまったのだ。
それもかなり最悪な方向で。
だって、そうじゃなきゃ、説明付かない。
今、目の前で、親父の再婚相手として紹介された女性の隣で呆然とつっ立っている、彼女の連れ子に見覚えがあるだなんて、そんなこと。
俯けば顔が隠れるくらいに前髪も後ろ髪も男にしては長かった、あの髪はもうすっかりなくなっていたけれども。あの時、間近で見た顔を、そうそう忘れられる筈がなくって。
その太い眉も、二重の瞳も、顎にある傷も。
どうして見たことあるんだってそう思ってしまうのか。
あるハズがないじゃないか。
俺の今日の運勢が最悪最凶じゃない限り。
そんなことあるハズがない。
あの体育館で俺が主犯と呼び殴った、あの三井寿が、俺の目の前に立っている、なんてそんなことが。
*******
叶うことなら。
今すぐにも逃げ出して帰ってしまいたかった。
リーズナブルな値段の割りに、大分落ち着いた店内で、静かに顔合わせという名の食事会は進んでいた。
──静かに、というか、かなり微妙な空気が流れてしまっているのだが。
それを気にしないように、と、親父と彼女は明るく俺達に会話を振ってきていた。
そりゃ、あれだけの衝撃を与えてくれたんだ。しばらく忘れらんねーだろ。
まるであの瞬間に、全ての憑き物が落ちてしまったような、あの幼い泣き顔だけは多分、一生忘れられないと思うくらい、頭の中にこびりついて残ってる。
例え今日あった出来事じゃなかったとしたって、俺にはしばらく忘れられない出来事だったんだ。
それなのに、そんな人が、まさか、再婚相手の連れ子として紹介されるなんて。
そんなこと思うわけないだろう。
結局、席につくまで親父にがっつり腕を捕まれたまま、逃げ出すことなんて出来なかった俺は、おとなしく目の前に出された皿を睨みつつ、その席に座っていた。
時々話しかけられる彼女からの質問に何とか答えながら、食べたくもないスパゲティをフォークに巻き付けては崩し、巻き付けては崩し。
ただただ早くこの場から解放されることだけを願っていた。
それにしても、親父も彼女もやたらと俺やあの人に話しかけている。
どうやら、いきなり顔を合わせることになったのだから、多少のぎこちなさはあって当然と思っているようで。
この空気をさして気にしていないようだ。
まさか、お互いがお互いに顔に貼られた幾つかのガーゼの原因同士だとは、きっと欠片も思っていないのだろう。
あまりにも気まずくって、飯が進まないのなんのって。
出来ることならば、今日は久し振りに外食をするから、遅れるなよと、親父に言われた今朝に帰りたい。
まあ、戻れたところで、体育館に行かない選択肢を取らない限り、この最悪な状況を何とか出来る方法なんてないんだけども。
一見して和やかに行われている食事会は、俺とあの人だけが居心地悪いまんま、ゆっくりと進み、そして終わっていった。
その中で、俺とあの人は一切口をきかなかった。
これからのことを考えるとかなり憂鬱でしかないんだけど、まあ、しばらくはそんなすぐにまた顔を合わせることもないだろうってかなり楽天的に思っていた。
そう軽く考えていた俺を殴りたい。
まさか、その週末に、いきなり一緒に住むことになるなんて思いもしないだろ、だって。
*******
俺だって、さすがに一緒に住むのであれば、多少の歩み寄りはしてかないと、と思ってたんだ、それでも。
俺の家なのに居心地が悪いまんま、なんてのも嫌だし。
それなのに、あの人と来たら!
その日早く起きたのは本当にたまたまだった。
俺とあの人とじゃあ、基本、生活リズムがかなり違うから、家ですれ違うことはほとんどない。
あって、強制的に行われる家族の団らん時間か(まだ1回しか行われていないが)、休みの日に起きる時間が重なるか、くらいで。
まだ三井親子が、俺と親父が住むには広いこの二階建ての一軒家に引っ越して来て、そんなに経っていないってのもあるけど。
その上、元々、親父の実家でもあったここは部屋だけは困らないくらいあって、俺とあの人は部屋を別々に持つことができている。
だから、部屋にこもってしまえば、ほとんど会うこともなくて。
まあ、いくら兄弟に(そうだ、俺とあの人は兄弟になったのだ)なったからと言って、はいそうですか、とすんなり受け入れられるものでもないし。
それでも。
もう2週間近く経つのだからいい加減、すれ違えば挨拶くらいするだろう、フツー。
寝付きが悪い方だから、一度目が覚めるとなかなか二度寝なんてできなくって。
だから、諦めて起きてしまおうと、その日は珍しく早く起きして。
そうやって、たまたま早く起きたもんだから。
眠い目をこすりながら、ドアノブを回した先で、ちょうど珍しく起きるタイミングが重なったあの人と目が合って。
眠気眼でまだパジャマ姿の俺と違って、あの人ははっきりと目も覚め学生服に着替え終わっていたけれども。
「おはよう、あんた本当に朝早いんだね。」
そう、ただ挨拶をしただけなのに。
あの人ときたら!
次の日も、その次の日も同じ時間に起きられた俺は、同じように試してみたけど。
俺を一瞥しただけで、あの人は何も言わずに、下へと降りて行く。
四日目くらいは意地だった。
し、あまりにも腹が立つので、仕返しについでに淹れてやったコーヒーをわざと苦いまんま(しかもかなり)で出してやった。
親父も彼女も朝はとても忙しいので、朝食の用意や飲み物は各自と決まっている 。
簡単なおかずはあるので、それをお皿に盛って、目を覚ます為のコーヒーを淹れる。
あの人が簡単な身支度を洗面所でしてる間に、残ってた2人分の朝食を分け(どうせ洗い物をするのは俺なので、あの人の分だけ残すなんて面倒なことはしない)、食卓に並べてやる。ついでに、あの人の分のコーヒーも置いてやって。
用意はしても、あの人と食卓を囲む趣味なんてないから、俺は先にフライパンとかを洗ってしまおうと、その場に残って。
戻ってきたあの人が、テーブルに並んだ朝食を数秒眺めた後、席につたのを横目で確認し。
洗い物が終わったら先に着替えるか、と俺はこれからの行動を考える。
台所に来てそうそう飲んだコーヒーがようやく効いて、大分思考も冴えてくる。
着替えて戻ってくればあの人も食べ終わって、先に家を出ているだろうと、台所を出て、自室へと向かう。
すれ違った際に見たあの人が、マグカップを持とうとしたのが見え、つい笑みを浮かべてしまった。
あの瞬間だけは本当に最高だった。
あの食事会で、食後に運ばれてきたコーヒーにこれでもかと砂糖を入れていたあの人が、苦いコーヒーを飲めるなんて思ってなかったから、案の定、盛大に噎せていた。
廊下まで聞こえてくるあの人の唸り声を聞きながら、意気揚々と部屋へ戻る。ああ、今日は、今日こそは本当にいい気分で学校に行ける。
そう思っていた。
着替えて食事も済ませ(あの人はやはりもう既に家を出ていた)、洗面所で髪もばっちり整えた俺は、登校までまだ時間があるからと一服することにした。
親父からの苦言で、吸うなら台所の換気扇の下か、外、と決まっているので、灰皿を持って換気扇の下へと向かう。
流しに置きっぱだったあの人が使った皿も、マグカップも(何故か中身は空だった)、俺が使った皿もマグカップも、既に洗って仕舞ったから、良いだろうと、換気扇を回し、タバコを取り出す。
口に持ってきて。フィルターを噛もうとした瞬間──何故か、そのタバコから甘い味がした。
あまりにも驚いて口からタバコを取り出して、よく見れば、それはタバコなんかじゃなくて。
他のタバコはどうだろうと、ひっくり返した先から、ひらひらと紙が落ちてくる。
全く見覚えがない字だったけれども、どう考えても犯人はあの人しかいなかった。
“ばーか”と書かれたその紙を握り潰して、昨日以上にむしゃくしゃした気持ちのまま学校へと向かった。
それから、俺とあの人の、壮絶な仕返しに次ぐ仕返しの、嫌がらせの応酬が始まった。